第四話 最終決戦ー9
はて? これは、どういうことだ?
俺は、まるで有り得ない光景に、唯々目を丸くして成り行きを訝しげに凝視するしかなかった。
……が、その後、俺の両目に相手の顔がはっきりと映った途端、さらに言葉を失った!
ええッー? まさかの、イリアー? 彼女が物怖じも見せず、大胆にも魔に説教しながら奴の元へと大きな歩幅で近寄っていたのだ!
(嘘だろ……何てことだ……)俺は悪い白昼夢を見ているかのような錯覚に陥った。
一方、サマエルも、その新たな人物の登場に意表を突かれたみたいだ。一瞬固まったのち、怒気を含んだ声で反論していた。
「きさまは、誰だ? たかが人間の分際で、我に意見しようというのか!」と。
そして俺の方も、(そうだ、その通りだ)とこの時ばかりは奴の声に同意した。ただし、サマエルの味方をする訳でなく――取り敢えず、そんなことは天地がひっくり返っても有り得ないと付け加えておこう――偏に彼女の身を案じてのこと。魔にケンカを売るなんて余りにも無茶過ぎたからだ。そのため、(止まるんだ、イリア! 近づいてはいけない。奴を怒らしては、君まで危ない)と思わず心の中で叫び、すぐに警告しなければ、と考えたものの……
んっ? 俺の口が開く前に、彼女の異常な速さに目を奪われた? 何故かイリアが、高速で走っていたという……。否、もとい、走っているなんてもんじゃない。残像を発生させて、まるで瞬間移動しているかのようだった。そして気づいた時には、何と、サマエルの首を右手でがっしりと掴んでいたのだ!
そうなると、「ぐぐぐぐっ……」サマエルの方は何の抵抗も見せられないのか、手足を震わせて苦しがるばかり。続いて驚愕した様子で、「お、お前は……な、何者だ?」としゃがれ声を上げていた。
いやはや全く……本当に信じられない!
俺はこの出来事を目の当たりにして、心底呆気に取られた。こんなことがあり得るのだろうかと目を疑った。だが、そんな自分とは違ってギャビーの方は気づいたみたいで、彼女の呟き声が聞こえてきた。
「マイケル、やっと今分かったわ。彼女はあたしたちの仲間よ! 名前は……」
イリアは、なおも攻め続けていた。それから――暗に己の正体を分らせようというのか?――サマエルの耳元に顔を近づけてボソッと言ったよう。
「忘れたの? 私のことを」
すると奴は、途端に目を見開いた。その口調に聞き覚えがあったに違いない。苦しそうに言い放ったのだァー!
「……サンダル、フォ……ン!」
そうだ。俺も思い出した。彼女は七大天使の一人、十八の翼を持つ、天使たちを取り仕切る幽閉所の番人。
――その名も、サンダルフォンだ!――
忽ち、サマエルは息絶え絶えになった。力は衰え、もうフランソワを支えることもできなくなったようで、そのまま地面に落とした。
ただ、そうだとしてもまだ油断ならず、後ろのアザエルたちが黙って見ているはずもなかった? 容赦なくフランソワに襲いかかろうとした……が、辛うじてレイフが、先を読んでくれていた。素早い一躍で、フランソワを抱きかかえ瞬く間に救いだしたのだ!
これで、完全に形勢逆転だ!
だが、アザエルたちはまだ懲りない様子。今度はイリアに向かって……それも彼女は計算ずくか、凄まじい風を巻き起こす。奴らは一瞬で数十メートル後方へ吹き飛ばされた。彼女の羽根だ。十八の翼が上空で舞っていた。それがパラボラ状に並んで羽ばたいたため、強力な突風が発生し、奴らを一歩も近寄らせなかったという訳だ。
しかも、その間にイリアはサマエルの首を絞め続けていた。
「うぐぐううっ……」奴は愈々(いよいよ)顔を上に向けて、苦悶を露わにする。そして、遂には「げ、下僕ども、我とともに……翼の下へ集え」と言った瞬間、ナンシーの口から赤蛇が逃げるように飛び出し、宙に舞い上がった。
よし、やったか? 奴を上手く追い出したぞ! これでナンシーも救われ、未曾有の惨劇も防げそうだ。……と思ったものの、まだ喜ぶのは早かった? 突如、脇から飛翔してきた従者オリエンスよって――万が一のために、オオコウモリを竜巻の中で控えさせていたみたいだ――その赤蛇を、瞬時にキャッチしたかと思ったら、大空へと高速で昇っていったのだ……
えええっー、クソッー! またもサマエルを仕留める機会を逃してしまったという訳かァー! 俺は、地団駄を踏んだ。そのうえ、残りの魔物たちも、アザエルは従者とともにドラゴンと化したラクダに跨り、マハザエルもエギンに抱えられ、忽ち飛ぶ去ってしまった。一旦遥か後方へ退却し、サマエルの翼の下で魔力を結集させ、彗星の落下エネルギーをより強大にするつもりだろう。やはり、このままでは……フランソワたちを救えたとはいえ、爆発を阻止することは不可能な状況だ! 俺は、どうすべきか分からず苦悩した。何か手立てがないのかと、もう一度必死で考えた。ただしその一方で、ナンシーの様子も気になっていたため、彼女に目を向けてみた。
そうすると、ただちに、「大丈夫よ。心配ないわ」というイリアの声が返ってきた。彼女はナンシーを優しく抱きかかえながら、それと同時に側で横たわるフランソワも気遣っているようだった。
俺はイリアに向かって素直な気持ちをぶつけた。
「何で俺たちに正体を明かさなかったんだ?」
彼女は淡々と話した。
「よく昔から言うでしょう。敵を欺くには先ず味方からって。それより、急いで奴らを追いかけなさい。ナンシーとフランソワのことは私に任せて。あなたの使命は、魔の悪事を阻止することです」と。
けれど、俺は思った。そうは言われても、もう非力な人間に戻ってしまったよ。ミカエルでも何でもない、と。だから、
「すまない。自分には世界を救う力なんてないんだよ」と断腸の思いで退場を訴えた。ところが、次に彼女は予想外な言葉を返してきた。
「いいえ、あります。あなたの根底には、まだミカエルの精魂が脈々と息づいているのです。それでなければ、私がこの現世に舞い降りてくることはなかった。さあ、私のウイングを受け取りなさい! そして、この地に居られる時間の短い私に代わって、サマエルたちと戦うのです。必ずや、〝この十八枚の翼〟が、あなたたちに勝利をもたらすでしょう」と励まされたのだ。
そうか、なるほど……それが答えだった訳だ。やっと、一筋の光明が射した。
ならば、リタイヤする話は撤回しよう。幽閉所の番人のお墨付きを貰ったからには、力の限り戦うまでだ!




