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ピョートル師の若き頃 1

作者: 王太白

 さて、ここはルースラント王国の僻地にある、小さな村「グリャーイ・ポーレ」……。村は山のふもとのやせた土地にあり、村人は小規模な農業や林業をやったり、川で魚をとったりしながら、細々と生計をたてていた。

ところで、最近、この村に、みすぼらしい茶色のコートを着て分厚い眼鏡をかけた、27歳のやせぎすの大学院生が住み着くようになっていた。名をピョートルという。ピョートルは「精霊が起こす魔術」の研究が専門の、サライ大学の大学院生だった。だが、ピョートルが師事していた教授が、大学内の権力争いに敗れて大学を追われたために、大学にいづらくなったピョートルは、構想を練っていた博士論文もそっちのけにして、ふらりと旅に出て、たまたまこの村に立ち寄ったのだ。

「ん~ん…平和な村だなぁ…。」

 ピョートルがそう呟いた時……。

 ヒュウンと風をきるような音をたてて、石が飛んできた。だが、ピョートルは紙一重でかわす。ふと、石の飛んできた方角を見やると、数人の子供が目についた。いずれも、着古した褐色の上着を着ており、貧しい階層だと一目でわかるいでたちだった。

「ちっ…よけやがったか。」

 からかうような口調で言う。ピョートルは立ち上がると、子供たちに向かって言った。

「なんで、こんなことするんだ?危ないじゃないか。」

「おまえが、よそ者だからだ!『よそ者を村に入れるな!』って、父ちゃん、母ちゃんに言われてんだよ!」

「どうして、よそ者を村に入れちゃダメなんだい?」

 ピョートルは、ずれた眼鏡を直しながら尋ねる。

「よそ者は村に災いをもたらすからだってさ。」

「災い?どんな災いだ?」

「よく知らねえけど、村が滅ぶくらいの災いだってさ。」

 子供は、ぶっきらぼうに答えた。

(ふむ…民間の伝承なんか、あてにならないものだが…ここは、この子の言う通りにしといたほうが良さそうだ。)

「わかった。今日のところは、お兄さんは帰るとしよう。」

 ピョートルは、そのままグリャーイ・ポーレの村を出た。だが、村を出たところで、泊まるあてもない。しかたなく、雨露をしのげそうな、村の近くの修道院跡で寝袋を広げて寝ることにした。その夜遅く…。

「…我が民族の祖先であり、偉大なる守り神であらせられる、女神アリーナよ……我ら一同を末永くお守りください。国王の魔の手から。その他、ありとあらゆる災厄から…。」

 ふいに、近くの林の中から声が聞こえる。その声で、ピョートルは目が覚めた。

(そうか。ここは、アリーナ族の村だったのか。どうりで、よそ者を嫌うはずだ。)

 ピョートルは、ようやく疑問が氷解するのを感じた。猫の化身と言われる女神アリーナを崇拝しているアリーナ族と言えば、国王から「魔女の民」として迫害されている、「異端」の神の信徒である。体の特徴として、暗闇で妖しく光る目、常人を凌駕する五感などがある。得意とする魔術は、女神アリーナや、その他の精霊の力を借りて発動する精霊魔術である。

(こいつは、すごい!『魔女の民』の生活を直接のぞけるなんて…!)

 ピョートルは寝袋を片付けると、アリーナ族が祈祷をしている林の中へと歩いていった。だが、女神に祈りを捧げながらも、村人たちは周囲に気をくばっていたのである。たちまちピョートルは取り押さえられ、村の長老の前に引き出された。

「おまえはここで何をしていた!?」

「何って別に…ただ、野宿していただけですよ。」

「野宿か…。場所を考えてやってもらわねば困るな。」

「…で、僕はどうなるんですぅ?この雰囲気だと、やばいほうに話が展開しそうなんですけど…。」

 ピョートルはおそるおそる顔を上げた。既に周囲には、妖しく輝く目と、闇に溶けてしまうような黒い民族衣装の群れが、無数にある。ピョートルは覚悟を決めていた。

「とりあえず、貴様には、『血の契約』をかわしてもらわねばならん。」

「何ですか?その『血の契約』って?」

「我がアリーナ族に伝わる連判状のようなものだ。『自分は絶対に民族を裏切らない。もし裏切ったら、どんな罰を受けても文句を言わない。』という内容の呪符に血判を押させるのだ。そのうえで民族の秘密を他人に話したりすれば、体中の血管が破裂して死に至る。」

「わかりました。なら、早速お願いします。」

「よし、いい覚悟だ。早速だが、この呪符に、貴様の血を少ししみこませろ…。」


 そして、ピョートルが呪符に血をしみこませてから、しばらくたった頃……。

「…では、女神様…これより、『血の契約』の儀式にうつらせていただきます。」

 長老が、ゆっくりと重みのある声で言う。

「ピョートルと言ったな。女神様の像の前に立て。」

ピョートルが女神の像の前に立つと、長老は先ほどの呪符を火にくべた。呪符は青白い炎をあげながら、燃え尽きる。

同時に、ピョートルの心臓は、激しく脈打ち始める。

「が…あああああ…。」

 しばらくして気を失い……再び気づくと、ピョートルは茫漠とした灰色の空間に浮かんでいた。しばらくすると、前方の空間がぐにゃりと歪んで、女神アリーナが現れた。

「あなたが…アリーナ族の守護神『女神アリーナ』ですか?」

「いかにも…。」

 さすがに、「猫の化身」と言われるだけあって、女神アリーナは顔は猫そのもので、体つきは人間のそれだが、だいだい色の体毛は猫の毛のようだった。

「いやあ、感激です!本物の神様に出会えるなんて…。僕みたいに学者志望の大学院生にとっては、夢みたいだ…。」

「…そなた、本気で言っておるのか?」

「もちろん、本気です!本気でなくて、こんなことが言えますか!」

 ピョートルは自信満々で言った。

「いや、そうではなくて…わらわを見て、『怖い』とか『恐ろしい』とか思わぬのか?」

「そういう気持ちもないわけではないですが、やはり、学術的な興味のほうが勝ってしまいますね。」

「…話していて疲れる…。そなたのような人間を相手にするのは初めてだ。」

 女神は心底、迷惑そうな顔をした。

「で、女神アリーナ…あなたは誕生してから、何年たちますか?」

「知らん!そんなこと、考えたこともない!」

 女神は、そっけなく言った。

 そうこうするうちに、ピョートルは次の質問にうつる。

「『血の契約』は、何人ぐらいと結びましたか?」

「それも知らん!数えたことなどない!」

 女神は、だんだん、うっとうしくなってきた。

(うう…学者志望の輩とは、こういう人種のことを言うのか。良く言えば、純粋で好奇心旺盛…悪く言えば、役にも立たないことばかり知りたがるバカ…。)


 こうして、女神とピョートルとの最初の出会いは終わった。女神はピョートルの性格につけこむ隙を見出せず、ピョートルも学術的な話に終始したのである。

 さて、「血の契約」を結んだことによって、村に受け入れられたピョートルだが、村人のいじめは絶えなかった。特に子供たちは、よくピョートルをパシリに使った。それでもピョートルは黙って耐えた。ピョートルは博士論文を書いて大学に返り咲くために、アリーナ族の生態を注意深く観察していたのである。

(僕を大学から追放したやつらをみかえしてやるんだ!) ピョートルは必死だった。論文のテーマは、「少数民族と神との関係」に決めた。周囲から隔絶された生活を送っている少数民族にとって、神の役割とは何なのか?

 村人は、週に一回ぐらいの割合で、女神アリーナに祈りと供え物を捧げる以外に、何もしなかった。女神のほうも、それ以上は要求してこなかった。

(そもそも、女神が現実世界に力を顕現させることがあるのだろうか?)

 ピョートルは、女神の力を実際に見たかった。

 ちょうど、そんな時、村の娘トゥーラが、木から落ちて足の骨を折った。トゥーラは金色の髪の毛をショートカットにまとめていて、活発で男勝りな性格で、よく木に登って遊んでいたが、大ケガをしたのは初めてなので、村人は驚いた。村人は治療すると同時に、女神アリーナの神像の前にぬかづき、「トゥーラを治してください」と祈りを捧げた。だが、何日たっても、トゥーラの容態はいっこうに良くならなかった。

そんな折……。

「僕が治してみましょう。」

 ふいに、ピョートルが言った。

「何を言うか!よそ者に女神アリーナの民の治療など、できるものか!」

 長老が言い放つ。だが、もう一人の娘、リーザが言った。

「でも、長老様はトゥーラの足を治せなかったじゃありませんか。ピョートルに治療させてみて、うまくいかなかったら、その時はピョートルを殺すなり何なりすればいいのでは?」

 長老はうなる。

「ふうむ…確かに一理ある。よし、ピョートル、ただちに治療にかかれ!そのかわり、トゥーラのケガが治らなかったら…その時はどうなるか、わかっておるだろうな!?」

「はい。その時は、煮るなり焼くなり、好きにしてくださって結構です。」

 ピョートルは肩をすくめて言う。

「でも、僕が治療している間は、絶対に邪魔しないでください。それだけ約束していただければ、すぐにでも治療にとりかかります。」

「よかろう。聞いたか、皆の者…決して邪魔するなよ!」

「ははっ…!」

こうして、村人たちはトゥーラの病室から出て、室内にはピョートルだけが残った。


 ピョートルは早速、準備にとりかかった。患者がルーシ族なら、治療を司るのは、ルーシ族の信奉するキュリロス正教の唯一神「聖キュリロス」であるが…アリーナ族の洗礼を受けて体質が変化しているトゥーラには、聖キュリロスを媒介した治療は効果がない。

(僕の信仰する医術と癒しの『女神アムール』に頼るしかないな…。)

 ピョートルは、早速アムールに祈りを捧げた。

(慈悲深き医術と癒しの女神アムールよ…。トゥーラの治療のために、あなたのお力を媒介して、女神アリーナと交渉させてください。)

 既にピョートルの意識は女神アムールのいる異次元空間に飛んでいた。女神アムールは、頭に白いスカーフをかぶって、やわらかそうな白いローブを身にまとった、いかにも女神らしい慈悲深そうな身なりをしている。

「ピョートルですね。私に女神アリーナと交渉する手助けをせよと…?」

「そうです。トゥーラの治療には、あなたのお力添えが不可欠です。こう言っては何ですが……あの女神は、独断と偏見に満ちた神ゆえ、自分より力の劣る相手の言うことには、耳を貸そうとしません。」

「ふむう…難しい問題ですね。私は癒しの神……女神アリーナのような戦闘的な神とは別種の神です。戦闘能力なら、女神アリーナのほうが上…。私が言ったところで、女神アリーナは聞く耳を持ちますまい。」

「そこを逆に利用するのです。女神アリーナはあなたより格が上だとうぬぼれている…。だから、あなたが下手に出れば、必ず隙を見せるはずです。そこで、あなたが癒しの力を逆に使って、女神アリーナを病気にしてしまえばいいんです。」

「…むちゃくちゃ言ってくれますね…。そんな作戦に、あの女神がひっかかってくれるのでしょうか?」

「とにかく、やってみてくださいよ。それなりの供物は捧げさせていただきますから。」

「…わかりました。やってみましょう。」

 こうして、女神アムールは女神アリーナのいる異次元空間へと移動し、女神アリーナと対面することになる。だが、女神アリーナはピョートルの意向を察していて、女神アムールとは会おうともしなかった。そこでピョートルは一計を案じた。

「お待ちください。女神アリーナよ…。」

「何じゃ!?わらわは、そなたの腹の内など、とうにお見通しじゃ!おおかた、『トゥーラを治療したいから手伝え』と言うんじゃろうが!」

「その通りでございます。ですが、供物を捧げますので、どうか出てきてはくださいませんでしょうか?」

「供物じゃと?何を捧げる気じゃ?」

「この国を支配している多数民族であるルーシ族の若者の生き血でございます。あなたが『支配階級』と呼んで、蛇蝎のごとく忌み嫌っている、ルーシ族の…。」

「…ぷっ…ははははは…。」

 それを聞いた女神アリーナは、思わずふきだした。

「あんまり、わらわを笑わせるな。ルーシ族の若者の生き血だと?確かに、わらわも、ルーシ族の臓腑を引き裂いて、やつらの生き血をすすってみたい。もっとも、今のわらわが人間界に力を顕現させるのは難しいが…。だが、そなたに、他人を殺して生き血をしぼりとるような度胸があるのかえ?」

「嘘は申しませぬ。あなたへの供物は、血や肉が中心になっておりますので……トゥーラの足を治すために流血が必要とあらば、喜んでルーシ族の若者の生き血をささげます。ですから、トゥーラの足を治すのに、ご協力願えませんでしょうか?今は、村人たちの信仰心が揺らいでおるために、祈りの言葉があなたの耳まで届かぬのです。この際、大学で精霊魔術を専攻した僕が、生き血の正しい使い方を考えて使えば…。」

「もう良い…。そなたの言い分、よくわかった。確かに、グリャーイ・ポーレの村人の信仰心が揺らいでいるのも事実だが…そもそも、トゥーラのケガの治療が遅れているのは、トゥーラの足の内面の血管に魔物がとりついているからじゃ…。これは、誰かが意図的にとりつかせたもの……わらわは外面のケガを治すことはできても…人の内面に巣くう魔物は、わらわの力では、どうにもならぬ。だから、トゥーラのケガを治せと言われても、無理なのだ…。」

「ならば、どうすればいいんですか?このまま、手をこまねいて待てと言われるんですか?」

「それよりも安易な方法がある。トゥーラの足の血管に、そなたが入りこみ、魔物を倒すのじゃ。そうすれば、ケガは治る。それで、どうじゃ?」

「…わかりました。で、足の内面に入りこむのには、どうしたらいいんですか?」

 ピョートルが尋ねる。

「わらわが道を開いてやるから、それに沿って進むがいい。ただ、途中で魔物の本体に近づくのを邪魔しようとする、魔物の分身がいるから、そいつらにだけ注意するがいい。なお、魔物の分身どもは幾重にも結界を張っているから、一番外側の結界からつぶしていかねばならぬぞ。ちなみに、結界は、魔物の分身である『結界の門番』を倒すたびにひとつずつ消えていくようになっておる。…残念ながら、わらわにできるのは、ここまでじゃ。後は、おぬし自身の力でなんとかするしかない…。」

「わかりました。では、行きます。」

 ピョートルが言うと、女神は時空をねじまげて、トゥーラの血管への道を開いた。女神の魔術で小さくなったピョートルはそこに飛びこみ、血管内の道案内をしてくれる白血球に乗る。

「待って!私も行きます!」

 ふいに、茫漠とした空間の外から声がする。

「誰じゃ?」

「リーザです。トゥーラは私の友人です。治るまで指をくわえて見ているだけなんて、いやです!私もピョートルと一緒に行かせてください!」

「…よし。許可しよう。」

こうして、リーザはピョートルと一緒に行くことになり、一緒に白血球に飛び乗った。もっとも、リーザはようやく12歳の誕生日をむかえたばかりの子供である。流れるような金髪を頭の後ろになびかせ、カーキ色の布靴をはいていて、黒いスカートに黒い上着といった、子供の民族衣装を身に着け、腰の帯には剣をさげている。

「どうして、君は僕なんかに優しくしてくれるんだい?他の村人たちは僕をパシリに使ったりしていたのに、君だけは、そうしなかった。なぜだ?」

「あなたが、死んだ兄に似ているから…。」

 リーザは何かを思い出すように言った。

「兄は学者肌で、決して社交的ではなかった。でも、だからこそ、自分の研究に打ちこみ、多くの論文を書けた。でも、結局、アリーナ族というだけで、大学内で差別されて、書きためた論文は、日の目を見ることもなく終わってしまった…。論文のテーマは、『少数民族の文化を保存する方法』…。多数民族であるルーシ族の多い大学では、受け入れられない内容だった。結局、兄は大学を追われて、病気になり、失意のうちに死んだの。だから、ピョートルには、兄のようになってほしくない。私は、ピョートルをいっぱしの学者にしたいのよ!」

 そこまで言うと、リーザは口ごもった。

「さあ、人の体内を旅するには、さまざまな妨害がつきまとうわ。ほら、もう見えてきた…。」

 だが、ピョートルは目をこらして前方を見ても、茫漠とした空間以外に何も見えない。そうこうするうちに、いきなりリーザが叫んだ。

「伏せて!前から衝撃波が来る!」

ピョートルはあわてて頭を下げる。頭上を衝撃波が通り過ぎていくのが感じ取れる。

「何だ?どこから衝撃波なんか、きたんだ!?」

「前のほうを見て!こいつが、第一の関門を守る門番『アウスレーゼ』よ。」

 ピョートルが前を見ると…いや、よく見る暇もないうちに、第二の衝撃波が来る。

「くっ…これじゃ、僕たちが攻撃できない…。」

「落ち着いて!相手だって、不完全な魔物だもの。必ず反撃のチャンスが来るわ。」

 そう言いながら、リーザは呪文を唱え、印を組み、前方に向けて手を伸ばす。

 バシュウウゥッ…!!

 リーザのてのひらから、一条の黄色い光が前方に向かって放たれる。

「グギャオオオォッ…!」

 魔物の断末魔の悲鳴が聞こえる。

「一丁あがりっと♪」

 思わずリーザがガッツポーズをする。

「すごい。君はその年で、攻撃の魔術が使えるのか!?」

 ピョートルが感嘆の声をあげる。

「あら、うちの村の人なら、これぐらいできて当然よ。なにしろ、少数民族の領地を多数民族から守るために、戦わなきゃならないんだから。あなたは攻撃の魔術とか使えないの?」

「僕は医療系の魔術が専門だからね。攻撃のほうは、いまいちなのさ…。」

「やれやれ、つくづく使えない男ね。そんなんだから、うちの村の人たちにパシリにされるのよ。」

 リーザは、ため息をついた。

「それより、次の戦いに集中して!次はてごわいわよ!」

その言葉に、ピョートルは前方に意識を集中した。

「見えてきた。次の門番『クロパトキン』よ!こいつは普通の攻撃魔術じゃ倒せないわ!」

 リーザが叫ぶ。ピョートルも前方に意識を集中するが、やっぱり見えないものは見えない。

(女神アムールよ…。僕に、魔物を見る力を与えてください…。)

 だが、女神アムールの反応は冷ややかだった。

(そなたが魔物を見ようとせぬ限り、私には何もできませんよ。)

(そんなぁ…。)

 そうこうしているうちにも、クロパトキンはどんどん近づいてくる。

「ピョートル…こいつは、衝撃波を出せないかわりに、防御力がずば抜けてるの。私の魔術の腕じゃ、倒せない。とりあえず、私は魔物がどこから襲ってくるか教えるから、あなたは、私の指示通りに動いて!」

「わかった!」

 とっさに叫んでみたものの、攻撃系の魔術など知らないピョートルには、対処のしようがない。

「ほら、上から来た!」

 ピョートルはとっさに左に跳んでよける。

「今度は右から!」

 ピョートルは前にとんでよける。その間隙をぬって、リーザが指示を出す。

「ピョートル、女神アムールを召喚して!」

 医術の神を召喚してどうするのかという疑問をかかえたまま、ピョートルは女神アムールを召喚する。

「女神アムールは医術の神……ならば、逆に正常な細胞をガン化させることもできるはず。」

「…なるほど。なら、早速…。」

 ピョートルは女神アムールに祈りを捧げた。

(女神アムールよ。どうか、僕にトゥーラを救う力をください。そのために、僕の目の前にいる魔獣クロパトキンに、細胞をガン化させる術をかけてください。)

(わかりました。)

 とたんに、クロパトキンが「グギャアアッ…」と、苦悶の声をあげ始める。

「よし、ガン化の呪文がきいたみたいね!」

 リーザがピョートルに向けてガッツポーズをする。

「こうなれば、話は早い!あとは正常な細胞を攻撃するだけよ!」

 そう言うと、リーザは魔術で攻撃を開始した。

 ビシュウウゥッ…!!

「ギャオオォーン…!!」

 クロパトキンの悲鳴が聞こえる。

「一丁あがり♪」

 リーザが叫ぶ。

「ピョートル…あなた、医術と癒しの女神アムールを召喚できるなんて、すごいじゃない!普通、なかなか扱えない神なんだよ、女神アムールは…!」

ピョートルは照れて、顔を真っ赤にした。

「あら、意外と、照れ屋なのね。か~わいい!」

「バカ!大人をからかうんじゃない!」

そう言いながらも、ピョートルは嬉しそうだった。

「でも、リーザ……君は子供のくせに、やけに魔物のことに詳しいね。どこで、そういうことを覚えてくるんだい?」

「私は長老様の孫娘だから、長老様の跡取り娘でもあって、魔術や魔物に対する英才教育を受けさせられてるのよ。フルネームは『リーザ・マフノー』。マフノーは長老様の家系の姓なのよ。」

「こんな小さな村の長老に、そこまで英才教育をする必要があるのかい?」

 ピョートルには、それが不思議でならなかった。

「アリーナ族の村の長老なら、皆そうよ。私たちの村の長老様は、来たるべき独立戦争の際には、率先して村人を率いて戦わなきゃならないんだから。」

 独立戦争……それが、どういう意味を持つのか、ピョートルには何となく理解できた。よく、「暴力に暴力で対抗しても何も生産はない」と言われるが、彼ら少数民族は、暴力以 外にどうやって身を守るというのか。法律では多数民族であるルーシ族の権利だけを認め、少数民族の政治的・経済的権利を法律から除外するなど、国王による迫害は日増しに厳しくなるばかりだった。

 同時に、少数民族は、王政に反対する反体制組織に参加する割合も高かった。ルースラント王国の人口の四割が、アリーナ族などの少数民族だが、「アリーナ族独立同盟」や「正教救国同盟」などの多くの反体制組織の構成員の六割が少数民族出身者で占められていたのである。

「でも、変ね。これだけの数の魔物が、自然に発生するなんて、あり得ない。誰かが裏で召喚してるとしか思えないわ…。ここだけの話だけど、アリーナ族に反感を持っている、近所のルーシ族の村の犯行かもしれない。」

 実際、貴族たちは、自分たちの汚職や腐敗から人民の目をそむけさせるために、少数民族に対する迫害を強化していたのである。

「一週間前も、うちの村に役人が来て、『土地をルーシ族にあけわたせ』と言ったのよ。もちろん断ったけどね。」

「それで、どうなったんだ?」

「それが…あの腐れ役人ども、村に放火しようとしたのよ!」

「何だって!?」

「何でも、この村にキュリロス正教の大きな寺院を、新しく建てるつもりだったみたい。で、私たちが邪魔だったってわけ。」

「やれやれ……いかにも、ありがちな話だな。」

ピョートルは頭をボリボリかいた。

そうこうするうちに、第三の魔物が近づいてくる。

「次の門番は『リネウィッチ』だ!こいつは、魔術も医術もきかないわ!手ごわいわよ!心してかからないと!」

 リーザが声をはりあげる。同時に、前から巨大な衝撃波がくる。

「まずい!大きすぎて、よけられない!」

 リーザが叫ぶと同時に、ピョートルは衝撃波の直撃を受けて、乗っていた白血球から放り出され、どこかに吹っ飛んでしまった(リーザは小柄なので、直撃をまぬがれ、無事だった。)。

「ピョートルゥゥー!!」

 リーザは声をはりあげるが、応答はない。

「バカ!!バカ!!なんで、私をおいてっちゃうのよぉ!?兄さんのかわりに、論文を書いてほしかったのに…大学に返り咲いてほしかったのにぃ…!!」

 だが、ピョートルの反応はなかった。

 そうこうするうちに、次の攻撃がくる。リーザは身をかがめて、前方にバリヤーをはった。

 ドオォォォン…!!

 衝撃波がバリヤーにぶつかる、派手な音がする。リーザはバリヤーをわずかに傾斜させて、衝撃波を後ろに逃す体勢をとったが、それでも衝撃波の威力は重くて、手がビリビリとしびれた。

(まずい…これ以上くらうと、こちらが不利だ…。それに、吹き飛ばされたピョートルのことも気になる…。ここは、いったん退こう。)

 一度そう決めると、リーザの行動はすばやかった。乗っていた白血球から降りて、リネウィッチに背を向けると、とっとと後ろに逆走し始めたのである。


「ピョートル…どこに吹き飛ばされたんだろう?」

 逆走しながら、リーザはつぶやいた。背後からはリネウィッチの衝撃波が追ってくるので、背後にバリヤーをはり続けねばならず、リーザは体力、気力ともに限界に達していた。

(女神様…どうか私に、リネウィッチを倒す力をお貸しください。)

 だが、女神アリーナの反応は冷ややかだった。

(…無理じゃ。いくら、わらわでも、人の体内に巣くう魔物までは、直接攻撃できぬ…。下手したら、魔物のまわりの健康な細胞まで傷つけてしまいかねん…。健康な細胞まで傷つければ、トゥーラの足は破傷風になってしまう。)

 一方、ピョートルは、衝撃波によって、はるか後方に吹き飛ばされていた。

「いててて…。」

 かろうじて上体を起こすが、とたんに胸に激痛がはしる。

「こりゃ、肋骨が折れたな…。」

 ピョートルは、すぐに、女神アムールを召喚する。自分で自分のケガをなおすのは、他人のケガを治す以上に気力を消耗するが、なりふりかまっていられない。しばらく回復魔法を使ったあと、ピョートルは寝ころんで体を休ませながら、周囲の状況を分析しようとした。

(まいったな…。現在位置さえもわからん。)

 だが、その時、ふいに周囲の細胞がザワザワとざわめき始めた。

(何だ?何が起こってるんだ?)

 ピョートルは狼狽した。しかも、よく観察していると、どうやら細胞はピョートルを体内に呑みこもうとしているようだった。既に右足が呑みこまれようとしている。ピョートルは足をひっこぬこうとするが、うまくいかない。仕方がないので、ピョートルはまた女神アムールを召喚した。

(女神アムールよ、あなたの力で、この細胞を動かしてください…。)

(…無理です…。)

女神アムールの返答は、そっけなかった。

(この体の部位には、神の力を遮断する魔術がかけてあります。私の力では、どうにもなりません…。)

 そうこうするうちに、右足はどんどん呑みこまれていく。

(仕方ない。トゥーラの細胞を傷つけることになるが…。)

 ピョートルは護身のために懐にしのばせておいた懐剣を抜くと、右足を呑みこもうとしている細胞の細胞膜に思いっきり突きたてた。

 ブシュウウゥッ…!!

 細胞から、中身である細胞液が噴き出す。

(いけない!ピョートル!細胞を傷つけちゃダメ!)

 ふいに、頭の中で声が聞こえる。「念話」といって、俗に言うテレパシーである。

(リーザか?今、どこだ?)

(場所までは、はっきりわからない。でも、ピョートルが細胞を傷つけてるのはわかる。ピョートルが細胞を傷つけたことで、トゥーラの細胞が怒っている!)

(じゃあ、どうやって僕の右足をひっこぬけば良いんだ?)

(すぐ行くから、私が行くまで待ってて!)

 そう言うと、リーザの声は途切れた。そうこうするうちにも、ピョートルの右足はどんどん呑みこまれていく。

 十分ぐらいたって、ようやくリーザが駆けつけてきた。相当急いで来たらしく、ぜいぜいと、肩で荒い息をしている。

「…ずいぶん、深く傷つけたみたいね。他の細胞が痛みを共有して怒りだしたから、一目でわかったわ。これは、体内に侵入した異物を排除しようとする細胞の運動なのよ。ひとつの場所に長くとどまると、細胞膜の間に呑みこまれてペシャンコになっちゃうの。なおかつ、下手に細胞を刺激したら、周囲の細胞を皆、敵にまわすことになるわ。」

 そう言うと、リーザはゆっくりとピョートルの足元の細胞に手をかざした。

「…そう、痛かったよね。ごめんね…。あなたは『異物を排除せよ』という暗示をかけられていただけ。…さあ、ピョートルの足を離しなさい。」

 わずかに、足を呑みこむ速度が遅くなったような気がした。そうこうするうちに、細胞は、ゆっくりとピョートルの足を離していった。

「すごいな、リーザ…。神の力を使わずに、やるなんて…。それも、長老の孫娘が受ける『英才教育』のたまものかい?」

「うん、それもあるけど、トゥーラは私の親友だもん。トゥーラの体のことは、よくわかってるつもりよ。」

 リーザは薄く笑った。

「そもそも、トゥーラを始めとする村の子供たちの健康管理も、長老の仕事のうちだから。私は村の子供たちの体のことは、村の誰よりもよく知ってるつもりよ。」

 だが、そこまで言った時……血管の奥のほうから、ズシンズシンと足音が聞こえてきた。

「まずい。リネウィッチだ!私を追ってきたんだ!」

「どうするんだ!?リネウィッチには、魔術が通じないんだろ!」

「待って。私に考えがある。」

 そう言うと、リーザは、先ほどまでピョートルを呑みこもうとしていた細胞に、再び手をかざした。

「…あなたの呑みこむべき相手がやって来たわ。そいつが来たら、容赦なく呑みこんで…。そいつが、この体をむしばんでいる元凶だから…。」

 そして、リーザはピョートルの手を握って、奥のほうへと駆け出す。やがて、リネウィッチはピョートルとリーザに向けて衝撃波を撃ちだした。

「まずい!伏せて!」

 二人は伏せて、かろうじて衝撃波をやりすごす。遠方からの衝撃波がかわされたと知ったリネウィッチは、再びズシンズシンと歩きながら距離をつめてきた。そのまま、ピョートルが呑みこまれた細胞の上に来る。

「今だ!呑みこめ!」

 リーザが呼びかける。ふいにリネウィッチの巨体がかしぎ、右足がズブズブと細胞にひきずりこまれ始めた。だが、リネウィッチとて、負けていない。細胞に向かって衝撃波を撃ちだす。しかし、周囲の細胞が痛みを共有して、リネウィッチをいっせいにひきずりこもうとし始めたから、たまらない。細胞の吸引力は強く、両足を呑みこむことでリネウィッチの体を引き裂いてズブズブと呑みこんだ。

「ピョートルも、呑みこまれてたら、ああなってたところだよ。今頃は細胞膜におしつぶされてペシャンコになってるでしょうね。」

「やれやれ…ぞっとしない話だな。」

 ピョートルはボリボリと頭をかいた。


 さて、ピョートルがリネウィッチの衝撃波によって、遠くまで吹き飛ばされてしまったために、二人は元の道に戻らなければならなかった。

だが、元の道に戻るまでが大変だった。戻る途中で、血を吸うこうもりが何匹も出没し始めたからである。

「何だ?こいつら、どこからわいて出てきたんだ!?」

「…これは、毛細血管の門番の使い魔よ。」

 リーザがポツリと言う。

「毛細血管?今、僕らがいる、この血管のことか?」

「そうよ。トゥーラの体内には、無数の毛細血管がある。そのうち、私たちが通ってきたのが、一番太い血管なのよ。今いるのが、枝わかれした毛細血管。さっき衝撃波で吹き飛ばされた時に、どこかの毛細血管に入っちゃったんでしょうね。でも、これだけの魔物がいると、いちいち戦うのに骨が折れるわ。魔術を使うのに必要な、私の気力のほうがもたない…。とにかく、誰が魔物を召喚したかだけでもわかれば、いちいち戦わずにすむんだけど…。」

「どうやって戦わずに済ます気だい?」

「魔物の召喚された順序を逆にたどって、召喚主に直接、魔術をたたきこむのよ。呪い返しと同じ要領でね。」

 そこで、ピョートルは女神アムールを召喚した。

「女神アムール……今、僕らがいる、トゥーラの毛細血管にいる魔物の召喚主を教えてください。」

(…難しいですね。あいにく、私には索敵の能力はありません。『魔物の召喚主を探せ』と言われても、どこから召喚魔術を使っているのか、わからないことには…。)

 ふいに、リーザが二人の会話をさえぎって言う。

「索敵の能力はなくても、魔術によって細胞が影響を受けたあとをたどれば、召喚主に行き着くはずです。魔術によって、細胞が傷ついたあとがあるはずですから。」

(わかりました。そういうことなら、探してみましょう。)

 そう言うと、女神アムールは、細胞の傷あとを探し始めた。

(…どうやら、これらの魔物を召喚したのは、かなりの魔術の使い手のようですね。私でも、気配を見つけられない…。でも、操っている魔術の方向はわかりますから、そこを逆に攻撃して、相手の魔術を使えないようにするぐらいはできるでしょう。)

「つまり、敵の正確な位置はわからないけど、僕らが攻撃するのは可能ということですか?」

(そうです。ただ、攻撃には、こちらも相応の犠牲を伴いますよ。なにしろ、呪い返しの対策が充分にほどこされていますから…下手に攻撃すると、こちらが呪い返しを喰らうことになります。それでも攻撃するかどうかは、あなたがたの自由ですが。)

「もちろん、攻撃するわ!」

 リーザが叫ぶ。

「このままザコとばかり戦って気力を消耗し続けるよりは、敵の本体を直接攻撃するほうがいい!私は、そっちにかけるわ!」

(わかりました。ならば、ここから、ななめ前方に向かって魔術攻撃してください。私が、攻撃魔術が相手に届くように、側面から助太刀します。)

 そこまで言うと、女神アムールは黙ってしまった。

「呪い返しがあるって言ったわね。そういうことなら、こちらも、よほど周到にやらないと…。」

 リーザは、どの攻撃魔術を使うか、考え始めた。さいわい、周囲の血吸いこうもりは既に、ピョートルが女神アムールの力を借りて細胞組織をガン化させることで、全滅している。

「…よし!魔術『パルチャム』を使おう!」

 パルチャムは、破壊力こそ強いが、命中率が低い魔術である。だが、命中率が低いからこそ、呪い返ししにくく、呪いに対処するには、うってつけの魔術である。

「とりあえず、私はパルチャムの命中精度を高めるために、女神アムールと同調するわ!その間、私は無防備になるから、ピョートルは私の周囲に他の魔物を近づけさせないように、バリヤーの結界を張って!」

「わかった。」

 ピョートルはリーザの周囲に魔方陣を描くと、呪文を唱えて、結界を張った。魔方陣の中央では、リーザが手を胸の前で交差させ、ひざまずいて女神アムールに祈りを捧げている。

(…女神アムールよ…敵に魔術を命中させるために、どうか、私の目となり耳となってください…。)

 ひととおり祈り終えると、リーザは腰にさげていた剣を抜き、目の前で縦にささげ持つと、一心に呪文を唱え始めた。

「…我が民族にとって、女神アムールよりも高位におわします、戦の神、女神アリーナよ…。何とぞ、私の親友トゥーラを救うために、女神アムールと協同して、お力をお貸しください。」

 やがて、剣に白い光が淡くともり、徐々に光が強くなっていく。

「よし!魔術『パルチャム』発動!今から魔術を打ち出すから、ピョートルはバリヤーを解いて!(バリヤーを張ったままだと、魔術がバリヤーに阻まれて、敵に届かないためである。)」

「おう!」

 ピョートルがバリヤーを解くと同時に、リーザの剣から、白い光がななめ前方に向かってほとばしる。だが、リーザも高度な魔術を使ったために力尽き、ガクリとひざをつく。顔も汗びっしょりだった。

「大丈夫か?こんなに汗をかいて…。」

「大丈夫よ。トゥーラのことを思えば、これぐらい…。」

「で、魔術は命中したのか?」

「まだ、わからないわ。命中したんなら、何か兆候があらわれるはずだけど…。」

 だが、その時……ふいに轟音が鳴り響いたかと思うと、「ドン…ドン…ドン…!!」という音とともに、リーザとピョートルの周囲に魔術弾がいくつも着弾した。

「しまった!魔術返しだ!」

 リーザが舌打ちする。

「ピョートル、バリヤーの結界を張って!すぐに次が来るわ!」

 ピョートルはすぐに呪文を唱え、バリヤーを張りなおす。とたんに、「ドゴオオォォン…。」という、ものすごい轟音とともに、巨大な魔術弾が着弾する。

「くうぅ…バリヤーが…。」

 ピョートルは必死で気力をふりしぼってバリヤーを張るが、これほど大きい魔術弾だと、バリヤーで防御しきれない。そのうち、「バリッ…バリッ…。」という音とともに、バリヤーの一部に穴が開き始める。

「まずい!」

 リーザがあわててバリヤーの裂け目を補強する。だが、時すでに遅く、バリバリという音をたてて、バリヤーの裂け目から魔術弾が侵入してくる。

 ドッゴオオォォン…!!

「きゃああああっ…!」

 リーザとピョートルは、魔術弾に吹き飛ばされる。


「ううっ……ここはどこだ!?」

 ピョートルが気づく。

「気がついた?どうやら、魔術返しで、遠くまで吹き飛ばされたみたいね。私がとっさに、どこででも安易に使える『風の結界』を発動したから、すり傷ぐらいで済んだけど…。『風の結界』なしだと、命がなくなってたわよ。」

 ピョートルはあらためて、敵の強大さを思い知った。

「とにかく、これではっきりしたわ…。敵は、私たちが思ってるより、よほど強いってことね。今の攻撃で、敵もこちらの位置を見失ってるから、その間に作戦を立て直さないと…。」

 と言っても、万策尽きた状態だった。リーザは既に魔術を使うための気力を消耗しつくしているし、ピョートルも同様である。

「ピョートル、女神アムールは、この状況をどう分析してる?」

「…何とも言えないな。女神アムールは、敵の戦力さえ分析できかねる状態だ。それに対して、女神アリーナは攻撃の魔術が使えるけど、女神アムールのように細胞をガン化させる能力はない。女神アムールと女神アリーナが融合できれば問題ないけど…。融合すれば、互いの能力を補完できるからな。」

「そうか…。私からも女神アリーナにお願いしてみるけど、融合は難しそうね。あの女神様は、他の神との融合が大嫌いだから。」

 そう言うと、リーザは女神アリーナに祈りをささげた。

(女神様、どうか、女神アムールと融合してください。このままだと、我々に勝ち目はありません。)

(……よかろう。今回の敵は、リーザの手にあまる相手だからな。わらわも手を貸さざるを得まい。だが、融合には、それなりの器を必要とする。)

(器とは?)

(わらわの精神と女神アムールの精神の入る肉体だ。そして、その肉体は、わらわの洗礼を受けた子供の肉体でなければならぬ…。すなわち、リーザの肉体でなければならぬのだ!)

(!!…お待ちください!女神様の精神が私の肉体に入るということは、私の精神は…!?)

(つまり、リーザの魂は死ぬということだ。あとに残るのは、魂を失った肉体だけだ…。)

 リーザは一瞬、迷った。そして、ピョートルは、その迷いを見逃さなかった。

「リーザ、女神アリーナに何を言われたんだ!?」

「いや、別に大したことじゃないわ…。」

「何言ってんだ?君の顔色を見れば、かなり大きなことに思えるぞ!さあ、僕を信用してんなら言ってくれ!」

「…あのね、女神様、お力をお貸しくださるのには、私の魂とひきかえだって…。」

「何だって!?ダメだ、リーザ!そんなことを要求する神なんて、民族の守護神なんかじゃない!ただの邪神だ!」

 リーザは、また返答につまった。

「でも、村の人なら、喜んで命をさしだすわ。『女神様のお役に立てるのなら本望だ!』とか言って…。」

「ダメだ!いいか、今の君は、僕の助手だ。僕がダメと言うのなら、ダメだ!」

「でも、他にどういう方法があるの?トゥーラを救う方法があるのなら、言ってみてよ。」

 ピョートルは考えた。

(この娘の頭には、『女神アリーナの要求には、全て従うべきだ。』という図式しかないのか!?だとしたら、何という悪習だ!僕が、その根を断ち切らないと…!)

 その時、突如、女神アリーナから警告がきた。

(そなたたちが迷っている間に、敵の召喚した魔物が向かってきているぞ!もはや、一刻の猶予もならぬ!女神アムールとの融合を…!)

「ダメだ!あくまでもリーザの肉体を融合の道具にするつもりなら、僕が許さないぞ!」

(ならば、他に、どういう手があるというのだ?)

「僕が攻撃魔術を使えばいいだけだ!今までは、他人を傷つけるのがいやで使わなかったけど……見よう見まねで使ってやる!」

 それから、しばらくして、前方に魔物の姿が見えた。

「あれは、魔獣『スタヴローギン』だわ!潜伏している相手を探し出すために、とても鼻がきくの!こいつは、動きが速いから気をつけて!細胞と細胞の間に呑みこもうとしても、動きが速いから無理!あと、こいつは表皮が硬いから、女神アムールのガン化の呪文をはねかえしちゃうの。だから、こいつに傷を負わせるには、破壊力のある魔術弾か、剣で傷をつけるしかない!」

 リーザが叫ぶ。

「僕にも魔獣の姿が見えるぞ。危機が迫ってきたからかな?」

 実際、ピョートルには、初めて人外の者の目にしか見えない魔獣の姿が見えた。リーザを守りたいという一念で、魔獣が見えるようになったのだ。

「攻撃魔術の使い方はわかる?」

「印の組み方や原理は、だいたいわかるさ。あとは、撃とうとする気力の問題だろう。まあ、見ててくれ。」

 ピョートルは、ゆっくりとスタヴローギンに向けて左手をかざした。

「くらえ!」

 ピョートルがゆっくりと印を組むと同時に、左手から一条の白い光がスタヴローギンに向けて放たれる。だが、スタヴローギンは難なくかわす。

「かわそうったって、そうはいかないぞ!」

 ピョートルは、スタヴローギンの進行方向に向けて、第二撃を撃ちだす。

 ビシュウウゥゥ…!

 だが、スタヴローギンは、それも紙一重でかわす。

「ピョートルの腕じゃ、まだ無理よ。私でなきゃ…。」

 既に気力、体力を消耗しつくしたリーザが、ヨロヨロと立ち上がる。

「無理だ!君は、まだ寝てなきゃ…。」

「寝てたら、二人ともスタヴローギンに殺されるわ!とりあえず、私が剣で斬りつけて表皮を傷つけて、そこから女神アムールの魔術を送りこむしかない!だから、私の剣に、女神アムールの細胞ガン化の魔術をこめて!早く!」

(リーザは剣でスタヴローギンに斬りかかり、傷口から細胞ガン化の魔術を注ぎこむ気か…。)

 ピョートルは即座に理解した。だが、今のリーザに、剣で接近戦をやるだけの余力があるとは思えない。かと言って、手をこまねいていては、二人とも死ぬだけだ。

「よし。僕が魔術で援護射撃するから、それを利用しながら敵に接近するんだ!」

 こうして、ピョートルは剣に魔術をこめると、ありったけの魔術を次々に撃ちだした。スタヴローギンは、ひょいひょいと紙一重でかわしているが、しだいにピョートルの魔術弾が当たり始めた。

「その調子よ!そんな感じで、私を援護して!」

 リーザがスタヴローギンに斬りかかる。リーザの剣が一閃すると、スタヴローギンが悲鳴をあげる。だが、致命傷ではない。スタヴローギンは体勢を立て直そうと、退却し始めていた。

「スタヴローギンが後退するわ!ピョートル、退路に向かって魔術弾を撃って!」

 ピョートルはスタヴローギンの後方に向けて、ありったけの魔術を撃ちこんだ。リーザに背中を向けていたスタヴローギンは、退路に魔術弾を受けて足が止まったところを、背後からリーザの剣を食らう。

「ギャオオォーン!」

 リーザの剣による傷口から入ったガン化の魔術により、スタヴローギンは全身をガン化させられて絶命した。

「ふう…。」

 一方、ピョートルも、かなりの魔術を使ったことで、心身ともに疲れ果て、ガクリとひざをつく。

「よくやったわ。最初にあれだけの魔術弾が出せれば上出来よ。」

 リーザが素直にほめる。だが、リーザも疲れ果てていて、肩でゼイゼイと息をしながら、ガクリと膝をつく。

「リーザを守りたいという気持ちがあったから、魔術弾が出せたんだろうな。やっぱり、二人で来て良かったよ…。一人じゃ、こんな芸当なんか、できっこなかった。」


 とりあえず、ピョートルとリーザは、気力と体力の回復のために、いったん休むことにした。

「細胞さん…私たちのために、あなたたちの生命力をわけてちょうだい。」

 リーザはトゥーラの細胞をなでながら語りかけた。細胞は最初はとまどっていたが、やがて、ピョートルとリーザに生気を放出し始めた。

「暖かい…。手足の指先から毛布で温められるようだ…。」

 ピョートルは柔和な表情でつぶやいた。

「細胞たちは、自分が生きてゆくために血液から受け取る、貴重な生気を私たちに与えてくれてるのよ。感謝しなさい。」

「僕は昔、細胞学を研究してたから、細胞が生きるために必要とする生気がいかに貴重か、わかるつもりだ。細胞は常に、生きるための最低限の生気で活動してる…。トゥーラの細胞には、いくら感謝しても、したりないぐらいだよ。」

 ピョートルは細胞の生気を全身に浴びながら言った。

「さて、敵の本体には、そろそろ、お目にかかれるかな?」

「…?…どういうこと?まさか、敵の本体がどこにいるか、察しがついたの?」

「正確な位置はわからないけど、だいたいはわかる。さっきの魔獣スタヴローギンは外部から送りこまれてきたものだ。こいつが送りこまれてきた道を逆にたどっていけば、敵の本体に会える。だから、リーザ…僕の魂を幽体離脱させて、敵の本体のもとに送ってくれ。」

 そこまで聞くと、リーザはピョートルの意を汲み、常人には聞き取れないような特殊な呪文を唱えて、ピョートルを幽体離脱させた。

「僕は、これからスタヴローギンの来た道をたどってみる。リーザはここで待っててくれ。」

 そう言うと、ピョートルは、ななめ前方の空中へ舞い上がっていった。

(…驚いたな…。スタヴローギンの気配を消す術は、ほぼ完璧だ。こいつは、かなりの術者だな…。だが、僕も大学では精霊魔術の研究の第一人者だったんだ。僕に見つけられない気配はないってことを見せつけてやる。)

 ピョートルはわずかな気配を慎重にたどっていった。リーザという、守るべき者ができた今、ピョートルには魔獣の気配や姿が、だんだんとはっきり見えるようになっていたのだ。

(ピョートル、どう?何か、気配が感じられる?)

 リーザが念話テレパシーで話しかける。

(わずかしか感じられないよ。魔獣を送りこんできたやつは、かなりの術者だ。)

(そう…無理だけはしないで。)

 ピョートルはわずかな気配も見逃すまいと、懸命に術者の気配を追う。やがて、ピョートルの魂はトゥーラの体から離れ、時空を越えていった。

(女神アムールよ…僕に力を貸してください!)

(うふふ…かなり成長しましたね。ここまで魔獣の気配を追えるようになったとは。これなら、私も力を貸す価値があるというものです。自分で魔獣の気配を追えるぐらいでないと、私がいくら力を貸し与えても、パワーアップしませんから。)

 女神アムールが嬉しそうに微笑んだように、ピョートルには思えた。その瞬間、ピョートルの頭の中に、膨大な量の情報が滝のように流れこんでくるのが感じられた。

(私が今まで魔道士に力を与えて対決させてきた、術者の情報です。あなたが対決している術者に近い者の情報も含まれているかもしれません。)

 ピョートルは、あらためて、自分が元来持っていた知識がいかに偏狭なものだったか、思い知ることになった。そして、女神アムールの与えてくれた情報をひとつひとつ検討してみる。

(おや?これは…?)

(うふふ…気づきましたか。だてに大学で精霊魔術の研究をなさってたわけではありませんね。)

(そうか。これが、敵の術者の手口か…。なら、対策が打てるぞ!)

 ピョートルは内心、小躍りした。

(リーザ、聞こえるか?君の助けが欲しい…。)

(何?私にできることなら、何でも言って。)

(スタヴローギンの残していった、魔術の残り香があるはずだ。常人である僕には嗅ぎとれないが、獣並みの嗅覚を持つ、アリーナ族である君の超人的な嗅覚なら、魔術の残り香を追えるはずだ。追ってみて、だいたいの方向を教えてくれ!)

(了解!)

 そう言うと、リーザは目をつむって精神を集中させ、スタヴローギンを送りこんできた術者の気配をつきとめようとした。どれくらい、そうしていたのだろう。ふいに、リーザは目を開き、叫んだ。

(ピョートル、ここから、かなり北のほうよ。…いや、正確には、北北東かな。かすかだけど、魔術の波動が出てる。)

(それだけわかれば、充分だ!)

 ピョートルの魂は北北東へ飛んだ。

(かすかだけど、魔術の残り香が感じられるな。しかも、だんだんにおいが強くなる。リーザの嗅覚は本物だ。)

 やがて、前方に、壊れかけた小さな寺院が見えてきた。その寺院の奥まった一室に、黒い僧衣をまとい、口のまわりにひげを生やした中年の神官がいて、必死の形相で祭壇に祈りを捧げている。

(ついにつきとめたぞ!魔術の残り香は、こいつから出ているんだ!)

 ピョートルはそのまま神官を魔術で吹き飛ばそうとしたが、幽体離脱している身だと攻撃の魔術は使えないことに気づいた。

(しかたない。ここは、いったん引こう。)

 だが、その時、神官がこちらを向いたかと思うと、いきなりピョートルの左肩をガシッと掴んだ。

(何ぃ?こいつは幽体離脱した魂が見えてるのか?)

 神官は、そのまま、ひげ面を近づけてくると、ピョートルの左肩に、ガブリとかみついて、左肩を食いちぎった。

「ぎゃああっ…!!」

 その瞬間、ピョートルは自分の体に戻った。

「ピョートル…大丈夫?すごく汗かいてるけど…。」

「リーザの言った北北東に、トゥーラに呪いをかけてる神官がいた。そいつにつかまって、左肩をかまれて…痛っ…!」

 ふいに左肩に激痛が走る。服をぬいで左肩を見ると、大きな歯型のような傷がついていた。

「いてて…左手が動かない…。」

「これは…魔術による傷だわ。残念ながら、私の魔術では治せない。相当、強力な念がこめられてるから…。術者を倒すことでしか治せないわ。でも、早く術者を見つけて治療しないと、左手全体が完全に動かなくなるわね。とりあえず、術者の居場所はわかる?」

「ここから北北東へ約500ヴェルスタってところかな。壊れかけた寺院の中にいる。…待てよ。あの寺院、どこかで見たことがあるぞ。調べてみたい。ちょっと、トゥーラの体の外へ出ることはできないか?」

「できるわ。ちょっと待ってて。」

 そう言うと、リーザは背中のリュックから、吸盤のついた棒のような物を取り出すと、その場に吸盤をポンとはりつけた。

「これは『戻り棒』という魔術のアイテムで、私たちがトゥーラの体から離れても、いつでも、この場所に戻ってこられるようにする道具なの。あとは、魔物の攻撃から戻り棒を守るために、周囲に魔方陣を描いておけば大丈夫。」

 そう言うと、リーザは戻り棒の周囲に複雑な魔方陣を描き、呪文を唱えた。

「さあ、これで準備は整った。これで、いつでもトゥーラの体の外へ戻れるわ。」

 そして、ピョートルとリーザが手をつないで、リーザが呪文を唱えると、二人は元の大きさに戻って、元の病室に戻っていた。いつのまにか、とっぷりと日が暮れ、真夜中になっていた。

「何だか、どっと疲れたよ。しばらく眠りたいな。」

「そうね。体力を温存しないと…もう寝ましょ。」

 そう言うと、リーザとピョートルはあいているベッドにもぐりこむと、寝てしまった。

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