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メスガキのバカな大人観察日記  作者: ニドホグ
少女文学

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101/105

あったかい、ごはん

 家に着き玄関に入った瞬間、俺はふっと電源が切れるようにその場でしゃがみ込んだ。

 ぼーっとして、ただ靴を履いた自分の足を眺める。


 砂が靴の隙間に溜まっている。


「……」


 しげしげと眺めていても靴は靴だ。

 まるで学校になんか行っていないみたいに、頭の片隅ではこれからやるべきことを考えている。

 靴を脱いで、手を洗ってそれから、部屋に行って、部屋に行って、部屋に行って……


 今、俺の部屋は荒れ放題だ。ゴミとモノが散乱し、足の踏み場もない。

 憂鬱と怠惰の果ての汚部屋は、日に日にその様相を悍ましくしていく。


 あゆみも一緒に住んでいるというのに——

 考えるのが面倒になって、思考がプツンとそこで切れた。


 ぼーっと靴のつま先を眺める。

 視界に広がる玄関土間を見て、思っていたよりも砂が落ちていないなと思う。


 体を動かす気にはならなかった。

 しゃがみ込んだ姿勢で落ち着いてしまっていて、動き出すには切っ掛けが足りない。

 ただ動かず、考え込むこともなく、そのまま静止している。


 俺は存外に、久しぶりの学校帰りで疲れているようだった。


「ぁ、浅野。帰ってたのね」


 予想外の声を聞き、無気力に俯いていた俺は目だけを動かし視線を上げる。

 部屋の奥から出て来たのは平川だった。


「……どうして平川がここにいる?」


「あゆみさんから、助けてって言われたのよ」


「どういう意味だ?」


 何故、あゆみが平川に助けを求める。

 何かあったのなら、まず俺に連絡するのが普通だろう。

 嘘を吐いているのか? 不法侵入?

 頭をぐるぐる疑念が回る。

 脳裏を掠める文化祭の日と、雨降りのあの日。

 尤も、しゃがみ込んだままの体は、どうにも動く気がしないのだけれど。


「べ、べつに! どういう意味も何も、アンタが家事しないから、あゆみさんに私が呼ばれたってだけ!」


「……あ、ぅ」


 ぐうの音も出ない。

 掃除も洗濯も料理も食器洗いも、俺はまともにしないままだった。

 かと言って、あゆみだってまだ小学生。自分で家のことをするというのはハードルが高い。

 であれば苦肉の策として、あゆみが平川を頼るのは当然の帰結だろう。説明されてみれば納得である。


「すまん、俺……はぁ」


 何だか平川を疑った自分が嫌になって、崩れるように床へ腹ばいに倒れ込んだ。

 フローリングが体温を奪う。まるで徐々に死んでいくようだ。


 俺は、名倉さんと雨の海辺で寝転んだ記憶を思う。


「……」


 ぼーっと寝転がっていると、存外に床が綺麗なことに気が付く。


「そのままじゃ風邪ひくわよ?」


「んー」


 俺の曖昧な返事を聞き、平川は「ったくしょうがないわね……」と俺の靴を脱がせ部屋へ運ぶ。

 引きずられるようにして入った部屋は記憶の中の汚部屋と違っていて、綺麗に掃除されている。それに、ずっと放置されていた荷解きも半分ほど終わっていた。

 これではまるで介護だ。いや、事実介護なのか。


「……平川、ありがとう」


「別に良いわよ、私も色々とアンタに迷惑かけたしね。あゆみさんには今、追加のゴミ袋買ってきてもらってるから。あの子が帰ってくるまでにシャキッとしなさいよね?」


 俺は「シャキッとしないとな」と思いながらベッドに倒れ込む。

 顔を埋めた枕からは、嗅ぎなれない甘い香りがした。


「はぁ……まったく」


 平川は俺に掛け布団をかけ、ベッドの空いたスペースに座る。


「掃除、本当に大変だったんだからね? 食器とか、どれだけ放置してたらあんな酷い臭いがしてくるのよ。床も、コンビニゴミと、髪の毛まみれだったし……」


「うー」


 やはり呻くことしかできない。

 酷い状況であるという認識はあったが、他人から改めて言われるとその劣悪さに嫌気が差す。


「……私が全部やってあげるから、アンタはゆっくりしてなさい」


 平川は酷く優しい声でそう言って、俺の頭を撫でた。

 思い出すのは以前彼女がよく口にしていた『私がいないとダメなんだから』。

 今はもう、本当にそうなってしまった。


 台所へと戻っていった平川を、ベッドに倒れ込んだまま目で追う。


 彼女は電車に乗って、わざわざ俺の家まで来たのだろうか?

 だとすれば、それは少しだけ怖かった。


+++++


 どうやら俺は知らぬ間に寝こけていたらしい。


 目を瞑ったまま覚醒した意識を弄んでいると、カチャカチャとした物音と話し声が聞こえてくる。


「ねー、夜ご飯なに?」


「白菜鍋よ、鮭も入ってるわ。あ、白だしを取って来てくれるかしら?」


「うん」


 軽い足音がする、続いて冷蔵庫の開く音が聞こえた。

 暗闇にまどろんで、俺はそれをどこか遠く心地良く感じている。


 ふと、足音が近づいてきた。


「ねえ晋作、まだ寝てんの?」


「んー」


 あゆみの問いに、上体も起こさぬまま呻いて応える。

 今、彼女はどんな顔をしているだろう?

 気になったけれど、目は開けない。

 見たくなかった。


「学校で、やなことあった?」


「……」


 俺が黙っている間、あゆみが返事を待っている間、少し離れた台所からは鍋の煮える音が聞こえてくる。


「別にさ、行きたくないなら行かなくて良いと思う。私も行ってないし」


「……」


 やっぱり返事はできない。

 行かなくて良いも、行った方が良いも、本当は俺があゆみにかけてあげるべき言葉だった。


 俺は寝起きの喉を震わせて、掠れた声で小さく呟く。


「ごめん」


 ベッドがギィと軋んで、あゆみが隣に来たことを知る。

 呼気の熱を耳元で感じた。


「いいから」


 あゆみはそう囁いて、トタタと台所へ戻っていく。

 俺はあゆみが吐いた熱の余韻を感じながら「白だし取ってきたー」という声を聞いていた。


 いっそのこと、彼女が俺を殴りつけてしまえば良い。


+++++


「いただきます」


 平川が手を合わせる。

 席に着いた俺とあゆみはそれに続いてボソボソと「いただきます」を唱える。


 普段、俺の家に来客があることを想定していないので、各々不揃いな器に白菜鍋が収まっていた。

 無論、箸も足りないので平川だけ割り箸だ。


「……美味しいよ」


 俺は一口食べてすぐにそう言った。義務を済ますみたいだった。


 別に白菜鍋が不味いわけではない。ここ最近のコンビニ弁当と比べたら十分に美味しく、温かみのある料理だ。

 しかし温かみがあるからこそ、美味しさ以上に「美味しい」と言わなければならない重圧を感じる。


 でも、こんな感性の人間の絞り出すような「美味しい」なんて何の価値も無いのだ。

 だというのに平川は嬉しそうで……。

 であれば、やはりこれで正解だったのだろう。


 俺は温かいスープを飲み込んで、鮭の骨を口の中で避ける。

 ひとまず、あゆみにまともな食事を食べさせられて良かった。

 家事というものは酷く気力を使うから、ずっとできていなかったのだ。

 本当に平川には頭が上がらない。


「……あ」


 あゆみが少し驚いた様子で自分の皿を見つめている。

 俺と平川の視線が自然と彼女に集まり、彼女が箸で持ち上げたものを見た。


「ハートの人参あった」


 無邪気な笑顔だ。

 ハート型の人参なんて、ある種の子供だまし染みた遊び心でしかない。それで素直に喜ぶあゆみの姿は少し意外で、同時にどこか安心している自分がいた。


「良かったわね、当たりよ」


「うん」


 あゆみは人参を口にいれてから、小さい手で大きな皿を持ち上げてスープを飲む。

 温かい鍋を食べているからか、あゆみの頬は少し赤らんでいた。俺はふと冬の寒さを思う。


 今、この瞬間を……愛おしいと感じている自分がいた。

 それはまるで名倉さんが居なくなったことを喜んでいるように思えて、気分が少し沈むのだ。


 自分の器を見つめる。

 星型の人参が入っていた。


「あ、私のには三日月の人参」


 平川も、自分の人参を箸で摘まみ上げて見せる。

 すると、あゆみは嬉しそうにソレを指差した。


「それね、三日月のヤツ、私が型抜きした人参だから」


 二人して笑い合って、楽しそうだ。

 いつの間に仲良くなったのだろう? それとも、あゆみが社交性を身に着けたのか?

 学校にも家にも行っていないのに、俺の気が付かぬうちに……


 俺は二人にバレぬよう、証拠でも隠滅かのするように星型人参を噛み潰した。


 部屋の隅にはまだ、引っ越しの段ボール箱が積み重なっている。

 この家には、まだ慣れない。

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