第一話 覚醒 3
その後、無事に俺は安ホテルへと帰館した。ニューヨーク市での撮影時は決まってこの場所に泊まる。有名なスター連中なら、自前のキャンピングカーで移動するのが慣わしだが、俺の場合そこまでのセレブ暮らしになっていない。まだまだ半人前ということさ。
小さな部屋でも寝るには不自由しない。そう思いつつ、俺はすぐにベッドに寝そべった。
……そして、どれぐらい過ぎただろうか。
うつらうつらと眠っていたら、突然ハッと目覚める。微かな物音が耳に付いたせいだ。俺は仰向けのまま、薄明かりの中を何事かと思って見回した。
すると窓が開いているのか、カーテンが靡いていた。確か閉めたはずだ……と考えていたところ、次に何かの気配も感じた! 大きく息を吐く音が、恐ろしげに聞こえてくるではないか。
よもや、俺の足元に得体の知れない物がいる? けれどここは三階の部屋だ。どうやって? 理由など分かりようがないが、そんなことを気にしてる場合でもなかった。と言うのも、忽ちそいつが俺の側へと忍び寄ってきたからだ!
俺は恐ろしさのあまり起き上がることもできず、目だけを上下左右に動かし、この切羽詰まった状況を把握しようと試みた。……その結果、げっ! 信じられない物が目に飛び込んできた。
――鋭利な牙?――
何と、突き出した長い顔にこれ以上は発達できないと言わんばかりに巨大化した、まるで太古のトラが全生物を震え上がらせたのと同形の凶器が、極限まで尖らせた状態で目前に控えていたのだ!
……俺の部屋にウルフがいるー? どういうことだ! 俺は全く理解し得ない出来事に、背筋も凍る思いでほぼ放心状態になってしまった。
それでも、獣は待ってくれない! 頭を振り上げベッドに前足をかけたなら、奴の血に飢えた大口が俺の真横に並んだ。そして怒りの目を向け、鼻にシワを何本も寄せながら牙を剥いた途端……跳びかかってきた!
――駄目だ、身が竦んで動けない。こ、これでは逃げられないぞ!――
が、突如――強烈な銃声が響いた!――
えっ、誰かがウルフに向かって発砲した?
そうなると形勢逆転か、流石の野獣も俺を諦めるしかなかったようだ。弾から逃れる態を見せ、一ッ跳びでベッドを跨ぎ出口の方へ走った。
つまり、惜しくも獣を仕留めるまでは行かなかったものの、[代わりにくっきりと弾痕が壁に残る]何とか俺の方は助かったという訳だ!
俺は、ホッと胸を撫で下ろした。
(しかし、いったい何が起こったというのだ?)とはいえ、のんびりしていられない。すぐにこの異常な出来事の原因を探らなければ……
俺は冷や汗をベットリかいた体を起こし窓の方をじっと窺ってみた。
……するとそこには、月明かりで浮かぶ人影! しかもその人物の顔を見た瞬間、またまた開いた口が塞がらない。
まさかの、ギャビー・ケイト! 彼女が平然と俺の前に立っていたのだ。
「ど、どうして?」俺は思わず声を漏らした。
彼女は腕に拳銃を携え、黒いボディコンワンピースのミニスカートに、ベージュのストッキング――太股まで垂らしたガーターベルトによって留められている――を身に着け、そのうえ足には真っ赤なパンプスを履いた風体で現れたのだった!
俺は、この事態に、心底驚嘆した。なんせ、あのギャビーが野獣を退治するために派手な出で立ちで登場してきたのだから、ウルフの襲撃以上にショッキングだった。……とはいえ、男の性なのか、(それにしても、彼女のスカートは短過ぎる。少しでも足を上げたらパンティが見えそうで、実に色っぽ……)と不意に場違いな感情が沸いてきたことも事実。それでも即座に、(おいおい、何のん気なことを言ってんだ。もう少しで食われそうになったのに、俺は愚鈍なのか。もっと真剣になれ!)と不謹慎な考えを否定し、己を大いに叱責したことは言うまでもなかった。要するに、それほど俺の気持ちは動転していたような。
だが、そんな混乱も……すぐに解決しそうだ。彼女が、「遅れてごめん。でも間に合ったわね」と言いながら何食わぬ顔で近づいてきたからだ。
俺は、早速「どうやって君はここへ? それに野獣がどうして俺の所にいると?……君、拳銃を、使えるのか?」と知りたいことが山ほどあったのだから、立て続けに質問を投げかけてみた。
だが、彼女の答えは、俺の希望に沿わないどころか、全く予想もしない「早くして! 後はあんたの仕事よ。ジンを追いかけて抹殺する。頼んだわね」という指示だった?
えっー、何で?
そして、さらに、「さあ、あたしのメッセージは伝えた」と言って、藪から棒に腰のポーチからマグナム44と多量の弾丸をベッドの上にぶちまけたなら、「あんたのいつもの武器よ。聖水で清めているわ」という注釈を付けくわえて、俺を急がせたのだ。
「はあ? 何だこりゃ?」しかし、俺の方はさっぱりだ。益々困惑した。
すると、その時、ちょうど出口の付近で板が割れるような音がした。どうやら野獣が、ドアを破壊して逃げ出したようだ。
となると、彼女も今まで以上に焦った様子だ。より厳しい顔に変わって、
「奴が外に出たわよ。市民に危害が加わるかもしれない。マイケル、急ぎなさい!」とせっついた。
「ま、待ってくれ……どうすれば」とはいえ、俺に何ができよう。話が見えてこないうえに命令口調で指示されても、唯々戸惑うしか……。と思っていたが、へっ? その直後、不思議なことが起こった。何故か俺の体が勝手に動き出したのだ! マグナムと弾を無造作に引ったくり、まるで飛んでいるかような素早い動作で駆け出した。
えええっー? いやはや、もう訳が分からん。されるがままよ。
続いて考えもしないうちに銃へ弾を込め、部屋を飛び出したなら、目の前の廊下を走る野獣に――けたたましい銃声音!――三発連射した。
「うっ!」ただその時、物凄い反動を感じる。これは本物のマグナムか? これほど強力なものだとは思いも寄らなかった。今まで使っていたのは撮影用のまがいもので、それとは全く異なり、実際の44は恐ろしく破壊的だと知らされた。真剣に握らないと指を骨折しそうだ。としても、今は操り人形の状態で自由が利かない。兎に角、もう一人の俺が難なく銃を扱っているから心配いらないみたいだが。
そして結局は、俺が放った弾丸は残念なことに的を外れて壁に被弾。ウルフはその間に道路へ逃げ出す。
さらにもう一度、俺も同じく道に飛び出し連射を浴びせる……が、それも命中しなかった。
俺は立ち止まった。どうやらここで弾が尽きたよう。素早く銃の弾倉を振り出し薬きょうを地面に落とす。よって、ただちに甲高い音が周囲に木霊した。
(……んっ?)ところが次に、戦いの最中とはいえ、俺はあることに気づく。何故か周りの様子が変なのだ。どういう訳か生活音が一つも聞こえてこない。深夜と言えど、街中でいる限りはいつもなら車や室外機の音が微かにするもの。それが今夜に限って全く無音だった。そのうえ、今思ったが、風もなかった。空気の流れがないみたいな、まるで時間が止まった感じだ。
……と、そこに、銃声が鳴った! 知らぬ間に別人格が弾を込め、素早く撃ち放ったようだ。
「ググギャイーン」途端に、野獣の鳴き声がした。当たったのか? ウルフの後ろ足に命中したよう。ならば止めとばかり、動きの鈍った獣の頭に狙いを定めトリガーを引く……
だが、「くっ?」駄目だ! 何かが、銃を持つ俺の手を弾いた。
別の野獣だ! 咄嗟に現れると同時にマグナムを咥え、もぎ取っていった。
クソッ、仲間がいたのか!
目の前に二匹のウルフの容姿が見えた。合計三匹、体長二メートルはゆうに超える、灰色の流線型をした筋肉質な体に鋭利な歯を武器とする(たぶん、とんでもない速さで獲物を捕らえるであろう)野獣たちがいた。到底素手で敵う相手ではない。俺は丸腰になったまま、その場に立ち尽くすしかなかった。
一方、奴らは、いつでも甚振れるとでも言いたげに、俺の前を左右にヒタヒタと動き回っている。
どうする? 俺は今さらながら夢なら覚めろと思った。とはいえ、これは現実だ。
すると、その直後、遂に奴らの攻めが始まったか?
一匹が頭を下げ、前屈の体制から牙を見せた途端、猛烈な突進、向かってきたのだ!
(うわー、もう駄目だ! 助けてくれ)俺は恐怖のあまり目を閉じ、心の中で叫んだ。