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メスガキのバカな大人観察日記  作者: ニドホグ
少女文学

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102/106

あか、赤、茜

 土曜の昼下がり、平川が買い物から帰るのを待っている。

 ずっと一人暮らしだったので留守番というのは久しぶりだ。まるで、子供に戻ったみたいだと思った。


 俺は暖かい部屋の温度に微睡みながら、ベッドに深く寝そべっている。

 あゆみのゲーム画面を眺めるこの時間も、どこか懐かしい。


 あゆみは延々とNPCを戦車で轢き殺して遊んでいた。

 そんな単純な遊び、すぐに飽きてしまいそうなものだが、本人は楽しんでいるようだった。


 ふと部屋の薄暗さが気になる。

 まだ太陽の位置が高いから、窓から日が差し込まないのだ。


 俺はのそのそと立ち上がって電気を点けた。

 そのままベッドに戻ろうとしたとき、あゆみの戦車が派手な音を立てて爆散する。


「ねえ、晋作」


 彼女は目線だけで俺を見た。


「……ん」


「ごめんね、勝手に平川さん呼んで」


「いや、いいよ。あのまま家が荒れ放題では良くなかった」


 コントローラを握ったまま、あゆみはゲームオーバーの画面から視線を動かさない。

 俺は立ったまま彼女のつむじをしばらく見つめてから、隣にそっと腰を下ろした。


「……」


 別に、何か話したいことがあるわけでは無い。

 ただ何となく、隣に座りたかったのだ。


 そのまま一緒になってゲームオーバーの画面をぼーっと眺めていると、あゆみがそっと肩に寄りかかってくる。

 俺は思わずビクリと肩を震わせ、ゆっくりとあゆみの方に首を回した。


「晋作さあ……私のこと、好き?」


 少し震えたあゆみの声。

 俺はその言葉を咀嚼して、じっくりと考えた。その後で「好きだよ」と言う。

 何だか自分の声が掠れていて、妙に気持ちが悪く思えた。何が気持ち悪いのかは、良く分からないのだけれど。


 LED電灯のジーという小さな音が気になる。

 俺が今、生きているのは、あゆみがいるから。


 ぬるい部屋の温度に包まれ、肩から伝わるあゆみの温度が際立った。

 この部屋は水槽で、自分たちはそこに入れられた二匹の熱帯魚。そんな妄想が、ふっと頭に湧いて消える。

 日本の海には場違いの、奇妙な色をした熱帯魚。


「ねえ」


 あゆみは俺の頬を両手で挟み、身を乗り出してそっとキスをする。

 甘えるように唇をついばむ彼女は、まるで俺よりずっと大人の女性みたいだ。


 唇を離して伝う唾液の糸。

 それを見ながら、俺はどこか夢幻のように今を捉えている。


「……」


 俺はこういう行為に、意味があるのか分からなかった。


「晋作はいつも、すぐどっか行っちゃいそう」


「行かないよ、どこにも……」


 伏せた俺の目を見て、あゆみはフンと鼻を鳴らす。

 それから彼女は、体を擦り付けるように俺へと体重を預けた。


「学校で、女の子に会ったでしょ?」


「あぁ、まあ」


「ほらね」


 大人びた顔で、あゆみは俺を見る。

 俺は猫屋敷と宮下の顔を思い出した。


「別にそんなんじゃないよ。そもそも、そんなことを気にするなら平川はどうなるんだ」


「平川さんはね、大丈夫」


 何が大丈夫なのか俺には分からなかった。

 ただ何となく不安になって、怖くて、俺は逃げるように立ち上がる。

 そのままベッドに顔を伏せ、足を抱えて蹲った。


 音だけで、あゆみが立ち上がったのを察する。

 そのまま彼女は小さくなる俺を後ろから抱きしめ、耳元で囁いた。


「今はね、私が晋作を守る番」


 何故だか、お姉さんのことを思い出していた。

 小学生の夏休み、唯一俺の話を聞いてくれた人。

 俺がお姉さんの影響を受けて変わったように、あゆみもまたお姉さんから何かを受け取ったのだろうか?


 気が付くと目に涙が滲んでいた。

 俺は余計に、小さく小さく蹲る。


「助けてほしい……」


「ん」


 あゆみの小さな手のひらが、俺の背を撫でる。

 それで心が落ちつくのだけれど、それ以上に騒めく気持ちがあった。

 自分が酷く情けなかった。


「……ごめん」


「別に良いよ、晋作がいてくれるなら」


 背中を擦る彼女のリズムと合わせるように、呼吸がなだらかになるのを感じる。


 俺はそっと蹲った体を解いて上体を起した。

 もっと、しっかりと、ピッタリと、あゆみに触れたかったのだ。

 俺のことを、何とか、どうにか、して欲しかった。


 苦しいんだ。生きている自分が不安になる。

 頭の中に、ずっと名倉さんがいる。


 そして真正面から見たあゆみの姿は、しかし夏休みのお姉さんと違っていて、記憶通りの子供なのである。


 俺はそっとあゆみの頭を撫でた。

 彼女は少しくすぐったそうにして、猫のように俺の手に頭を擦り寄せた。


「……ありがとう。もう、俺は大丈夫だから」


「んふっ、そう? なら良いよ。てかさ、ゲームしよ!」


「ああ。久しぶりだがね、負ける気は無いよ」


「今までもゼンゼン勝ってないのにー?」


 あゆみはケラケラと笑いながらダウンロードしてあるゲームを選び始める。

 俺はその後ろ姿を眺めながら、やっぱり嘘くさい自分を感じていた。


+++++


「平川、食器は俺が洗うよ」


 昼食のオムライスを食べ終え、早速台所へ行こうとした平川を呼び止める。

 すると彼女は少し嫌そうに顔を顰め、俺を追い払うように手を振った。


「いいわよ、私がやるから。アンタは寝ときなさい」


「……そうか。だが、頼りっぱなしというのもね」


「もう、いいから! アンタのために、私に何かやらせなさいよね……?」


 目を逸らして平川はそんなことを言う。

 つまりどういうことなのか良く分からない。しかし、気遣ってくれているのだろう。


 俺が大人しく部屋に戻ろうとしたタイミングで、玄関のチャイムが鳴った。

 今は、あゆみも平川も家にいるのだから、誰かが家に来るとは思えないのだが……。


 様子だけ見ようと玄関へ行くと、外には宮下がいた。

 覗き穴から見えた光景。夕日、真っ赤に染まった地面。宮下の姿と名倉さんの幻影が重なる。

 血塗れの名倉さん。彼女が俺の母親を殺した夜。


「はあっ、はっはあっ、はっはっ、はっ」


 呼吸が浅くなる。

 視界が回り平衡感覚が失われる。

 熱い頭。グラグラする。


「……ぅっ!」


 ドアに倒れ込む。

 冷たい金属の感触。そのまま鍵を掛けていないドアが開いた。

 一瞬視界に映る宮下の驚いた顔。

 重なる名倉さんの笑顔。


 夕日、血。

 母の虚ろな瞳。


「あぁっ……ぅぁ、は、は、は、はっ、ぁっ」


 断続的に暗くなる視界。

 いよいよ立っていられなくなる。

 血の気が引く。

 一瞬の意識の明滅の後、俺は宮下の胸に顔を埋めていた。


「はぁ……はぁ……」


「大丈夫? 晋作くん」


 頭を優しく撫でられる感覚。

 まだ脳が落ち着かない。泡立つような焦燥。


「よし、よし、どうしたの? 大丈夫だよ~」


 ゆっくりと背中を擦られ、抱き留められている感覚が伝わってくる。

 体温を感じ、次第に現実感が身体に追いつく。


「ゆっくり息を吸ってー、吐いてー」


「すぅ……はぁ……」


「ん、良い子」


 俺はそっと宮下の胸から顔を離し、改めて向かい合う。


「……っ取り乱して済まなかった。少し、嫌な事を思い出して」


「ううん、こっちこそ急に来てごめんね? もう大丈夫そうかな?」


「ああ、少し落ち着いた。それで今日は……何用かな」


 俺がそう問うと、宮下は穏やかに微笑んで頷いた。


「実はね、昨日から晋作くんの栄養状態が悪そうなの気付いてたんだ。それで、心配になって先生に家聞いて来ちゃった。でも、今日は顔色良いねー!」


「ああ、実は前の学校の……知り合いが来てくれていて」


 俺がそう説明すると、いつの間にか後ろに立っていた平川がジロリと俺を見る。

 次に宮下のことを見て、説明するよう無言で俺に促した。


「あー、こちら宮下さん。新しい学校のクラスの人だ」


「えー、私クラスの人? お友達が良いなー」


「あ、いや……うーん」


 俺が言葉に詰まっていると、宮下が逆に問いかけてくる。


「ま、今はクラスの人で良いよ。それで、その人は彼女さん?」


「いや、違う」


 即答した瞬間に平川から小突かれる。

 しかし、彼女ではないのだから仕方がない。


「ふふっ、仲良しなんだね?」


「まあ、うん」


 俺がそう答えると、満足したのか平川はそのまま台所へと帰って行った。

 結局、何をしに来たんだアイツは。人見知りか? いや、人見知りだったか。


「えーと、実はさっきの平川以外にも家に人が居てね。上がっていくと少々手狭かもしれない。だから、まあ、少し散歩でもしながら話すかい?」


「ん! そうしよっかなー」


 俺は頷き、家の中に向かって少し声を張る。


「なあ、二人とも。俺は少し宮下さんと外で話してくる。夕飯までには帰るつもりだが、何かあれば携帯電話に連絡してくれ」


 平川は食器を洗いながら、頷いて見せる。

 俺が頷き返して外へ出ようとしたときに、部屋の奥からあゆみが登場する。


「私も一緒に行く」


「うん、そうか。宮下さんもそれで良いだろうか?」


「んー、良いよ! 私、子ども好きだし」


 そう言って微笑む宮下に対し、あゆみは露骨に顔を顰めて見せた。

 これはもしかすると、あまり相性が良くないかもしれない。


 俺は少しばかり不安に思いながらも、家の敷居から一歩外に出る。

 夕日が伸ばす俺の影は、光源と同じく茜色に染まっていた。

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