来訪者
「おかえり」
「ああ」
感慨の無い挨拶を交わす唯と克人。安堵の表情を浮かべる唯に、克人は視線すら合わせず擦れ違った。
唯から血を提供してもらう度に、克人はチギリとしての力が上がるのを自覚した。
ロウガはチギリの能力の限界を測るため、任務の難度を徐々に吊り上げる。このままだと、更に難度の高い荒事に投入される事になるだろう。
カギリだけではない。チギリを駒のように扱う、ロウガの存在に異を唱えて出奔したチギリも、カクリヨには潜伏している。その反抗分子の鎮圧も、ロウガに所属する戦闘向けのチギリの任務の一つだ。
カギリとは違い、知能が高く、戦闘能力も高いチギリと相対した場合――必ず克人にとっての生命線である唯が狙われる事になるだろう。
ショクはチギリの生命線だ。戦闘などで喪失、死亡した場合、ロウガは代わりのショクを支給するが、克人はそうして安易に代替物を用意するシステムを、受け入れられる程感情を殺せない。
そのため、唯に情が移る事を恐れるあまり、克人は唯と正面から向き合えないままで居る。
付かず離れずの間柄……心を半開きにしたような状況に、克人は辟易していた。
人間の血を提供して貰わなければ、チギリは衰弱死してしまう。そんな克人に唯は血を提供してくれている。そう言うシステムだとしても、本来なら感謝すべき筈なのに。
だが、唯に心を許した途端、彼女を喪う気がして、克人は態度を軟化させられずに居た。
一方、唯は血硯の血液操作により、血こそ出していないものの、先刻の死闘で克人が満身創痍になり、麻痺した右足を引き摺る後ろ姿を見て、泣きそうな顔になる。
チギリはロウガが保有している研究資材。それを有効活用する為にロウガが生み出したカギリを処分させている。言わば尻拭いをさせている。
それに異を唱えて出奔したチギリもいるが、人間の血を摂取し続けなければ活動できなくなるチギリが、当ても無くロウガに背を向ける事は自殺行為に等しい。
ショクである唯は、チギリと異なり人間と同様の食事が与えられる。ロウガに生命活動を握られている点については、ショクもまた例外ではない。
チギリがロウガから出奔した場合、ショクは代わりに適合率の高いチギリが居ない場合は、最悪処分される事もある。唯を慮りたいと感じられる克人の言動から、唯の存在が、克人がロウガに居る足枷の一つなのは明らかだろう。
「克人はさ」
克人の背後から、声が掠れそうになるのを必死に堪えながら、唯が呟いた。
「私の血で、何がしたいの?」
「任務、……」
嘘だ。
そうじゃない事は克人が一番分かっている。少なくともこんな事をする為に、ここに居るわけじゃない。こんな所、可能であれば逃げ出してしまいたい。
だが、唯に変な期待を持たせたり、唯からの期待を背負うことも、後に引けなくなることも、唯を危険から遠ざけることすらも、克人には出来なかった。一歩踏み込む。その行為がどれほど難しい事か。
◆◆◆◆◆
克人と唯が帰路に着こうと、階段で屋上を降り、数歩進め始めた所で、複数の足音がまばらに聞こえてきた。
「相変わらず、お早いお着きね」
唯が合点のいった顔をしている。程なくして、克人と唯の前に足音の当人が到着した。
背丈は微妙に異なるが、皆々顔の見えない、全身を覆う宇宙服を思わせる重装備を着込んでおり、個々の識別が難しい。その物々しさから、危険物の取扱いを専用に扱う部隊であるように窺えた。
清掃部隊。
彼等はロウガの研究材料として再利用する為に、克人を始めとする、戦闘向けのチギリが始末したカギリを即時回収・運搬する為に、ロウガが編成する部隊である。
今回のように、毒などの危険物を含有する事も多いカギリの遺骸回収を行うには、装備も厳重なものにならざるを得ない。
隊員は皆チギリだが、戦闘向けではない。人並み以上の身体機能は持ち合わせているため、力仕事をはじめとした雑用任務に駆り出され、カクリヨの運営の一部を成り立たせている。
人間の血を持つショクは、カクリヨでは数に限りがある人間の血を保有する貴重な「資源」のため、数を必要とする人海戦術には向かない。
克人に唯が「支給」されているのも、克人が一際腕の立つチギリの能力を使えることと、精度の高い能力を発現するには、適合率の高い人間の血が絶えず必要になるからである。それ以外のチギリは、適当な量の血液を支給・携帯して摂取するようになっている。
克人と唯を視認しているであろうが、余計な口を聞くことなく、手際よくカギリの回収準備を始めた清掃部隊の最後尾から、不意に聞き慣れた男性の声が、克人に呼び掛けてきた。
「お疲れ~、克人君」
聞き覚えのある、飄々としたその声を無視して、克人は聞こえなかったかのように踵を返して立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょちょちょ、克人君!? 聞こえてるでしょ! ねえー!」
「帰るぞ、唯」
「そ、そうね」
唯までもが克人に倣って踵を返す。二人とも、何とか声の主から遠ざかろうと、その場を去ろうとする。
「おーーい! かーつーとーくーーん! ゆーいーちゃーーん!! ヘイ! ヘイ!?」
必死の呼び掛けを無視し、足早に去ろうとする克人と唯は――しかし、その足を急制動させてしまう。
「う…!」
「動けない」
克人と唯は、足はおろか身体中の動きを制限されたかのように静止してしまった。
恐らくは、先程の声の主――チギリが、何からの能力により二人の歩行を強制的に止めたのだ。そうして何も出来ずにいる二人に、先程の男の声が、ゆっくりと背後から迫り来る。
「酷いなあ、二人して僕を無視して帰ろうとして。僕は悲しくて悲しくて泣いちゃうよ」
振り向きも出来ない状態では、声の主が何者なのか判っていても、非常に不気味で、背筋に寒気が走る。何とか声は出せるので、克人と唯は各々精一杯の抗議の声を上げる。
「ふざけたこと言ってないで、この能力を解除しろ……っ」
「うう、こ、この状態、かなり気持ち悪いんですけど」
背後の声は、二人の抗議に意を介した様子もなく、尚も語り掛けてくる。
「うんうん、唯ちゃんは偉いね。克人君につられて逃亡したとは言え、目上の人にはちゃんと敬語が使える。克人君も見習った方がいいんじゃないかい」
「うるせえ。あんたを敬う所がどこにあんだ。それにいつも唯にだけ甘過ぎるだろ」
「手厳しいねえ、克人君は。レディを優しく扱うのは常識じゃないか。 うーん、じゃあ解放してもすぐ逃げないと約束しておくれ。それで手を打とう」
「……仕方がないな」
憮然として克人が返事をするなり、フィリウスが指を鳴らす。
すると、身体の自由が元に戻り、歩行中で前傾姿勢のままだった二人は、勢い余って前のめりに倒れそうになる。
「っとと」
「わわっ!」
体勢を立て直した二人が振り向くと、そこに一人の妙齢の男性が立っていた。
白いコートを羽織り、プラチナブロンドの髪をオールバックにして、只でさえ暗いカクリヨで黒眼鏡を掛けている。背は唯と克人よりも高いので、必然的に見下ろされる形になるのが、克人はまず気に食わない。それを嘲るわけでは無いだろうが、常に人を小馬鹿にしたような微笑を浮かべている事が、苛立たしさに拍車を掛けている。
「フィリウス、チギリの能力を使って部下を引き留めるな、大人気ねえ」
克人が毒づくと、フィリウスと呼ばれた妙齢の男性は、苦笑しつつ応える。
「お互い"本気"で、鬼ごっこをしたら、これくらいじゃ済まないだろ?挨拶だよ挨拶。克人君もスキンシップには慣れておかないと、この先苦労するよ。それはそれとして、克人君。右足どうかしたのかい」
フィリウスは胡散臭いながらも、チギリの研究者にして、克人の上司に当たる人物だ。こうして人を食ったような言動で、克人を始めとした周囲を、混乱の渦に叩き落とすのは茶飯事だ。
しかしながら、命のやり取りも茶飯事であるカクリヨで、身体の自由を奪われるのは些か以上に肝が冷える。
「さっき処分したカギリにやられた。……何か話があるんだろ? そうじゃなきゃ、態々話をしに来ないからな」
克人の指摘に、何が楽しいのかフィリウスは明るい調子で答える。
「良い洞察力だ。そう、通信越しじゃ無理な内容だから、ちょっと遠いけど、清掃部隊に混じって会いに来た。発信器でもある、僕の通信機は研究所に置いてきたから、ここに僕が居る事を知っているのは、克人君と唯ちゃんだけだよ」
先程の克人がカギリを処分した報告は、通信機を介してフィリウスに行われたものである。
軽い用件なら克人と同様に通信機で伝えれば良いものを、こうして口頭で伝えに来る時点で、軽い用件では済まされないだろう事に克人は憂鬱になる。
「正直、嫌な予感しかしないんですけど」
克人と同じ結論に至ったのか、不安げな唯の独白に、フィリウスは口笛を吹いて肯定する。
「流石ぁ、唯ちゃんも勘がいいね。急ですまないが、次の任務だよ。それも極秘の」
「「はあ?!」」
露骨に嫌そうな顔をする二人を尻目に、フィリウスはつらつらと用件を述べ立てる。
「これから克人君には、ある人物を見つけて、連行してきてほしい」
「誰を?」
怪訝な顔で克人が尋ねると、フィリウスは若干声のトーンを落として囁いた。
「一言で言うなら、ロウガからの脱走者だよ」
「脱走者?」
「……脱走者の特徴は?」
また荒事かと諦めて、任務の内容を探り始める克人。だが、フィリウスの返答は克人の予想を外れていた。
「緑の服を着て、桃色の髪をした女の子だよ」
「お、女の子?」
唯が素っ頓狂な声を上げるが、克人は努めて冷静に尋ねる。
「じゃあ、危険度の高いチギリか?」
姿形が少女であれ、カクリヨでは油断して接するべき対象にはならない。華奢な姿をした克人が、巨大なカギリを屠る事が出来るように、チギリは人間としての領域を逸脱した存在なのだから。
「いや? チギリだけど階級は十級だよ。戦闘能力は皆無さ」
しかし、克人はフィリウスの回答に今度こそ拍子抜けする。
十級とはチギリの能力の階級で、一をトップに十段階に分けられており、十級は全く脅威にならない最下級の階級である。
因みに、克人の階級は二級である。かなりの高位なのは、適合率の高い唯の血があってこそなのだが。
しかし、女の子同然のチギリを連行するのに、負傷してるとは言え、荒事向けの克人が出張る必要があるのだろうか?
克人は訝しげに質問を続ける。
「チギリでもない女の子が、どうしてロウガから脱走なんて出来る?セキュリティはそんなに甘くないだろ」
フィリウスは、これに事も無げに答える。
「はは、そりゃ僕が手助けしたからに決まってるじゃないか」
「……」
とんだマッチポンプだ。
脱力した克人は、脊髄反射でフィリウスに捲し立てる。
「なら、あんたが連行してくればいいだけの話だろ!」
フィリウスは、「やれやれ、分かってないねえ」とばかりに、わざとらしく盛大な溜め息をついた。克人は盛大にイラっと来た。
「克人君、上の立場になればなるほど、自由と言うものは効きにくくなるんだ。僕は立場上、出来レースだとしても、彼女を連行する。と言うスタンスは崩せない」
「どういう意味だ」
「彼女は少々、複雑な立ち位置でね。下手したら消されかねないから、僕の手で保護してあげたいのさ」
この胡散臭さが服を着て歩いてるような男が、慈善で人助けをするとは思えない。何か裏があるのだろうと類推しつつ、克人は質問を重ねる。
「それにどうして脱走と言う手順が挟まる?」
「僕がおおっぴらに、一方的に彼女を保護しようとすると、他の連中からの風当たりが強まるからだよ。秘密裏に連行、保護すれば行方不明で片が付くかもしれない。カクリヨは広いし、探索が困難な領域も多いからね」
確かにカクリヨは、鋼鉄の球体に閉ざされた構造だが、無駄に広い。その上カギリのような、チギリさえも返り討ちにする事もある、危険極まりない化物が徘徊しているのだから、探索が困難なのは明白だ。
フィリウスが手引きしたのだから、安全な場所に誘導はしたのだろうが、それでも最下級の力しか持たないチギリがほっつき歩くのは、危険なことに変わりはない。誰かの護衛は必要なのは明確だ。
「脱走者の居場所は?」
「僕が手引きしたんだよ?行き先くらいは手配してある。ほら」
フィリウスはそう告げると、克人の通信機を見るよう促した。
克人が自分の通信機の画面を覗くと、予めフィリウスが送付していたのか、丁度この近辺の地図が受信されており、赤いマークがある一点を指し示している。そこまで遠い距離でもなさそうだ。
「この場合どちらかと言えば、待ち合わせ、お迎えが近いかな。今の克人君でも勤まる、温いもんだよ」
「じゃあ、あんたが行け」
フィリウスは両手を挙げて、おどけた様子で克人の提案を却下する。
「ダメダメダメ。僕はこれから、すぐ研究所に戻らないといけない。用事が一、アリバイ作りが九の割合でね」
「ま、まあいいじゃん。ここで無理矢理ボイコットして、その子に何かあっても嫌だし。そこまで危険じゃないんでしょう?」
唯が嗜めると、克人は苛立たしげに頭を掻いて、目的の地点へ足を向ける。その背中に、フィリウスが付け足す。
「くれぐれも、無事に連れてきて欲しい。その子同様、戦闘能力は皆無だが、世話係の人も同行している筈だ」
「何もないと言ったのはあんただろ? 自分の言葉くらい責任持て」
最後まで悪態を付くのを辞めずに、克人は嫌そうに歩き出し、唯もそれに追随した。
いつの間にか清掃部隊も速やかに撤収しており、二人が居なくなり、一人きりになったフィリウスは――不敵な笑みを深めて、静かに独白する。
「帰り道どっちだっけ」