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夫に名前を覚えてもらえない妻ラウラの一年間、のち離婚  作者: 新井福


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05◇夏を夢見ること03

 誕生日パーティーを終え、二週間が経とうとしていた。


「セルゲイ様、これから出かけませんか?」


 昼食の後。セルゲイに聞いてみれば、彼はちらと時計を見た。


「出かけたいのか?」


「はい、セルゲイ様と一緒に」


 苦汁を飲まされた顔をしている。もしかしたら仕事が忙しいのかもしれない。けれどイヴァン情報だと、セルゲイは今日暇だと教えられた。


「あの、そんなにお時間はいただきません。少しだけ一緒に出かけたいだけなんです」


「…………」


 まだまだ苦い顔をされる。


「日が落ちる前には絶対帰って来れますからぁ~」


(これじゃあ小さい子に言い聞かせるみたい)


 さすがにこれで釣れるはずないと、一人で行こうとすれば、


「――それなら、行こう」


 これでよかったらしい。小さい子どもなのかと疑惑の目を向けてしまう。



 そうと決まったら、ラウラはお出かけ用に服を変えた。

 白いワンピースはくるぶしまで丈があり、シンプルなデザインだが、胸元からスカート生地が広がるワンピースはとてもすてきだった。さすが、ツェツィーリヤが選んでくれただけはある。同封されていた大きな白いつばのぼうしを被れば完成だった。

 マーニャに緩く巻いてもらった亜麻色の髪が、楽しそうに揺れている。


 セルゲイが待つエントランスに行けば、じっと穴が開くほど見られる。


「……あの、セルゲイ様?」


(ツェツィーリヤ様お墨付きだけど、似合ってなかったかな?)


 くるくるとセルゲイの周りを行ったり来たりしたり、まったく動かない顔に手を振ってみたりする。

 イヴァンが呆れたようにセルゲイの腰を肘でつつけば、ようやく我に返ったらしかった。


「……キレイダ」


 片言で、なんともわざとらしかった。普段かわいいとは言われるが、きれいとはついぞ言われたことがないのでお世辞なのだろう。


 セルゲイは、シャツの上にベストを着た姿で、普段よりもラフな姿だった。イヴァンの入れ知恵かもしれない。

 そこで、はたと自分たちが周りからどう見られるのかに思い当たった。


 これではまるで――


(デート、みたい)


 頬がぽぽぽと赤くなる。なんだかセルゲイの顔が見れなくなってしまった。


「あははー、なんだかデートみたいですね」


 イヴァン!! 心の内を見透かされたようで叫びだしたい気持ちを、寸でのところで抑えた。

 当のセルゲイは、顔色一つ変えやしなくて少し悔しい。


「そうだイヴァン。デートに付き添いなんて無粋だろう、留守番をしておけ」


「えぇ! そりゃないですって旦那様」


「家の守りは頼んだぞ」


 セルゲイが、くす、と笑っていた。イヴァンをからかったのだろう。ラウラも声を上げて笑えば、セルゲイの優しいまなざしが降ってくる。

 からかわれたイヴァンは涙目だ。


「いーですもんねー。家の守護神になりますから。二人はどーぞ気兼ねなく行ってきてください」


「では、お言葉に甘えて行くとするか」

「はい」


 どちらかともなく。腕を差し出し、手を乗せた。


 夏の盛り。

 煌々と降り注ぐ日が、世界の色彩を鮮やかにする。その中に、ラウラとセルゲイは一歩踏み出した。



◇◇◇



 馬車が用意されているところまで向かう途中。エリックスが丁度通りかかった。セルゲイより濃い紫色の髪を持つ彼もまた、線の細い美青年だった。


「兄上、義姉上。どこに行かれるのですか?」


「少しお出かけです」


「可愛らしい妻とお出かけとは、兄上も隅に置けませんね」


 柔和な笑みを浮かべ、しみじみ頷くエリックスは、どことなく疲れが滲んでいた。忙しくしていると聞いている、あまり眠れていないのかもしれない。

 途端に、毎日お菓子を作ってまどろんでいるだけの自分が恥ずかしくなってきた。セルゲイのお手伝いを、微力ながらも申し出ようか。遊ぶだけの毎日が、今更ながら申し訳なくなる。


 敏い義弟はなにか感じ取ったのか、両手を広げた。


「義姉上、あなたの夫は英雄と言っても過言ではない男ですよ。そんな男の妻であるあなたの暮らしが平和であるほど、それは世の象徴です。恥じることはありません」


「……エリックス」


 にこにこと笑っていたエリックスだったが、唐突にしまったと言わんばかりに顔をしかめた。


「あ、英雄と言うのは、あまりいい表現ではありませんでした。申し訳ございません」


 ルラ王国にとっての英雄は、ミシェラ王国からすれば多くの人間を殺したことになると気づき、エリックスは居心地悪そうに肩をすくめているのだろう。心なし、さっきより小さく見える。


「気にしないで。……きっと、私の国にも英雄はいるから」

「女性に気を遣わせてしまうとは、僕もまだまだですね。お引きとめしてすみません、よい一日を」


「お前も、体には気を付けてくれ」

「はい、兄上」


 兄弟の邂逅も終わり、馬車に乗り込む。街へと駆けていく。


 流れていく景色を見ながら、ラウラはせわしなく目を動かす。街に降りるのは初めてだった。

 人々には活気があって、色々な店が立ち並んでいる。


「ここは昔から変わらないな」


 しみじみと言う姿はエリックスと似ていて、さすが兄弟だと口元に手を当てにやけているのを隠した。


 目的の場所は服飾店だった。


「ドレスを仕立てたいのか?」


「いえいえ、違いますよ」


 目的はそうではないのだ。くふふと笑う。


 店内に入れば、ドレスに靴、ハンカチなどが飾られている。カフスボタンや指輪、金糸や銀糸も売られていた。


「セルゲイ様セルゲイ様。これとかすてきではありませんか?」


 青い糸を指させば、ふむ、セルゲイはラウラが考えていたよりも真面目に吟味し始めた。

 店内を順に巡り、とあるところで足をとめる。ラウラは後を黙って追いかけた。


「――こちらの方が、良い気がするな」


 黄褐色の糸だった。銀糸が織り込まれているのか、きらきら光っている。


 意外と淡い色が趣味なのだと顎に指を添えれば、


「君の髪の色だったから」


 いつの間にかラウラを一心に見ていたセルゲイが、さらりと言った。


(私の、髪の毛の色だから? わわ、なんかすごく、恋人っぽいやりとり)


 そんな関係ではないのに。


「で、ではこれはセルゲイ様の色ですね」


 必要以上に赤くなった顔を誤魔化すため袖を引けば、紫色の糸を見てセルゲイは相好を崩した。


「そうだな、そっくりだ」


 今日の目的が達成できそうで、ラウラは満ち満ちる高揚感に身をゆだねる。


「セルゲイ様、ついてきたら駄目ですよ」

「なぜだ」


 眉根を寄せ近づいてくるセルゲイをその場に留めさせつつ、会計を済ませる。手早く仕舞って、セルゲイの下に戻った。


「なにを買ったんだ?」


「んふふ、内緒ですよ」


「ラウラは意外と意地悪なんだな」


「お嫌いでしたか?」


「そうでもないらしい」


 秘密と言っても、数か月後には種明かしされる。だから勘弁してほしい。この間の誕生日パーティーで知ったが、ラウラは案外サプライズが好きらしい。というよりも、セルゲイの驚いた顔が好きなのか。

 ラウラは紙袋に入れられたものを大事に撫でる。


 ぼうしを被り直し、あまりにも早く終わりすぎたためどうしようかと話し合えば、近くのカフェでお茶をすることに落ち着いた。


 注文した紅茶に、シュガーポットから取り出した角砂糖を一粒放り込んだ。ぽちゃん、水面が波立つ。

 前に座りストレートティーをたしなむセルゲイは、果敢に挑んでくる。


「ヒントだけでも構わない。教えてくれないか」


「もう少し待ってくださいってば」


 焦れたように体を揺らすセルゲイはかわいい。


(この間の誕生日。クラッカーにとっても驚いてたもの。またあるかもと身構えているのかも)


「別に、心臓が飛び出そうなことをするわけでもないので、気楽に待っていてください」


「いや、そういう心配をしているわけではなくてな……」


 セルゲイが焦っているのは珍しい。これでは冷徹な夫も形無しだった。

 


 家に帰ってからも、セルゲイはしきりに気にしていた。もの言いたげな視線を送り続ける。


(こんなに待ってくれているなら、頑張って早く渡せるようにしよう)


 夜。

 部屋でラダとマーニャからマッサージを受けて、のんびりほぐれていく。ラウラを思う存分磨き上げた二人は、満ち足りた顔で礼をした。


「では奥様、また明日まいります」


「えぇ、おやすみなさい」


 一人になるが、なんとなく寝つけずに本を手に取った。

 セルゲイとイヴァンに疑惑を持ったため仕入れた薔薇愛の本。これが中々面白くてついついのめり込んでしまう。男同士だからこそのもだもだ、悲しい定め――。

 最後は、大団円ハッピーエンド。


 語り合う仲間もいないため、ラウラはベッドの上で跳ねることしかできない。本屋で買った本を胸にかき抱き、顔をきゅぅとさせる。


(特にすてきなのは、本棚から落ちてきた本から身を挺して守るところ! すごく、愛!!)


「~~~っ!」


 思い出すだけで気分が高まり、足をばたつかせる。

 最初は好奇心だったが、こんなにも薔薇愛の本が奥深いとは知らなかった。この世にはラウラが知らないだけで、まだまだ沢山の花愛の話が存在するのかもしれない。


 どきどきどき。

 自分の世界に浸っていれば、突如扉が叩かれた。ぴゃっと飛び起きて、上着を着てから応対する。


 扉の前にはセルゲイが、同じく寝間着姿で立っていた。


「どうなさったんですか?」

「――やっぱり、なにを買ったのか教えてもらえないか?」


 ぱちくり。深刻な顔でなにを言うのかと思ったらそれで、目が丸くなる。


 顔が青くなっていて、体調も悪そうだった。

 眠れてないのかもしれない。手を取り、歌うように言葉を紡ぐ。


「大丈夫ですよ。あと何回か眠れば、すぐに来ますから」


 至近距離で見れば、セルゲイの目にも薄く隈があった。眠れていなくて、だからこんなにも弱気になってしまっているのだ。一晩しっかり寝れば、きっと顔色もよくなるはずだ。


「ぐっすり眠れば体も心も元気になりますよ。さ、行きましょう?」


 ラウラが手を引けば、のそのそとセルゲイはついて来た。


 セルゲイの部屋で、ベッドに入った彼の側に椅子を引き寄せ座る。


「おやすみなさい、セルゲイ様。また明日、お会いしましょうね」


「――……やめて、くれ。眠りたくないんだ、ラウラ……」


 セルゲイから伸ばされた手は、届くことなく墜落した。すぐに寝息を立て始めたセルゲイの頭を、よっぽど疲れていたのだろうと撫でる。


「明日はラムレーズンをたっぷりいれたパウンドケーキを作りますから。甘いシロップも塗って、きっととても美味しいですから。だから安心して、おやすみなさい」


 虫の音色と、セルゲイの寝息が絡まり合い、ラウラもあくびが一つ漏れる。



「――あら、イヴァン。びっくりしたわ」


 部屋から出れば、イヴァンが暗闇の中立ち尽くしていた。ぼやっと現れるものだから、最初幽霊かと思っておののいてしまった。


 どこか呆けた顔をしていたイヴァンは、ラウラを視認するといつものようにへらりと笑った。


「あれ奥様、大胆ですね」


「ただ寝かしつけただけよ。変な勘繰りはよして」


 へぇ? にまー、意地悪く笑う彼はラウラの言い分なんて、まったく信じていないようだった。


「それにしても、こんなところに立ち尽くしてどうしたの?」

「遠慮してたんですよ、旦那様と奥様の声が聞こえていたので」


 なるほど、気を遣われていたらしい。


「奥様、おやすみなさいませ」


「えぇ、おやすみなさいイヴァン!」


「――離婚まで、あと何か月でしたっけ」


 上げていた手が落ちる。

 心臓の脈が速くなった。


 なぜ、イヴァンは急にそんなことを言うのだろう。


「……八か月よ」

「そうですか」


 イヴァンから距離を取るように部屋に帰る。下を向き、ずんずん突き進む。


 だから彼の「長いな」なんて呟きは、聞こえてないったら聞こえてないのだ。


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