1話 はじまり
人類が最初の核戦争を始めてから数百年―――
人類は、まだ生きながらえていた。
見渡す限りの地平線。
そんな砂漠の真ん中に佇む、要塞都市「ハーヴェスト」
その日、ハーヴェストに入る1台の馬車があった。
――――――――――――――――――
ゴーーーーーン……
古城の最上階に取り付けられていた鐘が鳴り響く。
―――死ぬかと思った。
砂漠を超えるのに1週間、しかも、ずっと馬車に積まれたサビ臭い檻の中で、ただひたすらに揺られるだけ。
眠ることさえままならず、最低限の食料と水が与えられていなかったら、本当に危なかった。
けれど、生まれてこの方ずっと奴隷として生きてきたから特段この扱いに不満や怒りがあるわけではなかった。
だって、奴隷だから。
それ以上でも、それ以下でもない。
……そういえば、今日はなんだか頭がスッキリするな。
いつもより思考が明瞭だ。
頭の中の異物が取り除かれたような、そんな不思議な感覚。
この街にわたしが運ばれてきたのは、新しいご主人様に買われたかから。
……前のご主人様は、よく私に暴力を振るった。
だから今回のご主人様は、あまり暴力的じゃないといいな………。
なんてことを考えていたら、門が開いたらしい。
どうやら街に入るのに必要な手続きが終わったようだ。
けたたましい音を立てながら、分厚い金属の板が頭上に上がっていくのを感じる。
「よしっ!通れっ!!」
兵隊さんらしき人が叫んだ。
その声がわたしの鼓膜に届き終わったと同時に、わたしの乗った馬車が進み始めた。
わたしは、少しだけワクワクしていた。
前のご主人様は、滅多に私を外の世界に連れて行ってくれなかったから。
たまに出してくれる外の世界はどれも私には新鮮で刺激的だった。
わたしはあの感動を忘れられずにいた。
しかし、それは今でさえ叶わない。
だって、わたしの乗っている馬車は完全に閉め切られていて、外の世界はおろか、暗くて馬車の中さえ見えない有り様だったから。
まぁ、仕方ないか。
わたしは、奴隷だし……それに…………。
そう、あきらめていた。
その時、
ドォォォーーーーーーーーーーンッ―――――
閃光とともに熱風が吹き荒れ、轟音が鳴り響いた。
はじめ、何が起こったかわからなかった。
それが爆発と気付くのはもう少し先の事だった。
爆発の衝撃で檻が壊れ、わたしは宙に放り出されていた。
地面に身体が打ち付けられ、これでもかというくらいに転がった。
息をするのも忘れるくらいの痛みに体をよじらせながら、わたしは周囲の理解に努めた。
辺りには砂埃が立ち込め、馬車の残骸と思しきものが散乱している。
地面はえぐれ、阿鼻叫喚の嵐である。
すると、
「おい!何が起こった!!」
「はっ!何者かによって路に仕掛けられていた地雷かなにかが起動したようです!!」
「なにぃ!?とりあえず、敵はいないんだな??ならまずは商品の被害を確認しろ!!」
周囲の喧騒に紛れてわたしを運んできた大人達の血相を変えた声が聞こえてきた。
続けて、
「あの奴隷の子どもは無事か!?あれになにかあったら、私達は終わりだぞ!!」
わたしのことだ。
「隊長!爆発により檻も壊れたようで姿が見当たりません!!」
「なにぃ!?探せ!!なんとしてでも!!最悪死体でも構わん!!!」
そうか、爆発が起こったのか。
ここでようやくわたしは事態の概要を把握する。
全身を割くような痛みはだんだんと強くなり、意識も朦朧とし始める。
………おかしいな、力がはたらかない。
それならそれでいいや。
痛いのや苦しいのは嫌だけど、死ぬことは別に構わない。
次はわたしの番か……、ぐらいにしか思わない。
ただ、もっと早くにこうなっていたらわたしは、こんなに酷い目に合わず済んだかもしれない。
薄れゆく意識の中、わたしは、わたし自身のことを考えていた。
わたしは、わたしの人生は、一体なんのためにあったのか?
辛く、悲しいだけの人生ならば、生まれて来なければよかった。
化け物と呼ばれ、蔑まれ、とても人とは思えないような扱いを受けてきた。
果たしてこの人生に意味などあったのだろうか?
ふと、周りを見渡す。
ここは………商店街だろうか?
この街の住人とおぼしき人もチラホラと見かける。
同じく爆発に巻き込まれたようで、怪我をした人や、まだ何が起こったかもわかっていない人、恐怖に錯乱し逃げ惑う人も見える。
………こんな状況じゃなければな。
これが新しいご主人様のわたしに対する扱いが酷くなるきっかけにならなければいいのだけど………。
わたしは、逃げ惑う人々を横目にこんなことを思う。
こんな状況になりながらも、考えるのはご主人様のご機嫌取りのことばかり。
自分が自分で情けない。
まぁ、どうせ死ぬのなら関係ないか。
与えられた雑用をただこなすだけの日々、ご主人様の機嫌が悪い時には何度も殴られた。
助けを求めても、誰も助けに来ることなどなかった。
そのことを理解し始めてから、わたしには自分が生きているのか死んでいるのかよくわからなくなる時が多々ある。
わたしは、なんで奴隷なんかに生まれたのだろう。
どうせ奴隷なら、生まれてこなければよかった。
思考がループする。
―――逃げて―――
突如として、頭の中に知らない声が響いた。
その声はどこか懐かしく、そして温かかった。
―――自由を、掴んで―――
この声は何を言っているんだろうか。
自由など、わたしとは1番程遠いものであるのに。
……想像するだけならいいよね。
痛みでうずくまるわたしは、自由に生きる自分を思い描いた。
自由を手に入れたら、わたしは最初に何をするだろう?
………まずは美味しいものをたくさん食べたいな。
あとは、そうだな、ふかふかなベッドの上でぐっすり眠ってみたい。
それから行きたい所へ行って、自分の目で、足で、耳で、わたし全てで世界を感じたいな。
他には、他には……。
…………そう、小さな幸せでいいのだ。
わたしには、それだけで十分。
それ以上もなにも望まない。
そんな小さな願いさえ、叶えられないの?
……その時、わたしは溢れ出る涙に気がついた。
あれ?あれ??
この涙は、いったいどこからあふれてきたのだろうか。
爆発で負った怪我の痛みが酷くなってきたから?人生に絶望しているから?
何となく、違うと、そう思った。
あぁ、わたし、自由になりたいんだ。
ご主人様のためじゃない、わたしのために、わたしがわたしのためだけに、生きたいんだ。
わたしは、この時はじめて、自分の気持ちに気づいた。
そうしたら、不思議と痛みがひいてきた。
沈みかけていたわたしの意識は、闇を取り払うかのように光を放ち、生きる希望に打ち震えた。
わたしは、ボロボロの体に鞭打つようによろよろと立ち上がった。
わたしは、どうしたらいい?
わたしが気付いてしまった、わたしの本当のきもち。
この想いを、願いを、叶えるのは誰?
―――誰でもない、わたし自身だ。
わたしは、自らの運命を変えるべく、その1歩を踏み出した。
それが、新しいわたしの誕生の瞬間だった。
――――――――――――――――――――
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
盛大なため息に周囲の人々はその足を止めることは無い。
その男は、真昼間から街中のベンチに座り込み途方に暮れていた。
丁度先程仕事をクビにされたことと、すっからかんのサイフの中身と、見通しのない自らの未来に対する漠然とした不安に身を削る思いだった。
身を削るとは、些か言い過ぎた。
元より能天気な気質な彼はそこまで細かいことは気にしていない。
その日暮しでどうにかこうにか今まで生きてきたのである。
かといって今日の彼はいつも以上に心に堪えるものがあるようで、その巨躯に溜まった空気を鬱憤とともに勢いよく吐き出したのである。
家業を継ぐのが嫌で実家を飛び出してきた彼には行く宛などもなかった。
自分探しの旅という都合のいい名目で放浪していた時に、ここハーヴェストにたどり着いた。
この都市の活気と雰囲気が気に入り、しばらくここを活動拠点としようとしたその矢先の出来事である。
これからどうしようかと、思案をしている真っ最中であった。
しかしこの日こそが彼の、いや、彼たちの数奇なる運命の始まりの日になるということは、知る由もない。
――――――――――――――――――――
「はぁ、はぁ」
わたしは、走っていた。
変わろとしていた。
もう、うんざりだ。
思い返せば、いいことなんてなかった。
いいことということさえ、知らなかった。
奴隷で居続けるのであれば、それは変わらないだろう。
今、決別するのだ。過去の自分と。
明日の自由を、自分の手で、掴み取るんだ。
「いたぞっ!こっちだ!周りこめっ!!」
「おいっ!!逃げるな!!!」
あれからわたしはずっと走っている。
追っ手にはすぐに見つかってしまった。
しかし、ここで諦める訳には行かない。
捕まってしまったあとのことなんて、考えたくもない。
捕まるかもしれないという不安を払拭するように、わたしは両の腕で、額の汗を、思い切り拭った。
ボロボロの体に鞭を打って必死に走る。
「待てって言ってんだろこのクソ奴隷が!!!」
ふんっ、捕まってなんかやるもんか。
もう、あなたたちについていく道理なんて、ないっ!
わたしは、自由になるんだ!!
しかし、わたしはまだ子ども。
逃げ足の速さなんてたかが知れている。
なにか、考えなきゃ。
このままじゃ、またあの生活に逆戻りだ。
でも、何も思いつかない。
やっぱりわたしは、何もできないんだ………。
己の無力さを噛み締める。
だからって、あきらめてやるつもりも毛頭ない。
でも、じゃあどうしたら……。
頭と心が、ごちゃまぜになってきた。
頭の中に心を詰め込んで、思い切り振ったみたいな。
あぁ、もうわたしが何を考えているのかもわからない。
とりあえず、この路地裏を抜けよう。
ハサミうちにされたら、一巻の終わりだ。
「そこの路地裏に入っていったぞ!!」
やばい、もう追いつかれる。
わたしは走った、ただひたすらに。
薄暗い路地裏を、裸足で。
とっくのむかしに足の感覚はない。
「はぁ、はぁ」
「まてっ!!とまれっ!!!」
もう自分の心臓の音しか聞こえなくなっていた。
視界もぼやけてきて、腕も足も満足に動かせない。
あと少しで路地をぬける、あと少しで。
日の光が眩しい。
やっと、ぬけ―――
その刹那、目の前に人影が現れた。
わたしにはそれを回避する余裕などあるわけもなく、勢いそのままぶつかってしまった。
ドンッ
「わぁ!?!」
そんな情けない声をあげた後に、わたしのなかで細々く繋がっていた意識が、プツリと音をたてて、キレた。
あぁ、ここまでか。
わたしは、何か変えることができただろうか?
それは、今、この状況が物語っていた。
わたしは、自分のために走ったのだ。
それが何よりも誇らしかった。
できるなら、もう少しだけ―――――
沈みゆく意識の中、わたしは後悔など微塵もしていなかった。