踊る、進まず
「…………」
文芸部の部室をノックする。
しかし室内から応答は無く、シンと静まり返った無音だけがそこに在った。
まあ、致し方あるまい。応援団の練習のせいで、既に部の活動時間を過ぎているのだから。
「はあ……」
どうしようか。
これから毎日応援団の練習があるらしいが……ただでさえ平川とは、あまりよろしくない別れ方をしたのだ。謝罪をするというのなら早いに越したことはない。
かといって、文芸部の連絡先はブロックした上で削除したから連絡できない。
やはり、昼休みに先輩と平川の教室へ行って……面倒だな。
いやでも、謝罪するというのなら、それくらいはしないといけないのか?
「アンタ、そこで何してんのよ」
「え?」
グルグルと思考を巡らせていると、突然後ろから声を掛けたられた。
平川だ。
「あ、と……き、君の方こそ、どうしたのかね? もう部活の時間は終わっているはずだが」
「……別に、忘れ物しただけ」
「あ、そう、か」
平川は俺を避けて部室の前へ行き、鍵を開けて中に入る。
そのまま彼女は引き出しの中を引っ掻き回し、何かを探し始めた。
ガサガサと引き出しに手を這わせる音と、遠くで聞こえる運動部の笑い声。
俺はただ、黙って彼女を見つめている。
「アンタも見てないで、ちょっとは手伝いなさいよ」
「え、あぁ、分かった」
俺は何を探しているのかも分からないまま、平川に倣って薄暗い教室で机をガサガサやる。
プォ~と、遠くで金管楽器の音がした。間の抜けた音だと思った。
「運動部や吹奏楽部の練習というのは、何故あんなに遅くまでやっているのだろうな?」
「知らないわよ……運動部が遅いんじゃなくて、私達の解散時間が早いんじゃないの」
「あぁ、なるほど」
「…………」
肝心のタイミングを逃したまま、謎の忘れ物探しは続く。
しかし、一向に見つからない。五分ほど経ったところで、平川が突然大きな声を出した。
「あー、もう! アンタ、言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ!」
「え! いや、えぇ? あー、分かった」
睨みつけるような鋭い目で、彼女は俺を見つめている。
俺はその真っすぐな視線から目を逸らしあぐねて、ぎこちなく見返した。
「平川が今探してるものって、何かな?」
「……っ、本当の、友達」
彼女は睨むような視線を下に向けて、そう言った。
しかし、俺が聞きたかったのはそういう抽象的な話ではなく、忘れ物についてだったというのが悲しいところだ。
「ぁの、じゃなくて、部室に忘れたっていう、探し物の話で……」
「なっ! は、はあぁ?!」
俺の訂正に平川は顔を真っ赤にして大声を上げる。
まあ、恥ずかしいだろうな。当然の反応である。
「アンタ! もう! なに! もう! 忘れ物なんて嘘に決まってんでしょ! アンタが思いつめた顔してたからっ私は!」
「あ、あぁ~、なるほど」
俺が話しやすいように、忘れ物探しというでまかせを言って時間を作ってくれていたと。
これは非常に申し訳ないことをした。
「いや、えっと、つまりな、じゃあ、俺が言いたかったことを言わせてもらうと……」
「うん」
俺は平川の表情を窺う。
目が合った。
何故か、咄嗟に視線を逸らした。
「……ごめん、合宿のときのこと」
言えた。
一度逸らした視線を、彼女の方に向けられない。
強い羞恥心が湧き上がったからだ。
けれど平川の反応は気になったから、恐る恐る彼女の方を見た。
彼女は泣いていた。
泣きながら、怒っていた。
「ぃ、う、あ……ばっ、バカじゃないの! アンタ、あんな勝手に! 一方的に部活辞めるって言っておいて! ふざけんな! 私がどんな気持ちで夏休みを過ごしてたと思ってんのよ!?」
烈火の如く、彼女は怒りの言葉を捲し立てる。
言い分はもっともだと思った。俺の感じた責任は俺自身の問題でしかなく、彼女には関係ない。
そんな彼女とは無関係の責任感を理由に、彼女の部活に残って欲しいという意見を蔑ろにしのだ。
俺は謝罪の先に進むことを諦めた。
どうせ、また一つ失敗が積み重なっただけだ。
俺は「そうだな」とだけ言って、部室を後にした。
謝罪という行為の身勝手さは理解していたつもりだったが、改めて突きつけられるのは少し気分が重くなる。
部室からの去り際、平川の声が聞こえた気がした。
けれど、きっとこれは諦めきれない俺の気のせいなのだろう。
気が付くと辺りは薄暗く、運動部の笑い声や吹奏楽部の演奏練習は聞こえなくなっていた。
+++++
ポケットから鍵を取り出し、俯いたまま玄関を開ける。
「はあ……」と、無意識に溜息が漏れた。存外、平川との件が俺には重くのしかかっていたらしい。
「帰ってすぐため息とか、おっさんじゃん」
「うぉ、いたのか」
予想外の声に驚き、反射的に俯いていた顔を上げる。
「いたら悪い?」
ふん、と鼻を鳴らして、あゆみが出迎えに来ていた。
「悪くは無いが、少し時間遅くないか?」
既に時計は十八時を回っている。
いつもであれば帰っているはずの時間だった。
「別にどーでも良いし。どうせあの家に、私のこととか興味あるやついないもん」
「そうか。まあ、家の方に連絡だけ入れといてくれたら、ここに居て良いから」
あゆみがどこか落ち込んでいるように見えたので、俺はそれだけ言って靴を脱いだ。
「……ん」
素っ気ない返事。
「食事はもう済ませたか? まだなら昨日のカレーが余ってるから温めるが」
「食べる」
「分かった」
俺は手洗いを済ませ、リビングに移動する。
電気をつけると、床にはあゆみの携帯ゲーム機が転がっていた。
電気つけないでゲームやってたのか。と、少し気になる。
そのまま台所のある廊下へと戻り、俺は冷蔵庫に鍋ごと入れておいたカレーを取り出した。
チチチチッとコンロが鳴り、数秒後に火が点いた。
鍋をコンロに置く。軽く混ぜていたら、五分もすれば温まるだろう。
「あゆみ君、冷凍庫のご飯をレンジで温めておいてくれ」
「は~い」
あゆみは背伸びしてレンジのタイマーを設定すると、パタパタとこちらに寄って来た。
「カレー、辛さなに?」
「中辛」
「ふ~ん」
興味無さそうにそう言うと、あゆみはリビングに戻ってゲームを開始した。
鍋に視線を戻し、しばらく混ぜていると、カレーが良い感じになってくる。
そのすぐ後にレンジが鳴り、ご飯が解凍されたことを告げた。
「……そういえば、俺が帰ってなくても電気つけて良いぞ。LEDの電気代なんて、あってないようなものだし」
鍋とご飯をリビングのテーブルに持っていきながら、気になっていたことを伝えておく。
すると、あゆみはこちらを向き、ベーっと舌を出してきた。
「別に、気つかってたとかじゃないし。バーカ」
「そうか、まあ良いけど……よし、食べよう」
カレーをテーブルに置いてスプーンを渡し、俺達は席に着く。
そのまま、お互いに何となく無言でカレーを食べ始めた。
「…………」
「ねぇ」
「ん?」
チラリとあゆみを見ると、スライスチーズをカレーに何枚も乗せている。
遠慮ないな……まあ、良いけれども。
「晋作、学校どうだった?」
「ああ、寝たふりしたら体育祭の応援団することになってた」
「ヤバ、無理でしょ」
あゆみはチーズとご飯とカレールーをグチャグチャに混ぜながら笑う。
「まあ、取り敢えず今日はダンスを覚えるつもりだよ」
「晋作、ダンスとかできんの?」
「やるしかないからな……」
「ふーん」と言いながら、彼女はスプーンを皿につっこみ、そこから零れそうなほど大量のカレーライスを一度にすくい上げた。それをそのまま、あゆみは美味しそうに頬張る。
「あゆみ君は、学校どうだったんだ」
「面白い物語ですねって、言われた。観察日記」
憮然とした顔で、吐き捨てるように彼女は言った。
どうやら事実を物語と言われてご立腹のようだ。
まあ、大人が子供の言うことを信じてくれないというのは、いつの時代でも変わらないということなのだろう。
「でも、監禁は悪いことだから本当にやったらダメですよ、だってさ。馬鹿じゃん。やったって書いてるのに。で、一行日記にもホントのこと書いてたの知ったら、こういうのは作品じゃなくてイタズラと変わらないって怒られた。あとは保護者面談コース」
「あぁ……」
今日、落ち込んでいたのはこれが理由か?
「タンニンノセンセーが言うには、私が母親と一緒にいられなくて寂しかったから、こんなことしたんだって。で、その母親さんは帰ってる間ずっと、私のせいで担任に怒られたってブチブチ言ってんの。もう、バカばっか」
ストレスを発散させるように、あゆみはバクバクとカレーを口に運ぶ。
学校初日にして、予想通り随分とストレスを溜め込んでいるみたいだ。
「まあ、お疲れ」
「うっさい、さっさと食べろ。そんで、ダンス見てやるから……」
「え、踊れるのか?」
「うん! 私、クラスで一番最初にソーラン節覚えたし!」
「ソーラン節……」
俺はあゆみにせっつかれて早々にカレーを食べ終わった。
リビングでスマホを見ながらひょこひょこ踊り、二学期最初の放課後が過ぎていく。




