二話
世間は静かだな、と何気なく思う。
感傷とか嫉妬とか侮蔑とかじゃなくて、なんというか、こう、勘のようなものだ。静かという実感に勘もくそもないとは分かっているのだが、どこか不自然だと勘が告げている。
それとも、俺の頭がいつもとは違う、つまりは不自然ということだろうか。
有り得る。それも、十分すぎるほど。
俺はいつも通りの服装でレストランを訪れていた。
Aマイナスという格付けがなされると、騎士は所属する騎士団の団長から、傭兵は籍をおく国の管轄大臣から通達が下される。その瞬間から、Aの位に名を連ねる戦士として礼装を半ばの義務とされるのだ。国の行事に参加することも求められ、そうした時は礼服を持参しなければ呆れられる。
上位では最下層であるAマイナスであっても、そして公式の場でなくとも、自覚を持つことが不文律とされてきた。寝間着のまま出歩くなど、法律が許そうと世間や国家が許さない。
だが、その程度で済んでいる、と言うこともできないわけではない。
宗教国家でAを迎えた者は悲惨だ。望もうが望むまいが嫁を用意される。ちなみに、未だに宗教国家からA以上の女傭兵は現れていない。騎士ならあるが、その場合は旦那ではなく騎士団長になるための特権が与えられるとのこと。特権がなければ女は団長になれないと自己紹介してくれているので、ああいう国は教徒以外から好かれてはいない。
ただまぁ、それは隣接もしていない宗教国家たちの話である。
自由と武力と無神論を誇る我が国は礼装こそ厳命されるものの、例えば『異性と結婚して必ず子供を作れ』なんていう決まりはない。後ろ指をさされようが、知ったことか。例によって、お前らが向けてきた後ろ指には数年間気付いてやらねえよ、と嘲笑っておく。
ついでに、約束の時間が五分後に迫っても相手が現れない状況も笑っておくとしよう。
気を付けるとかそれ以前に癖になってしまっている堅苦しい服装で、エミールが予約しておいたらしい席に座ること、五分。約束の十分前に店を訪れた俺が言うのもなんだが、遅い。
一昨日の一件。
エミールを仲介人として俺との見合いをしようと画策した男は、十中八九、急いている。エミールは自ら踏み台になって、男色をどう捉えているか確認するほどだった。あいつが頼まれた後に悩んで時間を浪費したとも思えない。
明後日、などという急な話は、俺を好いているとかいう男の要求だろう。
だから、五分前になっても現れないのは遅いと考えるに至った。なんなら紹介のためのエミールと合わせて十五分前に着いていてもおかしくない。
時は血だ。流れるままにしてしまえば、自分の首が絞まっていく。
結局のところ、俺は五分で判断したことになるのだろう。
呆れながら席を立とうとし、動きが止まった。周囲の視線を気にするように近付いてくる男がいたからだ。
「用件を聞こうか」
然もないふうに問う。相手は店員だった。服装から、店主ではないにせよ、接客のリーダーかサブリーダーだと推測できる。頬は強張っていた。
「……セオ殿で、いらっしゃいますか?」
「用件を」
「失礼しました。エミール様より、急用が入ったとのご連絡が」
そんなことは知っている。だから俺は、今からお前に訊ねに行くところだったんだ。
内心の苛立ちを押し殺し、声量を一段落として続ける。
「急用の中身は?」
「すみません、そこまでは。……ただ、その」
男は周囲に視線を配り、俺にだけ聞こえる声で言った。
「ウズザルの襲撃があったと、未確認の情報が入っております」
「場所は?」
「さて」
しかし、まぁ十分か。
「料理はどういたしましょうか」
俺とまだ見ぬ男、二人分の食材が用意されていたはずだ。それも五分後には出す予定で。
「失礼なことを言うが、注文しておいた料理を二人分、できた端から持ってきてくれ。時間が惜しい」
コース料理は食べる順番まで考えられていると聞く。俺の要求はあまりに非常識だが、仕方ないと諦める他ない。
「状況が状況です。キャンセル料をいただくつもりは――」
「帰れ、と? 我々は食べるのも仕事だよ」
Aマイナスの傭兵は、そこそこ名が売れている。DやE、それ以下の傭兵扱いすらされない賞金稼ぎとは違うのだ。実力で実績を作り、実績が権利を呼び寄せ責任を付与する。責任を果たせば更なる実績として繋がっていくのだ。実戦を知らぬ者であっても、責任ゆえの実績には信頼を置く。
俺はAやAプラスの傭兵や騎士を見て実感してきた。S? いや、あんなのは人間じゃない。化物だ。ただ歩く姿を見ただけの子供ですら存在の違いを理解する。
「他の客より優先しろ、なんて無茶は言わない。無理のない範囲で、頼む」
男は寄ってきた上司らしき女に状況を説明していた。男がサブで、女がリーダーか。
「かしこまりました」
結局、サブリーダーは頷いた。理解してくれることに、感謝だ。
洒落た盛り付けの肉にフォークを突き刺し、頬張る。咀嚼し嚥下するまでの空き時間で別皿の同じ肉を切り分けてから、スープを左手で掴んだ。噛み千切った肉を上品な味のスープで流し込む。
芋のソテーを次から次へと口に放り込んで、先ほど飲み干せなかったスープを続かせる。行儀が悪いことこの上ない。
周囲のテーブルからはヒソヒソと囁く声が聞こえてきていた。
俺の行儀の悪さを白眼視している……わけではない。いや、中にはそうした者もいるのだろうが、大多数は違うように思えた。俺を知っている。この都市を拠点とするAマイナスの傭兵、セオ・ブエンディアを知っていて、その異様な食事風景に有事を察したのだ。
Aの位に立つ傭兵が外聞も気にせず振る舞う。それは緊急事態を意味していた。
俺の席からは死角になっている入り口の方から、いささか乱れた身なりの男が小走りしてくる。見覚えのある顔だった。
「セオさん」
俺よりいくらか年上だっただろうか。軍に所属する伝令係だ。男は切れかけの息を一瞬で整え、俺の斜め向かいに立つ。
「ウズザルの襲撃が」
「知っている。状況は?」
テーブルを見れば分かるはずだ。同じ皿や料理が二つずつ並んでいる。食事の予定をぶち壊して急いでいる傭兵に、伝令係が言葉を続けた。
「現在、サンケンの街が襲われています。ウズザルの数は最低で一千弱。二千に迫るかもしれません」
呆れた大群だが、そこで違和感を思い出す。
ここ最近、世間が妙に静かだった。世情などどうでもいい、と深く気にしていなかったが、今更ながらに静けさの正体に気付く。
「ウズザルの大量発生は四日前だったか」
「……えぇ、はい」
エミールの野郎が男色家との見合い話を持ってきたせいで優先度を下げてしまっていたのだ。一昨日の時点で、ウズザルの異常なまでの大量発生が確認されて三日目だった。
だというのに、昨日、今日とウズザルの大量発生が確認されていない。
これは協会の恒久依頼が取り下げられたとの情報で知った。
恒久依頼とは、言ってしまえば『誰が、何度でも請けられる依頼』のこと。例えば迷子の子供探しであれば、誰かが一度終わらせれば次の誰かが請けようとしても迷子の子供自体が存在しない。
だが大量発生した獣の討伐や、毎日のように何便も往復する荷馬車の護衛などは複数人が複数回請けても同じだけの成果を上げられる。
そうした依頼を恒久依頼と呼ぶが、恒久の前置きはどこへやら、都市近郊――いや、都市の西側だったはずだ――に大量発生したウズザル討伐の依頼は三日で取り下げられた。
「サンケンは東か。なるほど」
ウズザルは鼠のような繁殖力を持ち、狼のような賢さを持つ。都市を挟んだ西側で目立つ行動をさせて注意と警備を引っ張り、わざと沈黙。これで都市への一大攻勢を予期させておきながら、実際に襲ったのは都市ではなく、その隣の街だった。
「そこにデザートがある。食っていけ」
どこにいるかも分からない俺たちはぐれ傭兵を探して走り回ったであろう伝令係に言っておく。相手は恐縮が半分、先を急ぐ気持ちが半分という表情で断ってきた。
「無理にとは言わない。だが、喉が渇けば口が回らなくなるし、糖分が足りなければ頭が回らなくなる。そこにあるデザートとスープには手をつけてない」
男は逡巡したようだったが、男色家が座る予定だった向かいの席に腰を下ろした。
「だが、サンケンか。目的はなんだろうな」
「略奪だという見方が主流です。ただ八年前の……一件と、五年前のウドゥリル。あの頃は隣人との戦争が相次ぎましたが、あれからは静かでした」
八年前に起きたアザル・ルーとの戦争は、食事の最中に話題とするべきではない。相手は隣人の名を出すことさえ避けてくれた。伝令係は軍と傭兵との折衝役でもある。神経を逆撫でしない技術には長けているのだろう。
「隣人同士の争いで疲弊したところを襲う、というわけでもない。謎だな」
呟き、切っておいた肉を口に突っ込む。スープは男に譲ったため、無色透明の水で流し込んだ。
「アルターとシルヴァはどうした? あいつらならウズザルの五百くらい相手取れるはずだが」
俺が挙げたのは世界に名を轟かせ始めた傭兵団を率いる二人の名。
三十四という若さでAプラスに上り詰めた団長アルターと、同じ年にマイナスを消し去りAに昇格した三歳年下の副団長シルヴァ。いつ結婚するんだ、とここ十年は賭けの対象にされている二人は、確か学生の頃からの付き合いだったか。
個人的な縁故で話す機会は多いが、あの筋金入りの戦闘狂たちは引退するまで家族は持たないと揃って断言している。結婚は三十年後だ。
……と、苦笑したくなる思考は捨てよう。
「ご存知ないのですか? お二人は……というか、あの傭兵団は遠征に出たままです」
伝令係がスープを飲み干して告げる。
「はぁ? 帰りは先週だったはずだろう?」
「セオさんはもう少し世間に興味を持ってください。レイ・ジ・ドグの民の好戦派閥を征伐したアルター殿やシルヴァ殿を、現地の者が素直に帰すと思いますか?」
レイ・ジ・ドグ。獣とは一線を画す知性や社会を持ち、赤の隣人と別称される。自称では古い竜の末裔だという二足歩行のトカゲだ。
「政治ごっこどころか田舎の馴れ合いで帰りが遅れるとは……」
呆れ果てながらも、残り僅かとなっていた料理を片付ける。
「既に鳩を飛ばしてあります。方角的に、加勢も期待できるかと」
「AプラスとAの恋仲のお膳立ては、仕方ない、Aマイナスの俺たちが務めるとしよう」
俺だってBプラスやBに序盤を任せ、中盤から終盤まで体力を温存する立場にある。傭兵にとっては格付けが何よりも分かりやすい指標だ。
「そう言っていただけると。……まぁ、我々としても、セオさんが静観するなどとは思っておりませんでしたが」
なんだと思っているんだ、俺を。
とはいえ、アルターがAに昇格した年齢でようやくAマイナスになったような傭兵だ。仲間を失ってからがむしゃらに戦い続けてきたせいか、変なあだ名も頂戴している。
国や軍からすれば極めて扱いやすい類いの傭兵。傭兵と似ているがゆえに毛嫌いしてくれている騎士団からしても、俺の原動力は分かりやすいのだろう。アルターともども、騎士が主催する催しに呼ばれることは少なくなかった。
「ま、嫌ではないんだがな」
伝令係から数十秒遅れ、俺は席を立つ。
会計で二人分の料金を払い、お釣りは謝罪の意思表示と時間短縮のために断った。家に走って鎧と剣と盾を掴めば、あとは戦場となっている隣街まで馬に運ばれるだけだ。