友達を作ろう! いや?
~~~「バカな大人観察日記」~~~
8月3日 水曜日
今日は、捕まえた大人がご飯を食べているのを、こっそり観察しました。
毎日、もんくを言わないでまずいご飯を食べているのは、意味がわからないと思いました。
絶対名倉花香のご飯より、カップラーメンの方がおいしいと思います。
私は、とんこつのカップラーメンが好きです。
捕まえた大人に聞いたら、みそラーメンが好きだって言っていたけど、私はみそラーメンはそんなにおいしくないと思います。
こんど、とんこつラーメンを食べさせてやります。
あと、捕まえた大人が、名倉花香と最初はケンカしてたのに、仲良くしてました。
べつに良いけど、私のペットなのにダメだと思います。
でも、私の言ったことをちゃんと覚えてたので、許してやりました。
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ぬいぐるみに埋もれている。
俺が。
風呂でのやり取りをどう曲解されたのは分からないが、ひとまず俺の分類は名倉さんの中でぬいぐるみということになったのかもしれない。分からない。
床に座してくったりとしている俺を、名倉さんはベッドの上からボンヤリと眺めている。
カーテンの隙間から漏れた月光が照らす彼女の顔は、どこまでも無表情だ。
この部屋で寝るようになってから数日経ったが、こんなことは初めてなので酷く居心地が悪い。
「……寝ないのかね? いつもは22時ぴったりに寝ているだろう?」
「うん。なんだか眠る気になれなくて」
薄く笑った顔は、やはりどことなく嘘臭い。
「俺が眠る気になれないときは、大抵明日が来てほしくないときだが……君はどうなのだろうね」
「うーん、私は違うかも。えと、私、今日が終わらないのも嫌、かな? ……分からない」
「そうか。まあ、人生なんて苦痛ばかりだ、致し方あるまいよ」
俺がそう言うと、名倉さんは少しばかり本音っぽく笑った。
「ふふっ、やっぱり。浅野くんは色々なことが分かるのに、私がなんにも分かんなくても怒らないんだね」
「いや……うん、まあ、うん」
言葉に詰まる。
元々、俺は怒りの感情を露わにする類の人間ではない。
そんなところを評価されても困るというのが正直なところだ。
「君の周りの人間は、怒るのか?」
「ええと、昔はね。うん、よく怒られてた。みんなが何で怒るのか分かんなくて、というか、今もあんまり分かってないんだけど……怒られない方法は分かるようになったから、最近はあんまり怒られないの。あゆみちゃんには、よく怒られちゃうけど」
「なるほど」
その怒られない方法というのが、会話をする上で自分の本心を参照しないという結論だったわけか。
なんだかそれは悲しいことのように思えたけれど、俺だって大抵の人間の前では外面を整えて会話している。誰だって多かれ少なかれ実践していることの適応範囲が、彼女は極端に広かったというだけの話だ。
「相手が全く怒らないとしたら、何かしたい話とか、やりたい事とかは無いのか?」
「えっ? あ、うぅ~ん……えと、うぅ」
顎に手を当て首を傾げて、名倉さんは唸って見せる。
黙って結論を待つこと五秒。
彼女は次第に焦り始め、口を開いては閉じてを繰り返した。
「っ! あっ、あっ! えっと」
更に待つこと五秒。
「あっ、と、あのっ! 浅野くっ——」
「無いなら無いで構わない」
その表情があまりにも嘘臭く、俺は思わず彼女の言葉を遮った。これ以上俺を待たせないよう、口からでまかせが出て来ることは明らかだったから。
「と、あ、えと……」
タイミングを失い、名倉さんはしどろもどろに自分の指を見つめる。
……このまま待っているだけでは、今までと変わらないな。
「名倉さん、雑談をしよう」
「えっ?」
「正直、慣れない相手との会話は重労働なのであまりしたくない。故に、慣れるための雑談をしようというわけだ」
名倉さんは目を丸くする。
次に、口元に手をあてて小さく笑った。
「え、へへ、それって、友達になりたいってこと、ですか?」
「え、いや? そうか? そういうことになるのか?」
俺が自分の言葉を反芻し始めると、名倉さんは慌てたように口を開いた。
「あっ、ごめんなさいっ! 分かんない、すみません。思い上がりだったかも……」
「いや、うーん、友達か。そういった人間関係については、俺もあまり詳しくない。そもそも名倉さんは友達の基準をどこに置いている?」
「えっと、基準? あぅ、あの、クラスのみんなが、友達……みたいな、えへ」
歯切れの悪い表情と視線。
本人もその結論に納得していないのは明らかだった。
「よし、では友達とは何かというのを雑談のテーマに……いや、雑談にテーマというのも違和感がある。如何ともし難いな」
「イカさん……? えと、あの、あの、クラスの人は雑談をするとき、よくテレビやアイドルについて話してるけど」
「なるほど」
つまり、共通の話題か。
「うん、やはり友達とは何かについて話そう」
「え、あ、うん……」
このような流れで、俺と名倉さんの人間関係は再スタートを切った。
生憎と両者共に会話が得意ではないが故、自分を変えなかった俺と、自分を変えきった彼女のどちらが正しかったのか、結論が出るのはまだ先のことになりそうだ。
だが、夏休みは長い。
そう不安がることは無いというのが俺の所感である。
因みに『友達とは何か』というテーマは信じられないほど盛り上がらず、三十分で互いが無言になり、なあなあでその日は寝た。
……だが、夏休みは長い。
そう不安がることは無いというのが俺の所感である。
+++++
「んん……」
ボンヤリと意識が覚醒し、薄く目を開ける。
窓から差し込む朝日が眩しく、視界が判然としない。
「む……」
完全に目を開く前に、俺は再び目を閉じた。
眼前に名倉さんがいたのだ。俺を見る彼女の瞳は昆虫でも観察するかのようで、以前見た時計を無感情に眺める様子とも似ていた。
不気味だ。
彼女が誰にも見られていないと思っているときの姿は酷く無機質で……
「はぁ……はぁ……」
顔のすぐ近くで聞こえる荒い呼吸音。
瞳を閉じる直前まで見えていた無機質と、その感情的な息遣いが頭の中で繋がらない。
「はぁ……はぁっ……」
一段と激しくなる呼吸。
瞼を閉じてしまったことを俺は酷く後悔した。
首筋に何かが触れる。
「…………っぅ」
思わず声が漏れそうになった。
首を覆う冷たい感覚。
不安に呼応するかのように、首が広く冷たさで覆われていく。
……これは、手だ。
手を首筋に添えられている。
そう理解した瞬間、ゾワリと背筋にまで寒気が広がった。
俺は勇気を出して瞳を開こうと決意を固める。
瞬間——
「ほんと、なのかな……」
彼女が弱々しく呟いた。
「…………」
俺がその言葉の意味を測りかねていると、手の平が首元からゆっくりと離れていく。そしてそのまま、その手は俺の肩に移動した。
コツン、と胸に頭を当てられる。
「わかんないや」
分かんないか。
閉じた視界の中で、俺の胸に彼女の耳が押し当てられるのを感じる。
「人の心臓の音、初めて聞いたかも」
否応なしに鼓動が早まり、起きているのがバレやしないかと不安になったが、今のところ名倉さんが気づいた様子はない。
「ぬいぐるみとは、違うなぁ」
しみじみとした呟きだった。
……今、彼女はどんな表情をしているのだろう?
本心とか、嘘とか、それ以前に気の抜けた声音。昨晩の会話が失敗に終わった理由に、なんとなく検討がついた気がした。
やがて、そのボンヤリとした時間の流れは終わりを迎える。
部屋のドアが開かれたのだ。
「……今日は時計じゃなくて、ソイツ見てるんだ」