8話 譲れないもの
食事処アンからすぐ近くにある宿の一室の扉を開けると、開けっ放しになっていた窓から吹き込む風が体を包み込んだ。
わたしは窓を閉じカーテンを閉めてから彼女とベッドに横並びになって腰を掛ける。
「じゃあ、教えて。今ジスはどこにいるの?怪我はしてない?事情ってなんなの?」
わたしは食い気味で彼女に尋ねる。
「大丈夫、一つずつちゃんと説明するから安心して。とりあえず自己紹介からね。私の名前はアリサ・オノノキ、アリサでいいわ」
彼女はアリサさんというのか。
「ごめんなさい、わたしもまだ少し興奮していたみたい。よろしくね、アリサさん」
速まる脈を落ち着かせるため、ゆっくり深呼吸をする。
「それほどあなたにとって大切な人なのね、仕方ないわ。あなたはアオちゃんっていうのね。素敵な名前ね」
ヤンさんがわたしを名前で呼んでいたのをアリサさんは覚えていたのだろう。
「この名前はジスがくれたの。だから、とっても大切な名前なんだ」
名前を褒められることは素直に嬉しい。
ジスのことをより近くに感じられるから。
「じゃあ、まずはジスさんについて話そうかしら。さっきも言った通りジスさんは無事だわ。ただ、酷い怪我をしていて動ける状態じゃないの。今はハーヴェストの古城の地下牢に囚われているわ」
ジス、わたしのせいで…。
でも、生きていてくれて本当によかった。
生きてさえいればきっとなんとかなる。
ちょっと前のわたしがそうだったように。
「ジスのことはわかった。でも、なぜアリサさんがそんなことを知っているの?さっきはジスのことを一方的に知っているだけだって言っていたけれど、アリサさんは何者なの?」
もしアリサさんがわたしを狙っている奴らの仲間だったとしたら、とっくの昔にわたしは捕まっているだろう。
でもそうなると、アリサさんは一体何者なんだろうか。
「当然の疑問ね。とりあえずこれだけは信じてほしいわ、私はアオちゃんの味方よ」
「でも、わたしもアリサさんのことさっきまで知らなかったよ?敵ではないと思うけど、味方ってのもへんじゃない?」
「確かにその通りね。それについては、今から話すことにも関係があるわ」
アリサさんはそう言うと、憂うような目でわたしを見つめる。
「アオちゃんはこの世界についてどれくらいのことを知ってる?」
アリサさんはわたしに問いかけるように話し始めた。
「既に知っているかもしれないけれど、この時代を生きる人間には先天的に両手足が生えていないわ。みな義手義足に頼っていかなければ生きてはいけないの。けれど、稀に両手足が先天的に生えている子どもが生まれることがあるの。それがアオちゃん、あなたよ」
それはジスから以前聞いた話だ、もうそこまで驚きはしない。
わたしはアリサさんの話の続きを待つ。
「そんな子どもは確かに珍しいけれど、そこまでまったくいないかと問われたらそうでもないわ。でもねアオちゃん。あなたはその中でも、特に稀有な存在なの。それがあなたが狙われている理由。もっとも、あなたを以前奴隷として扱っていた貴族はそんなことつゆほども知らなかったでしょうけども」
わたしが、特別な存在……。
それが、ジスが不遇な目にあってしまった理由でもある。
自分が特別だと言われた優越感などは一切ないが、自分の身体を憎む気持ちなら止まることを知らない。
アリサさんがわたしのことを元奴隷だと知っていたことに対しては、今更動揺もしない。
「……アオちゃんは本当に強い子ね。きっとそのおかげで今まで生き延びてこれたのでしょう」
「アリサさん、教えて。わたしは他の人と比べて何が特別だというの?」
わたしには、おそらく、心当たりがある。
でも信じたくない、認めたくもない。
助けを乞うようにアリサさんに詰め寄る。
「前提として、アオちゃんのような子には魔法が使える素質が備わっているものなの。魔法っていうのは簡単に言えば、空気中に漂う魔素を媒介に引き起こす超常現象のようなもの。魔法には意識的に発動できるものと、無意識的に発動してしまうものが存在するわ。アオちゃんの場合は後者ね」
無意識的に発動してしまう魔法……。
確かに以前にもジスにわたしの力が魔法に関係するんじゃないかって言われたことがあったな。
「無意識的に発動してしまう魔法はね、本当に珍しいの。魔法を扱える人の中でも千人に一人いるかいないかで、元々魔法が扱える絶対数が少ないから必然的にそうなってしまうわ」
アリサさんはベッドから降り、水入れからコップに水を注ぎわたしに差し出す。
お礼を言ってわたしはコップに口をつけ水を飲む。
話に集中しすぎて喉が渇いていたことにも気付かなかったみたいだ。
「話を続けるわね。両手足がある人にだけ魔法が使えるのは、もちろん他人にはないものをもっているおかげ。だから、腕などを一本切り落とすたびに魔法がだんだん安定して使えなくなってくるの」
わたしは魔法が使えなくなるという事実に喜びの色を隠せなかった。
だって、この力をなくすことができるかもしれないからだ。
だが、そんなわたしの浮かれた気持ちはすぐに儚く散った。
「そして、ここが一番大事なところ。あなたの内なる魔法の能力それは、超再生。どんな怪我だろうがたちどころに治ってしまうの。この能力の恐ろしいところはね、異常なまでの再生能力、手足だろうが内臓だろうが、ましてやそれが頭だったとしても治ってしまうのよ」
頭が一瞬で真っ白になる。
でも、だとしたらそれは、わたしには余りに残酷過ぎる。
「……そうよ、アオちゃんが今思っている通り。超再生という能力はいわば、魔法が使えなくなることはないということ。自分の魔法を疎むアオちゃんからしてみれば、それはほとんど呪いに近いわね」
わたしの表情の変化からある程度わたしのこの力に対する思いがわかったのだろう。
アリサさんの言う通りだ。
この力のせいでわたしはいつも後ろ指をさされ、化け物扱いされてきた。
生涯に死ぬほどの大怪我を負うこともなかったし、憎むことはあれど感謝することなど到底なかった。
「でもねアオちゃん。内なる魔法というのはアオちゃんに限らず誰しもが日常生活を困難にさせるものがほとんどなのよ。アオちゃん一人だけじゃないわ」
アリサさんはそう言ってくれるが、それは気休めにもならなかった。
顔も知らないどこかの誰かの心配をできるほどわたしに余裕なんてない。
「実はね、アオちゃんの超再生を利用しようとする悪い組織がいるの。聖星辰教というのだけれど。アオちゃんはその教団の一人と出会っているはずよ」
確かに、ジスと戦っていたハダルとかいう男がそんなことを言っていた。
「奴らの目的は、魔法の力で世界を支配すること。そのために奴らは手足がない人でも魔法が使えるように研究をしているのだけれど、そのためにはアオちゃんの力が必要不可欠なの。そして奴らの目的を阻むためにわたしは動いているわ。奴らが行動にでればまた戦争が起こる、それは阻止しなければならないわ」
わたしが何から何のために狙われているのかがわかったお陰で、胸の中の異物が一つ取り除かれた気がした。
アリサさんには感謝だ。
だが、まだ胸の中には一番大きな異物が残っている。
これを取り除かない限り、わたしが安心して眠れる日はこないだろう。
「だからねアオちゃん、あなたの身柄はわたしが預かろうと思うの。一緒に安全な場所へ行きましょ?ジスさんならきっと大丈夫、わたしの仲間が助けに行っているはずだわ」
突然のアリサさんの提案に、わたしは戸惑いを隠せない。
アリサさんには恩があるが、それとこれとは話が別だ。
「ごめんなさい。アリサさんの提案は嬉しいのだけど、わたしがジスの元に行かなくちゃ意味がないの。色々教えてくれてありがとう」
わたしはベッドを降り、扉の方に向かう。
するとアリサさんはわたしの腕を掴み、少し興奮気味に言う。
「アオちゃん待って、まさかジスさんを助けに行くつもり?無茶だわ。それにハーヴェストは聖星辰教の巣窟よ。あなた一人で何ができるというの?」
アリサさんの言うことはもっともだ。
だけど、わたしにも譲れないものがある。
どんなものにも代えられない、大切な人が。
「できるできないかじゃないの。わたしにはジスがいないと駄目なの。ジスがいないとわたし、生きている意味がない」
わたしはジッとアリサさんの目を見つめる。
アリサさんの表情が曇り、思案顔だ。
「………わかったわ。ただし、私も行くわ。アオちゃんをそんな危ないところに一人で行かせられないもの」
しばらくの静寂の後、アリサさんの口からは願ってもない言葉であった。
「アリサさん……!ありがとう!」
かくして、ジス奪還に向けて進み始めたのである。