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第一話 覚醒 2

     1 マイケル・ウエイト


 葉巻の煙が目に沁みる。俺はカウンターの席で一杯のバーボンに口をつけた。紺色のシックなスーツの懐に相棒の冷たい肌を感じ、いつもの荒々しい気質もその重量から察せられと思いつつ。

――ここは行きつけの高級バー。お気に入りの場所で飲んでいたって設定だ――

「レディ、もう一杯頂こうか」続いて俺は、テーブル越しにウエイトレスを呼び止め、注文する。それが俺の、いつものラストオーダーであるかのように。

 そしてその声に応じ、店員が俺のグラスを回収しようと進みくる。鏡のように反射するトレーの底を向けながら。

 ところがその時、「んっ?」すぐに俺は気づいた!――自分の後ろで銃を構える男の姿がトレーに映っている――ということを。

「チッ!」俺はすぐさま椅子の下に伏せる。

 と、その直後、警告なしの銃声が鳴った。次いで「きゃー!」女の悲鳴と棚の酒ビンが砕け散る音が姦しく聞こえる。……どうにか、難を逃れられたか。ならば、今度は俺の番だ。ただちに相棒のマグナム44をガンホルダーから抜き、けたたましい発砲音を立てて男に弾丸を見舞ってやった!

 男は、強力な弾の圧力を受け、ったまま後ろへ数メートルも吹っ飛んだ。衝突音も激しく、豪快にテーブルを巻き添えにして倒れ込む。

 ふっ、終わったか? 何とも呆気ない幕切れだぜぇても全く馬鹿な野郎よ、この俺に銃を向けるとは……と男を哀れむ。次いで銃口を上にして顔の側まで寄せたなら、決めのポーズを取り十八番の台詞を言う。

「ダンディ・ハートに喧嘩を売る者は、必ず死が待っているぜ」と。

 ところがここで、えっ、はて? 違ったか。突然俺は素に戻ってしまった! ダンディ・ハーツ、ハークか? と戸惑ったのだ。

 そうなると勿論「カット、カット、カット」監督からのストップがかかったのは言うまでもない。しかもやっぱり間違えていたみたいで、

「ちょっとマイケル、頼むよ! ダンディ・ハーテンだよ、ハーテン。分かった? もうクランクインして二ヶ月経ってんだから覚えてよ」と監督の責め句が飛んできた。

(参った! 全くもって基本的なミスを犯したみたいだ……)

 俺は即座に、「す、すいません」と詫びた。そう、今は撮影の真っ最中だったのだ! 昨晩、ちょっと羽目を外し過ぎたのか、深酒してしまって、そのせいで調子が出なかったという話だ。けれど、そんなことは言ってられない訳で、やっとつかんだ主役の座、今までエキストラから脇役と苦労して映画界を渡り歩いてきた俺の、華々しい出世作になるであろう刑事ドラマなのだから、確りと演じなければならないのだ! それなのに何たること……。そこで、もう一度そのことを肝に銘じてから、

「みなさん、すいません。次お願いします」と懸命に謝った。

 さあ、もう失敗は許されない。気合を入れるぞ!

「では、ダンディの台詞から始めます」と助監督がカチンコを鳴らした。

「ダンディ・ハーテンに喧嘩を売る者は……」


 どうやら無事、撮影は終わったか。俺は大部屋の隅で椅子に腰掛け、やれやれとコーヒーを飲んでいた。何年もこの仕事をしてるのに、ちょっとした間違いを犯すのは俺の癖みたいなもんだな、と少々反省もしつつ。それでも、何とか今日も問題なく仕事をこなせた……そう一瞬、思ったものの、周りでスタッフが真剣な表情で忙しそうに動き回っているのを見たら、やはりスタッフのお陰だな、ということに気づかされた。なんせ、このドラマにかける意気込みが違うようで、彼らの熱気が自然と伝わってくる感じだ。結局、俺の方がもっと頑張らなければならないという話だ。

「だめね。今日は」そこに、突然声が聞こえてきた。女が現れ前席に座ったのだ。ギャビー・ケイトだ。この作品のヒロインで、かつ俺のパートナーという設定の女優だ。

 俺はその登場に――また来やがった――と辟易する。

「まあね。昨日の酒が残ってるのかな?」とはいえ、無視する訳にもいかないので当たり障りのない程度に答える。

 すると、「これから大事なシーンの連続で緊張するのは分かるけど、それを乗り切らないとスターにはなれないわよ」と返してきた。

 はいはい、承知してます。彼女の説教がまたまた始まった。俺より五つ年下なのに、変に姉さん気取りなのは彼女の持って生まれた強気の性というところだ。それも当然か。女優なんて職業をやってるんだから、根が強くなければ務まらない。

 俺はいつもと同様にやり込められながら、適当に相槌を打って聞いていた。いちいち気にもせず……ただ彼女の首筋を眺めて。だけど、どうしてだろう? 彼女を見ると必ずそこに目が行く。美形であることは間違いないが、この世界にはそんな女はごまんといる。その中で、彼女の首元だけは絶品に思えた。顎のラインから下へ、細く流れるような曲線が見事に描かれ肩に到達する。鎖骨の窪みも生々しい。肌の白さに透明感が加わり、ピチピチの新鮮な果物のようだ。堪らずしゃぶりつきたくなる衝動に駆られるのは、俺だけではないだろう。

「ねっ、ねえったら! マイケル・ウエイト、聞いてるの!」

「えっ、何だ?」おっといけない。話が耳に入ってなかった。

「だから、今日の新聞に載っている、変死の記事よ。あなたどう思う?」彼女は手にした新聞から気になる事件を見つけたみたいだ。

「変死?」

「そうよ。クイーンズ地区の五番街で、二十代の白人女性が首と手足を何かに噛み千切られ死んだとされているわ。その凄惨な状況から、人ではなく野獣の犯行ではないかと書いているのよ。ほんと恐いわ。五番街ていったら、ここからそう遠くないじゃないの」

「野獣かあ……野良犬かもしれないな」

「けれど、一昔と違って今は野良犬なんか見ないわよ」

「それとも、どこかの飼い犬が逃げ出してガブッといったのかもな」

「待って、近くのセントボーエン教会の牧師がコメントを載せているわ。『この悪行は魔物ジンの仕業。迷える民は悔い改めて神に祈るべき時だ。ここに警告する』ですって」

 俺はその言葉を聞いて、また坊主が馬鹿げたことを言っている、と思った。こんな事件が起こると悪魔だの神だのと持ち出す。俺も幼い頃から耳にタコができるほど聞かされてきた。何故なら実のところ、俺の祖父も牧師だった。一の大天使ミカエルは〝神に似たもの〟とされ、武勇に長けた天の軍団総司令官のような存在であり、そしてガブリエルは〝神のメッセンジャー〟司祭にヨハネの誕生を告げ、マリアにもキリストの誕生を語り、それ以外にも神の言葉を伝えていたと。またラファエルは病気やケガを直す〝癒しを司る天使〟とされている等々を、何度も聞かされた。俺の名前がマイケルなのも、ミカエルに由来している名だったので祖父が強引につけたのだ。はっきり言ってうんざりなのさ。なので、この話にまるっきり興味も湧かないため、早いとこ帰り支度に取りかかることにした。

「わるい。先に帰らして貰うよ」

「そう……じゃあ、また明日ね」ギャビーの方はまだ話し足りないみたいだ。俺の顔をチラッと見てから、「ねえねえ、新聞見た?……」と別のスタッフに声をかけて、井戸端会議に勤しみだした。全く好きだね。まあ思う存分やってくれ。

 俺は気にも留めず、その場を退出した。



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