6話 別れ
わたしは今、まだ日の昇らぬうちに門からのびる長蛇の列の中にいた。
開門が不定期で、しかもその詳しい時間も関係者しか知らないとジスは言っていたのに、この人だかりである。
周囲の人々の話を聞いていると、どうやらその情報はハーヴェスト壁内では常に筒抜けであったらしい。
昨日のジスの自信満々の顔が目に浮かび、思わずクスッと笑ってしまう。
「どうした、アオ?」
「ううん、なんでもない」
ジスは、そうかと言って目線を元に戻す。
わたしたちは列の真ん中あたりだろうか、時間には余裕をもって来たつもりであったが、考えることはみな同じみたいだ。
砂漠の夜は冷える。
なので、待機している人たちは各々持参したであろう毛布やら上着を身にまとっている。
わたしはジスに買ってもらったもこもこの上着で何とかしのげている。
ジスもいつも以上に着込んでいる。
その何とも言えないいつもとのギャップに少しだけ顔が綻んだのは内緒だ。
わたしは、不思議と緊張はしていなかった。
だってジスが一緒だし、これまでだって最初に追われて以降追手と遭遇していないのだ。
楽観的すぎるだろうか、いや、悲観的過ぎるよりはいいかもしれない。
ただし、不安はある。
この町から出た後の話だ。
ジスはわたしと何処まで行動を共にしてくれるだろうか。
次の町まで?それともまた次の町まで?いや、この町を出るときまでかもしれない。
ジスならばどこまでもと言ってくれるかもしれないが、別れなければいけないやむを得ない理由もでてくるかもしれない。
そういう意味で、わたしは何とも言えない面持ちをしていたのだろう。
ジスはそういったことには聡かったらしい。
「アオ、大丈夫だ、俺がついてる」
ジスはわたしを励まそうとしてくれている。
ならばわたしもそれに答えねばなるまい。
「開門っっっっっーーーーー!!!!!」
まだ夜も更けぬ空に怒号が染み渡る。
列はようやく牛歩のごとく進み始めた。
それから幾分か経ちわたしたちの番が近づいてくる。
心臓は少しづつ高鳴りをはじめ、忘れかけていた緊張感ともいえる圧が身を強張らせる。
歩幅は徐々に小さくなり、手が震え、頭が真っ白になる。
ジスが静かにわたしの手を握った。
一瞬びっくりしたがその手がジスだということに気付き、震える手でゆっくりと握り返した。
義手だとわっかているのに、ジスの温もりがわたしに伝わってくる。
大丈夫、わたしは一人じゃない。
手の震えは、鳴りを潜めていった。
目の前に並んでいた人が手続きを終えて日も昇らぬ砂漠に消えていく。
いよいよわたしたちの番だ。
「よし次!名前と街を出る理由を述べ、身分証明書を提示しろ!」
「俺はジス・グラール、こっちのが妹のアオ・グラール。兄妹で世界を旅して周っている。次はエルギンに行く予定だ。ほら、証明書」
いつのまにそんなものを用意していたのか。
わたしの知らないところでジスは色々手を回していたんだ。
……少しぐらい話してくれてもいいのに。
「性もちが旅なんて良いご身分だな、こんなご時世によ。エルギンなんて田舎町には何もないと思うがな。……証明書は本物みたいだな。よし、通っていいぞ」
わたしたちは再び歩み始める。
ジスはわたしの手を少しだけ強く握った。
わたしは、いや、わたしたちはやってのけたのだ。
今後追手が来ないと決まったわけではないが、一番の難所を潜り抜けたのだ。
達成感と幸福感で胸がいっぱいいっぱいになり、思わず泣きそうになる。
だが必死にそれをせき止める。
まだ泣くべきところではない、わたしは自分のこれからのことを考えなければいけない。
ジスとずっといられるわけではないのだから。
わたしが思考を巡らしている、その時だった。
「おい、まて」
先ほどジスと話していた兵隊の人だ。
思わず声が出そうになるのを押しとどめる。
「なんだ、まだなにかあるのか?」
ジスが冷静に応対する。
「用ってほどでもないんだが……、そっちの兄ちゃんは通ってもいいんだがよ~、こっちのおチビちゃんはやっぱだめだ~」
その瞬間、ジスは目にも止まらぬ速度でわたしを脇で担ぎ、砂漠の地平腺へと駆け出した。
「逃がすかよ~」
その男もそれに続く。
わたしには何がなんだかわからなかった。
ただ一つ自信を持って言えるのは、ジスがわたしを守るために行動してくれているということだ。
聞きたいことは山ほどあるが、今わたしにできることはジスに従っておとなしくすることだけだ。
ざざざっーーーーー
突然、わたしたちの目の前に大きな砂の壁が出現した。
ジスは急ブレーキをかけるが、勢い余って砂の壁にぶつかりわたしをかばうようにして地に転がる。
「ジス、ジス!大丈夫!?」
ジスは頭から血を流していた。
「……俺なら大丈夫だ。それよりも、アオは平気か?」
「わたしなら大丈夫だよ。ジスがわたしを守ってくれたから」
「そうか…、それなら、よかった」
そう言ってジスはわたしの頭をなでる。
「全然よくないよ!だってジスが、ジスが……」
「ったく、やっと追いついたぜ~、逃げ足の速いやつだな~」
すると、わたしたちに追い付いてきたあの男が頭を掻きながら近づいてきた。
ジスは咄嗟に立ち、わたしの前に出て戦う姿勢をつくる。
「お前は一体何者だ。どうしてアオを狙う。アオを買った貴族にでも雇われたか?」
肩で息をしながらジスは声を張る。
「…なんだ兄ちゃん、そんなすぐに逃げるもんだから知ってると思ったが、なにも知らずにそのおチビちゃんをかばっていたのか~?」
「一体なんの話だ?」
「たっはっはっはっはっ!いいね~、いいね~。こいつは傑作だ~。いいぜ~、俺はおしゃべりは好きなほうだからな~、そんな兄ちゃんに敬意を表して2つまでなら話してやるよ~」
その男は上機嫌そうに高笑いを上げながら兵隊の装いを脱いでいき、どこからか黒い外套を取り出し身にまとった。
その胸元には星型のブローチが光り輝いている。
「…ならまずは一つ目、お前は一体何者だ」
「そうか、まだ名も名乗ってなかったな~。これは失礼~。俺の名はハダル、聖星辰教第十一階位、人呼んで『砂塵のハダル』たぁ俺のことよ~」
「聖星辰教だと…?そんな怪しいオカルト集団が一体アオに何のようだ」
「そのおチビちゃんが旧人類ってのはぁ兄ちゃんも気付いてんだろう~?俺にはあまり興味がないんだがよ~、俺たちの教祖様のためにおチビちゃんが必要なわけだよ~」
「お前たちはアオをどうするつもりなんだ!」
ジスが珍しく声を荒げる。
「残念~、タイムオーバーだ~」
その刹那、ハダルと名乗る男は一瞬でジスに詰め寄りそして、ジスを彼方へと吹っ飛ばした。
「ジスっ!!」
ジスの元に向かおうとするわたしの腕をハダルが掴む。
「おチビちゃんは俺と一緒に来てもらおうか~」
「嫌だっ!離して!!」
ハダルの力は凄まじく、わたしの力では一向に振り払えなかった。
「さてと~、目標は達成したし、これでリゲルのおっさんの小言を聞かずに済むぜ~」
わたしはそれでも必死に抵抗した。
ハダルの腕に噛み付く。
「いって~!!……いい加減におとなしくしてくれ~、よっ!」
ハダルの拳が鳩尾にきまる。
「うげぇっ!ごほっごほっ……」
わたしはあまりの痛みにその場でうずくまる。
「ったく~、これだからガキは嫌いなんだよ~。ほら~立てよ~、さっさと行くぞ~」
……やめて、わたしを連れて行かないで。
ここでまた奴隷に戻ってしまったら、わたしに生きる価値はない。
わたしは知ってしまったのだ。
優しさを、温もりを、喜びを。
わたしに生きる楽しさを教えてくれたのは他の誰でもない、ジスだ。
いつだってジスはわたしに優しかった。
短い間だったけど、ジスに出会えて、本当に良かった。
ジスのおかげで、わたし、こんなに笑えるようになったんだ。
ジス…、ジス…、ジス……。
「ジス!助けて!!!」
「―――任せろ」
「なっ」
ジスのパンチがハダルの顔面を捉え、ハダルは宙に舞った。
辺りに砂埃が立ち込める。
「ジスっ!!」
「すまないアオ、怖い思いさせちまった」
「全然そんなことない!それよりもジスは平気なの?」
「俺なら大丈夫だ。それよりもアオ、これから俺の言ううことを落ち着いて聞いてくれ」
そう言いながらも、ジスの身体はもうボロボロだった。
わたしのせいでこうなったかと思うと、か心が痛んだ。
「ジス、何?」
「あまり時間がない、よく聞いてくれ。ここから北の方角へ少し進んだところにエルギンという町がある。そこまで逃げるんだ。そこまでいけば何とかなる。ほら、急げ」
そう言ってわたしの背を押すジスの言葉に違和感を感じる。
「わかった。でも、ジスも一緒に行くんだよね?ね?」
ジスは一瞬だけ逡巡したような顔を見せた気がした、が。
「……俺は一緒には行けない。ここであいつを食い止めなくちゃいけないからだ。俺なら大丈夫だ、すぐに追いつく」
「そんなの嫌だよ!ジスも一緒じゃないと、意味がないもの!」
「アオ、わかってくれ。この状況じゃそうするしか道がないんだ。頼む、俺を信じてくれ」
ジスは真剣な顔でわたしを見つめる。
今は、わたしの信じた人を、信じよう。
「約束だよ、ジス。絶対すぐに追いついてくるって約束して。」
「ああ、俺は必ずアオの元に戻る。約束だ。」
その時、砂埃の中からゆらゆらと人影が出てきた。
「おいおいおいおいおいおい~、な~にしてくれちゃってんの~。俺のイケメンフェイスが台無しだよ~」
「アオっ!行け!」
わたしはジスの合図とともに走った。
身に残るすべての力を振り絞って。
決して振り向いてはいけない、なぜなら、立ち止まってしまうから。
「おチビちゃんを逃がすわけないだろうがよ~」
「お前の相手は、俺だ」
ジスとハダルが取っ組み合う形になる。
「兄ちゃん~、あんたただの旅人じゃないな~。ん~~、面白くなってきたね~!」
「俺はこれっぽちも面白くないけど、なっ!」
ジスの声がだんだんと小さくなる。
涙はとうの昔に枯れた。
身体が重い。
それでもわたしは走り続ける。
だって、ジスは戻るって約束してくれたから。
いつのまにか顔を出していた朝日に照らされ、わたしは振り返ることをせず砂漠を北へと駆けていった。