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四話

 ウズザルとの戦いは夜明けによって幕を閉じた。

 奴らは夜行性というわけではないが、一晩の大攻勢で劣勢を覆せなければ、昼まで戦おうなどとは思わないだろう。東方まで遠征していたアルターら傭兵団が帰還し、挟撃の形を取れたのも大きい。

 大地に注ぐ朝の日差しと反比例するように、ウズザルの姿は見えなくなっていった。

 また、隣人の方も杞憂に終わっている。

 南の海岸沿いではサージの民が目撃されたそうだが、早馬を飛ばして一週間かかる距離だ。それに海岸でサージを見かけるなど日常茶飯事である。

 そんなわけで、夜明けから近隣の風呂屋と飯屋は相当に混雑しているらしい。多くの傭兵は汗と血と土と、ついでにウズザルの獣毛を湯で流すだろう。食料はウズザルが奪い食った以上に傭兵が買い食っているという。

「やぁ、珍しいな」

 俺が伝聞調でしか語れない理由は、単純だ。

「遅すぎるぞ。Aプラス」

「そう褒めてくれるな」

 Aマイナス以上の傭兵は、小さいながらも貸し切りの風呂と飯屋を街から用意してもらっていた。アルターやシルヴァもお誘いを受け、少数の部下を連れて参上している。

 俺は部下の代わりに知人を連れてきていた。エミールとヨルクを風呂屋に向かわせたら、俺は傭兵たちから男の敵と認識されてしまう。

 まぁ、エミールとかいう中年はさておき、ヨルクは風呂屋に行くつもりなどなかったようだが。恐縮しながらついてきたフリーダから普段の様子は聞かされていた。日頃から借家の風呂しか使わないらしい。

「それで、セオが他の傭兵を連れてくるのは珍しいが、遂に男を作ったか?」

「前々から男色の噂が立っていたかのような言葉を平然と口にするのはやめろ」

「もう五年は女を作らず娼婦も取らないと聞いたが?」

「性欲なんざ忘れ去っていた」

「仙人だな」

「嫁持ちは黙れ」

 俺は、今、脱衣所にいる。

 風呂自体がそう広くないため、男湯と女湯で分かれていても交代制だ。アルターの部下が最初に入り、ヨルクの仲間のランディとエドが続き、エミールが独り占めする。その次がヨルクだったが、彼は辞退した。無理強いすることではないので順番通りアルターが入り、最後の俺が服を脱いでいるところだ。

 風呂上がりのアルターと会話しているが、別にどちらも男色ではない。そもそも時間短縮を考えたら一人ずつ入る必要すらなかったのだが、傭兵団の女に殺意の目を向けられたので仕方なかった。つうか、シルヴァとかいう本妻がいるだろ、女ども。

「いや、まぁ、これは真面目な話なのだが」

 アルターが声音を変える。真面目に話したいなら最初から真面目に話せ、と言いたいが、これも仕方ない。俺とアルターが一から十まで真面目な話をするというのは、もう隣人との戦争や竜の襲撃でもない限り実現不可能だ。

「あの五人、随分と若いように見えた。ヨークの噂も聞く。……エミールの噂も聞くが、それは無関係として」

 すまない、無関係じゃないんだ。

「だが、噂があるとはいえ、そして事実であるとはいえ、エミールの腕は確かだ。格付けに反映されない腕だ」

 本当に真面目な話らしいのだが、エミールとヨルクのせいで下らない話に思えてしまう。俺としてはヨルクの処遇の方を真面目に検討したい。

「彼には経験がある。今では僕の方が経験を積んでいるものの、知っての通り――」

「あぁ、俺が生まれる前から、エミールは傭兵として生きていた。積み上げてきた経験では、俺はまだ敵わない」

 傭兵の格付けは戦力のみで判断された結果だ。どれだけの規模の傭兵団を率いていようと、そんなのは関係ない。E以下の力しか持たない者が、しかし天才的な発想と理論でもって傭兵団を戦略的に動かすことさえ、現実には可能だ。

 そこまで極端でなくとも、例えば老齢の元傭兵などはどうだろう。

 長年積み重ねてきた経験は書籍にすれば両手で足りぬほどに膨大な知識だ。老いのせいで前線には出られずとも、書斎で論文を書けば傭兵たちに多大な影響を与えられるかもしれない。

 アルターが言ったエミールの力とは、その類いのものだ。

 経験。

 それは、世俗忌む、などと言われている俺には到底持ち得ない、組織の作り方なども含んでいる。彼は三十半ばまで傭兵団に属していたからだ。ある傭兵団の最期を内部から見た経験がある。

「AマイナスのセオがBのエミールと手を組み、新進気鋭の若者たちを率いる。若手筆頭などと言われている僕からすれば、大変興味のある話だ」

 アルターは隠さずに言った。……のだが、まぁ誤解している。

「まず、第一に、エミールと手を組むことはない。あれとは昔馴染みだが、他にも腐るほどの知り合いがいる。大半は今生きているかどうかも知らないが、大規模作戦に共同で参加するような奴もいる」

 そいつら全員と手を組んで若者を率いていたら、俺はいくつの傭兵団の頭になっていることか。

「だが、……それでは、何故」

 男の疑問の声が途切れる。籠の底に隠してあった短剣を掴み、睨んできた。違う。見ているのは俺ではなく、俺の背後にある脱衣所の入り口だ。

「これは、失礼しました」

 背後から清らかな声。

「セオ様が入浴なさると聞いたので参上したのですが、アルター殿までおられるとは知らず」

 ヨルクの声だ。振り返れば、軽鎧を脱いで一層身軽になっている。シャツの半袖から伸びる腕は、やはり華奢だ。あと傭兵にしては驚くほど白い。

「ヨーク家の長男、か。気配を消さないでもらいたい」

「消せなかったから、気付かれたのだと思いますが」

「消す意図はあったと?」

「でなければ、セオ様に門前払いされてしまいますゆえ」

 アルターが短剣を腰に差す。残っていた外套を羽織った。

「君は入浴を辞退したはずだが」

 警戒の色はまだ残っている。

 あぁ、隠しきれる流れではない。別に隠すようなことでもないのだが、……いや、これはヨルクの手柄だな。衆目を()けアルターだけに話す良い機会だ。

「どの道セオ様にお供するつもりでしたので」

「……はて、真意が分からないのだが、君はセオの召使いにでもなったのかね?」

 Aプラスのアルターを前にして引かないどころか、何故か敵意を見せ始めているヨルク。……あ、理解した。遅すぎるが理解した。

「来い」

 何事か言い返そうとしたヨルクに一言投げる。案の定、アルターの問いなど忘れたかのように歩み寄ってきた。

「物事には順番がある」

「……ッ。失礼しました。まずは逢瀬で」

「違う。風呂に入る気があるなら、先にそう言え」

「承知しました」

 ため息が漏れる。

 こういうことだよ、と肩をすくめてみせると、アルターは困惑したように視線を返してきた。理解が追い付いていないようだが、俺もだ。てか、俺が一番困ってる。

「エミールに紹介された。……いや、正確には五年前の戦争で話したことがあるんだが、事情は察してくれたか?」

 ようやく得心の頷きが返される。

「苦労するな」

「同情してくれ」

 ぎこちなくだが笑っておく。

「……で、どうするんだ?」

 一転、新しい玩具を見つけた子供の笑顔で言ってきた。こいつとは四歳しか離れていない。格付けこそプラスとマイナスの差があるものの、見方によっては、従兄(きょうだい)か何かのつもりで接してきている節があった。

「腕は確かだった。アルター、お前は見たか? こいつの剣。面白いぞ。普通のも合わせれば八本も持ってる」

「あぁ、お前より先に知っていた。ヨーク家の長男が傭兵になって名を上げていると。それで、僕の問いに答えてくれないか?」

 答えたつもりなのだが、という言葉は飲み込んだ。合理的に一足飛びした理屈では説明にならない時がある。何度も経験してきた。

「男だろうが女だろうが知ったことか。戦場で横に立っていると心強いのが相棒であり仲間だ。男なら嫁ではないかもしれないが、嫁に求めるのは日常で横にいてどう思うかでしかない。その次で戦場でも頼れるかどうか。夜なんぞ二の次、三の次だ」

 言い捨てると、アルターは笑って両手を上げてみせた。

「この戦闘狂が」

「褒め言葉だな。あと、お互い様だ」

 ヨルクは何か言いたげだったが、どうやら沈黙を貫いてくれるらしい。……今だけは。

 アルターが籠を一瞥して忘れ物がないことを確かめ、近付いてくる。俺を挟んだ反対側が廊下だ。

「勘違いしないでほしいのだが」

 俺を通り過ぎたところで、立ち止まる。

「僕は他人の恋愛に口を挟むほど暇じゃない。ただ、友人の恋路は応援しているよ」

 それが俺に向けた言葉だったのか、ヨルクに向けられた言葉だったのか、本当のところは分からない。

 ただ一つ言えることは――。

「お前と友人になったつもりはないが」

 アルターは笑いだけを残し、俺とヨルクを二人きりにした。

「主」

「セオだ」

「セオ様、先ほどの発言は真実でしょうか?」

 やはり沈黙を貫いてくれるのはアルターが去るまでか。

「あぁ」

 ひとまず頷いておく。脱ぎかけだった上着を脱いでしまおうとボタンに手を伸ばし、やめた。展開次第では上半身裸で厄介な話を続けることになってしまう。

「私は、あなたと、その……」

「そこで言い淀むか」

 今更だな、と心中で呆れる。多分顔にも出ていた。

「申し訳ありません。こういう経験が、なかったもので」

「そういえば純潔だと――」

「後で殺しておきますのでご安心ください」

「ほう、勝手に牢に行ってくれるか」

「……半殺しで」

 俺も手伝うよ、とだけ笑って、話の再開を待つ。

「私は、あの時、……伝わらなかったかもしれませんが、横に立ちたいと言いました。今でも、その気持ちは変わっていません」

 知っている。俺が知っていることをヨルクも知っているから、答える必要はなかった。

「横に立っているだけで満足しろと言われれば、無論、満足致します。それだけでも、私にとっては、至上の歓びに等しいのですから」

 日常で、あるいは、戦場でも。

 これ以上逃げるのは男がどうの恋情がどうのという以前に、人として失格だろう。人でなしの傭兵は、総じて、犯罪者に身を落とす。

 冷笑主義的に向かい合うのではなく、真正面から見据え返そう。

 ヨルクは前衛の男にしては細身だった。筋肉は勿論あるが、それは大斧を振るったり盾と鎧で敵を受け止めたりするためのものではない。守りを捨て、剣で攻めるためだけの筋肉。

 それは、同時に、女性に近付こうと意識する表れにも思えた。長く伸ばされた髪も、由緒ある貴族の出だから、というだけではないだろう。

「貴様は――いや、君は、どう思う?」

 もうボタンを外していい。どう転んでも、俺は服を脱いだら風呂に入る。さっさと汗を流したい、というのも偽らざる本音だ。食事のために人も待たせている。

「物事には順番があると俺は言ったが、背中を流すのと逢瀬をするのと、どちらが先であるべきだと思うだろうか」

 謹厳実直な教師の声を装いつつ、内実はお気に入りの生徒に色を付ける失格者のそれだ。

「質問の意図が、私には、分かりません」

 ヨルクは、ちゃんと理解していた。

「それが仮に同衾(どうきん)であっても、両者の感情次第であるかと。どちらであるべき、と判断できることではありません」

「ならば、好きにしろ。俺は後輩に背中を流させる趣味などないが、かといって後輩などとは入らないとふんぞり返る趣味もない」

 俺はAマイナスの傭兵だ。

 常日頃から身だしなみには注意を払うように言われ、鎧を脱いでも堅苦しい服を着る。

 そのせいで、俺が脱ぎ終える頃には、ヨルクは恥じらいながら風呂用の長いタオルで身を隠すしかない姿になっていた。

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