2話 青年と少女
乾いた朝日がカーテンの隙間から顔を出し、凍てつく闇の支配する部屋の中を安穏とした光が温め始めた。
陽の光で照らされた部屋には、6畳程のワンルームには大きなベッドが1つ。
そのベッドの上には青年と少女が、夢の世界へと沈んでいた。
片や大の字で寝そべりながら、片や体を小さく丸めて何かから身を守るように。
次第に高度を上げる太陽が、少女の瞼を持ち上げる。
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「わたしはアナタの代わりに死ぬの。アナタのせいで………。絶対に許さないっ………、この化け物っっ!!!」
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陽の光で目を覚ます。
昔の夢を見た。
絶対に忘れない、いや、忘れられない過去。
それは鎖となってわたしに絡みついて離さない。
最近は見なくなっていたのに………、嫌な汗をかいた。
……………ここはどこなんだろう?
ふと周りを見渡すと、ここはどうやらどこかの一室らしい。
外からの光で部屋の全貌は明らかになっていた。
そこで、ふとした違和感を覚える。
なにも、ない。
いや、正確にはわたしのいるベッド以外にはなにも、だ。 …………ん?ベッド?
いやいや、そんなハズはない。
そんな急に1つ願いが叶うなんて。
その時わたしは一番重要なことに気がついた。
わたしの、隣で、眠る、男の人。
身長が190cmはあるだろうその大きな体に、まだあどけなさが残る寝顔。
「ふわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
わたしが思わず変な声で叫ぶとその男の人は重そうな瞼をこすりながら上体を起こした。
「……ん、おはよう…………」
「お、おはよぅ……ございます………」
突然放たれたおはようの挨拶に口が勝手に返事をした。
わたしは口をポカンと開け呆然としている。
脳の咀嚼が追いつかない。
この人は一体……?
脳が必死に処理している最中、その男の人はわたしを不思議そうな目で見つめていた。
と思った瞬間、その大きな手はわたしの腕を掴んだ。
その大きな手は、乱雑に巻かれた包帯を丁寧に解いていく。
その時気がついたのだが、わたしの体のあちこちは包帯でぐるぐる巻きにされていた。
この男の人がやってくれたのだろうか………?
…………追っ手の人たちではないようだな、とりあえず、一安心。
男の人がわたしに巻かれた布を解きる、すると先程まで不思議そうな表情をしていたその人は、驚嘆に満ちた表情に変わった。
わたしはやってしまったと思った。
気づくのが遅すぎた。
「嘘だろ…………、おい………………」
わたしの身体中にあった擦り傷やアザ、火傷などが全てきれいさっぱりなくなっていた。
……………やってしまった、またこれだ。
わたしには、これがある。
この呪いがある限りわたしはどこにも居場所はない。
ある人は化け物と忌み嫌うだろう。
ある人は怪物だと罵るだろう。
手に入れたものもあるが、失ったもののほうが圧倒的に多い。
この呪いがある限りわたしは…………。
すると彼はうってかわって安堵仕切ったような顔になり、言った。
「まぁ、無事ならそれでいい」 と。
わたしには理解できなかった。
昨日今日出会ったような赤の他人を、ましてや追っ手つきの奴隷を助けてくれる人がいるなんて。
それに傷がすぐ治っちゃうような化け物だよ?
初めて向けられるその感情に、わたしの頭はいよいよ真っ白になった。
と同時に自然と涙がボロボロと溢れ出した。
自分でも意図しない涙は、不思議と温かかった。
昔はよく殴られては泣いていた。
どれだけやめてと叫んでも、懇願しても、ムダだった。
いつしか、涙が出なくなった。
泣いたところで助けが来るわけでもなく、暴力が止むことも無い。
わたしはいつしか、心も体も奴隷となっていた。
わたしの体は、ご主人様のもの。
わたしの心は、ご主人様のもの。
わたしの全ては、ご主人様のもの。
それは当たり前、これがわたしの運命。
そう、以前までは。
「まだどこか痛むか!?」
いきなり泣き出したわたしに少し狼狽えながらも心配の声をかけてくれる。
きっと、いや、絶対にこの人は心の優しい人だ。
わたしなんかと関わったらこれから不幸な目に遭うだろう。
そんなことは許されない。
わたしがさせない。
だから
「いきなり……ごめんなさい。あなたを巻き込むつもりは……なかったの。直ぐにここを出ていくから……、どうか……わたしのことは誰にも話さないで下さい」
わたしはベッドを下りドアへと向かう。
震える足に力を込めて、1歩、また1歩と。
溢れる涙を両手で塞ぐ。
わたしは一瞬足を止め、振り返る。
必死に涙を堪えながらわたしは言葉を紡いだ。
「……こんなわたしに優しくしてくれて、ありがとう」
ここから先はわたし1人、見知らぬ世界で生きていかねばならない。
わたしが決めたことだ、わたしが1人でやり遂げるんだ。
自由を…………。
ガシッ
誰かがわたしの腕を掴む。
この部屋にはわたし以外に1人しかいない。
「待て」
……やめて
「そんな顔で何処に行くつもりだ」
………………やめて
「とりあえず、話だけでも聞かせろ」
やめて!!!
わたしは掴まれた腕を振り払う。
「わたしは!奴隷なの!!あなたとは住む世界が違うの!!わたしに関わるとあなたが不幸な目に遭ってしまう!!」
ぶっきらぼうだけど、どこか優しさがこもる口調がわたしの決断を揺らがせた。
「……あなたはとても優しい人。だからこそわたしは自分のせいであなたの幸せを奪いたくないの。どうか、分かってください………」
わたしの今の精一杯の気持ち、これ以上でもこれ以下でもない。
お願い……これ以上わたしに関わらないで………。
目の前の彼は一瞬怯んだ様子を見せたものの、そのまま黙り込んでしまった。
…これでよかったんだ。
わたしはせめて、誰かを不幸にすることだけはしてはならないんだ。
それがわたしのせめてものできること。
奴隷として生まれてきたわたしの贖罪。
…………そろそろ行かなくちゃ。
わたしは彼に背を向けた。
「……1つだけ聞かせろ」
わたしはドアノブにかけた手を止める。
「お前が本当に思っていることを言え」
「………なんですか?」
これ以上わたしに優しくしないでと思う反面、どこか期待してしまう自分がいる。
ただ一言、その一言さえあればわたしは…………。
「助けはいるか?」
不思議な人だ。
どうしてこうも見ず知らずの他人のためにここまでできるのか。
わたしはあなたを突き放しているはずなのに。
わたしには行くあても、頼れる人もいない。
1人で生きていけるほど、この世界は甘くない。
あなたに頼ってしまってもいいの?
あなたの運命を変えてしまうかもしれないのに?
それであなたは幸せになれる?
彼の眼を見れば、そんな心配はどこかへ吹き飛んでしまう。
それぐらい、頼もしくて真っ直ぐな眼。
わたしの決断なんてそんなものだったのかと自分で自分に問いかけるが、心の舵は目の前の彼の言葉に吸い寄せられる。
こらえていた涙が再び豪雨のように降り注ぐ。
もう、あとには戻れない。
この気持ちを隠し通すことなど出来るはずもない。
わたしは、ありのままの気持ちを、伝える。
「だず…げで……ぐだざい……!!!」
「任せろ」
彼はそれ以上何も言わず、その場に座り込み泣くわたしをそっと抱きしめた。