吠えたり、尻尾ふったり
また今日も、体育祭の練習だ。
運動全般が苦手な人間の例に漏れず、俺はこの時間が憂鬱である。
何と言っても、ダンスというか根本的に身体操作がおぼつかないのだ。
あゆみの指導によって動作こそ完璧に記憶したのだが、何回やってもダンス経験者の副団長様に「なんか変」と詰められる。
本当に勘弁してくれ。動作自体は合っているんだから良いだろう?
だいたい、手足の先を伸ばせと言った直後に、拳を握れとはどういう了見か。
そもそも副団長様は俺みたいな木っ端ではなく、まず団長に動きを教えるべきだろう。
奴は動きを覚えるどころか、練習時間の大半を雑談に費やして、練習を始めたかと思えば板を蹴り割って騒いでいる。全くのお荷物ではないか。
団長がそんな様子なら、当然他の連中の指揮も低い。
今はまだギリギリ副団長の尽力によって回っているが、明日からは後輩も練習に参加するという。暗雲立ち込めるとは正にこのことであろう。
「じゃ、そろそろ休憩!」
副団長がパンッと手を叩き、俺は没頭していた思考を現実に連れ戻す。
「ちょっと浅野」
「あ、はい」
副団長に手招きされ、俺はヘロヘロと近づいて行った。
炎天下のダンス練習に俺の体力はもう限界である。
「ボーっとしてただろ?」
ポニーテールをサラリと揺らし、副団長はニヤリと笑った。
……明らかに目を付けられている。
俺がゲンナリとした表情を浮かべるのを見て、彼女は更に笑みを深めた。
「浅野はボーっとしてると特に動きにキレが無い。あと一セットやってから休憩な?」
「っす……」
俺は舞った。太鼓係と木陰でだべる団長、そして悠々と水を飲む副団長に恨みがましい視線を送りながら、木陰で一人ふにゃふにゃと舞った。
名倉さんが俺を見ていたのには、気づかない振りをした。
俺と同時期に応援団へ入った筈の彼女は、二日目の時点で副団長のお墨付きをもらっている。
体育にまつわる不平等は、いくつになっても俺を蝕むつもりのようだ。
俺はこのまま、小さな積み重ねの中で心を折られ自信を無くし、大人になっていくのだろうか?
だとすればそれは、酷く悲しい。
「はぁ」
……喉が渇いた。
ゆっくりと立ち上がり、給水器を目指す。
もう秋も始まるという頃に、俺が汗をかいているというのだから驚きだ。
去年の今頃は、登下校と体育以外で外へ出ることなど無かったというのに。
照り付ける太陽を睨み、その眩しさに目を伏せる。
果たして給水機の前には、応援団だけでなく野球部とサッカー部が列をなしていた。しかも、マネージャーらしき人物が給水機からやかんに冷たい水を貯めているため、一向に列が進まない。
やめなさいよ、そういうことするの。
俺はゲンナリとしていた顔を更にゲンナリと歪め、中庭の給水機に目的地を変更した。
騒々しかったグラウンドから一転、薄暗く静かな廊下は落ち着く。
パタンパタンと廊下に響く俺だけの足音。
時折すれ違うのは教師だけで、彼らは授業中と違ってよそよそしい。
まだ部活はやっている時間だ。
もしかすると平川や芥屋先輩に会うかもしれないと思ったが、誰に出会うこともなく俺は中庭の給水機に辿り着いた。
月曜日、平川に謝罪して怒らせてしまってから、もう気が付けば木曜の放課後。
文芸部に関係する何かとすれ違うことなくここに来られてしまったことが、安心と同時にもっと根本的な不安を掻き立てた。
……致し方あるまい。全部、俺の独善の結果だ。
給水機から出る水を口に含んだ。
ぬるい。今日は日差しが強いからだろうか? それとも、こちらにもやかんを持ったマネージャーが訪れていたのだろうか?
どうあれ、俺は少し嫌な気分になった。
「あ!」
背後から大声。
俺は給水機から顔を上げ、ゆっくり後ろを振り返る。
……知らない顔だ。
ショートカットで健康的な女子。見るからに俺と対極に位置している。
「なにか用かね?」
俺が尋ねると、ショートカットの女子はピンッと直立した。
「応援団の人っすか?!」
騒々しい声だ。
少なくともこの至近距離で適切な声量ではない。
「……そうとも、応援団の人だ」
「あ、明日からよろしくっす! 一年でっ! 赤組でっ! 綾加も応援団なんす!」
バシッとお辞儀を決めるその姿、正しく俺の苦手な体育会系その人である。
逃げ帰りたかった。
「あー、なるほど。明日から練習が始まるからな。うん、まあ、よろしく頼むよ」
俺はそう言いながら、そそくさと後ろを振り返る。
しかし、ガシッと服を掴まれてしまった。
「先輩の名前も教えて欲しいっす! あと、応援団どんな感じなんすか? やっぱ一致団結って感じっすか? 綾加、今からワクワクしてるんっすよ!」
熱量がすごい、声もデカイ。
こういうタイプは体育の時間にサッカーボールを蹴り損なう俺を見て、真面目にやれとか言う。
普段は人のことを真面目クンと馬鹿にする癖に。
積年の恨みに思考をふらふらさせながらも、俺はなるべく穏当に応援団のリアルを伝える事にした。
現実を知るのは早い方が良い、早々に諦めることができるから。
「あー、俺は浅野という。君の苗字は何と言うのかな?」
「稲塚っす! でも名前で呼んで欲しいっす!」
何故だ……
そんなに自分の名前が好きなのだろうか?
まあ、齢十六にして未だ自分のことを名前で呼んでいるのだ、きっと並々ならぬ思想があるのだろう。
であれば、わざわざ地雷を踏みに行く必要もあるまい。
「では、綾加君。現在の応援団の現状を一言で説明すると、カスだ」
「え……」
「正直、明日の後輩を交えた練習は酷いものになると予測している。だがまあ、所謂青春っぽいことはできるだろう。負けた時専用、連中お決まりの文句があるからな。きっと団長は最後にこう言う。負けちゃったけど、このチームで最期までやりきることができて良かったです、と」
俺がそう言ってニヒルに笑うと、綾加はグイッと顔を近づけて来る。
「そういうこと言っちゃダメっす!」
怒られた。正論かつ大声で。
「す、すみません……」
委縮して反射的に謝罪する。
というか、先ほどの言動は確かに問題だった。
少々体育会系と応援団への私怨によって、鬱憤が溜まっていたようだ。
最悪である。鬱憤を晴らすため感情的な嫌味を初対面の相手に口走った。完全なる失態だ。
羞恥に顔が熱くなる。
俺が小さくなっていると、反対に彼女の声は大きくなっていく。
「そもそも今の状況が酷いと思うなら、先輩は応援団の一員として皆を正しい方向に引っ張っていかなきゃダメじゃないっすか! 裏で文句を言うのはカッコ悪いっす! それに一致団結して最後までやりきったなら、勝敗なんて関係ないのはホントじゃないっすか!」
「はい……」
割ともう、俺のメンタルはボロボロだった。
尤も、応援団の一員として皆を正しい方向に引っ張るべきという意見に関しては反論の余地があると思ったが、生憎と反論する気力が無い。
「すまない、先ほどの発言は取り消そう。生憎と今の応援団を引っ張る気は無いが、君が練習に参加した暁には是非ともそうしてくれたまえ。陰ながら応援している」
「あっ……分かったっす! 綾加、全力で頑張るっす!」
直前まで真っ当に怒っていたかと思えば、次は嬉しそうに燃え上がっている。
実に元気が良い。できればもう二度と関わり合いになりたくない。
けれども明日から一緒になって練習である。
正直応援団の行く末になど興味は無いが、これで少しでも現状が変わるのなら副団長は報われるなと、そんな事を考えた。
……が、俺は翌日の応援練習にて閉口することになる。
立ち込める不穏と迫る本番、俺は最後まで流され続ける所存であった。