第二話 堕天使-3
今日の撮影も、漸く終わった。俺はいつものように大部屋でコーヒーを飲みながらくつろいでいた。……とはいえ、心の底では昨夜の出来事を忘れられるはずもなく、今朝の失敗もそのことが頭から離れなかったために起こったようなもので、早く自分なりに整理しないと仕事に差し支える。
それにしても、俺が……大天使だと? 実際これでいいのかねえ。ただの平凡な人生を三十三年間過ごした後、突然魔と戦う使命に目覚めたという、荒唐無稽な話で。そもそも何で俺なんだ? 何故俺みたいな男が選ばれた。それとも元からそういう宿命を背負って生まれてきて、何かのきっかけで覚醒するように仕組まれていたとか? そしてそれが、ジン・ウルフの出現だった? いやはや、勘弁してくれよ……
と、そんな風に一人思いに耽っていたら、俺の目を覚ますように、
「いいじゃない。良かったわよ」という声が聞こえてきた。あのギャビーが近づいてきて前席に腰掛けたのだ。
おっと、これはいいタイミングかもしれない。彼女なら、いろいろと知っているはずだから難儀な疑問を解いてくれるに違いないからだ。
よって俺は、彼女が座るや否や、
「君はいつから自覚してたんだ?」とわざわざ前屈みになって小声で訊いてみた。
すると、ギャビーの返答は、「自覚て? 何のこと」と素っ気ないものだった?
へっ? これは予想外な答えだ。少し出鼻をくじかれた感じ。……とはいえ、たじろいではいられない。俺は気を取り直し、なおも尋ねた。
「だからさ、例のあれだよ」と。なんせ、こんなおかしな話をあまり大声で訊く訳にもいかず、特に周りの人たちに知られては事だろうから、内容もはぐらかさないといけない。そこで、できるだけ慎重に話しかけたのだ。が、それなのに彼女ときたら、その後も全然気づかないみたいで、
「分からないわよ。あれって何よ!」とまるで俺を試すかのような突っ撥ねた口調で返してきた。
ええい、めんどくさいな。わざと困らせているのか? もしそうなら、相当なサディストだ。俺はそう嘆きながらも、もう一度、懲りずに尋ねるしかなかった。
「お願いだよ、ギャビー。君はいつ天使に……」
「ああ、これね」そしたら彼女は、首にかけている天使を模ったネックレスを手に取り、「これは去年のクリスマスに買ったのよ」と悪びれることもなく俺に見せて言った。その様子は、どう見ても本当に理解していないような態度だった。
俺はそんな彼女に違和感を覚えた。とにかくギャビーは真顔で喋っているのだから。
……ということは、待てよ――ここでふと閃く――もしかすると、昼間の彼女は自分が何者なのか分からないのかもしれない。
「でもね、これが意外と高くて。あなたもほしいなら……」と彼女は屈託のない笑顔で続けた。
やはりそうらしいなあ。ギャビーの場合、魔の出現とともに大天使ガブリエルが下りてきて覚醒する仕組みになっているのだろう。……なら、今の彼女に訊いたところで無駄なことか。
「ねえねえ、聞いてる。五百ドルよ、五百ドル」とギャビーはまだ話している。
彼女には申し訳ないが、これ以上長居しても無意味なだけだと思った。
俺は彼女の言葉を遮って、「わるい、俺の勘違いだった。その話はいずれまた聞くから、先に失礼するよ」そう言って退散することにした。
「ふーん、そうなの。じゃあ、また明日ね」ギャビーの方は、まだ日常会話に飽き足らないと見える。「ねえねっ、これ、良いでしょう」
とすぐに別のスタッフに話しかけていた。いつものことだと思いながら俺は席を立った。
さあて、グダグダ悩んでも仕方がない。ここは明るく振舞って、取りあえず帰るとしますか。俺はそう思って、帰路に就くことにした。
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マイケル・ウエイトがスタッフルームを後にした。
ところがこの場に、その後ろ姿をじっと窺う者も存在していた! 野球帽を深々と被りジーパンをはいた、一見どこにでもいるようなラフな格好をしている男が、部屋の隅に紛れ、彼の行動を逐一見ていたのだ。
その後、マイケルが去るのに合わせて、男も姿を消していたという。
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