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メスガキのバカな大人観察日記  作者: ニドホグ
夏休みの倫理学
24/84

もう、分かんない!

 私はいつもどおり、朝の6時に目を覚ましました。

 浅野くんはまだ眠っているので、私は浅野くんを観察します。


 呼吸で上下する胸、姿勢の良い寝相、閉じられた瞼。

 私も眠っているときは、これと同じような状態になっているのでしょうか?

 ちゃんと似せられているのでしょうか?


 いつもはそんなことしか考えないのですが、今日は少し違いました。

 一時間、二時間と観察を続けるうちに、自分の心が変化していると気が付いたのです。


 これは何という感情でしょうか?

 これは普通の感情でしょうか?

 不安と好意に似ている熱を持ったコレは、持っていても良いものでしょうか?


 けれども私は思うのです。

 浅野くんと一緒なら、浅野くんを好きになれた私なら、いつか気持ちの悪くない普通の女の子になれると、そんな気がしているのです。


「……えへ」


 私はぺたりと、浅野くんの頬に触りました。

 次は、浅野くんの手首を握ってみました。

 浅野くんのお腹に、手を当ててみました。


「温かい」


 私はそう呟いて、ぐにぐにと浅野くんのお腹を揉みます。

 柔らかくて、そして、なんだか、泣きたくなった。


「……腹を触るのは止めたまえ」


「あっ、わっ、ごめんね?」


 起こしてしまいました、私は慌てて手を離します。


「なんだ、君、そんなに腹を触りたいのかね?」


「え、な、なんで? そう思ったの?」


「そんなに腹を凝視されたら察するとも……まあ、別に少しなら触っても構わんよ」


「え、へへ……じゃあ」


 私はそっと彼のお腹に手を伸ばしながら、よく見ているんだなあと感心しました。

 それとも、普通の人は見ているものなのでしょうか?

 あるいは、私だから見てくれているのでしょうか?


 何だか浅野くんのことが好きだと思ってから、浮かれているかもしれません。

 でも浅野くんは誰にでも優しいから……でも、こんなところまでついて来てくれているのは、やっぱり……。


 お腹を触り続けます。温かいです。

 私はなんとなく、浅野くんのお腹に顔を埋めてみました。

 私の顔は、火照っているようでした。


「……そろそろ、止めてくれないか?」


「あっ、うん」


 浅野くんの言葉で、ハッと我に返ります。

 少しボンヤリとしていました。


 私は彼の体温を惜しみながらも手を引きつつ、口を開きます。


「その、浅野くん、今日は何しよっか?」


「そうだな、そろそろ昼だし昼食を食べに行くのはどうだろう?」


「う、うん!」



+++++



 私たちはコンビニでお昼ご飯を買って、公園で一緒に食べることにしました。

 そろそろ八月も終わりに近づいているとはいえ、まだまだ気温は高いです。


 だから、私の手に収まっている浅野くんの首は、汗でじっとりと濡れていました。


 彼は驚いたように咳込んで、その手からイチゴミルクを取り落とします。

 私は親指に力を込めて、その気道を潰しました。


 指が肉に埋まる感触。赤くなっていく彼の顔。

 ドクドクと、力強い血流を手のひらに感じます。


 なんだか首を絞める感触が、昨日までとはまるで違っているように思えました。


「んふぅ……」


 私は吐息を漏らしました。

 いえ、漏らしたというか、どうしようもなく胸がドキドキして……息を吐き出さずにはいられなかったのです。


 ああ、無理やり細められたような浅野くんの目。

 私はこれを見るのが好きみたいです。今、好きになったみたいです。

 ずっと眺めていたいと、そう思いました。初めて想いました。


 少し浅野くんの顔から血の気が引いてきました。

 いつもはここまで長く絞め続けることはないのですが、今日は何かが違いました。

 どうしても手を離せないのです。


「あ、浅野くん……」


 どんどん、赤かった顔は白くなっていきます。

 浅野くんは、とても苦しそうで……


「バカ!」


 そんな怒声が聞こえたかと思うと、私は地面に倒れていました。

 胴に残った衝撃と、目の前で泣きそうな顔をしているあゆみちゃんを見て、私は突き飛ばされたのだと理解します。


「何してんの! お前! バカ!」


 浅野くんを私から守るように、あゆみちゃんはこちらを睨んでいました。

 どうやら少し、誤解があるみたいです。


「落ち着いて、あゆみちゃん? 私は浅野くんに許してもらって首を絞めていたから大丈夫! ね、浅野くん?」


 私がそういうと、背を丸めて必死で呼吸していた浅野くんはスッと姿勢を正します。


「ああ、余裕だ」


「バカッ!」


 浅野くんは平気そうにしているのに、何故かあゆみちゃんは怒っています。


「失礼だな。以前も言った気がするが、俺は馬鹿ではない。そもそも馬鹿とは何か? 俺に言わせてもらえば、それはつまり思考を……」


「バカ! ばか、ばかぁ……」


 今度は、あゆみちゃんが泣き出してしまいました。

 まだ子どもだから、自分の気持ちがよく分からないのかもしれません。


 本来、姉である私はあゆみちゃんをあやさなければいけないのでしょう。

 けれども私は、浅野くんの首についたクッキリとついた、赤い手形から目を離せません。

 あれは、私のつけた手形です。今までにないほど、赤い……。


 私の胸はドキドキと激しく動いていました。

 私はその痕を、優しく撫でてみたいと思いました。

 ぬいぐるみや小動物を撫でてみたいと思う人は、きっとこんな気持ちだったのでしょう。


 私はそっと、彼の首筋に手を伸ばします。


「わっ!?」


 お腹に衝撃が走りました。

 見ると、あゆみちゃんがグイと押しのけて、私が浅野くんに近づけないようにしています。


 少し、胸の内が固くなるのを感じました。

 初めての感覚です。


「あゆみちゃん、さっき浅野くんが余裕だって言ってたよね? だから、大丈夫だって分かるでしょ?」


「バカ! そんな風にいっつも自分のことばっかじゃん! 自分にしか興味ないのに、人に合わせてるフリしないでよ!」


「えっと……? その、ごめんね?」


 あゆみちゃんは、とても怒っているようです。

 ただ、何に怒っているのかはよく分かりませんでした。


 それよりも、早くしないと首の痕が消えてしまう。

 私は今、とにかくソレに触りたかった。


 しかし手を伸ばすと、またも押し返されてしまいます。

 あゆみちゃんはどうしても、私を浅野くんに近づけたくはないようです。


「ねえ! ソイツの手、震えてるの分かるでしょ! 怖がってるの、分かるでしょ!?」


 あゆみちゃんに言われて、ドキリと心臓が跳ねました。


 浅野くんの手に視線を向けると、その手は体の後ろに隠されてしまいます。

 私は彼の手首を掴みます。少し抵抗されましたが、やはりその細い腕では私の力に勝てないようです。


 じっと、その手を観察しました。

 すると確かに、それは震えているようでした。


「……ほんと」


 これなら、私にも分かります。

 お母さんに怒られたとき、気持ち悪いと言われたとき、叩かれたとき、きまって手足が震えるのです。

 だから私は視線を下げました。


 ……思った通り、浅野くんの膝も震えています。

 きっと小さい頃の私と同じように、今の浅野くんの喉の奥までカラカラに乾いていることでしょう。


「ごめん、なさい。怖かった?」


「いや、全くもって問題ないとも」


 平然として見せるその表情は、私と同じで嘘なのでしょうか?

 なんだか、泣きたくなりました。


 お母さんはあのときどんな気持ちだったのか、そんなことがふと気になります。

 ……きっと私は、また間違えたのでしょう。

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