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リバースアイデンティティー9

 バーからの帰り。私はヒロの車で自宅まで送ってもらった。相変わらず彼女の車はやかましく、近所迷惑だと思う。R32はそういう車なのだ。日産の技術の粋を結集して作られたスポーツクーペ。ヒロは昔から車好きで、毎回スポーツクーペを選んでいた。初代はスカイラインGTSターボ、2台目はシルビアS14。このR32は3代目になる。

「やっぱ、32はめっちゃうるさいな」

「は? ええ音やろ? このサウンドが分からんなんて」

 普段は何を言われても動じないヒロも自身の愛車を貶されると不機嫌になる。彼女にとってR32は恋人みたいなものなのだ。車が恋人というのもどうかと思うけど。

「まぁ……。別にあんたの趣味にケチつける気はないけどな。でもこれで住宅街走ったら流石に騒音公害やで」

「それは……。そうかもやけど……」

 ヒロ自身もそれに関しては自覚があるようだ。もしこれで自覚がないとしたら終わっている。いくら車オタクでもさすがにそこら辺は理解しているのだろう。

「ヒロ……。チャリティーのことやけど。ほんまに大丈夫か? 私は無理にやろうとは思わんから嫌やったら言ってええんやで」

「いや……。嫌とかやないから大丈夫。別に“アフロディーテ”と対バンするわけでもないしな。まぁ……。仮に対バンだとしても私はかまへんよ。ウチはウチ、よそはよそやから」

 ヒロは穏やかに笑うとアクセルをほんの少し踏み込んだ。R32の咆哮が甲州街道に響き渡る。

「そうか……。なら話進めるからな。にしても、地震からもう2週間か……」

「せやね。少しずつやけど、復旧してるみたいやからよかったで。東北はまだまだこれからやろうけど……。神戸んときより酷いからこれからが大変だとは思うけどな」

 神戸の震災。私とヒロ、そして繁樹にとっての痛い思い出。

「阪神地震からもう16年やもんね……。あれも辛かったな……」

 私はそう呟くと大きくため息を吐いた。あれから16年。気が付けば、私はあのときの倍の年齢になっている。年を取るわけだ。

「逢子こそ大丈夫か? あんた昔のこと思い出してるんやろ?」

「うーん……。そうな。そうかもしれん。あんときは本当に辛かったからどうしてもな……」

「あんまり考え込まんでな! 愚痴とかいつでも言ってええから。あんたに落ち込まれたらウチらのバンド全体が落ち込むんやから」

 私は「ありがと」とだけ返事した。そしてR32はさらに加速していった――。


「ただいま」

「おかえり。ずいぶんと飲んだみたいだね」

 家に帰ると旦那がダイニングでパソコン作業をしていた。縁のないメガネを掛け作業する彼は、真剣な顔だった。

「ちょっとな。ヒロも繁樹も元気やったで。あ、あんたにもよろしくやと」

「そう。水飲むかい?」

「うん。欲しい」

 旦那は冷蔵庫からペリエの瓶を取り出すと、ハローキティのコップにそれを注いでくれた。

「ひさびさに飲み過ぎたかも……。明日が怖いな」

「もう若くないんだから、気をつけなよ? 逢夜だって心配するんだからさ」

「せやな。気ぃつける。お義父さんたちは大丈夫か? 来週辺り顔出し行こうと思うんやけど」

「親父もお袋も大丈夫だよ。まぁ、この機会に逢夜の顔を見せてやってもいいかもね。俺も週末休みだから一緒に行くよ」

 旦那と話していると少しずつ酔いが醒めてきた。身体の火照りがとれ、血色がもとの色に戻り始める。旦那は私の話を肯定しながら聞いてくれた。結婚してもう10年経つのにこの人の態度は変わらない。周りの既婚者の話を聞くと、義隆がいかに素晴らしい旦那なのかとあらためて痛感する。他の旦那はだいたいの場合だらしなくなるか、優しくなくなるらしい。

「あんたもそろそろ寝たら? 明日も仕事やろ?」

「うん。そろそろ寝るよ。明日は八王子のお客さんとこ行くからね」

 旦那は私に軽く口づけするとそのままベッドルームに引き上げていった。旦那が引き上げたあと、私はしばらくダイニングでボーッとしていた。なんとはなしに壁を見ると壁紙がひび割れている。意識すればいくらでも地震の爪痕は残っているのだ。

 ダイニングのサイドボードには私たちの思い出が飾られていた。義隆との結婚式、逢夜の入学式、バンドメンバーとのツアー……。そんな写真。私はサイドボードの引き出しを開け、中から1冊のアルバムを取りだした。平成初期を思わせる古ぼけたアルバムだ。

 アルバムを捲るとそこには色あせた写真が並んでいた。私がまだ赤ん坊の頃の写真から幼稚園・小学校・中学校・高校。そんな写真が並ぶ。すっかり色あせてはいるけど、写真をみるたび、私の記憶は鮮明に蘇った。

 小学校の運動会で必死に走る私。中学校の合唱コンクールで変な顔で歌う私。ヒロと一緒に写る水着姿の私。こうやって見ると、昔の私はいつも笑っている。一緒に写るヒロが無表情なだけに余計そう思う。

 繁樹と肩を組んでいる写真もあった。おそらくこれはバンド結成時の写真だ。私と繁樹の両脇にはヒロと亨一の姿があった。亨一……。この当時は仲がよかった。そんなことを思い出す。写真に写る亨一のジャズベースは木目が綺麗に光っている。ヒロも珍しく笑顔で、彼女はドラムスティックを両手で掲げていた。

 こんな時期もあったのか……。私はたまらなく懐かしい気持ちになる。もし、あのまま何もなければきっと今も亨一は私たちと一緒にいたのだろう……。

 次のページを捲ると私は一瞬固まってしまった。忘れてはいけない。でも思い出したくない過去がそのページには挟まっていた。

 そのページには4枚の写真が収められていた。1枚は崩れ落ちた私の実家。2枚目は体育館で身を寄せ合う家族の写真。3枚目は小学校の校庭にいる繁樹とヒロの写真。

 そして4枚目は……。

 記憶が一気に戻る。高校時代、私はあの場所で全てを失ったのだ。壊れて、失って、天に唾を吐いたのだ。

 1995年1月。私はあの場所にいた。もうなくしてしまったあの場所に――。


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