84話
「もうすぐ斜面は終わりだ!」
トキの声に鼓舞され、目を開けると、なだらかになった氷の通路が続いているのが見えた。段々と減速していくソリ。身体も落ち着いて、ほっとひと息つく。
「よかったぁ……」
「待って、なんか……」
「え?」
ナシュカが顔を渋くするのに釣られて、玲奈も眉をひそめた。耳を済ませると、カタ、カタ、と振動音がしている。何の音、と問おうとした瞬間、ソリの前方が大きく持ち上がった。
「なっ!?」
「クソっ、掴まれ!」
「ヒィッ、落ち、落ちるっ!」
ほとんど垂直になり反り上がるソリに、四人は必死にしがみつく。剥がれ落ちそうになる玲奈の背をリュウの腕がしっかりとソリへ押し付けた。高い所で速度をゼロにしたソリは、反動で、暴れ馬の如く、勢いをつけて氷の滑走路を真っ逆さまに滑り出した。
「ヒアアアアッ!」
「ぐううっ……!」
「振り落とされるな!」
「痛ッ!」
ガツン! とソリが地面にぶつかって、玲奈は顎を打ち付けてしまった。
(うっ、頭に響く……)
もはや道の勾配など問題では無く、ソリは四人を振り落としたいとしか思えない動きで左右に激しく滑走する。
必死にしがみついて、耐え続ける。やっと速度が落ちたかと思うと、またも登り坂が現れた。四十五度は傾いている。上を見れば、先に行くにつれ、幅が細くなっている。登りきった向こう側が、どうなっているのか。
(これ、やばいんじゃ……)
ソリはゴトンゴトンと、着実に坂を登っていく。ゆっくりとした動きが恐怖を助長させる。心臓がバクバクと痛いほどに鳴る。
(頂上……)
「ビゃぁッ!?」
息を呑む暇も与えられず、ソリは勢いのままに跳ね上がって、浮遊した。重力に沿って落下していきながら、空中で、ソリはぐるぐると横回転を始めた。きつい遠心力に、玲奈の身体はソリの外へ投げ出された。
(あっ――……)
リュウの焦った顔が、スローモーションのように見えた。リュウの手が伸ばされる。それを掴もうとするも虚しく……、玲奈は十数メートルの高さを落ちていった。
「――ッ、レナッ!!!!」
(名前……呼べるんじゃん……)
リュウの声を鼓膜に響かせながら、玲奈は時を戻した。
* * *
時を戻した玲奈が戻った時点は、既にソリは坂を登り始めていた。
(待ってよ、何も解決策思い浮かんでないのに……っ、とりあえず)
「みんな! 魔石を用意した方がいい!」
「そうね!」
急坂の中腹で、三人も魔石を砕いた。玲奈は魔力を使ってもなお、先ほど振り落とされた。三人の力を頼るのはマストだ。
(もう来ちゃう! どうしようっ!)
坂を登りきったソリが、再び宙を舞った。何も思い浮かばない中、とりあえず魔力を指先に集中させてソリの縁を握り込んだ。程なく急回転が始まった。さっきよりは長く持ち堪えるが、徐々に指先が剥がれていく。
(もうダメ……)
諦めかけた時、震える指先がぐっと引き寄せられた。
「耐えろ!」
「っ、うん……!」
リュウに鼓舞されしがみつくと、体を抱え込まれた。
(目が回る……)
ぐわんぐわんと脳が揺れ、力が入らなくなりつつあるが、肩に回った腕の力強さが、安心感を与えてくれた。
「着地する! 衝撃が来るぞ!」
トキの叫びに歯を噛み締めると、間もなく氷の地表にぶつかった。ソリは減速し、完全に停止した。やっと息をつける。
「いたたた……」
「レナ! 無事!?」
「いろんな所打ち付けてるけどなんとか……」
「俺が抑えてなきゃ吹っ飛んでたな」
「リュウ〜、本当にありがとう……」
それは、実際あったシナリオだ。魔石を使ったとはいえ、あの速度の中、人一人を抱え込めるリュウの力は恐れ入る。一方、トキは深刻な表情を見せた。
「魔石の残りが危ない。最後の方は、発動が途切れ途切れになってた」
「私もそう長くはない感覚。魔術無しで進む覚悟がいるかも」
「二人の魔術なしで……」
「まあ、かなり地下まで潜ってる。ゲートまでそう遠くない筈だ」
トキとナシュカの力を借りられない。その意味するところに、玲奈は拳を握り込んだ。
「リュウの魔石はまだ余裕あるの?」
「どうだか。大して使ってねえけど、下級魔石だ。期待はしない方がいい」
「まあ、あなたは素の力が大きすぎて、魔力なくても大して変わらない気がするけど」
「そりゃ、こんなボロ魔石じゃあな」
言いながら、四人はソリを降りた。どうやら氷に囲まれるのは終わりらしい。大きな扉が目の前に四人を待ち構えていた。
「行くぞ」
トキが扉を開ける。最後に潜った玲奈は、後ろ髪を引かれるように氷の壁に目を凝らすも、小さな影は現れなかった。
扉の奥は、薄暗く細い通路が伸びていた。一列でひたひたと歩いていく。玲奈は目の前の、広い背中を見つめた。
(名前、呼ばれたよね)
玲奈が落下する際に、リュウが叫んだ声が鼓膜に残っている。巻き戻しているので、今のリュウの記憶にはないが。
(何か理由があるのかと思ってたけど、ただ呼ぶのが嫌だっただけかな)
聞きただしたいが、当の本人にその記憶はないので、何も聞けないジレンマに唇を噛む。
「何だよ、ジロジロと」
「……なんでもない」
背中を向けている筈なのに、視線に敏感なようだ。そのまま、じっと見ているとふいにリュウが振り返る。デコピンを食らい、「あたっ」と声が出た。




