どうしようもないときは、取り敢えず恨む
「ねえ、大人って何食べるの? イモムシ? 草?」
女子小学生は机に向かって宿題をしながら、そんなことを問うてくる。
拘束した俺を床に転がしたまま。
色々と不安はあったが、一先ずこの女子小学生にも観察対象に餌をやる程度の良識が備わっていたことに安堵する。
小四の頃、同じクラスだった生き物係の紅葉ちゃんは、全くメダカに餌をやらなかった癖にメダカが餓死したら泣き出したからな。今回は飼い主が女子小学生ということで、俺がメダカになる番かと思っていたのだが、餌の希望までとってくれるであれば文句は無い。いや、無くはないけれど、文句を言ったところで俺の拘束は解けない。
「伊勢海老と、うな重だ。大人は大抵、そういったものを食べているよ」
俺は傲然と答える。床に転がされたまま。
机に向かっていた女子小学生は椅子をくるりとこちらに向けて、ジトーっとした目で睨んできた。
「バカの上に役立たずで食費ばっかりかかるって、家畜以下じゃん」
「愛玩動物というのは得てしてそういうものだ」
「あいがん……別にお前、かわいくないし」
女子小学生は辛辣に吐き捨てる。
それを見て愛玩動物としての立場に不安を覚えた俺は、精一杯かわい子ぶって見せることにした。
「もーっ! ぷんぷんっ! かわいいでしょ! おこるよっ!」
「キモ……」
キモがられた。
拘束されながらも尻を振るなどして最大限媚びたのだが。
可愛いは一日にしてならず、つまりはそういうことなのだろう。
「まあ、話を俺の餌に戻すが、基本的に君と同じものを食べさせてくれて構わんよ」
「だったら、お前、毎日カップ麺だよ」
女子小学生はニヒルに笑う。
少しばかり闇を覗かせるその言動は寧ろ小学生らしく、だからこそ痛々しかった。
「カップ麺か、それで構わんよ」
分かりやすいSOSを前にしようとも、俺には何もできないので大した反応も返せない。
女子小学生は目だけを動かしてこちらを見やり、不快そうに鼻を鳴らす。
「……あんま、調子のんないでよ。大人は、毎日カップ麺ばっかじゃ体に悪い、とか言っとけば良いんだから」
ままならないな。女子小学生の言葉に、俺はそんなことを想った。
まあ、人生なんて往々にしてそんなものだ。
俺は縛られた体をもぞもぞと動かし、女子小学生のベッドに座り込む。
人間という生き物は、自分の見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞こうとしない。
恐らくそれに気が付いているこの女子小学生は、やはり賢い子供なのだろう。
故に俺は、この観察生物という立場を甘んじて受け入れることにした。
この女子小学生は、俺の衣食住を満たすつもりもありそうだし、もし警察のお世話になろうとも俺は被害者なのでどうとでもなる。
そもそも独り暮らしの身として、一ヶ月間も生活費が浮くという条件を手放す気は無い。
寧ろ、頼まれなければ自ら飼ってくれと頼んでいたところだ……ん?
少々行き過ぎたきらいはあるが、ともかく俺は女子小学生に捕獲されたという現状の正当化に成功した。プライドを守るには、時として歪んだ眼鏡も必要なのである。
「まあ、夏休みの間だけだが、よろしくたのむよ。俺は君の管理下で好きにやらせてもらうつもりだから、君も好きに観察してくれたまえ」
女子小学生は、おもむろに椅子から立ち上がった。
そして、そのままこちらに歩いて来ると俺の額を指先でつつく。
「……大人のことなんか、信じないから。そんなんで私がダマされる思ってる? 他の子供とは、ちがうよ」
いまいち話が嚙み合わない。
しかし、提示された女子小学生のスタンスは存外に俺好みだった。
「賢い判断だな」
誰も信じない、それは自分だけを信じきる唯一絶対の方法だ。
「バカにしてる?」
女子小学生はそう問い返し、唇を嚙むようにして顔を顰めた。
この表情は俺もよくやるから分かる。
嬉しさが顔に出るのを、必死で堪えている表情だ。
きっと、賢いと言われて嬉しかったのだろう。
「はは」
子供特有の絆されやすさを馬鹿にして、俺は小さく笑い声を漏らした。
「やっぱバカにしてるでしょ!」
「いや、まさか」
「……ふん」
女子小学生はドスドスとわざとらしく足音を立て、机に戻る。
随分と難儀な性格だ。周囲の大人と反りが合わないのにも頷ける。
全く、本当はこんな小学生の相手なんてしてやる必要も無いのだが。
俺は両手両足を縛られたまま、やれやれと一人笑った。
+++++
「……あ」
一区切りついたところで思い出す。
「なに?」
次はどうしたとでも言いたげに、女子小学生は横目で俺を見やる。
「いや、持久走大会の途中だったから、このまま戻らなかったら騒ぎになるかもしれないと思ってな」
「えー、めんどくさ」
人間を一人捕獲しておいて「めんどくさ」とは、なんとも肝の座った女である。
だが、この子供の肝が立っていようが逆立ちしていようが、このままでは俺と女子小学生の双方にとってよろしくない状況になることは明白である。
どうにかして説得しなければ。
「ほら、恐らく点呼で俺がいないとバレるのは時間の問題だ。一時的にで良いから解放してくれ」
「そんなこと言ってさ、逃げるつもりでしょ。子供だからって、あんまりバカにしないでよね」
「とはいえ、このままだと最悪警察沙汰になるぞ」
「うー」
女子小学生は目を細め、考え込むように唸る。
何か、俺を解放せずにすむ方法を模索しているのだろう。
手足も痺れてきたし、俺としては持久走の件が無くとも、そろそろ軽く散歩でもして血流を巡らせたい気分なのだが……
そんな時だった、唐突に部屋のドアが開かれる。
「あゆみちゃん、お友達が来てるの? ……って、え? 浅野君?!」
ドアから現れたのは、同じクラスの名倉さんだった。
名倉さんは目を白黒させながら、両手足を縛られてベッドにふんぞり返る俺を見る。
「どうも、浅野だ」
「え? え? ど、どういうこと? どういうこと?」
俺の冷静な挨拶に、名倉さんの混乱は更に深まった。
対する女子小学生は、面倒くさそうに溜息を吐くと名倉さんを睨みつける。
「ねえ、ここ私の部屋。出てって」
「いや、でも……」
「出てって!」
名倉さんはチラチラと何度か俺を見たが、最後は諦めたように「……うん」と呟いた。
いや、折れるな。普通に見過ごしてはいけない類の異常事態だろう。
しかし、名倉さんはすごすごと身を引き始める。
仕方がないので、俺は最後に少しでも情報を得ようと口を開いた。
「名倉さん、持久走大会はどうなったのかな?」
「ああ、えっとね、持久走大会の後、そのまま終業式で解散って感じだったよ?」
名倉さんは先ほどまでの気落ちした顔をひっこめ、ニコリと笑ってそう言った。
「え? 俺がいない件で騒ぎになったりは……?」
「あ、その、大塚君が浅野君に気づかないまま先生に全員揃ったって報告しちゃって……」
名倉さんは申し訳なさそうに目を伏せる。
……恐らく、名倉さんは嘘を吐いた。
どうせ大塚のことだから「だりー、全員揃わねえと帰れねえし、もう揃ったってことで良いっしょ」とかなんとか言いながら、俺がいないことを分かった上で先生に虚偽の報告をした筈だ。
何故なら、奴は野球部でイケメンだから。
許せん、そもそも体育会系なんかに人数確認をさせるな。
中学の頃の「生徒会モザイクアート事件」の時も、「靴履き間違え事件」の時も、いつだって体育会系が俺の邪魔をする。
この人生で積み重なった数々の恨み、一つも忘れてないからな。
俺がギリギリと歯を鳴らしていると、恐る恐るといった様子で名倉さんが話しかけてくる。
「えっと、浅野君は、それで、その、大丈夫なの?」
俺は名倉さんの質問に答えようと口を開く。
しかし、その前に女子小学生が「早く出て行って!」と怒声を上げた。
そのまま、女子小学生はぐいぐいと名倉さんを部屋の外へ押し出す。
パタンと締められた扉、無言の女子小学生、空しく鳴り続けるクーラーの音。
……異様な空気だった。
俺は一先ず、脱出を諦めた。