4話 過去
物心がついた頃には既にわたしは奴隷だった。
父は行方知らず、母は当時2歳のわたしを売り飛ばしてから蒸発したらしい。
幼少期は売られた屋敷の地下に監禁され、他の奴隷の子達と一緒に最低限の教育を受けて過ごした。
教育といってもそんな優遇されたものではなく、暴言、暴力、できなかったら三食抜きなんてのはしょっちゅうあった。
言葉はその時覚えた。
初めて外に出たのは5歳の時、と言っても屋敷の敷地内にある庭園だったがわたしにとっては衝撃的な体験だった。
その日は同じ敷地の内にある別の建物に連れていかれた。
その建物の門は他のどの門よりも大きく立派で荘厳な空気を漂わせていた。
今思えばあそこは地獄の門だったのかもしれない。
奴隷として一括りにされたわたしたちは同じ部屋で数年も過ごしたのでお互い仲がよかった。
どんな時も互いに励まし合い、厳しい教育にも耐えてきた。
だから次も大丈夫、なんて甘いことを考えていた。
そこから本格的に始まった奴隷としての生活は、まだ幼いわたしたちを壊し始める。
ある時、1人の女の子が死んだ。
理由はご主人様の行き過ぎた暴力、単なるストレス発散のためだったそうだ。
わたしたちはここで初めて自覚する。
奴隷とはなんなのかということを、その本質を。
わたしたちの命なんか、いつも誰かの手に握られているということを。
頭ではわかっていた、わかっているつもりだった。
だけどその物事を初めて目の当たりにした時、わたしたちの絆と心は音を立てて崩れて行った。
それからは今もあまり覚えていない。
生き残るためご主人様に気に入られることだけを考えて他者を蹴落す子、真っ暗な未来に絶望し自ら命を絶つ子、そんな子ばかりであった。
ただただご主人様の機嫌を損ねないように媚びへつらう毎日は本当に苦痛だった。
「―――で、わたしは色々な屋敷を転々として先日この街にいる新しいご主人様のとこに売られる予定だったの」
わたしは正直怖かった。
今では以前を思い出すのも嫌だし、口に出すのも恐ろしい程に。
それに助けるとは言ってくれたものの、こんな危ない橋を渡るのは嫌だと言われたらそこまでだから。
それにまだ伝えていないことがある。
わたしのあの力についてのことを。
ここまで話したところでジスの目を見た。
ジスはベッドに腰を掛け、両手の指を絡め合うよな形で組みその上に顎を乗せた状態でわたしの話を聞いていた。
ジスが口を開きかけ、わたしは身構える。
「なるほどな」
口から心臓が飛び出そうだ。
「じゃあ昼間の爆発音はアオが絡んでいたんだな」
わたしは頷く。
「さて、事情はわかった。要はさっさとこの街から出ていかねーとってことだな?」
「……そうなるね」
「…………なぁアオ、何にそんな怯えている?」
わたしはビックリしてジスとの目線をそらす。
するとジスは大きなため息をついた。
「アオ、まさか俺が口だけの男だと思っていないか?」
心が見透かされているようだ。
「だとしたら俺も信用されていないもんだな。よく聞けアオ」
ジスはわたしの腕を掴んで顔を寄せる。
「俺はアオが何者で過去が何だったとしても、助けると言った以上は全力でアオを助ける。男に二言はねぇ」
わたしは案外幸せ者なのかもしれない。
だって、こんな素敵な人と出逢えたのだから。
ジスはわたしが落ち着いた様子になったのを見ると微笑んだ。
「………そういやアオの傷が治っちまったのは、やっぱり『旧人類』なのが関係してんのか?」
ジスには傷が治っているところを見られているからわたしの力については知っている。
どんな風に話したら……。
………ん?
今聞き慣れない言葉が。
「ジス、『ふるらいふ』…ってなに?」
するとジスはなにやら険しい顔になった。
何かまずいことを聞いてしまったのだろうか。
「まさか………、知らないのか?」
そう言っておもむろに上の服を脱ぎ始めた。
「ちょっ、ジス!急にどうしたの!?」
わたしはあわてて手で目を覆い隠す。
ジスは脱いだ服を床に脱ぎ捨て、左手を右手の二の腕の上あたりにのばした。
そして皮をつまんだかと思った瞬間、その手を勢いよく下げる。
わたしは、驚愕した。
人肌を剥いだそこには、鈍色の光沢を放つ鋼の義手がその面を露出していた。
精密かつ緻密に作られたと思しきその義手は本物と遜色ない動きを再現し、あたかももとからそこに生えていたような気品さえも感じる。
わたしは驚きのあまり声が出ず、ただただ露わになったその義手を凝視する他なかった。
「やっぱり知らなかったのか……。すると、天災のことも知らない様子だな」
「天……災……?」
ジスは大きく頷く。
「そうだ。まぁ簡単に言うとだな、少し前から人類は両手両足が生えていない子供しか生まれなくなったんだ。そこで当時の技術者はこれを創り出した」
ジスはそう言って鋼の右手を突き出した。
「『鈍色の代替』と呼ばれる科学から生み出されたものだ。神経に直接繋いで本来の四肢の動きを細かく再現できる。普段は特殊な合成皮膚を被せているからわからないが、両手両足ともこんなもんだ」
……わたしの知らない世界が、あまりにも広すぎる。
だけど、知らなければいけない。
わたしが生きる世界を、わたしが生きるために。
「……それ、触ってもいい?」
無意識の内に呟いていた。
「あぁ」
わたしはジスの腕に手を伸ばした。
金属で出来たその義手は無数のかすり傷がついており、とても使い込まれている様子だった。
改めてよく見ると本当によく出来ている。
『科学』ってやつはすごいんだな……。
ヒヤッ
思わず手を引いてしまった。
触れた瞬間に全身を鳥肌が包み込こみ、背筋がピンとなる。
気味の悪さとかそういうんじゃなくって、なんだろう、未知なる物に出会った時のワクワクした感じ……?なのかな?
もう一度触ってみる。
それは脈打つわけでもなく体温があるわけでもないが、確かに生き物の一部という感じだった。
不思議な感覚。
初めての体験に夢中になっているわたしにジスが声をかける。
「………そろそろ、いいか?」
「……はっ、ご、ごめんなさい……。つい夢中になっちゃって………」
ついつい触りすぎてしまった。
このままではジスが風邪をひいてしまう。
ジスが服を着ている間わたしは自分の腕をまじまじと観察した。
血が通い、肉がつき、骨もある。
これが普通のことだと思っていたらどうやら違ったらしい。
わたしみたいな人はもう誰もいないのかな……。
服を着終わったジスはわたしの方に体を向き直した。
「話を戻すが、さっき言った旧人類ってのはもう何百年も前の、まだ四肢があった時代の人類の呼称だ。だが今でもごく稀に、そういった子どもが生まれてくるらしい。」
わたしは、ホッと胸を撫で下ろした。
よかった、わたしみたいな子は他にもいるんだ。
それが知れただけでも嬉しい。
…………でも、じゃあわたしのあの力は一体なんなのだろう?
「ジス、わたしの力と旧人類ってどんな関係があるの?」
ジスの表情に少し陰りが入る。
「そう、問題はそこなんだ。今の世界に自分の傷を治すやつなんていないし、そんな機械もない。俺も詳しくは知らないから勝手な想像になるんだが、……おそらく『魔法』だ」
「『魔法』………?」
「そう、『魔法』だ。旧人類時代に繁栄していたものらしいが今では姿かたちもないな」
今はもうない魔法か………、確かにそれなら他の人がわたしの力について知らなくても納得がいく。
「まぁ纏めるとだな、旧人類時代の遺物である『魔法』をアオが扱えても可笑しくないってことだ」
……この呪われた力の一端が見えた気がして少し安堵するわたしがいた。
何事にもそうなるにいたった理由がある。
少しだけ、気持ちが楽になった。
「なんにせよ、早くこの街から出ないとだな」
そうだ、わたしは追われる身だったんだ。
今日があまりにも平和すぎて忘れかけていた。
ジスにまだわたしの話をしていなかったから仕方のないことかもしれないけれど。
この問題を解決しないとわたしに真の自由など訪れるはずもない。
……それにしてもどうして追っ手の人達は今日はなにもしてこなかったんだろう?
絶好のチャンスだったろうに……、単に見つけられなかったからなのかな?
まさかわたしを捕まえるのを諦めたとか?
……さすがにそれはないか。
「よし、じゃあ次にどうやってこの街を出るかだが………」
わたしたちはその日、夜が更けるまで話し込んだのであった。