第三話 恐怖のシナリオー8
5 未曾有の企み
どれ位の時間が過ぎただろうか? 俺は意識を取り戻した。ただ、自分が何をしていたのか記憶が定かでなかった。それでも、空を見上げると、ガブリエルとなって白翼を纏い宙に浮かんでいる、ギャビーの勇姿を目にしたことで、俺の方もミカエルの出番だということが分かり、山羊男と一戦交えていた事実をどうにか思い出す。しかも同時に、強烈な蹴りを貰って瀕死の重傷だということも回想された。
……となれば、これ以上戦うことはできないだろう。否、それどころか、もう命さえ尽きようとしている気がした。それほど最悪な状態だったのだ。
そこで俺は、彼女を前にした今こそ最後の言葉を残しておかなければならないという唐突な思いに駆られ、神妙な面持ちで話し始めた。
「ギャビー、駄目だ。巨人から殺人的な蹴りを受けちまったよ。俺はもうすぐ死を迎えそうだ。そこで最後のお願いがある。……安らかに天界へ送ってほしいのさ。マイケル・ウエイトはその地で永遠に眠るよ」と。
ところが、彼女の口から返ってきた言葉は、予想もしない辛辣なものだった?
「なあによ、あんた馬鹿言ってんじゃないわよ。ほんと、心配して損しちゃったわ」と。
えっー、何で?……全く、意味が分からないよ。これには、俺も本当に驚いた! これだけコテンパンにやられているのに、信じられない御言葉で返してきたのだから。
すると、次に彼女は、そんな傷ついた俺のことなど気にする様子もなく、悠然と地上に降りてきて――どうやら彼女も、急な戦闘だったようで、いつものエロい衣装でなく撮影用の借り衣装だった――意外なことも言った?
「でも、流石ね。アザエルの足を素早く撃ち抜くとは。ミカエルの早業には舌を巻くわ」と。
えっ、何だって! 俺は、その声にまたまた驚いた。確かに用心のため、今は常にマグナムを所持していたが、まさかその銃で、発砲していたというのか?……。なるほど、そう言われれば知らぬ間に銃を握り締めていたような。ということは、奴の蹴りが入る前に足を撃ち抜いていたってこと?
「まっ、大した衝撃ではないわね。傷ついたまま蹴られては、半分も威力はないわ。あんたの強靭な体力なら屁でもないでしょ。さあ、いつまでおねんねしてるのよ。さっさと起きなさいよ!」
しかも、俺様のタフさを考慮したら、全然堪えてないという?
と、その途端、その声に反応するかのように、俺はすっくと立ち上がった。そう、彼女の言うように平気だった。唇は切れているものの、まさしく第一の天使としての超人的な強さを内に秘めていたのだ!
やれやれ、結局は、自分の勝手な思い込みだったということさ。
「いてててっ――」
そんな中、急に喚き声が聞こえてきた。山羊男が足を抱え跳びはねていたようだ。どうやら、疾うに戦意喪失というところか? なら、もう一人の魔族、従者パイモンはどこへ行った? 俺は辺りを見回したが、その姿を捉えることができなかった。たぶん恐れを抱いて逃げ出したのだろう。そして、その逃走に山羊男の方も納得がいかなかったみたいで、「おい、パイモン! おぜを残して行くなやっ。帰って来い、パイモ――ン」と悲愴な声で叫び出す始末。……全く、巨人も形無しだ。
さあて、それなら、早々に決着をつけましょうか?
俺はゆっくりと、堕天使アザエルに銃を向けた。これでこの山羊男と現世で会うこともあるまい、と思いつつ。
それから後は……言うまでもなく、ミカエルが引き金を引いた?
「待って! マイケル」だがここで、どういうわけか彼女が止めた。「アザエルには、まだ用があるのよ。サマエルが何を企んでいるのかを訊き出さないといけない」と助言してきたのだ。
なるほど、それも尤もな話だ。
よって、俺様は銃を下ろし、代わりにギャビーの質問が始まった。
「ねえ、ちょっと教えてくれない。あんたたちがしようとしていることが、本当に上手くいくとでも思ってるわけ?」と少々遠回しに探りを入れる形で問いかけていた。
そうすると、思いの外、奴は勢い勇んで答え始めたか?
「あ、当たり前ぜっ。おめえらに邪魔させねえぞ。今度こそやり遂げてやるわさ」と。
それなら次に、「へえ、そう。でも、あの赤蛇はいないみたいね。あんたらに命令するだけで、高みの見物でもしているの?」と攻めたところ、
「ち、違うぜっ。サマエルは、ちゃんと計画通り翼に精気を集めて、あれを吸い寄せている最中だぜっ」と何とも意味ありげな言葉を吐いて、山羊男の話は終わった。
どうにか……少しはヒントを得たみたいだ。まあ、これだけでは、皆目話の筋が見えてこなかったが。
……と思ったが、ギャビーの方はちょっと違ったようだ。奴が言い終わった途端、明らかに表情が曇った。それから、すぐさまこちらを向き直り、
「まずいわ、マイケル。あいつは百年前の大惨事、ツングースカ大爆発の再来を目論んでいるようだわ」と忠告してきたのだ。
「えっ、ツングースカ大爆発?」ただし、俺に何が分かろうか。彼女は、奴の一言ですぐにその企てを把握したのだろうが、残念ながら俺の方は、過去の記憶はないし歴史にも疎いのだから、ちんぷんかんぷんだ。それなのに、その後、
「前回と同じことをやるつもりなのね。あたしたちが辛くも防いだ、あの一九0八年の悪夢を……。そうでしょ? マイケル。覚えているわよね!」とまるで試すかのように、彼女は同意を求めてきた。
いやはや、参った! 全く見当もつかないよ。またまた俺は、知ったかぶりをして、誤魔化さなければならない羽目になったみたいだ。何度も言うように、俺がミカエルの精神を受け継いでいないと分かれば、命まで取られて天界に帰されるかもしれないのだから、実に苦労させられる。
「わるい、ギャビー。自分には何の事やら……どうも最近、健忘症で。良かったらちょっと教えてくれないか?」と、結局は苦心惨憺、そう答えるしかなかった。
すると彼女は、「なあによ、あんた、またそんなことを言って……。いい加減にしなさいよ!」と俺を責めた。
「……ごめん」と俺は誤るばかりだ。
彼女は呆れた顔を見せた。
……が、その後、不信感を抱いたにせよ、御丁寧にも説明してくれたのだ。
「だから、この大都市に巨大な彗星を衝突させるのよ!」と。
「ええっー、な、何だって!」――ただし、その返答は、俺の予想を遥かに超えるものだった――
「今朝、ニュースで言ってたでしょ。直径百メートルの彗星が地球に最接近しているって。たぶんそれを、サマエルは己の魔力を使って引き寄せるつもりなのよ。奴の持つ十二の翼を羽ばたかせることで可能になる、唯一無二の力によってね!」
何てことだ! これには俺も、心底驚いた。まさか、サマエルに、そんな恐ろしい能力があったなんて!
だけど……待ってくれ。――と、ここで俺は、素人考えながら、ふと思いつく――。彗星って、氷の塊だろ。それなら、
「ええと、なんだ。 でかい氷なんて大気圏内に入った瞬間、蒸発して地面とぶつからないから、大した衝撃にはならないんじゃ……」と反論してみたが、
「何言ってんの、あの日のことを忘れたの? 上空六千メートルで大爆発が起こったじゃないの! 破壊力は十五メガトンの水爆に匹敵するほどよ。つまり、その時の爆風で直径五十キロメートルの地表が火の海になる計算よ。ニューヨーク市全土、七百九十平方キロメートルの二倍以上を焼き尽くすほどの威力になるわね。有に一千万を越える人々が火達磨になるのは間違いないわ!」という、とんでもない話が返ってきたのだ!
「う、嘘だろうー!」俺は彼女の話に息を呑んだ。何て邪悪で恐ろしい計画を立てているんだと嘆いた。
そして最後に、ギャビーの、
「もしそうなったら、レイフの超能力をもってしても再生は追いつかない。その間に一千万の魂が奪われる」という声を聞いたところで、漸く俺もその結末を推測できた。
「サタンが蘇るのか!」
「なあによ、分かってるじゃないの」彼女は俺の顔を覗き見て言った。
それぐらいは、祖父から教わった記憶があったのだ。ただ、サタンが降臨した世界となれば……想像するだけで身震いを覚えた。地獄絵図になるのは目に見えている。俺は改めて、この世を護る使命の重さに震えていた。




