心、嘘
そうこうしている間に、ノースリーブシャツを着た中年男性の号令によってラジオ体操が開始する。
妙に音割れした音楽と、そこかしこから聞こえる鳥の声が、なんとも落ち着かない。
俺や周囲の人間がフラフラくねくねと体操をする中、女子小学生はピシッ、ピシッと真剣な表情でラジオ体操に取り組んでいた。
彼女の真面目さ……いや、自我の強さと言うべきか?
それは称賛に値するものだけれど、どこか不安定にも見える。
例えば、罵倒の語彙なんかが分かりやすい。
彼女は元々語彙が多い方ではないにしても「馬鹿」という言葉が目立つのは、その読書量からすると違和感がある。
恐らく、親が良く使っていた言葉なのではないだろうか? 或いは、俺を罵倒しても拒絶されないことで安心感を得ているのかもしれない。
……いや、邪推も良いところだな。
心の裏を読めたとて、俺に何ができるわけでもあるまい。なにより、真理を暴いた気になって悦に入るのは酷く下品だ。
俺はピシッと腕を伸ばして、深呼吸をした。
ラジオ体操の音楽が止む。
「……疲れた」
「ザコじゃん」
「大人は人生に疲れている分、ちょっとした徒労感ですぐに息も絶え絶えになってしまうのさ」
女子小学生は鼻で笑うと、スタンプを貰う列へ並びに行った。
遠目にその様子を見ているが、一向に列は進まない。
どうやらスタンプ係の大人が、それぞれの子供と一言会話をしていることが原因のようだ。
まあ、急ぐ予定もない。待つか。
俺は公園の隅のタイヤに腰掛ける。
そのままボンヤリ子供の列を眺めていると、隣のタイヤに平川が腰掛けてきた。
「…………」
平川は黙っている。
用があるから隣に腰掛けたのではないのか?
「スタンプを貰いに行かないのか?」
「はあ? 貰わないわよ! 私も近所の子の付き添いで来てるだけだし!」
「そうか」
妙に元気のよい返事に困惑し、少しばかり声が小さくなる。
しかし、平川は特に気にした様子もなく言葉を続けた。
「ていうかアンタ、ホントになんでメールにも電話にも返事しなかったの? 本気で心配したんだからね? ほら、その、今までは結構マメに返信してくれてたのに、夏休みに入って急にだったから。実はあんまり頼りにされてなかったのかなとか、内心私のことウザがってたのかな……とか、考えちゃったりして」
それは俺の心配をしていたというよりも、自分の心配をしていたのではないかと思ったが、俯いて靴の先で土を搔いている平川を見ると口には出せなかった。
「まあ、あれだ。え~っと、あの子供に監禁されていたから返事ができなかったんだ」
言い訳を考えるのも面倒で、正直に真実を口にする。
どうせ信じられないのだ、別に構うまい。
俺の返事に、平川は唇を尖らせて俺の目を見る。
「……ふーん、そう。じゃあ、スマホを使えるようあの子に頼んでおいてくれる?」
「ああ、分かった」
俺の言葉を信じているかは別として、どれだけ適当なことを言っても嘘と断じてこないのは、平川の少し特異な点である。
「じゃ、用も済んだし私は行くわね? ちゃんと月末の合宿にも来なさいよ~」
俺が了承して頷くと、平川は満足そうに笑った。
そして、スタンプを貰い終わりこちらに来ていた近所の子の方へと歩いて行く。
その様子を眺めていると、何者かから背中を蹴られた。
「止めたまえ、服が土で汚れるだろう」
俺が振り向きながら返事をすると、予想通り。
不満そうに唇を歪ませる女子小学生が立っていた。
「ふん」
彼女は俺を見ずに、仲良さそうに歩く平川と子供を見つめている。
そのまま二人が見えなくなると、その双眸はジロリとこちらを睨んだ。
「ウソつき、仲良さそうじゃん。なにあれ? 友達じゃないって、彼女?」
「別に彼女でも友達でも嘘吐きでもないさ。ただの同じ部活のメンバーだ。というかそもそも、君は何に怒っているのだ?」
「別に怒ってない!」
「そうか……」
本人がそう言うのであれば、怒っていないのだろう。
それに、事実はどうあれ俺に話すことは無いと見える。であれば彼女の言い分に納得するほかないのだ。
「あと、君も見た通り俺が平川の連絡に返信しないことを不審がられている。故にスマホを取りに一度自宅へ行きたいのだが、良いだろうか?」
「……わかった」
女子小学生はそう言って俯きながら歩き始めた。
何が不満なのだろう? 見たところ俺と平川の関係に文句がありそうだが。
結局、分からなかったので俺は黙って彼女の横を歩いた。
どうやら、俺は平川ほど上手く子供と関われていないようだった。
+++++
無事に自宅からスマホを取り、女子小学生の家へと帰還。
その間も、やはり彼女と俺との間に会話は無かった。
「あっ、おかえり~」
「ただいま」
名倉さんの出迎えに返事をする。
……なんなのだろうな、この関係も。
監禁されている場所に戻って来て「ただいま」というのはいかがなものかと思うし、何よりこの「おかえり」「ただいま」という言葉のやり取りが定型文らしすぎて意味を見出せない。
きっと女子小学生も同じ気持ちなのだろう。彼女は無言で階段を上って行った。
「あゆみちゃん、手を洗わないと……」
「うるさい!」
「あぅ」
名倉さんは困ったように俺を見る。
「まあ、食事の前には洗ってるみたいだし良いんじゃないか?」
「でも、風邪とかひきやすくなっちゃうし」
「その情報は本人も知っている上で洗ってないのだろう」
「そうだけど……でも、外から帰ったら手を洗わないとダメだから」
彼女には彼女なりの論理や思想があるのだろう。
尤も、それを俺に言われても何かする気は無いのだが。
俺は返事とも相槌ともつかない声で、ふんふん言いながら洗面所へ手を洗いに行った。
ジャブジャブと水を流している間も鏡に映りこんでいるのは、こちらを見つめ続ける名倉さんの瞳。
それはやはり、無機質で観察するような視線だった。
あの目だけは、慣れないな。
俺は顔を洗って意識を切り替えリビングに戻る。
食卓には焦げた食パンに、焼き過ぎて固くプラスチックのようになった目玉焼きが鎮座していた。
家を出る時にシリアルと牛乳を頼んだのだが、どうやらメニューは変更されたようだ。
これまでにも度々こういうことはあって、この現象は彼女の『手作りご飯至上主義』が原因となっているらしいところまで分かっている。
まあ、文句を言ったところで何になるわけでもあるまい。
俺は黙って食卓についた。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
名倉さんは満足そうに笑っている。
しかし、俺はどうにも居心地が悪かった。
黒焦げの食パンを齧る俺に、観察するような視線が突き刺さるから。
社会的に正しい言葉を吐く名倉さん、時折飛び出す本音のような言葉、嫌に無機質な視線、俺の首に触れた手。どれが彼女の本心か、俺はどうにも掴みかねている。
ただ、なんとなく、彼女の本心を知るには質問を繰り返す前に、今朝のようなゆっくりとした時間を共有する必要があるのではないかと考えていた。
「……名倉さん、本を読むのは好きかな?」