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メスガキのバカな大人観察日記  作者: ニドホグ
祭囃子と心理学
31/84

水溜まりに飛び込んで

「明日から学校か……」


「めっちゃ、ヤダ」


 俺の小さなボヤキに、膝の上でゲームをしていたあゆみが応答する。

 顔をくしゃくしゃに顰めている様子から察するに、本当に心の底から嫌なのだろう。

 俺も嫌だ。


「学校が始まったら、すぐに体育祭というのもいただけないしな……」


「え? 高校って夏休みのあとで運動会やるの?」


「ああ、その後に文化祭もある」


「へー、……あ」


「どうかしたのかね」


 あゆみは顔を上げて俺を見る。


「高校って終わる時間おそいし、今みたいに晋作の家、来られなくなるじゃん」


「まあそうだな。部活がある日は六時まで学校にいるし」


「えー、部活やめてよ」


「いや……」


 流石にそれは、と言いかけて止まる。

 部活は既に辞めると言ってあるし、平川や芥屋先輩に謝罪する事と、部活に復帰する事は別問題だ。

 そもそもどの面を下げて今更部活に戻るなどと言うつもりなのか?


「……まあ、そこは先輩達の反応次第だと言っておく」


「ぶー」


 あゆみは分かりやすくむくれて見せるが、元より期待していなかったのかすぐゲーム画面に視線を戻した。

 俺はボンヤリとゲーム画面を眺める。ブロックを積んで、ブロックを消して、積んで、消して……。


 隣で見ていると、もっと上手いやり方があるように思える。単純にプレイヤーと傍観者では作業量が違うのだから、気を配れる範囲が変わるのは当然なのだろう。

 だが、この状況で口を挟んで生まれた不和を想うと、もう少しどうにかならないものかと思考してしまう。


 けれどもこの非対称が生む悲劇は、きっと孤独の他に解消法が無い。

 単純に一人で遊ぶ物理的孤独か、傍観者が無関心に眺める精神的孤独か……。


「あ」


 画面に表示されるGAME OVERの文字。

 あゆみはコントローラーを放って体を俺に預けた。


「ねえ、花火した~い」


「花火か……」


 チラと外を見ると、雨が降っていた。

 耳をすませば、ゲームのBGMの裏でタッタッタと水滴に窓が打たれる音も聴こえてくる。


「雨だしなぁ」


「えー」


 あゆみも俺に倣って外を見る。


「うわ、ホントだ。そういえばなんか部屋暗いし、電気つけてよ」


「ならば膝から降りてくれ」


「やだー」


 気の抜けた返事。俺も気の抜けた「ぐぅ」という鳴き声で応答し、ぐにゃりと床に倒れ込んだ。

 あゆみは腹の上に乗り、俺の胸に耳をあてる。


「……何かね」


「心臓の音、聞いてんの」


「そうか」


 何が面白いのか、あゆみは熱心に俺の心臓の音を聞いている。

 俺の心臓は動いているのだろうか? 常識的に考えれば動いているはずだが、時折少し不安になる。俺は元来、不信が先に立つ質なのだろう。


 響く雨音はいつも孤独を思わせたが、しかし今は違って聞こえた。

 あゆみとは言葉さえ交わしていないのに、今その存在を強く感じている。


 こんな感覚は初めてで、どうにも何かが恐ろしかった。


 雨音、あゆみが鼻歌を歌い出す。

 俺もそれに合わせて歌ってみた。


 ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン


 脳内で歌詞を思い出しながら、節をつけて「ふんふん」と歌う。

 自らを客観視して、気が抜け過ぎだと思った。

 けれどもこれが心地良いのだ、だからこそ不安なのだが。


「ばーか」


「急だな」


「なんか」


 その後に言葉は続かなかった。

 シンとする。雨音が静寂を際立たせた。


「あゆみ君、小学校に友人はいるのか?」


「お前もいないでしょ」


「ああ」


 再び沈黙が流れる。

 外で蛙が「ゲコ」と鳴いた。


「晋作は、学校楽しい?」


「いや」


「私も」


「…………」


 友人がいないから学校が楽しくない。ただそれだけのことを、ただそれだけの事として言えたのは、存外初めての経験かもしれなかった。


「花火、買いに行くかい?」


「こんな雨じゃ無理でしょ」


「線香花火だけ、ベランダでやろう」


「ふーん、じゃ、行こ」


 あゆみはピョンと飛び上がり、玄関にパタパタと駆けて行く。

 俺は彼女が跳ねる際に強く押された腹を摩りつつ、財布を持って後を追う。


「おそーい」


「最近まで枷がついていたから歩き慣れていないのだ。手心を加えてくれたまえ」


 彼女は「ふん」と鼻を鳴らし、傘を手渡してくる。


「ああ、家に一本しかなかったか。君が家に来ることも増えたし、もう一本買わないとな……」


「え?!」


「何かね?」


「んー」


 彼女は嬉しそうな声で返事をし、体を寄せてくる。

 俺は傘の下に彼女を入れて外へ出た。


 ポツポツと傘を雨が打った。

 人通りは少ない。


 アスファルトに点在する水溜まりを避けながら進むのは、少しばかり面倒だ。


「靴が濡れてしまうな」


 俺のふとした呟きにあゆみはニヤリと笑い、バシャリと靴で水溜まりを跳ね上げる。


「うわ……」


 ビッチョリと濡れた靴とズボン、しかし被害は彼女の方も甚大であった。

 その靴と靴下はベチャベチャで、水を吸ったスニーカーはガポガポと音を立てている。彼女がショートパンツを履いていなければ、被害はより大きくなっていたことだろう。


 俺は靴を脱ぎ、ひっくり返して水を切る。

 せっかく水溜りを避けていたというのに、全くもってとんでもない。

 けれども「あはははは!」などと晴れやかに笑う彼女を前に、何故だか嫌な気持ちにはなれなかったのだ。


「そら、コンビニに着いた。さっさと買って帰って、靴を乾かすぞ」


+++++


「うえぇ……くつした、はりついてキモい」


 あゆみは玄関に座り込み、無理な体勢で足を持ち上げながら靴と靴下を引っ張るようにして脱ぐ。細い足にぺったりと張り付いた靴下を脱ぐのは、子供の力だと随分骨が折れそうだ。

 俺が脱衣所からタオルを持ってくると、彼女は靴を脱いでいない方の足をこちらに向けて来た。


「ねぇ、脱がしてよ」


「君はお姫様か? 片方だけ自分で脱ぐというのも意味が分からんだろう」


「えー、いいじゃん。ひっついてて脱げないもん」


「こら、足をバタバタしないでくれ。水が飛ぶだろう」


 俺は手で顔を水滴から守りつつ、あゆみの足を捕まえる。

 靴のマジックテープを剝がすのも随分と久しぶりだ。

 そうして靴を脱がすと、ポタポタと床に水が垂れた。


 雑巾も取ってこないとな等と考えながら、続けて靴下も引っ張る。

 ずるずると水の抵抗を感じながらも、最終的にすぽっと足が抜けた。


「じゃあ、俺は床を拭くから、君はキッチンペーパーを靴に詰めておいてくれ。靴下は……ビニール袋に入れておくから、家に帰ってから洗濯すると良い」


「はーい」


 そうして雨の日の後始末を終えた俺達は、改めてコンビニで買ってきた袋と向き合う。

 中に入っているのはライターと花火セット、それとかき氷だ。

 花火セットには線香花火が八本入っていた。


 とりあえず、かき氷は冷凍庫にしまおう。


「水がいるな」


「洗面器に入れてくる!」


 トタタッと彼女は駆けて行き、風呂場からは水の出る音がした。

 俺はライターと線香花火を持ってベランダに出る。


 相変わらず雨は降り続けており肌寒い。

 試しにライターの火を点してみたら、少し暖かかった。


 そろそろ水を汲み終わった頃だろうか?


 室内を見やると、あゆみが洗面器を真剣に見つめながら、水を零さないよう慎重に慎重に歩いてきている。

 洗面器の中身は九割ほど水で満たされており、ちょこちょこ床に零しているのはご愛敬だ。


「水、持ってきた!」


「じゃあ、取り敢えず床に置いて、始めるか」


 彼女はやはり慎重に慎重に洗面器をベランダの床に置き、満足そうに鼻を鳴らす。

 それを見届けてから、俺は線香花火をあゆみに渡した。


「では、火を点けよう」


「私がつけたい!」


 俺がライターを渡すと、彼女は左手に線香花火を持ち替え、右手で回転部を回す。

 しかし、小さい手では上手く力が込められないのか、ライターはシュッと音を立てるばかりで火が点かない。


 俺はボンヤリとその様子を眺める。

 なんだか落ち着くなと、そう思った。


「……花火を俺が持つから、両手で回してみてはどうかね?」


「ん」


 花火を受け取る。

 あゆみは右手でしっかりとライターを握り、左手を思いっきり押し込んだ。


「ついた!」


「おぉ」


 ライターの火に照らされて、薄暗い景色の中で彼女の顔だけがハッキリと見える。


「はやく! はやく花火こっち! 火つけるから!」


 花火を二つ、垂らすように彼女の前に差し出すと、彼女はライターの火を花火の先に押し付けた。


「火は先端の方が熱いから、先を触れさせるようにすると良い」


「あ、それ授業でやった」


 そうこうしている内に火が点く。

 パチパチと小さな火花が散っていた。


 花火を片方渡し、一緒になって無言で見つめる。


 雨音に混じって花火の音が聞こえた。

 そうして次第に火花は最高潮を迎える。思っていたよりも、火花が激しい。


「あ……」


 ほとんど同時に、花火が落ちる。


「…………」


 少しだけしんみりとして、花火を洗面器の水に浸けた。


「夏休み、終わりだな」


「うん」


「そういえば、最初に言ってた観察日記、提出するのか?」


「うん」


 彼女は迷いなくそう言った。


「怒られそうだ」


「めっちゃ怒鳴ると思う。もしかしたら名倉桃子も呼ばれて、ダブルで怒鳴られるかも」


「それは、怖いな」


 俺がそう言うと、あゆみはこちらを見上げる。

 俺は横目で見返した。


「そしたらさ、晋作の家、来ていい?」


「ああ」


 俺が首肯すると彼女は「ふふん」と笑って、新しい線香花火を取り出し始めた。


 夏休みが終わる。

 それは同時に新学期の始まりを意味していて、酷く先が思いやられた。

 けれど全てが何とかならなかったとしても、この家での時間がさえあれば何とかやっていける気がしている。


 まずは明日、平川と先輩に謝ろう。

 例え許してもらえなくとも、わだかまる何かを、きっと上手く共有できる気がしていた。


 夏休みの最終日、もう蝉は鳴いてない。

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