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リバースアイデンティティー6

 地震から1週間ほどのち、旦那が帰ってきた。くたくたなスーツ。見慣れた旦那の姿だ。

「おかえりなさい。札幌も大変やったやろ?」

「大丈夫だよ。東京より被害少なかったと思う……。逢夜は?」

「あーあ、残念やったな。パパ帰るまで起きてるって頑張っとったんやけど、ちょっと前に寝たで」

 旦那は「そうか……」と力が抜けたように肩を落とした。子煩悩の塊なので仕方がない。

 寝床では逢夜が気持ちよさそうな寝息を立てていた。この間まで、赤ん坊だと思っていたのに気が付けばもう小学三年生になる。私が忙しなく働いているせいで、すっかり家事お手伝いが上手くなった。きっと将来はいいお嫁さんになるだろう。旦那にそんなこと言ったら、「まだ早いよ」と怒られるとは思うけど。

 旦那は寝入っている逢夜の頭を優しく撫でた。子猫を撫でるような優しい手つき。

「逢夜は愚図ったりしなかった? 地震怖がったりは?」

「しとらんね。少なくとも私に泣き言は言わんかったよ。ま、強がりやとは思うけどな」

「そう。逢子は大丈夫だったかい?」

 彼は逢夜にそっとキスをしてから私の方を向いた。さっきは気が付かなかったけど、旦那はすごくやつれた顔をしている。それはそうだろう。本来の出張予定よりも1週間も伸びたのだから疲れていない方がおかしい。

「私は大丈夫やで。てか義隆は? えらい疲れとるみたいやけど」

「え? そう? 平気だよ」

 とても平気そうには見えなかった。しかし、旦那は決して弱音を吐かないだろう。彼はそういう人間なのだ。残念なくらい優しくて頑張り屋……。そういうところに惹かれたわけだけど。

 逢夜の部屋をそっと出ると私たちはダイニングで北海道土産のワインを開けた。本州ではあまり見かけないハスカップのワイン。

「お土産なんて気ぃ使わんでもよかったのに……」

「大丈夫だよ。どっちにしても札幌じゃ、やることなくて暇だったしね。じゃあ、飲んじゃおうか?」

 乾杯。私たちは小さくグラスを鳴らした――。

 地震からテレビではずっと震災関連のニュースを流していた。企業も宣伝を自粛しているのか、民放テレビ局は延々と公共広告機構のCMを流している。小学校はしばらく休校していたけど、結局そのまま春休みを迎えてしまった。逢夜は一生懸命、自宅学習している。誰に似たのか、彼女は勉強好きなのだ。

「最近の小学生は英語なんてあるんやな」

「うん。ショーン先生に宿題もらったんだ」

 ショーン先生。たしかカナダ人のひげもじゃ先生だ。彼のひげはもみあげから顎にかけて綺麗に生えそろっていた。もう少し長くて、色が白ければサンタクロースに見えるかもしれない。逢夜も彼に懐いていた。

 逢夜の勉強する姿を見るのはひさしぶりだ。彼女はリズミカルにシャーペンを滑らせる。その音は旦那のそれに似ている。そう考えるとやはり逢夜は旦那似なのだろう。見た目だけは、完全に私の遺伝子を受け継いでいるけれど、中身は義隆だ。

「シゲちゃんとヒロちゃんは元気してるかなー?」

「そうやね……。そろそろ連絡してみたほうがええかもな」

「あーあ、わたしもシゲちゃんたちに会いたいな」

 繁樹とヒロ。彼らとは震災以来、連絡していない。事務所経由で聞いた情報だと2人とも相変わらずのようだ。繁樹は引きこもっているらしいし、ヒロはバイト三昧のようだ。

 徐々に日常に戻りつつある。私はそう思った。福島の原子力発電所が事故を起こして、東北ではたくさんの人たちが命を失ったけれど、都内はあっという間に復旧した。その復旧スピードには、ある種の気味悪さがあった。まるで都内の人間は特別で、地方の人間が卑しいと考えているようにさえ感じる。

 神戸のときもそうだった。東京から来たボランティアの大学生は、まるで私たちを助けることに優越感を感じているように見えた。全員がそうだったとは言わないけど、中には就職先へのアピールのために来ているであろう人間がちらほらいた。今はその気持ちも分かる部分もある。でも、当時の私はそんな人たちが心の底から大嫌いだった。

 昔のことを思い出すと手が震えた。今回の地震でさえ震えたりはしなかったのに。私はひさしぶりに繁樹とヒロに会いたくなった。彼らだけなのだ。私とあの地獄を一緒に経験したのは。

 2人に会おう。会って色々な話をしたい。繁樹は比較的近所だし、ヒロだって車を飛ばせばすぐ都内には来られるはずだ。

 やはり私はあのときのことを忘れきれないようだ。もうすっかり立ち直って忘れていた気がしたけれど、そんなことはなかった。たくさんの人を失い、私の中身がすっかり生まれ変わったあのことを――。

 翌日の夜。私は繁樹とヒロを呼び出した。東京の夜空には下弦の月がぽっかり浮かんでいた。

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