棚橋孝太朗の活躍で明日の社長説明の資料も整い、営業部の飲み会の最中、隣の団体は孝太朗の父の会社のメンバーで、3年ぶりに再会した父と幼い頃の天真爛漫な様子をみんなに語る。
棚橋孝太朗 その6
「それではみんな乾杯!明日の説明は今までになく、自信を持って最高の提案ができそうだよ。みんなのおかげだ。今日はしっかり飲んで、ぐっすり眠って、明日は営業部の威信に掛けて頑張りま~す」
川尻部長は久々の笑顔で孝太朗の横に座った。
「ところで孝太朗君、短時間でよくしっかりした資料が出来たねぇ。正直心配していたのにさすが将来の社長だよ。でもいつやったんだね」
「はい、パソコンは三歳の頃からおもちゃの代わりに手むづりをしていたので、今は得意中の得意なんです。資料の中味はおじいちゃんと二~三日前から夜中まで語り合った中からヒントを得て作りました。きっとおじいちゃんの求めている情報を満していると思います」
孝太朗は昨日のはしゃいだおじいちゃんとの出来事がよみがえり、ついズボンのチャックを下ろしそうになった。
「あーっ、君は高校生、いや中学生だろ、生徒手帳を見せなさい。ここの責任者はどなたですか。未成年者にお酒を提供すると犯罪になりますよ。大人がしっかりしないから未成年者の犯罪が増えるんです」突然となりのテーブルに座った団体の一人で一番の長老の男が孝太朗に注意をしている。
しかし、みんな孝太朗が若く見えることは知っているので、笑いをこらえて様子を見ていた。
「あーっダメだって言ってるでしょ、また飲んでるじゃないですか、見たところ責任者は一番年上のあなたですよね」
北野課長に問い詰めようとしている。しかし北野課長は落ち着いて
「この子は幼く見えますけど、れっきとしたうちの社員で、今年大学を卒業したばかりなんです」と説明した。
「じゃー私の子と年は一緒じゃないですか、大学卒がこんなに幼くありませんよ。大人がうそをついてはいけません」と男が言った。
「どうしてこの人は、こんなにムキになって私を責めるんですか。ところでこの方は? 」北野課長はその傍らにいる数人の部下らしき人達に尋ねた。
「この人は私達の社長ですけど、東京の新宿にある会社で、今東京都の公安委員会の委員もやっていましてね、特に未成年の問題に一番神経を使っているんですよ。だからあんなにこだわるんです」と多少迷惑そうに答えた。そして、
「新宿では有名な平塚物流センターの社長なんです。」と他の部下が言った。
「えーっ、それって孝太朗君のお父さんの会社じゃないか」平塚物産のみんなが口を揃えて叫んだ。
「孝太朗くんのお父さんって言ったね。どうして私のことが分かったの。孝太朗はまさか来てないよね」とその男が言うと同時に
「あーーっ、パパだ」孝太朗が叫んだ。
「うっそーーっ、うちの子は大学卒業してるんだよ。もう3年以上も会ってないから分からないけど、こんな中学生みたいじゃないよ」
幸太朗の父棚橋健一は不倫を疑った妻から勘当され、言い訳も聞き入れられないまま現在に至っている。
「パパーー僕だよ、まちがいなく僕だよ。どうしても大きくなれないんだ。よーーしその証拠にパパとの思い出やるよ」孝太朗はさらに保育園児に戻って
「パパーー、かくご、肥満戦隊デブリマン登場、パパはデブルレッド、僕はデブリブルー、ママはデブリピンク。おじいちゃんはデブリブラック、おばあちゃんはデブリイエロー、さあかくごーーっ」
「デブリマンって、社長の家族はみんなおでぶさんだから分かるけど、敵は誰、味方同志戦ってどうするんですか」
北野課長があきれて孝太朗に聞いた。
「小さい時はいつもこうやって遊んだんです。あっスキありーー、デブリチョップ! ママも、おじいちゃんもおばあちゃんも、ふろしきをマント代わりにまとって、部屋中走り回って、結局最後はいつも、僕が部屋に飾ってある大事な花びんとか書棚のガラスを割って叱られて、泣いて終わるんです」
部長やみんなに孝太朗の家族の楽しい雰囲気が伝わり、だからこんな天真爛漫な子に育った理由が分かった気がした。
「明日は大事な会議があるんですが、営業部の私達が担当なんです。心配していましたが、孝太朗君がその資料を全部作ってくれて、もう安心して飲み会をしたところなんです」
北野課長は今までになく孝太朗が入社したことで職場が明るくなったし、仕事も順調に流れ業績も飛躍する予感を、棚橋健一社長に伝えたかったのである。
孝太朗の評判は社内だけでなく、他社にも情報が伝わり、孝太朗自身もいろんな会社によく出向いて顔を売っていたので、他社の社長や重役から毎日飲み会に誘われるほど人気者になっていた。その効果もあり、相手方の社長に気に入られ、契約も何件もの実績を上げることができた。
孝太朗は数多くの結婚話があったが、結局二野谷社長の長女菜々子をもらった。
二野谷社長は大喜びで、菜々子はとても優しく美人だったので、孝太朗の方が感激するのであった。そして、一男二女を設け、幸せの一途を辿るのであった。
やがて月日が経ち、孝太朗が三十八歳になった頃はすでに営業課長になっており、相変わらずのキャラクターは健在で、しかも体格も社長の藤喜郎の若かった頃を彷彿させる風ぼうで、あの幼い面影など今はみじんも残っていなかった。
孝太朗が誘われる飲み会も、長い目で見れば営業活動に多大な影響を与え、別のものが契約交渉で相手方の会社を訪問した際にも、孝太朗のことが話題となり、結果スムーズに契約が成立するという、目に見えないところでの功績が光っていた。
彼なら当然という人と、いやーーっ、以外だと思う人が二分する趣味に、大学時代から人知れず腕を磨いていたのが落語の世界で、立川談志師匠をとても尊敬していて、もし普通の家庭に生まれていれば間違いなく入門をしていたはずである。長い間かけて培ってきたこの人を笑わせる天才的な能力が、今や平塚物産の繁栄に大いに役立っていたのである。
しかし、相変わらず飲み会だけは欠かさず出席していたが、ある日体調をくずし、検診を受けたところ、肝臓がかなり弱ってすでに肝硬変になっており、このままでは半年しか持たないと主治医からの説得を受け入れ、治療のため入院することになったのである。
会社も順調に業績を伸ばし、孝太朗も結婚し子供にも恵まれるが、付き合いで誘わる飲み会がたたり、肝硬変の治療で入院となった。




