皮膚を焦がす日差し
「おし、お前らー、揃ってるな? まあ、俺が車で連れて来たんだから揃ってなきゃ困るが……」
顧問の柳先生が、ダルそうに頭を搔きながらざっと顔ぶれを確認する。
「俺はあんまし部活に顔出してないから、お前らのことは知らん。だがまあ文芸部だし、しっかりしてるだろ? これから各自自由行動だ。俺はぶらぶら観光したり、旅館で寝たりしてるから、なんかあったら携帯に連絡してくれ。できれば連絡しないでくれ。で、五時までには旅館に戻ること、かいさ~ん!」
それだけ言うと、柳先生は怠そうに旅館へ入っていった。そして先生と入れ替わるように、芥屋先輩が腕を組んで俺達の前に立つ。
「よ~し! 諸君、海に行くよ!」
「え、水着持ってきてないです」
「わ、私も……」
「ありゃ?」
先輩はきょとんと首を傾げる。
「そういえば海行くって言ってなかったか。でも君たち、離島に来たのに水着なしって、何しに来たんだい?」
「文芸部の合宿なので、執筆をするのかと思っていましたが」
「バカもの~! インスピレイションなくして創作は無いでしょうが! 先輩はねえ、内に籠って妄想のみで何かを作れると思ってる後輩くんちゃんに世界と現実を見て欲しいんだよ。だから下着と面積は変わらないのに何故か恥ずかしくない服を買いに行くよ?」
そんな表現をされたのでは、例え海水浴をする気に満ち満ちていたとしても水着を買う気が失せてしまう。
この人は俺に海水浴をさせたくないのだろうか? 甚だ疑問である。
しかし、海水浴をしないとなれば離島でできることなど皆無に等しいので、結局海辺近くの店で水着を購入する運びとなった。
店内はそこそこ込んでおり、田舎とはいえ夏場における海辺のアドバンテージを感じさせる。
俺は早々にシンプルな水着を購入してしまいたかったのだが、何故か置いてるのは妙に煩い柄物ばかり。
俺は諦念と微かな敗北感を胸に、ご機嫌なハイビスカスの水着と、シンプルな海用の上着を購入した。
俺は何をしているのだろうか……?
胸中に浮かぶ徒労感をこねること数十分、平川と先輩はようやく店内から戻ってくる。
「あ、アンタ先に出てたのね? ちゃんと一人で水着選べた?」
「ご機嫌なハイビスカス柄だ」
俺は袋から件の水着を取り出して見せる。
「ふーん、ハシャイじゃって! 意外と楽しみにしてたのね? アンタ本当は……」
平川は何かを言いかけたが、俺の目を見て途中で止めた。
「…………」
一瞬の間。それを埋めるように、先輩はヘラヘラと口を開いた。
「ちなみに後輩ちゃんはマイクロビキニを買ってたよ~」
「先輩! 適当なこと言わないでください! アンタも変な想像しないでよね!? ホラ! 普通のだから!」
平川が取り出したのは上下に分かれてこそいるが、比較的露出の少ないスカートタイプの水着だった。
「ちなみに私のはマイクロビキニだよ~ん」
「…………」
「ア、アハ?」
半眼で見つめられ、先輩の頬は時間差で朱に染まった。
そんな顔をするのであれば品の無い冗句は控えれば良いと思うのだが、しかし先輩は時折思い出したかのようにこういったことを言う。
俺は黙って、砂浜へ向かわんと一歩を踏み出した。
「あ、後輩くん待ってよ~、そんな引いた顔しないでよ~。ほんとは普通のだって! ほら、後輩達に自慢したくて三日間悩みぬいた一品なんだからさぁ」
「三日って……先輩、受験勉強やらなくて良いんです?」
平川が突っ込む。実のところ、そこは俺も気になっていた。
三年になったら普通は部活に来ないものだが、芥屋先輩は一学期もちょこちょこ文芸部に顔を出している。
「ああ、だいじょーぶよ。課題でコンテストに出してた絵が大学の先生に気に入ってもらえて、もう内定してるから~」
「先輩、美術科だったんですね」
「ま、ね~」
そんなことを話しながら歩いていると、すぐ俺達は海に辿り着いた。
夏休みも終盤とはいえ日差しは強く、避暑を目的に集まっているのだろう、未だ人の数は多い。
ざわざわとまるで一つの塊のように蠢く大衆に嫌気が差し、俺はよほど帰ってしまおうかと思案した。しかし、既に芥屋先輩は人の群れに向かって駆け出している。
合宿に参加すると言った手前、ここで単独行動をするのは少々気が引けた。
「お~い! 後輩ズ! はやく~! こっちに走っておいで~」
年甲斐もなくピョコピョコと跳ねる先輩は、いつもの超然とした雰囲気を何処へ捨ててしまったのだろうか?
俺は近くの木陰に座り込んだ。
「平川、呼ばれているよ。駆けて行かなくて良いのかね?」
「呼ばれてるのはアンタもでしょうが。だいたい私が行ったら、アンタ海水浴サボる気でしょ?」
「まさか、合宿中は何処へも行やしないとも。何処に居ようとも変わらんからね」
「……ふん」
平川は俺を一瞥し、小さく鼻を鳴らした。
そして何も言わずに先輩の下へと駆けて行く。
ダッと地を蹴る音がした。
水着から伸びた長い足が砂を散らし、力強く彼女の全身を駆動させる。
その姿は人というよりも獣のようで、美しいと感じた。
跳ねる肢体に浮ついた心。
自らが思春期のようで……いや、事実思春期なのだが、ともかくその情動が気持ち悪かった。
膝を立てて座りなおし、顎を乗せる。
そして、考えた。
疑問なのだ。これまで平川に何かと世話を焼かれはしてきたが、しかし俺達の関係は友人未満であり、同じ部活の人間でしかなかった。
俺が部活を辞めると言えば、「はい、そうですか」と受理されて、今後言葉を交わすことは無い。
文芸部とはつまり、今までの俺が作ってきた人間関係と同じのような……その程度で切れる繋がりだと思っていたのだ。
やはり平川が今まで関わって来た人と比べて、特別に優しいのか?
きっと芥屋先輩一人なら、俺を引き留めることはしなかった筈だ。
分からない。
内面を晒すような会話は平川と今までしたことが無かった。
俺は平川のことをほとんど知らないし、きっとその逆も同じ。
その距離感に収まりの良さを感じていた。
元来、名倉さんや女子小学生に内心を晒したことの方が、俺としては珍しいのだ。
彼女らが俺に似ていたから、俺は色々なことが諦められず暴走した。
しかし、平川とはそういったことも無く、部活が一緒になって、絡まれる。それだけ。
彼女が事あるごとに「私がいないと駄目」と言っていたことに妙な執着の気配を感じなくもないが、しかし考えすぎだと思えばそれまで。
……やはり、俺が部活を辞めることは、彼女にとって厄介払い以上の意味を持たないはずだ。
であれば義務感だろうか?
部活を辞めようとする者を引き留めねばならない。みたいな?
平川を酷く馬鹿にした仮説。
偶然だろうか? そのタイミングで平川は、俺の頭部にビーチボールを投擲した。
ひらりと水着のスカートが舞う。
「ほら、アンタもそろそろこっち来なさいよね!」
「…………」
行動原理不明の他者に、結局俺は大人しく従った。
彼女の肢体に魅了されたのだという謂れのない誹りは、しかし甘んじて受け入れる所存である。