どうとくのじかん
放課後、宮下の学校案内を聞き流しながら『魔性』という言葉を思い出していた。
今朝、保健室で出会った男が猫屋敷をそう評していたから。
魔性というのは、平川が俺を評した言葉でもある。
それと同時にもう一つ、俺に名倉さんの言葉を思い出していた。
『浅野くんはそれで良いよ。それで女の子たちが勝手に殺し合って、一時だけ二人きりになって、それの繰り返し。たぶん浅野くんが人を……家族を嫌いなうちは、ずっとそうだよ?』
……考えすぎだろうか?
けれどもそれは正しく『魔性』という評価が適当なように思えて、ともすれば猫屋敷もまた俺と似たような悩みを隠しているのかもしれないと妄想が広がる。
あゆみと俺の二人きりの日常は、次なる惨劇の序章でしかないのかと思うと嫌になる。
「家族、か……」
「ん?」
首を傾げる宮下に「なんでもない」と返事をする。
「そうかな? ならいいけど……晋作くんが疲れてるの、私わかるよ?」
ギクリとする。
久しぶりの学校に疲れが出ているというのはそうだが、彼女の目はそれ以上のことを見抜いているように思えた。
「私が思うにね、疲れてるのに大丈夫って言っちゃう人は、優しい人だよ。でもさ、そしたら優しい人は疲れていっちゃうばっかりでしょ? だから私はね、優しい人のこと助けてあげたいの」
「……なるほど、それは立派な心掛けだ」
動揺を悟られないよう、どこか白々しくそう言うと、宮下はムッと頬を膨らませた。
「もー! 立派とかじゃなくてさ、晋作くんも私のこと頼ってねって意味だよ!」
「……はは、俺が優しい人なのかは疑問が残るところだけれど。仮に君が俺を助けてくれるのだとして、君のことは誰が助けてくれるんだい?」
なんて、昔にあゆみと話したような言葉を投げてみる。
取り繕った表情の下で、自分の心が妙にざわついているのを感じた。
果たして、名倉さんと似て非なる彼女は、ニッと明るく笑ってみせる。
「晋作くんが、困った私を助けるんだよ!」
輝く瞳と太陽のようなその表情。
彼女が俺を助けるから、彼女のことを俺が助ける。
そんな交換条件みたいなことが優しさなのかと混ぜ返したくなりそうなものだが、俺はそのとき黙り込んでしまった。
当然のように正しいことを言う彼女から、誤魔化しをまるで感じなかったのだ。
「……」
目を伏せる俺に、彼女は困ったような顔で微笑む。
「その寂しそうな目の理由も、いつか知りたいな?」
小さく呟かれたその言葉は、聞こえなかったフリをする。
今日初めて出会った彼女にそんなことを言われても、俺は黙り込むという選択肢しか持ちえないのだ。
「さて!」
宮下は切り替えるようにパチンと手を鳴らし、トタタと走って突き当りのドアを開ける。
「最後に紹介するのはここ! ようこそ恋愛相談室へ!」
部屋の奥には長机と、二人の生徒が座っていた。
宮下は「もう知ってるかもしれないけど……」と前置きをしてから、スマホを弄っている男を示す。
「こちら、私の大事な幼馴染で、頼れる恋愛相談室の実行部隊長! 宇津木 夏雅也くん! 私は、かーくんって呼んでるよ~」
もっさりとした髪、ひょろ長い身体。
『宇津木』と紹介されたその男は、正義の味方を自称するあの男だった。
「おい宮下小巻、こんな場末の同好会まで紹介する必要あんのか? 別に転校生が恋愛相談室に入るわけじゃねえだろ」
「えー、いいじゃん! 晋作くん、恋愛相談向いてそうな気がするけど。てゆーか、かーくん自己紹介して!」
宮下の言葉に、面倒くさそうにしながら宇津木は俺の方を見る。
「あー、改めまして宇津木夏雅也だ。実行部隊長と紹介されたが、実行部隊はそもそも僕しかいない。趣味はゲーム、嫌いなものは悪行。そんでもって正義の味方だ。困ったときは僕を呼べ、よろしく」
宇津木はそう言うと再びスマホに視線を落とす。
すかさず宮下は「やったー!」と謎に盛り上げながらもう一人の女子生徒を示した。
「こっちは私の大親友で、クールな恋愛相談室の副室長! 阿田池 友美ちゃん!」
真っすぐなロングヘア、平行に切りそろえられた前髪、キッチリとした制服の着こなし。
どこをとっても上品な雰囲気が漂う女生徒は、文庫本から視線を上げて俺を一瞥。
「……ふう」
溜息一つ吐いて、『阿田池』と紹介されたその女は再び視線を文庫本に落とした。
「あー、ごめんね晋作くん? 友美ちゃん、ちょっと話すの得意じゃなくて。でもとっても優しい子だよ!」
「ああ……」
阿田池の手にある随分と読み込まれた様子の『異邦人』を見て、宮下の「とっても優しい」という評価に対し、勝手に皮肉を見出してしまう。
俺の何とも言えない表情を知ってか知らずか、宮下は「それでね!」と強引に話を進めた。
「その、晋作くんも恋愛相談室に入ってほしいなって、思って……どうかな?」
どうかな、と言われても真っ先に浮かぶのは「何故?」という疑問だ。
誘われる理由も、入る理由も、上手い恋愛のやり方も知らない。
故に、俺の答えは決まっていた。
「すまないが、遠慮させていただくよ」
「えー!? なんで?」
目を丸くする宮下を見て、俺の方が間違っているのかと不安になる。
しかし「なんで?」と問いたいのは寧ろ俺の方なのだが。
「いや、部活に入るつもりが無いのだよ。それに入るとしても、俺が恋愛相談室の力になれるとは思えんのだが」
「そんなこと無いよ! それにね、晋作くんを誘ったのにはちゃんと理由があるんだよ?」
俺の返事も待たないままに「猫屋敷さんは知ってるよね?」と、宮下はこの学校で起こった顛末を語り始める。
「あの子がこの学校で何をやったのかは、もう聞いた?」
「いや……」
何度も仄めかされてきた猫屋敷の悪行。
その内容は知らないし、知りたくもない。
俺が人間関係に深く関わったところで、碌な結果になりゃしないのだ。
そう思うのと同時に、少し気になる事があるのもまた事実だった。
猫屋敷が言っていた「クラスのみんなから嫌われて、保健室登校をしている」という言葉、宇津木が口にした『魔性』という評価。
それらがどうにも、心の片隅に引っかかっている。
俺が黙り込んで思考を巡らせていると、宮下はそのまま猫屋敷について話を続ける。
「あの子ね、入学してからすぐ色々な人と付き合い始めたんだ。学年も年齢も関係無く、それこそ先生や女子とも付き合ってたみたい」
「なるほど……」
魔性という言葉からある程度は痴情の縺れがあったのだろうとは考えていたが、これほどまでとは想定外だ。
とはいえ、だ。
「……それは、まあ、相手をとっかえひっかえというのはセンセーショナルな話だが、究極的には個人の勝手ではないだろうか?」
元来、人間関係に明るい質ではない俺にとって「だからどうした」というのが正直な感想である。
しかし宮下は首を横に振る。
「とっかえひっかえじゃないよ、同時。浮気放題なの。それに誘惑するのは、彼氏や彼女や奥さんのいる人ばっかり。学校の人間関係はめちゃくちゃになった。それでもね、致命的なことが起こる前に夏休みが来たから、少しは落ち着くかなと思ってたんだけど……」
悲しそうに目を伏せる宮下を見るに、その惨状は想像を絶するものだったのだろう。
平川に刺され、名倉さんと逃避行した俺にも、痴情の縺れによる惨劇の一端は理解できる気がした。
「夏休みが終わって2学期の初めにね、猫屋敷さんは嘘と本当を織り交ぜて吹聴しながら、付き合っていた全員をこっぴどく振って回ったんだ。それでプライドを傷つけられた子、友達に裏切られたと思った子、悲しみに暮れる子、イジメ、喧嘩、陰口、嫉妬……全部全部ぐちゃぐちゃで、いつ自殺しちゃう子が出てもおかしくないような状況になったの」
黙って座っている宇津木と阿田池の表情が硬くなる。
一方、俺はそのあまりにも壮大な悪行に、誇張交じりの噂話なのではないかと疑念が過る。
宮下は、ぱっと気持ちを切り替えたように声色を変え、事の顛末を最後まで話し切った。
「それで私は恋愛相談室を作ったの! 猫屋敷さんの振りまいた嘘と誤解を解きほぐして、できるだけ学校の空気を良くしたくてさ! かーくんや友美ちゃんも頑張ってくれたから、私たちの2-Bはかなり元気が戻ってきたと思う。それに他クラスでも、本当に危ない状態だった子たちは、なんとか持ち直せたみたいだし!」
……それは随分立派なことだ。尊敬に値する。
俺には他人の気持ちや考えをどうこうするなんて、到底できなかったから。
「猫屋敷さんが何をしたのかは理解したが、それと俺を勧誘することにどういう関係があるのかね」
俺の問いに「クリスマス祭があるの」と宮下は答える。
「うちの学校、昔はミッション系の学校だったから。その名残でね、冬休み直前にクリスマスに絡めて二日連続で大きな文化祭をやるの!」
文化祭というワードに内心辟易としながらも、俺は宮下のワクワクとした表情を前に何も言わなかった。
彼女はそのまま、クリスマス祭がいかに大切な行事なのかを力説し、ようやく本題に入る。
「高校生活って、きっと一生の思い出になると思うんだ。だからこんな学校中がギスギスした状態はイヤなの。だから、みんなで協力してクリスマス祭を大成功させて、終わり良ければ総て良し! なんだかんだで今年の高校生活も楽しかったねって、みんな楽しい気持ちで終われると思うから」
その曇りのない瞳を俺に向け、真剣な表情で宮下は告げる。
「だから晋作くんにお願いしたいのは、猫屋敷さんの見張り。それと……できれば彼女のお友達になってあげて欲しいかな?」
俺は、そのお願いにしばし沈黙し、真意を確かめるように彼女の瞳を覗き込む。
「諸悪の根源たる猫屋敷までもを救う気なのかね?」
「うんっ! だって私の目標は、みんなで楽しく、だからね!」
あっけらかんとそう言いきった彼女の笑顔が眩しくて、俺はもうすっかりと消えてしまいたくなった。
きっと、宮下のこれは噓偽りない表情だ。
俺はようやく、宮下小巻という女が名倉さんと似ている理由を悟った。
夏休み前の名倉さんが道徳の表層を真似た存在だとしたら、宮下はきっと内面まで道徳的な存在なのだ。
だから宮下が名倉さんに似ているのではなく、名倉さんが宮下に似ているという方がきっと正しい。
「ははぁ、なるほど……それで俺を勧誘したのか」
俺は宮下の善良さを認めつつ、内に秘めた合理性を垣間見る。
「嫌われ者の猫屋敷と、その対抗組織である恋愛相談室の橋渡しをするには、何のしがらみもない転校生が最適というわけだね?」
能天気な理想主義者に見えて、存外に頭の切れる女である。
しかし今日はもう限界だ。一日で色々なことがありすぎた。
頭と心が疲れてしまって、もうこれ以上は決断も結論も出したくない。
俺はすっかりと項垂れて、軽く手を振り彼女らに背を向ける。
「だいたいの事情は分かったよ。その件については持ち帰って検討させていただこう。それと、学校案内をありがとうね。それと、三人とも今朝は吐瀉物掃除の手間をかけさせて悪かったね。感謝しているよ」
これ以上の会話を拒絶するように一息で話しきり、ピシャリと後ろ手にドアを閉める。
背後からは宮下の「またね~」という気抜けた声が聞こえてきた。
俺は吹奏楽部の金管楽器をBGMに、そそくさと逃げ帰るように帰宅の歩みを進めるのである。




