第四話 最終決戦ー5
3 復活
摩天楼スクエアーガーデンは、五百メートル以上もの高さがある高層ビルだ。そのため、ほぼ円錐形に聳え立つ頂上から、さらに伸びるアンテナ部の天辺ともなれば、目も眩むような高所であることは言うに及ばず、足元を取られそうな強風が吹きすさぶ半畳ほどの狭所でもあった。
ところが、そうした狭き所であろうとも、その上にすっくと立ち上がり、掌を合わせて瞑想する武者がいた。朝の光を浴びて、その背に生えた黒い翼を烏羽色に輝かせ――それは漆黒の闇を思い起こさせるよう――さらに、それを支える筋肉に至っては、今にも惨事を齎そうというかのごとき猛々しさで脈打たせていたという。
するとその後、突如背中の翼が四方へと分かれた。身体から離れて上空に舞い上がったなら、十二対に分裂し、その武者《今さら言うまでもないが、魔族の長兄サマエル》の頭上で直径二十メートルの輪を描いて回転し始めたのだ。これは再三に渡り試みてきた、巨大な塊を着実に吸い寄せる魔力だ。ただしこれが最終段階であった故、今回だけは市の中心地へ移動しなければならず、サマエル自身も翼に引き寄せられ空中を浮遊し始める。それから、翼とともに地表から高さ数十メートルの所まで降下した後、ゆっくりと上空を水平に飛行しだした。その姿は一見すると、まるで極大な王冠を持ち上げた魔界の暴君が、世界の破滅を啓示するべく、神々しくこの地に降臨したかのようだ。
ただ、そうなると、この異様な光景を街行く人々にも知られてしまった訳だが、彼らに超越した存在の来寇が分かるはずもないのだろう、慄いた顔で空を見上げて誰彼構わずお互い何かを呟いているだけだった。そしてメディアも、その危機に気づいた様子だ。街中のテレビ受信装置が警告を発していた。
「こちらCNN放送、緊急ニュースをお知らせします。彗星がニューヨークへ向かって落下……。できるだけ強固な建物、または地下へ避難して……。大統領の命令で、空軍の戦闘機が今……」
それ故、立ち所に逃れようとする哀れな民の混乱を招いた。車、電車、バス、ありとあらゆる乗り物を駆使し、この地を去ろうと試みたようだ。されど、突然の狂気の大移動に対処できる十分な交通網は確保されていない。すぐに逃げ道は車両で溢れ、身動きが取れなくなり、
「助けてくれ! 誰か……お願いだ」
「子供がいるの。この子だけでも……」
「早くどけ! てめえ、ぶっ殺されたいか」
「いやあ、助けて! どこへ行ったらいいの? どこへ……」という怒号や悲壮な叫び声が飛び交った。まさに今、人々は地獄の門が開かれようとしていることを嫌というほど実感させられたであろう。
そしてそんな狼狽える衆生たちを、サマエルはうつろな目で上空から見下ろしていた。何の恐怖や慈悲も持たない、純潔な悪が世界を呑み込もうとしていたのだった!――――
⦅ううっうっ、どうなった?……⦆
俺は、突然目覚めた! ちょうど、ぼんやりと映る、レイフの顔を前にして、
「ほほう、これで済んだぞ。何とか命だけは助けられたかの?」と話す彼の声を耳にしながら。
どうやら……癒しを司るラファエルのお陰で死を免れたみたいだ。俺はすぐに悟った。
だが、そこにギャビーの怒り声も聞こえてきた。
「あんた、何やってんのよ! 第一の大天使ともあろう者が、へそを抉られてただの人間に戻ったじゃないの!」と。
ええっ? 嘘だろ。ミカエルとしての能力を失っただと? 流石にその啓示はショックだった。俺は今さらながらに自分の腹をまじまじと見つめた。すると、傷は疾うに消えていた。そこで、(おい、俺様、ミカエル。返事しろ!)と自身の心に問いかけてみた。
〈…………!〉
だが、答えはなく、加えてその変異を裏付けるように〝背中のアイテム〟もそれらしき感触を得られなかった……
仕舞った! やはり、オリエンスの短剣にしてやられたのだ。
「すまない、全く不注意だったよ」俺は己の失敗に嘆きつつ、謝るしかなかった。ただ次に、忘れてはならない、もう一つの心配事があったので、すぐさま訊いた。「ナンシー? ナンシーはどこへ行った?」
「誰? あんたと一緒に誰かいたわけ? あたしたちが来た時には誰もいなかったわよ。オリエンスの奴が急いで飛び去る姿を除いてはね」
俺はその声を聞いて多少安堵した。何とか上手く逃げおおせてくれたみたいで、それだけでも救いだと思えた。
「で、どうすんのよ?」しかし、その後もギャビーの責っ付く声が耳に飛び込んできた。
……が、そんなことを急に言われても、今の俺に何ができようか? だから、
「うううっ、ちょっと待ってくれよ。考える時間が欲しいから」と咄嗟に答えてみたが、どうやら考えが甘かったような。彼女は今まで以上の厳しい顔で反論してきた。
「無理よ! マイケル。もう余裕はないのよ。サマエルが遂に動きだしたわ」
「何だって! 衝突は明日じゅないのか?」
「いいや、違うんじゃよ。奴の十二の翼が強力な引力で一気に吸い寄せたため、軌道は曲げられ時間が大幅に短縮されたのじゃ。もうわしらに猶予など残っていない」
ええーっ! 本当かよ? 何てことだ。これではフランソワさえ避難させられないじゃないか。クソッ、絶対に食い止めなければならない状況になったってことだッ!
「だから急ぐのよ、マイケル」そして結局は、ギャビーにそう言われて、俺の両手を鷲掴みされる。後は、高々と飛び上がった。
俺は彼女の手にぶら下がった状態で、ホテルの窓から魔の待ち受ける場所へと即座に向かったのだった。




