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リバースアイデンティティー5

 羽島繁樹と舞洲ヒロは私の友達兼同僚だ。私が結婚してからはあまり一緒に出かけたりはしないけど、それでも関係性はあまり変わっていない。2人とも私と苦楽を共にした仲間。私にとっては家族と同じくらい大切な存在なのだ。

 ただ、旦那としてはあまり繁樹と2人きりでは会ってほしくはないらしい。そんなヤキモチ焼きの旦那を可愛く思う反面、少し面倒でもあった。別に色恋沙汰で会うわけではない。あくまで仕事の打ち合わせで会うのだ。旦那も大人なのであまり小うるさいことは言わないけど、そのヤキモチは態度からうかがえた。

 まぁいいだろう。旦那だって人間だし、私だって人間だ。お互い完全ではないから結婚したわけだし、多少は嫉妬があった方が夫婦関係だってうまくいくはずだ――。

 繁樹は割とすぐ電話に出た。彼は独身貴族で、休みの日はだいたい自宅にいる。

「もしもし? 繁樹? そっちは大丈夫か?」

『お疲れ。こっちは問題ないで。昨日、電車止まって家まで歩かされた以外は無事や。逢子は大丈夫か? 逢夜ちゃんも』

「そうか。そらよかった! ウチらは無事やで! 逢夜も元気しとる。そういえば繁樹は実家連絡したか?」

 私の質問に繁樹は『はっ! しまった』と声を上げた。どうやら連絡していないらしい。

「はよ連絡したったほうがええで? 繁樹のお母ちゃん心配するやろ?」

『せやな……。この電話終わったら連絡しとくわ』

 繁樹の両親のことは私もよく知っている。きっと彼らは繁樹のことを酷く心配しているはずだ。

「そうして! ああ、ついでに私も無事だって伝えたってな」

『ああ、そうする。なぁ、ヒロから連絡あったか?』

「いや……。今んとこないな。まぁ、あの子んちは湘南の高台やからたぶん大丈夫やと思うけど……」

 ヒロ……。大丈夫だろうか? 私と繁樹は無言で同じ考えを共有した。

『まぁ、ヒロはそういう奴やからな。したら逢子も気ぃつけるんやで』

「うん。ありがとう。繁樹もな」

 そこまで話すと私たちは電話を切った。とりあえず繁樹が無事でよかった。楽譜が汚れて読めなくなったことはあとで謝ろう。

 次に私はヒロに電話を掛けた。しかし、彼女はなかなか電話に出なかった。彼女はずぼらなので手元にケイタイを置いていないのかもしれない。20コールほど呼び出しただろうか。やっと電話口からヒロの声が聞こえた。

「もしもし!? ヒロ大丈夫か?」

『ああ、大丈夫やで。今、バイト先の片付け手伝っててん。逢子は?』

 ヒロはのんきそうに言うと、「ふぅー」とため息を吐いた。

「こっちは大丈夫や。今は娘の学校に避難しとるけど、落ち着いたら家戻る」

『そうか。なんやえらくでかい地震やったな。江ノ島あたりは津波にやられたみたいや。まぁ、東北ほどやないのは幸いやけどな……』

 ヒロはまるで他人事のように話した。別に悪意があるわけではない。昔からヒロはこうなのだ。

「とにかく無事でよかったで……。忙しいところ邪魔したな! したら余震もあるから気ぃつけてな!」

『ああ、お互いに』

 ヒロの声はどことなく安心したように聞こえた。おそらく、彼女も私のことを心配していたのだと思う。ヒロは自分の感情をあまり言葉にしないけど、声のトーンや表情でそれは分かる。

 私は最後に電話帳を見返した。とりあえずはこれだけ連絡すれば問題ないと思う。

 さて、どうしたものか。私はこれからのことを考えた。いつまでも体育館にいても仕方ないし、そろそろ動いた方がいいだろう。私のそんな様子を見てか、逢夜が私の袖を引っ張った。

「ママ、おうち帰らないの?」

「そうやね。もう落ち着き始めたし、1回戻ってもええかもね」

「うん! あのね。美玲ちゃんもおうち帰るってさ! あたしもおうち帰っておかたづけしたいよ」

 おかたづけ。そうだ。急いで出てきたので忘れていた。テーブルの上のMac Bookは無事だろうか? あれが壊れたら大変なことになる。

「したら逢夜? おうち帰ろう。危ないから防災頭巾被ってな」

 私は逢夜に防災頭巾を被せた。頭巾は目立つ赤い色で、被った逢夜はまるで赤ずきんちゃんのように見えた。これまた不謹慎だけどすごく可愛い。食べてしまいたい。狼の気持ちも分かる。まぁ、腹を割かれて石を詰められたくないので、食べたりはしないけど。

 それから私は逢夜の手を引いて自宅へと向かった。逢夜の手は汗ばんでいる。たぶん、緊張しているのだ。通学路は私が来たときよりもずいぶんとひび割れていた。電柱は根元から傾き、アスファルトがところどころ隆起している。

「あぶないね。じいちゃんたち大丈夫かな?」

「神戸のじいちゃんは無事やから大丈夫やで。小山のじいちゃんも無事らしいし、ほんまよかったわ」

 旦那の実家も今回の地震でそれなりの被害を受けたらしい。もっとも、これは旦那から聞いた話だけど。義父母は今、住んでいる小山市内の避難所に身を寄せているとか。

「うん! 小山のじいちゃんばあちゃんにもあとで連絡してあげようね!」

「せやね。きっと2人とも喜ぶと思う」

 喜ぶに違いない。義父母は逢夜を溺愛している。まぁ、彼らにとって逢夜は待望の初孫だから当然なのだけど。それでも逢夜をここまで可愛がってもらえて、私としてはとても嬉しかった。世間では嫁姑問題とかあるみたいだけど、幸い、私たちは仲良くやれていると思う。

 通学路の住宅街は少しずつ復旧し始めていた。付け焼き刃的に割れた窓硝子に段ボールが貼られ、崩れたブロック塀も1カ所にまとめられてる。その様子は崩れてしまった日常を養生テープで補強しているように見えた。とりあえず日常に戻ろうとしている。そんな風に。

 日常と非日常の境目のような通学路を歩いていると、少しだけ心細くなった。逢夜のてまえ、そんなことは口に出さなかったけど、どうしても神戸で受けたあの地震を思い出してしまう。地面が裂け、建物は崩れ落ち、鉄筋コンクリート製の高速道路さえなぎ倒されたあの惨劇を。あの場所では人の命がとても軽くなったように見えた。昔誰かが、「人命は地球より重い」などと言っていたけど、そんなの嘘だと思った。もし、本当に「人命が地球より重い」のなら、なぜあれほど多くの人が死ななければいけなかったのだろう?

 分かってはいるのだ。別に誰が悪いわけでもない。でも、当時の私はそう思わずにはいられなかった――。

 自宅のマンションに辿りつくと逢夜はニッコリ笑った。

「ママ、ただいま」

 ああ、そうだ。今なら分かる。命を捨ててでも助けたい誰かがいることが。私はそんな思いを飲み込んで娘に答えた。

「おかえり、逢夜」

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