二
遅くなってすみません…
セラ視点からです。
あのあと。
私はそそくさと、壁際に移動し、必死にキリークと仲良さげに話すフリをしていた。
海神目当てに近づこうとしてくる、馬鹿な人間を避けるためだ。
諦めきれないらしい彼らは、遠巻きにしながら、今も目線はこっちに向いているのが分かる――――男も、女も。
男は私を利用して海神に取り入りたい。
女はキリークを狙っている。私に向けられる鋭い視線は、妬みとかそういう類いの感情だろう。
と言うのも、キリークは腐っても竜皇の一族、皇族である。
異国情緒溢れるイケメン(ただし今回は竜)は、何処でもモテるものだ。
「……で、それが…」
「ふむふむ。」
奴が喋り、私はひたっすらニッコニコして相槌を打つ。
此処が夜会じゃなければ、笑えただろうに。
会話の内容は、薄っぺらいこときわまりない。その場で考えるのも面倒なので、既に国で台本を用意してあったのだ。それを暗記して、今、二人だけの発表会をしているわけだ。こうなることは早くから予想していたし。
「……があって」
「ちょっと、キリーク。」
「…がしたらしいが……は?」
私が話しかけたことに、どうしたのだと呆けた顔をしている。
「良いから、早く………行ってください。」
「は?」
「行きなさい!あっちに!お相手してあげなさい!」
「え、は?」
ドンと背中を押しやる。
この場から一刻も早く立ち去ってほしかった。
向こうから、歩いてくる人。きつい化粧に、豪華なドレス。しかし美人。
アウロラ…ローラの家の政敵、イシュットベルグ伯爵家の令嬢だ。
彼女とキリークが鉢合わせしたら大変なことになる。
私は一応、海神の祝福をローラに与えたので、向こうからすれば、完全に敵扱いだ。
さらに、弱味を握るためキリークに取り入ってくる可能性が高い。
奴が彼女を好きになるわけは無いが、問題は別のところにある。
まあそれは置いといて、更なる問題は、彼女の兄にもある。
私は彼のことが(会ったこともないのに)大嫌いだ。しかし向こうは…
「こんにちはと言うべきでしょうか、皇太子殿下。」
「むしろ、初めまして、でしょう?」
「ええ、そうですね。」
やっぱり嫌なやつだった。
無性にイライラさせられると言うか。
仕方なく、椅子から立ち上がって、近付いてきた奴 と向き合う。
なんと、あの妹を連れていた。
流石兄妹なだけはある。きつい目元や髪の色がそっくりだ。
この金髪野郎、私をエスコートしに来たんじゃないのか?
妹とはいえ、女を連れてるとは、何がしたい?
むすっと(顔には出さずずーっとニコニコしながら)していると、
「あら、あのお連れの方はいらっしゃらないの?」
妹の方が喋った。
やっぱりそれか。狙ってたのか。
でも残念でした私がそいつをこっから追放しておきましたよー?
そいつ、向こうで女性に囲まれてるからこっからでは見えませんよ?
ざまあみろ。
「ミラ、失礼なことを聞いてはならないよ。」
「でもお兄さま、私、」
「その人なら何処かに行きました。私はよく知りません。保護者や恋人でもあるまいし。」
聞くに耐えない会話をぶった切った。
妹の方は、一瞬呆気にとられたあと、
「…婚約者なのではなくて?」
「なぜ私が結婚せねばならぬのですか?」
「それは……」
こやつなら我が国の内情くらい知っているだろう。
私の他に沢山の弟妹が居ることくらい。
だから私は別に結婚しなくても良い。
「……それは!」
「探しにいかれたらどうですか?」
「そうですわ、ね!」
答えられなさそうなので助け船を出した。
まあ、答えられないからこそ、質問を質問で返したのだが。
怒りを露にしながらも、流石伯爵令嬢、早歩きでさえ洗練されている。
少しもドシンドシンという感覚はない。
「…殿下。妹が失礼いたしました。」
「…いえ。」
だからなんだってんだ。
早く消えてくれ…
「それで、少しお話ししたいことが…」
「そう。何でしょう?」
「ここでは、少し。移動しませんか?」
出た!
予想通り!
「……怪しがる必要はありませんよ。」
「そう。」
むしろ怪しいです。
「…………護衛の君も、そんな顔をせずに。なんなら私が飲み物を取ってくる間、決められたらどうです?」
「そうですね。」
護衛のガードナー君がどんな顔をしていたのかは知らないが、大概、怪しいコイツ、と思っていたことだろう。
言うだけ言うと、イラつく奴は、飲み物のあるテーブルへ歩いていった。
「…皇太子殿下。」
「当たり前だけれど、怪しいことこの上ない。でも、ローラ…アウロラのためには仕方無いですね。」
「………断らないんですか?だって、皇太子殿下じゃ」
「確かにあんなのよりこの場合の身分は上でしょう。でも、伯爵家と王妃の家は仲が悪い。ローラに祝福を与えた身としては、無難な対応をしておくべきでしょう。」
むやみに断って、トラブルを引き起こすのはただの考えなしだ。
それに、アイツなら私が断っても聞かない気もするが。
「……しかし、御身は…?」
「私を誰だと思っているのですか?平均的に300年を生きる竜のうちでも、少なくとも700年、長くて1000年は生きると言われた次期竜皇ですよ、海神をこの身に宿した。」
「せ、1000年?!」
「自分の身くらいなんとか出来ますから。それに、もし何かあったら、貴方が居るでしょう。」
途端に、ガードナー君が目を見開いた。
「そんなに可笑しかったですか?私は?」
「え、い、いえ、そ、そうでは、無く…、」
「落ち着いて息を吸ってください。焦りすぎです。」
肩に手をやって、落ち着かせる。
「大丈夫ですか?」
「はい。すみませんでした。」
そんなに恐縮してうつむかなくても良いと思うけど。
「遅い。いつまで待たせるつもりでしょうか。」
会場に目を走らせる。
幸い、私は竜なのがあって、人より背は高い。探しやすいのだ。
飲み物を取るくらい容易いことだ、何処か寄り道でもしてるんだろう。
辺りを見回していると、ふと、目が合う。
「――――――?」
どうしてだろう、私、目を合わせないようにしていたのに、人と。
なんで目があったの?
その人は、翡翠の瞳を見張ってこっちを見ていた…と言うか、二人して見つめあった。
何とはなしに、微笑みかける。
向こうも笑みを返してきた。
じんわりと暖かな感じがしてくる。彼の笑顔は心からのものだと思う。今日、多くの王侯貴族が向けてきたものとは、別物だ。
「…皇太子殿下?」
はっと、笑みを消して後ろを振り返る。
やっぱりあのえらそーな伯爵だった。
「……時間がかかったようですね。」
「ええ、とある女性に引き留められましてね、……おっと、ご心配なく、やきもちなど妬かぬよう。」
「そうですか。」
だ れ が 嫉 妬 す る か !
あんたなんか正直どうでも良いんですよ!
「では、此方へ……護衛の方もどうぞ。」
奴は両手にワイングラスを持って、大広間を出て、廊下を歩き始める。
顔が歪みそうになるのを堪え、無表情を装ってそのあとに続く。
そのさらに後ろをガードナー君が着いてきた。ピリピリして警戒しているのが分かる。気配が……ね。
そんな彼を伯爵は鼻で笑ってるだろう。
「此処で良いでしょう。」
予め用意されていた、休憩室。
まあ、休憩室とは言え、個室ではあるから、実質夜のお遊びの場所だ。
まだ夜も更けておらず、人は居ない。
「…!セラ殿下!」
奴に続いて部屋に入ろうとすると、ガードナー君が私を呼び止めた。
「わかっていますよ。危ないと言うことでしょう?密室ですものね。」
「私が危ないと言うことですかねぇ?騎士さん。」
「……っ!」 ・・
「私の身を案じているだけでしょう。それに彼は何か
を〝危ない〟とは言っていませんよ。」
突然他人の会話に割り込むなよ。
「ガードナーく……殿、気にしなくて良いですよ。さっきも言いましたけれど、私は奥の手が有りますからね。入り口付近で待っててくれませんか。」
気を取り直して、ガードナーくんに言う。
一種の主の命令だから、彼は嫌でも従わないとい
ない。この場合仕方無いことだ。
「…はい。」
頷いた。
相変わらず殺気立っている気配は健在だ。
よっぽど伯爵が嫌いなのだろう。
伯爵の引いた椅子に座る。
目の前に置かれたワイングラス。赤ワインだ。
この種類ならお肉と食べた方が美味しい筈だし、そもそも私はお酒に弱いのだ。
『酒精を抜いてやろうか。』
(ありがとう、海神。)
海神は水全般を扱うことに長けている。
酒もその首尾範囲内なのだ。
「先程は失礼致しました。まさか皇太子殿下が答えてくださるとは思わず…。」
「そうですか。」
弁明らしき何かも聞くつもりはない。
お付き合いしてあげてるだけだから。
ワインを…と言うか、酒精は抜いてあるので(色は伯爵にばれないようにそのままにしてある)、水を一口、口に含む。
『つまらぬ男よの…………何故こんなのに付き合わねばならん。』
(ウィルの為。仕方無いのです。)
『面白くない話ばかりだ。そんなこと我が知らぬわけがなかろう。』
(今の大陸南部の情勢くらい、皇太子が知らないとでも思ってるんですかね。)
『舐めておるのだろうよ、たかが女、と。…自分で言うておきながら忌々しいな。腹のたつ奴だ。』
(まあまあ、そんなに怒らなくても。別に私は死んでませんから。)
海神がだんだん機嫌を悪くしていく。海神は気儘な性質をしている。面白くもないイヤーな…会話に縛られたくないんだろう。
「…それで、皇太子殿下はどう思われますか?」
「え。」
「我が妹、ミラベルですよ!なかなか美しいでしょう?」
全然聞いてなかった。
「ええ、ミラベルさんは美しいですね。」
「そうでしょう!正直、陛下は何故ミラベルではなくあれを選んだのか分かりませんな。」
なんだ、そう言うことか。
そっから先の内容は察することができた。
「確かに(アウロラが王妃に選ばれなかったら)勿体ないでしょうね、イシュットベルグさん。」
「さすがハイロン皇国皇太子殿下。見る目がお高い。ですからね、(ミラベルが王妃でないのは)勿体ないので、彼女を側室にしようと思うのですよ。」
あー、ほら、やっぱり。
結局伯爵は陛下キライなんじゃない!
然り気無く私が親しさを装って名字呼びしたら機嫌良くなってるし?なんなの…。
「(アウロラが王妃なのは)良いことだと思いますが。」
「まさか、(ミラベルを)支援してくださると?!」
「ええ、勿論支援しますよ、伯爵も(アウロラを)支援してくださいますよね?」
「そうするに決まっていますよ!兄ですからね、ああ、こんなにも素晴らしき殿下、貴女にお会いできたことを感謝致します…」
なんて口の軽い奴なの。
うそくさ。
言質は取れたから良いけど。
と、熱を込めて語った伯爵は一口ワインを飲んだ――――――――!
「?!」
「どうしましたか?顔が…赤い、ですよ?熱でもおありに?でしたら今すぐ」
「い、いや、そ、そうではない………っ!」
「本当ですか?熱があるか確かめさせて貰いま」
ガタッ!バシンッ!
ガタッ、というのは私が席を蹴飛ばすように立った音。
バシンッというのは私が伯爵の手を振り払い頬を打った音。
ここから、私のターン。
今までの…仕返し。
「?!」
「目が覚めましたか?なら結構です。貴方は随分と大胆なことを私にしたようですね……この、私に。」
「な、何を…?!」
「したとでも?しましたとも。私のワインに薬を入れましたね。媚薬を。酒気で誤魔化せるとでも思ったのですか?私が何なのか、お忘れのようですね。」
そうだ。
こいつは酒に紛れて、媚薬を私のにいれた。
海神は酒精と一緒に抜いてくれたが、私が媚薬の成分は伯爵のグラスに移したのだ。
だから、奴はさっき、ワインを飲んで、媚薬を(しかも速効性のを)飲んだ。顔が赤くなったり声が震えたりするわけだ。性欲を我慢してるわけだから。
「貴方が今、正常でいられるのは誰のおかげなのでしょうね。私ですよ。私が貴方の体から、媚薬の成分を抜きました……ここまで言えばすべてわかるはずです。」
「んなっ?!」
「たかが伯爵が、ハイロン皇国の皇太子を操れるとでも?私が陛下と幼馴染みなことを除いたとしても、有り得ない話ですね。」
ふんっ、と鼻で笑う。
奴は腰を抜かして、私が立ち上がった衝撃でもう椅子から転げ落ちていたが、声も出せなくなっていた。
「このことは陛下に」
「待ってくれ、それだけは…!」
「報告します。」
「そ、そんな、バカな………!我が伯爵家を、何だと」
一睨みすると、伯爵は黙りこんだ。
「少なくとも千年生きると言われるこの命、我はそなたの悪行を忘れはしまい。竜は平均、三百年は生きる。我が竜族と、それを統べる竜皇直系の血、軽んじるでないぞ。」
「あー、すっきりし………あら?貴方は?」
「…あっ!?」
「皇太子殿下。申し訳ありません。」
「良いですよ。それで貴方は?」
休憩室入口で待っていたガードナー君の隣には、なんと、あの、目があって微笑かけてくれた男の人がいた。
真っ黒な髪に、優しげな翡翠の瞳。繊細な、端正でちょっと儚げな感じ。
男の人にしてはちょっとからだが細い気がする。ちなみに背は私より低い……と言うか、私が高すぎるのだ。竜だから。上背が人間の背の高い男性よりあるのだ。
「ご存知ないかも知れません…我が国は小国だから………その、バイエルセン王国第一王子、アイラスです。」
「バイエルセン王国…。」
頭の中の、大陸南部の地図を広げる。
「……すみません、アイラス王子。」
「やっぱり知りませんよね。その」
「大陸南部の中でも北東に位置し、豊富な自然と適度な涼しさから放牧で国が成り立っている。王家はもとは放牧の民の部族長で、伝説では聖なる山羊の子孫とされている。」
護衛のガードナー君は知らなかったらしい。
私が知っている〝バイエルセン王国〟の脳内検索の結果を簡単に言えば、こんなものだ。
アイラス王子に目を向けると、ビックリ仰天していた。そんなに意外なのかしら…。
「皇太子殿下、御存知だったのですね。」
「まあ、この先暇でしょうし…他の国を見ていなければ退屈で死にそうなのです。まだ父上は永いですからね。私もあと三百年は皇太子のままでしょう。」
「……さ、三百年…。」
「すみません、驚かせてしまいましたね、アイラス王子。私はハイロン皇国皇太子、セラスミス・ロン・ツェイシェン……竜族の国を統べる竜皇の子です。ほら、海神の耳がありますでしょう?」
耳を指差してみせる。
「…すみません、見れば分かるものを…」
「良いのです。ですが、何故こんなところに?」
初めにそれを聞きたかったんだけど、自己紹介のなんのでうっかり逃してしまったのだ。
やっと会話がもとの道に戻ってきた。
「ま、迷ってしまって。」
「護衛の方は?いる筈だと思うけれど?」
「それが………その………」
「皇太子殿下、王子は貴方がこの部屋にはいられた直ぐ後にここに来たんです。私を見つけるとびっくりしたようですが、そこをうろうろしたりとても怪しく思いました。」
顔をしかめてガードナー君が告げた。
まさか彼が嘘を言うとは思わないけど、なんかちょっと、この王子はワケアリなのね。
しかし、この場所はいかがかものか。
「兎に角、大広間に戻りましょう?ここは暗い上に、人も少ないですから。ガードナー殿、先を案内して下さい。」
「はい。」
一瞬、彼は王子を睨み付けてから、前を歩き出した。
アイラス王子と並んで、彼のあとに続く。
伯爵はあの部屋に置いてきちゃったけど(ついでにグラスも二つとも破壊してしまったが)、ちゃんとウィルにあ謝るから…、まあ、後で。
「アイラス王子、お連れ様は?」
「え?あ、ああ…妹です。まだ社交界にデビューしたばかりなのですが…。」
意外と幼いお連れ様だったようだ。デビューしたばかりと言うことは、十五歳なんだろうな。
てっきり婚約者とか国の有力者の娘とかかと…ってか、女性(しかも夜会なんかよくわからないはずの)を待たせてる(?)時点で、何にしろアウトじゃないか。何をやってんだこの王子は…
「……あの!」
「はい?」
「…あー、その、あの、私の間違い?かもしれないんですが………………その…」
物凄い遠慮の仕方だ。
こんなに言葉を濁されたのなんか始めてだ。こっちが驚くわ。
「…………ぇと、……あの、さっき、微笑みかけ…お見かけした方では…?」
「へ?」
え、そのこと?
む、向こうも分かってたの?あえて聞かないでおいたのに?
かあっと頬が熱くなってきた。そんなことが、あるなんて…!
「…あ、やっぱり、人違いですよね、すみません……」
「あ、あの、そうじゃなくて?!」
はっと気付いたら、王子は更に縮こまって、私との身長差が…!身長差が…!
心なしか涙目なのでは?私ったら何やってんの?!
「泣かないで……、人違いなんかじゃないから。」
「え?!全然違うってことですか?!人違いどころじゃなくて………?!ぅぅ……っ。」
「へ?!は?!な、なんでそうなるの?!」
どうしてそっちの意味にしてるの?!
だんだん、窮地に追い込まれてきた…!ついには、涙があのキレイな翡翠の瞳からポロポロ溢れてるし……お願い、落ち着いてよ!?
「……………………………ぃ、良いですっ!すみませんでしたっ!」
と言うと、アイラス王子はすたすたと私の先を早歩きで行こうとして、思わず
「良くないっ!」
「?!」
声を出して、ぐいっと彼の手を引っ張った感触がして、二人して大理石の廊下に、しゃがみこんでいた。ひんやりとした石の感触が、私にこれが嘘じゃないことを教えてくれる。
「………ねえ、私の目を見て?」
「っ!?」
恐る恐る、翡翠の目が、彼の前髪越しに私に向けられた。
「まず、落ち着いて?それから私の話を聞いて?」
肩に手を当てて、深呼吸させて落ち着くまで待つ。
涙はもう、止まっていた。睫毛にキラキラと輝いているくらいだ。
「あのね、人違いじゃないわ。私は確かに、さっき大広間で貴方に微笑んだ女よ。別に人違いでもないし全く違うわけでもないし、むしろ大当たりよ。ありがとう。」
気付いてくれて、先に言い出してくれて、ありがとう、という気持ちを込める。
「………え、でも」
「感謝の気持ちくらい受け取っておきなさい。」
素直に頷いてくれた。ここで変に頑固になられたらどうしようかと思った。
「…あの、手、………と、顔、ちか………」
「手?顔?あ、ああ!」
手を引っ張ってしゃがみこんだついでに、彼の手を握っていたのだ。
力を込めてしまって痛かったかも知れない。
「ご、ごめんなさいね…」
「あ、いえ、大丈夫です。」
「さあ、立って。」
彼の腕を引っ張りあげて立たせる。
それからは明かり差す方へ、いつの間にか廊下の傍らで待っていたガードナー君と合流して、向かった。
「よろしければ、私と一曲、踊ってくださいませんか?」
何が楽しくて、私は女を口説かねばならないのだろう。
そうだ…………………例の伯爵の妹をいたい目に遭わせる為だ。
少し前に、時間を遡る。
大広間につくと、まず私達(私とアイラス王子かガードナー君)は王子の連れ……王女さまを探すことにした。
「王女様…リリアンヌ第一王女様は、どのような方ですか?」
「リリアンヌですか?ええと、………茶色の髪に、私と同じ目の色です。確か、ピンク色のドレスでした。」
「茶色の髪?すみませんが、その髪色の人は多いのはご存知ですよね?もっと詳しく。」
「…は!はい!すみません。」
大陸では、髪や目の色素は濃い方が普通だ。
王侯貴族ともなれば、それこそ金髪や赤毛もいるし、緑や碧の目の人も居るが、それでも彼らはごく一部だ。
特に茶髪なんて、茶色にも幅があるし、ごまんといる髪色だ。
唯一の確かそうな手がかりは、兄王子と同じという、翡翠色の目だろう。
「…うーん、あの、紅茶に、ミルクを入れますよね?あんな、感じ………」
「分かりました。」
背の高さをいかして、それっぽい女の子を見つけようとする。
ドレスの色と髪色で探し当て、瞳を確認するも…………
「………………王子、本当に妹さんはいらっしゃるのですよね?」
「…?え、ええ…」
「確かにこの場にいらっしゃらない可能性が無いわけでもないのですけれども(その可能性は低いけど)、………………貴方が教えてくださった風貌の女の子は、見当たりません。」
「………う、そ……。」
本当のことだ。
王子のいう王女様像は多少本物と違うだろうが、だとしてもそんな娘は居ない。
ミルクティーの髪に、翡翠の目に、ピンクのドレスのお姫様。
ぼそっと呟く。呪文のように。
「…翡翠の目?」
「何か?」
「何がですか?」
「は?」
二人して呆けた顔をしてしまった。
一拍おいて、まず、王子の方が声を取り戻して、
「翡翠の目って、……誰がです?」
「へ?貴方と王女様ですけれど?」
今更何を言うんだ?
自分のことでしょうが?
「私、ですか…?」
「はい?それが、何か?」
もう質問を質問でしか返してないよね。
訳がわからないんだけど。
「私の目は、焦げ茶色です。翡翠なんて色ではありませんよ?」
「?!」
この期にいたってまさかの人違いだった?!
「待って、よく、目を見せて……」
「ええ。」
自分より少し低いところにある瞳をのぞきこむ。
翡翠だ。
どう頑張っても、翡翠にしか見えない。
焦げ茶色には見えない。
私がみたのは、この顔で、まさしく翡翠の瞳に黒髪だった。
だからわかる、人違いではないのは、分かる。
しかし、何故、自称焦げ茶の瞳が私には翡翠に見えるのか。
何かの魔法…
「あ!あれです!あれ!妹です!」
「??あれって?」
フッと思考が引き戻された。
王子の目線の先には、小さな、まさに紅茶色の髪に、焦げ茶の瞳、ピンクとオレンジなどの薄い紗の布を重ねたふんわりしたドレスをまとった、美少女がいた。
居たは良いが、問題はその状況だ。
(兄王子と共通の)儚げな容姿も相まって、尚更、肉食動物に襲われる小さな鹿、という風体だ。
さらに、その肉食動物様は、かの肉食系伯爵令嬢、ミラベル・イシュットベルグだ。
取り巻きも加わり、まあ…………弱いものイジメというヤツだ、俗に。
兄がこんなんだから妹姫も、大人しい方なのだろうが、それが、彼女が某国の王女様であることをミラベルに認識させずにいる。
ほんとならミラベルが袋叩きにあってもおかしくはない。なんせ相手は王女様、ミラベルはただの伯爵令嬢。格が違うし、向こうに此の国の品位を疑われかねない行為だ。
「困ったなあ…」
こう言うとき(普通なら)頼りになる連れ、キリークは、今では宛にできない。
「ガードナー殿、キリーク…私のいとこの、あれ、を呼んできて。」
「はい。」
せいぜいトラブルにならないよう控えてもらうほかない。
そのために呼びにやった。
「仕方ない、私がいくかぁ………」
幸い、顔は男女どちらでも通用するレベルではある。
服も、皇太子だから男物だし、背だってある。
簪を抜くと、結い上げていた髪がほどけて、肩に流れ落ちた。
「……海の恵みよ、のびて錦となれ。」
手で簪をひきのばすと、延びないはずのそれはのびて、髪を結べるほどの錦となった。
王子が傍らで、息をのんだ。
そして、細い錦で男とも女ともとれる、竜の子がよくする髪型にする。
髪をひとつにまとめ、高い位置で錦で縛るのだ。
「アイラス王子、着いてきてください。話を私と合わせてくださいね?」
「は、はい。」
ダンスする人々を避けながら、大広間の対岸へ進む。
「…し、そんな………なのね。」
「……流石…………ル様!」
くすくすと笑う声が伝わってくる。
聞くだけ不愉快な内容だろうな、私だって女の端くれ(ただし竜)だ。他の女性の批判でいい気持ちはしない。
眉を寄せそうになるが、そんなことおくびにも出さず、微笑みながら、例のミラベル様の背後に立つ。
まぁ、そして、さっきの台詞ってわけだ。
運命の出会い、真打ち(アイラス王子)登場編でした。
次はお姫様救出回です。
こんなにアイラスをへたれにする気は無かったし、はじめは凛々しかったのに、なぜこうなった…。