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経済の話

地球に科学は通用しない?

 僕が初めて“インフルエンサー”という言葉を使った頃はまだ世間ではあまり浸透していなくて、言葉の意味をわざわざ説明する必要がありました。が、昨今ではもう当たり前の言葉として普通に使われるようになっていますね。

 それだけ以前よりもネット文化が浸透しているって事なのでしょう。インフルエンサーの多くは、ネット世界を舞台に活動をしていますから。

 その中でも特に“知性”を売りにしているインフルエンサーの影響力は馬鹿にできず、動画配信サイトのチャンネルだけでなく、大手メディアやウェブ記事などでも取り上げられる事も珍しくなくなっています。

 ただ、それらインフルエンサーが常に正しい発言をしているのかと言うと、もちろんそんな事はありません。場合によっては、素人でも簡単に分かるくらいの間違った発言をしていたりもしているようです……

 

 どれくらいの時期なのかは忘れてしまいましたが、論破王と呼ばれるインフルエンサーが俄かに話題になり始めました。

 「“論破王”と呼ばれている程だから、よっぼど頭の良い人なのだろうな」

 そう思って興味を惹かれた僕は、いつくか彼の切り抜き動画を観てみたのですが、そのうちの一つで思わず「え?」となってしまいました。

 その論破王さんは、“位置エネルギー”を否定していたのです。「位置エネルギーは嘘だ」と。それでどんな高度な事を言うのかと期待して動画を観てみたのですが、結論から言ってしまうと、論破王さん、どうも位置エネルギー…… いえ、そもそも、エネルギーの考え方自体に誤解があるようなのです。

 論破王さんは、「無重力の宇宙空間では重力がゼロになり、位置エネルギーがゼロになる。だから、位置エネルギーは嘘だ」と、そんな理屈を述べていました。

 これ、一見は正しそうに思えますが、根本から考え方が間違っています。地球の引力で生じる位置エネルギーだとイメージし難いので、代わりにゴム紐で説明をします。

 ゴムを伸ばすと縮む力が生じますね。

 この状態にエネルギーがあるのは誰でも簡単に分かると思います。ゴム紐を離すと、ゴムが勢いよく縮んで、運動エネルギーに変わりますから。

 これは弾性エネルギーと呼ばれますが、実は位置エネルギーの一種なんです。

 伸ばせば伸ばすほど、この位置エネルギーは高くなりますが、限界を超えてしまえばゴム紐が切れてしまい、位置エネルギーはゼロになります。でも、だからって、「位置エネルギーが嘘だ」なんて言う人はまずいないでしょう。

 「当たり前だろ!」

 って、話なんですが、論破王さんはこれと同じ事を言っているのですね。

 位置をどんどん高くしていって、地球の引力圏の外に出てしまえば、地球の引力はほぼゼロになります。ゴム紐が切れるのと同じ。もちろん、ゴム紐と違って地球の引力は切れたりはしないので、実を言うと力が弱まりはしますが存在している…… 事になっています(誰も確認していないので、本当に無限に存在しているかどうかは分かりません)。

 なので、そもそも論破王さんは前提条件からして間違っているのですがね。

 ただ、仮に引力圏に限界があっても同じです。だって、再び地球に近づけば引力は復活しますからね。つまり、仮に完全に無重力になったとしても、位置エネルギーはゼロになっている訳じゃなく、「(地球を基準にした)位置エネルギーのマックス値+運動エネルギー」として存在しているのです。

 論破王さんの「位置エネルギーは嘘だ」という主張に対して「いやいやいや」とツッコミを入れている人も多くいるようですが、こう考えるとそれも無理もないと分かると思います。

 だって、位置エネルギーを理解している人にとっては、彼の主張は「引っ張り過ぎてゴム紐が切れたら位置エネルギーが0になる。だから、位置エネルギーは嘘だ」と言っているのと同じなのですから。

 因みに、彼の理屈を採用すると、“運動エネルギーも嘘”という事になってしまうように思えます。

 今、パソコンで執筆をしている僕は、地球上で止まっています。が、地球は自転をしているので、実は物凄い速度で動いてもいます。だから、例えば月の上から僕を眺めたなら、僕は物凄い速度で動いている事になるのです。

 つまり、地球上では僕の運動エネルギーはほぼゼロですが、月の上から観ればとても高いのですね。

 論破王さんの理屈が正しいのなら、「運動エネルギーは嘘だ」ってなってしまいませんか?

 もちろん、そんな事はありません。運動エネルギーってどんな慣性系を基準にするかで変わってしまうものなのですよ。地球の慣性系を基準にすればゼロでも、それ以外の慣性系から観ればエネルギーを持っている。

 つまり、エネルギーって、何を基準にするかで変わってしまうものなのですね。多分、論破王さんはそれを理解していなかったのじゃないかと思うのです。

 まぁ、地球の引力の正体って地球の膨大な質量の影響で生じた空間の歪みですから、表現が不正確って意味じゃ嘘って言えなくもないような気がしないでもないですが、“嘘”って言うよりは“便宜上の呼び名”って言った方が通りが良いような気がします。

 そんな事を言い始めたら、熱エネルギーの正体は分子の運動エネルギーですしね。

 

 さて。

 他にもこれに関連して、論破王さんは「虚数が嘘の数字」みたいな事も言っていたようですが、これは根本から数学という形式科学を理解していません。

 そもそも数学って人間が勝手に決めた“シミュレーション世界”の話なんです(因みに、その世界の“決め事”を公理と呼びます)。例えば、学校の算数や数学の授業で「三角形の内角の和は180度」と習ったと思います。でも、これ、実は地球上では成立しません。

 だって、地球って球体ですからね。

 超精密に三角形を計れば、180度よりも大きくなります。

 更に地球の空間は質量の影響で歪んでもいますから、実はそれだって正しくはないのですが。

 つまり、「三角形の内角の和は180度」っていうのは、飽くまで現実には存在しない“まっ平らな平面”を想定した仮想世界での話なのですよ。

 (因みに、“まっ平らな平面”での数学をユークリッド幾何学と言い、それ以外の幾何学を非ユークリッド幾何学と言います)

 虚数もこれと同じです。

 つまり、

 「虚数というものが存在する世界を人間が想定した」

 という話であって、嘘だとか本当だとかの話ではないのです。

 

 ちょっと論破王さんに対して批判的な事を書き過ぎてしまったので、ここで少しフォローをしておきます。

 もし仮に、彼が「自分の主張は絶対に正しい」などと言う人物ならば擁護できませんが、彼はそのような主張はしていません。ちゃんと“信者はいらない”といった主旨の事を述べているようです。

 多分、本人は自分がエンターテイナーである事を分かっているのではないかと思います。

 また、頭の良さとは一種類ではありません。

 例えば、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんは、とても口下手だったと言います。でも、誰も“頭が悪い”とは言わないでしょう。

 論破王さんもこれと同じで、抽象概念を用いた思考は苦手でも、「口が巧い」という“頭の良さ”を持っているのでしょう。

 

 さて、話を戻します。

 虚数については、単に論破王さんに知識が不足していたというだけの話ですが、位置エネルギーの話には、実はもっと根深い問題があります。

 論破王さんは、ただ単に考えを語るだけで“正しさ”を主張しました。これは“思弁的”といって、帰納主義が訴えられ、自然科学が登場する以前のものです。もし「位置エネルギーは噓だ」と主張したいのなら、実験するなり調査するなりして、それを正しいと証明しなくてはならないのですね。

 もちろん、それでも社会で“正しい”と認められたりはしません。複数の人間の手によって再現実験や検証実験が行われ、その妥当性を確かめられなければ、正しいとは認めらないのです。

 つまり、“再現性”が重要だという事ですね。

 自然科学の定義は未だに定まってはおらず、何をもって自然科学と呼ぶべきかは決まっていないのですが、それでも客観性を担保する為の第三者の検証は必要だという事です。

 がしかし、この考えを当て嵌めると、実は“自然科学と呼んで良いのかどうか分からない研究分野”が出て来てしまうのです。

 例えば、脳科学。脳には、そもそも“同じ状態”というものが存在しません。だから、厳密に言えば「再現性がある」と言ってしまって良いのかどうか分からないのです。

 もちろん、それでも“大体、同じ”とは言えるでしょう。ですが、その“大体、同じ”の境界線とは何処なのでしょう? カオスには初期値敏感性があり、ほんのわずかな誤差でも結果がまったく異なってしまうという現象が観られます。そして、脳はそのカオスを活用している事が知られているのです。

 つまり、脳はほんのわずかな誤差が無視できないかもしれないのです。

 議論の余地はかなりあるでしょうし、更に仮に“再現性がない”となったしても、脳科学が役に立たなくなる訳ではありませんが、それでもこれは重要な問題提起なのではないかと僕は考えています。

 さて。

 まだ脳については、脳がたくさんあるので再現性について議論が行えます。ですが、そもそも再現が不可能な研究分野も存在しています。

 それは“地球”を研究対象とする分野です。

 当り前ですが、地球は一つしかありません。だから、再現実験など不可能です。現在、温室効果ガスの影響によって地球規模の気候変動が起こっていると言われていますが、それが本当に正しいのかどうかの検証は不可能であると言わざるを得ないのです。

 もし、地球と似たような惑星が1000個とか2000個とか、統計上有意と見做せるような数あって、それらの星々の全てで温室効果ガスを排出するという実験を行えるのならば、検証可能と言ってしまっても良いかもしれませんが、言うまでもなくそんな事は不可能ですから。

 2021年のノーベル物理学賞は、“気候モデル”で真鍋淑郎さんが受賞しましたが、それでもこれは自明です。

 もっとも、だからといって、脳科学と同じで、気候モデルが役に立たないという訳ではないのですがね。

 

 時折、気候変動懐疑派の人達が、「温室効果ガスによって地球が温暖化している等の主張は非科学的だ」などと言っていたりしますが、こう考えてみると、正しいと言えなくもないのです。

 ただし、逆に「温室効果ガスは地球環境に影響を与えていない」と主張するのも非科学的です。単に「原因かどうかは不明」と言うだけの話ですからね。

 更に言うと、科学で証明されているか否かは、“行動の選択”にとってそれほど重要ではありません。

 “温室効果ガスによる気候変動対策”を行うべきかどうかは、科学的か否か、ではなく、リスク管理的な観点から論じるべきものです。

 温室効果ガスの気候変動による影響が本当であった場合、どれだけの被害が想定でき、その対策にはどれだけのコストがかかるのか?

 それらを考えてみるべきなのですね。

 ここで重要なのは、“コストについての考え方”です。

 

 温室効果ガス対策をする為には、“お金”を使う必要があります。つまりは、それが“コスト”になります。

 ですが、世間でよく言われているので誰でも知っているでしょうが、好景気にする為には、世間の皆さんに“お金”を使ってもらう必要がありますよね?

 はい。

 なら、当然、このような考えに至るはずです。

 

 「実は、温室効果ガス対策の為にお金を使えば、好景気になるのではないか?」

 

 当り前の話ですが、例えば太陽光パネルが広く大量に購入されれば、その分で経済効果が見込めます。

 因みに、太陽光パネルの設置費用は、工事費がかなりの割合を占めますから、建設業者などにとっても収入になります。

 ただし、ここで一つ問題点です。

 世の中には余裕のない家庭もいますから、太陽光パネルを買えない人だっているでしょう。だから、太陽光パネルが普及すれば、それによって経済効果が見込め、温室効果ガス対策が前進するのだとしても、それを義務化するような事はできません。

 が、これについては極めてシンプルな解決方法が存在します。

 通貨を発行し、それを太陽光パネル製造に当てれば良いのです。

 ――って、こんな事を書いたなら、

 「物価上昇インフレになってしまう!」

 という反論がほぼ確実に出るだろうと思います。

 ですが、ここで少し冷静になって考えてみてください。どうして通貨を発行すると物価が上昇してしまうのかと言えば、通貨需要が増えていないにもかかわらず、通貨を発行…… 供給してしまうからです。

 ならば、通貨需要が増えるのなら、通貨を発行(供給)できる事になりはしませんか?

 実際、“成長通貨”と言って、今までだって経済成長によって通貨需要が増えるのに合わせて通貨供給は行われているのです。

 そして、太陽光パネルが生産され、購買されるようになれば、その分経済成長し、そこに通貨需要が生まれます。

 はい。

 要するに、新たに太陽光パネルが製造される分に対してならば、通貨供給が行えるのですね。

 通貨ってのは循環しているものですが、生産物とは“通貨の循環場所”と表現できます。これは新たに“通貨の循環場所”が増えた分、通貨を供給できるという事でもあります。

 (この方法、原理的には、経済のMMT派が唱えている“就業保証プログラム”と同じです。

 僕はMMT派の財政赤字に対する楽観論には疑問を感じています。金利が上がったらまずいですし、それに関連していますが、スタグフレーションにどう対応すれば良いのかも分かりません。が、基本的な部分について言うのなら、MMT派の主張は概ね正しいと判断してもいます。もっとも、欠落した視点があるとも思っているのですが)

 具体的な“通貨の循環場所”を増やす方法としては、太陽光発電を普及する為の通貨を公共料金か税金かで徴収する制度を作ります。ただし、初めの一回だけに関しては通貨の増刷によって賄います。するとそれによって景気刺激効果が産まれ収入が増えるはずなので、それ以降はその増えた収入によって太陽光発電普及の為の支出とします。つまり、太陽光発電についての“新たな通貨の循環を創る”という事ですね。このような方法を執れば、ほぼ間違いなく太陽光発電を普及できるでしょう。

 もちろん、これによって資源が遣われますが、太陽光発電にはそれに見合うだけの充分なメリットがあると僕は考えています。エネルギー自給率が上がるからです。

 エネルギー自給率が上がれば、海外に依存しているエネルギー事情が改善します。これはそのままGDPが増える事を意味しますし、安全保障上も有利になります(“兵糧攻めに強くなる”と言えば分かり易いですかね?)。

 また、再生可能エネルギーを主電源とするには「蓄電を容易にしなければならない」という課題がありますが、日本の古河電気工業と古河電池がそれを実現可能にする“バイポーラ型電池”の実用化に成功し、既に量産体制に入っている発表しています。

 これが本物であるのなら、本格的に再生可能エネルギーの時代が望めるかもしれません。

 因みに、太陽光発電のメリットは送電ロスが少ない点にあります。更にスケールメリットもあまりありませんから広い面積は必ずしも必要がありません。ですから、街中の建物の上が一番の狙い目です。地方の山林を切り崩して行う太陽光発電には疑問を抱かざるを得ません。

 

 今まで説明して来た通り、経済成長とは使われてない資源を用いて生産物を社会に流通させる事で“通貨の循環量”を増やす事なのですが、だからこそ生産性を上げて、資源を余らせる必要があります。

 それができさえすれば、経済を成長させ続けられるのですね。

 時折、日本は人口が減少していくので衰退は避けられないと主張する人がいます。例えば、先に上げた論破王さんもそのような事を言っていました。

 ですが、少し考えれば現代では社会の力にとって、そこまで人口が決定打にならないのは直ぐに分かると思います。

 2021年現在、中国の人口は約14億4千万人だと言われています。それに対してアメリカは約3億3千万人しかいません。もし、人口の差がそのままその社会の力になると言うのなら、中国はアメリカに圧勝してしまうでしょう。が、もちろん、そんな事はありません。今のところは、アメリカの方が総合力は上だと判断して良いでしょう。

 社会制度、教育、技術力等で上回っていれば、人口の差を覆せるのです。

 日本は確かに人口が減少していますが、だから技術力を上げ、それを活かせる社会体制を創り出せれば、このまま衰退し続けるとは限らないのです。

 そして、AIやロボット等、身に付け発展させるべき技術ははっきりとしています。

 最大の問題は、日本に…… いえ、日本のトップ層に、その気がないようにしか思えない点でしょうか。

 

 ほんの一例に過ぎませんが、“ウニの養殖”を例に挙げてこれを説明しましょう。

 

 現在、ウニは小型化してしまっているそうです。地球温暖化によって海水温が上がり、海草が育たなくなってしまった影響なのだそうそうです。ウニの餌が少なくなってしまったのですね。

 このウニはほぼ可食部がなく、“海の害虫”とまで言われているそうです。

 ところが、この小型のウニを捕まえ、野菜の生ゴミなどを与えると比較的楽に育てられるというのです。

 となれば、ウニの養殖の可能性を誰でも考えるでしょう。

 が、そんなに簡単にはいかないそうです。

 採算性を出す為には、大規模化とウニの捕獲装置の利用、そして、AIなどの活用による飼育の自動化が必要らしいのですが、これらをやろうとすると、何かしら“国の規制”に引っ掛かってしまうのだとか。

 つまり、国の規制が邪魔になって設備投資ができないのです。

 何故、国はこのような規制をしているのでしょう?

 もし、ウニの養殖事業が成功すれば、他の漁業従事者の方々の利益を圧迫します。つまり、既得権益の脅威となります。その既得権益を護る為に、それを妨げていると考える線が一番可能性が高いでしょう。

 ウニってどんな餌を食べさせるかで、味がかなり違うのだそうです。和牛などで観られる“食”に対する日本人のクリエイティブな能力の高さを考えると、創意工夫によってとても美味しい養殖ウニを開発してくれると期待できます。更に、ウニって今や世界でも需要のある商品になっているらしいですし、赤潮の影響などで漁獲高も減っています。もし、ウニ養殖事業が実現できていたら、或いは、大きなビジネスになっていたかもしれません。

 つまり、日本は国の規制によって、自らビジネスチャンスを捨ててしまっているのです。

 こんなのはほんの一例に過ぎません。

 実は世界に先駆けて自動ブレーキを開発したのは日本らしいのですが、官僚がそれを潰してしまったのだそうです。ライドシェアが日本でほとんど普及していないのも規制があるからで、コロナ禍の影響で少しは普及しましたが、オンライン授業やオンライン診療が遅れているのも規制の所為です。

 つまり、全般的に日本では、企業が新たな製品を開発したくても、国の規制に阻まれてままならないのですね。

 “電気用品の技術上の基準を定める省令”で検索をかけると、その規制の一端を目にする事ができます。

 「こんなに規制があったら、日本で斬新な製品が誕生しないのも当然だ」

 って、思えますよ。

 少なくとも僕はそう思いました。

 しかも、場合によっては、法律関係なしに規制してしまう事もあるのだそうです。

 ウニの養殖の際に“何かしら国の規制”という曖昧な表現を使いましたが、官僚は「規制に違反」とは明確に言わないで、「疑いがある」だとか「どう思いますか?」だとか、半ば脅しのような曖昧な表現で実質的に企業の活動を規制してしまうらしいのですね。

 いいえ、もっと明確に法律を無視している場合すらあるそうです。例えば、文部科学省は法律ではなく、自分達が勝手に決めたルールで規制を行ったり、曖昧な表現で解釈に幅を持たせてルールを変更したり、下位規範で上位規範を上書きしてしまったりするそうです(参考文献:「岩盤規制 誰が成長を阻むのか 著者:原 英史 新潮社 それぞれ、26ページ、79ページ、82ページ辺り」)。 

 日本って法治国家だったはずなのですがね。これはいくらなんでも酷いと思います。

 

 もちろん、こういった規制を日本が問題視して来なかった訳ではありません。

 かつての小泉政権、民主党政権、安倍政権、菅政権はいずれもその為の規制改革を掲げました。が、成功はしていません。安倍政権は途中で規制改革を止めてしまい、菅政権は恐らく、規制改革を行おうとして潰されてしまいました。

 先程、官僚が法律を無視しているようなケースもあると説明しましたが、もし、法の支配が官僚に対しては及ばないのであれば、立法者である政治家では手に負えないのかもしれません。人事権を握っていたりはしますけどね。

 国が経済をコントロールしようとする思想を社会主義と言いますが、日本は半分くらいは社会主義と言ってしまっても良いような状態なんです。原子力政策なんて、社会主義の計画経済そのものですが。

 実は日本が規制改革を行おうとし始めたのは1980年代です。つまり、約40年もの間、日本は規制改革に失敗をし続けているのです(完全に止まっている訳ではなく、一応、少しずつ進んではいるのですが)。

 世界の主要先進国では1990年代の段階で既にこの問題は概ね解決していて、情報技術をいかに活用するのかの段階に入っているそうです。完全に日本は置いてけぼりです。

 現在(2021年12月)、日本の政権は自民党岸田政権ですが、今のところは規制改革の声は聞こえてきません。

 ……これ、もう日本には規制改革は無理なのじゃないですかね? 少なくとも、主要先進国が行って来たような方法では。

 規制改革を行おうとすると、既得権益を失う事を恐れた官僚などの激しい抵抗が始まってしまうのです。

 ならば、解決策は一つしかないように思うのです。

 本意ではありませんが、

 「新技術の活用によって生じるだろう新たな権益を官僚に与えると約束し、今までの権益については諦めてもらう……」

 例えば、オンライン授業の普及は文部科学省が嫌がっているのだそうです。

 オンライン授業が普及すると、教員の減少に繋がり、文部科学省の予算が削られてしまうことを危惧しているのだそうです(参考文献:「岩盤規制 誰が成長を阻むのか 著者:原 英史 新潮社 182ページ辺り」)。 

 オンライン授業には一度に膨大な人数が受講できるというメリットがあるのみならず、授業方法とその成果を確り把握する事で、授業の質の向上が望めるという素晴らしい機能があります。

 諸外国がオンライン授業を活かす事で技術等の教育能力を向上させていますから、このままでは日本はシンプルな能力でも諸外国に負けてしまうかもしれないのですが、そんな事はお構いなしに文部科学省は反対をしているみたいです。

 ならば、大学や高校などのオンライン授業を一般の社会人なども受けられるようにして、それを理由に国の予算を確保すると約束するというのはどうでしょう?

 これなら、オンライン授業に普及に同意してくれるだろうと思うのです。

 もちろん、これは他の数多の技術の活用についても言えることです。まぁ、既に再生可能エネルギーなんかは権益団体ができているっぽいですがね。

 繰り返しますが、これは本意ではありません。本来はクリーンな状態で規制改革や新技術の活用が進むのが望ましいのは言うまでもないですから。

 が、今までの日本の実績を鑑みるに、どうもその理想を実現するのは無理そうなのです。ならば“既得権益が失われる代わりに、他の既得権益を与える”という方法で妥協するのも致し方ないのではないでしょうか?

 そして、それにも先ほど太陽光発電の普及で上げた“通貨の循環”という考え方を活かす方法は使えるのです。

 税金なり料金なりで、お金を徴収するってしてしまえば、絶対に“消費”は発生しますからね。

 もう一度おさらいしておくと、

 『新たな“通貨の循環”が発生する分に関しては、最初の一回目に関してなら、新たな通貨の発行が可能で、それ以降は収入と支出が増える事でその循環を維持する』

 という方法です。

 後は市場原理をある程度は活かせるように工夫して、富が一部に集中し過ぎないようにすれば大きな欠点はないはずです。

 一応断っておくと、この方法が上手くいったなら尋常じゃない規模のお金が動くようになります。

 太陽光発電の普及を例に述べると、太陽光パネルを製造する工場の建設、工場による太陽光パネルの製造、その太陽光パネルの運搬と設置、そして太陽光パネルによる発電。これだけでどれほどの経済効果があるのか分からない程です。

 この方法が、今の日本の現状を打開し、環境問題解決と経済成長を同時に行える唯一の手段だと僕は考えています。

 

 が、この方法には一つ大きな問題点があります。

 それは“格差”です。

 

 “通貨の循環”と説明しましたが、一部に通貨が溜まってしまったなら、通貨は上手く循環しなくなります。例えば、先のやり方で太陽光発電システムを普及させて経済効果を得ても、以前よりも所得が増える層がいる一方で絶対に収入が増えない層もいるでしょう。

 もちろん、累進課税制度のように収入に合わせて料金を徴収するシステムにすればある程度はその問題点を解決できはします。ですが、それでは根本的な解決にはなりません。しかも、この問題は今後、益々悪化していってしまうかもしれないのです。

 

 ここで、またインフルエンサーの話をします。論破王さんとは別の、炎上事件を引き起こしたメンタリストという肩書を持つインフルエンサーです。

 彼は“弱者切り捨て”の主張をして、大きな問題になりました。具体的には生活保護制度に反対をし、生活保護でホームレスを救うよりも猫を助けたいと訴えたのです。自分は高額の税金を納めていて、普通の人よりも多くの生活保護受給者を救っている。その税金を猫を救う為に使って欲しい、と。

 ――僕は基本的にはネット上の炎上文化には反対の立場です。問題を起こした人に対し、社会的制裁を加える人が世の中には多いですが、どちらかと言えば“庇う側”に回りたいと思っています。

 情報を隠したい、消したいと思っても、それができずに、ほぼ無期限に攻撃し続けられる立場はあまりに悲惨です。

 が、このメンタリストさんは、自ら意見を主張して、世の中に悪影響を与えかねない考えを広めようとしたのです。

 インフルエンサーであるという点を鑑みても、責められてしかるべきでしょう。

 話が逸れました。

 元に戻します。

 このメンタリストさんの主張は、根本的な部分で間違っています。

 まず、通貨とは循環しているものですから、生活保護というセーフティーネットをなくしてしまったら、通貨の循環が断たれてしまいます。

 つまり、経済が悪影響を受けるのです。しかも、これは一度切りではなく、悪影響が悪影響を呼んで経済が委縮し続ける事になってしまいます。

 もちろん、メンタリストさん自身もこの影響を受けるでしょう。収入が減ります。

 これを“デフレスパイラル”と呼びます。

 生活保護には、このデフレスパイラルを予防する効果があるのですね。

 彼は生活保護をなくす代わりに「猫を救いたい」と主張していますが、流石に猫を救う程度の経済効果ではデフレスパイラルを抑えられはしません。

 恐らく、生活保護のこの効果を彼は知らなかったのではないでしょうか?

 また、まだ、彼の主張の中で疑問に思うべき部分があります。

 彼は自分は税金を払っているので、その分、生活保護受給者を助けていると主張しています。その主張にはほぼ間違いなく“自分の収入は妥当である”という前提があるのだろうと思います。

 が、果たして、“収入の妥当性”とは、そんなに簡単に分かるものなのでしょうか? もしかしたら、彼は自分の働きに対して、不当に高い収入を得ているのかもしれません。ならばそこから税を支払う事は、単に“不公平を是正する”行為であって、彼が生活保護受給者を助けているのではないという事になりはしませんか?

 例えば、“同一労働同一賃金”という概念があります。

 これは、「同じ仕事をしているのだったら、同じ賃金が支払われるべきだ」という至極真っ当な考えの事です。同じ仕事をしているのに正社員と派遣社員とでは著しい待遇の差があるのですね。そして、実際に法改正によってこの不公平はある程度は是正されました。

 つまり、“収入の妥当性”が適切ではない明らかな事例があり、既に是正されてすらいるのです。

 ならば、他にも“収入の妥当性”を疑うべき立場の人間達がいるとは考えられないでしょうか?

 実は“デジタル情報経済”においては、今までの経済の常識では考えられない収入の格差が生まれる事が知られています。

 デジタル化可能な商品…… 何らかのソフトや配信などは、極めて低コストでほぼ無限に複製が可能で、しかもインターネットを通して世界中の客に瞬時にそれを販売する事ができてしまえます。

 ですから、もしヒット商品が出たなら、その収入は凄まじいものになります。

 が、デジタル化不可能な商品…… 例えば、カリスマ美容師がいくらがんばってもヘアカットで数億円を稼ぐのは難しいでしょう。もちろん、農作物や工芸品などでもこれは同様です。

 要するに、デジタル化可能な商品とそうでない商品を製造する人達の間で、著しい収入の差が生まれてしまうのですね。

 これ、もし“収入の妥当性”を真剣に考えた場合、どう判断するべきだと思いますか?

 先のメンタリストさんは、配信などを主な収入源にしているようですが、その結論如何によっては、「収入の妥当性はない」となってしまうかもしれないのです。

 極端に格差が生じてしまう現象はまだあります。

 金融経済はかなり昔から、富が一部に集中してしまう事が知られていました。資金があればあるほど有利だからです。ところがそれが近年になり更に強くなってしまいました。原因はやはり情報技術で、AIと超高速取引による金融ビジネスによって、ヘッジファンドなどが莫大な利益を得ています。

 かつての金融機関は、株価が低迷した時は「できる限り損失を少なく」と考えるものだったのに、現在のヘッジファンドは株価低迷時でも利益を上げます(参考文献:「人工知能が金融を支配する日 著者:櫻井 豊 東洋経済 65ページ辺りから」)。

 一応断っておきますが、これらビジネスの成功者は天文学的な利益を叩き出しています。

 果たしてそれほどまでの収入が妥当だと言えるのでしょうか? 本来の金融機関の役割は投資によって生産性を向上させたり、新たな生産物を誕生させたりして、経済を成長させる事にあります。ですが、昨今の金融ビジネスは、単なる“投機”であって、あまり生産性の向上に貢献しているとは言い難いのです。

 「“収入の妥当性”について、一度考え直してみるべきだ」

 という主張は至極真っ当であるとは思いませんか?

 が、僕は長く経済について勉強し続けていますが、この“収入の妥当性”の基準を経済学で扱い、研究しているという話を聞いた事がありません。

 

 もしかしたら、これを読んで、「その人に実力があって収入を得ているのだから、妥当もくそもない」といった感想を持った人もいるかもしれません。

 が、果たして本当に収入とは実力を反映したものなのでしょうか?

 実は能力値などが全く同じ平等な条件で始めても差が、つまり格差が発生してしまう事が知られているのです(参考文献:「脳はこんなに悩ましい 著者:池谷裕二、中村うさぎ 新潮社 227ページ辺りから」)。

 早い話が、一見、その人の実力の結果のように思えても運が大きく影響している可能性があるのです。

 そして、それを証明するかのような事も実際に起こっています。

 伝説的なファンドマネージャーのビル・ミラーは、15年間連続で凄まじい規模の多額の利益を出しました。が、その後の3年間でなんとそれまでの利益を帳消しにしてしまうほどの損失をだしてしまったのです(参考文献:「偶然の科学 著者:ダンカン・ワッツ 早川書房 249ページ辺り」)。

 この事実に「運が関わっていない」と言う方が無理があるとは思いませんか? ですが、仮に運が良かっただけであったとしても、莫大な利益を出したその本人は自らの力でそれを成し得たと信じ込んでしまうのではないでしょうか?

 或いは、まだ納得しない人達もいるかもしれませんが、真っ当な感覚を持っている人なら誰でも「明らかにおかしい」と言うだろう事例だって存在しています。

 財政破綻してしまった夕張市ですが、その原因の一つを作ったと言われている当時の市長はなんと1億2千万円の退職金を受け取っています。

 「いくら何でも……」って思うでしょう?

 こういった理不尽な事例を是正する切っ掛けとしても“妥当な収入”の基準は有効です。

 

 ところで、もし仮に“妥当な収入”の基準ができたなら、恐らく法律か何かで強制的に適正な収入になるよう抑える事になるだろうと思います。

 が、もしかしたら、自然にある程度は貧富の格差を埋められるかもしれない方法もあるのです。

 先に述べたように金融経済は貧富の格差を増大させる傾向にあります。が、その反対に通常の実体経済の売買は、貧富の格差を減少させるというシミュレーション結果があるのです(参考文献:「複雑な世界、単純な法則 著者:マーク・ブキャナン 草思社 311ページ辺りから」)。

 もっとも、これは昨今のデジタル情報経済には当て嵌まらないかもしれませんがね。

 ただ、もしこれが本当だとするのなら、先に提案した通貨の循環を応用した方法には、貧富の格差を少なくする効果もあるかもしれません。

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