8話
再び、逆廻の力で時を戻した。
目を開けると、薄暗い路地裏へ出た所だった。一度目の逆廻で戻ったのは、鏡からこの世界へ降り立った時だった。毎回、同じ時点に戻される訳ではない。そして、前回戻った時間より、長く時が戻っている感覚がある。毎回同じ分数、戻される訳でもないということだ。
夢でメイリが言っていた言葉を思い出す。
(逆廻は、戻せる場所は決められない。傷を負う前に戻す。戻せる回数は限りがある……)
改めて思い出すと、条件は厳しい。回数が何回あるのかも分からない。慎重に行動し、やり直すのはどうしようもなくなった時だけ。
(で、さっきは大通りに出て失敗した。サディはああ言ってたけど、路地を進むしかない)
幸いにも、道は枝分かれして死角も多い。姿を隠しながら行けそうだ。北東に行けばロメールへつく。玲奈は走り出した。
「あ、行き止まり」
踵を返した所で、玲奈はびしりと固まった。
「よォ、お嬢さん。ご機嫌いかがっすか?」
「こんなとこに若い娘がいるなんて珍しいなァ。すっごい目立ってんぜ?」
男が二人、ニヤニヤと下衆な笑いを浮かべながら玲奈の前に立ちはだかっていた。
(分かりやすいチンピラ……何が目的……)
彼らは見るからにアングラといった出で立ちで、王族と関わりがあるような連中には見えない。城に連れて行かれないのなら、助かる道はあるかもしれない。
「……なんですか」
「いやー、珍しい格好してるから気になっちゃってさ」
「そうそう。こんな足出してこんなとこ来てさ、そういうつもりデショ?」
男の手が玲奈の太ももを弄る。全身がゾワゾワと粟立った。
(コイツら、女漁ってんの……!)
「私、行かないと」
「まあまあ、待ってよ」
通り抜けようとした腕を絡め取られて、壁に体を押し付けられる。
「いやっ……」
「イイ声出すじゃん。もっと聞かせてよ」
「離してっ!」
「うーわ、髪さらっさらじゃん」
一人が髪を取ると、毛束に頬ずりする。嫌悪感に、生理的な涙があふれた。その男が、玲奈の顎を固定する。腕はもう一人に掴まれてびくともしない。男の顔が玲奈へ近づいてくる。
(無理無理無理っ!! 命の危険じゃないけど、こんなのに初めて奪われてたまるか!)
貴重な一回だろうとも、貞操の危機には逆廻を使わざるを得ない。玲奈が目をぎゅ、と瞑ろうとした、その一瞬前。不意に拘束が解けて、男たちが崩れ落ちた。
「え……」
「……大丈夫かよ」
目を丸くして見上げた先。地面に倒れたチンピラたちの奥に、一人の少年が立っていた。玲奈とそう変わらない年頃に見える。たぶん、サディよりはいくつか年下の筈だ。アッシュグレーのストレートヘアで、三白眼が彼のクールさを助長している。
「あ……助けてくれたの……?」
「まあな。流石に女が襲われてる場面に出会したら、見過ごすのは寝覚めが悪い」
「ありがとう……本当に、ありがとう」
「ん」
少年が手を差し伸べてくれて、チンピラたちを跨ぐ。彼はそのまま玲奈を引っ張って、奴らから少し離れた所で落ち着いた。
玲奈はへなへなと崩れ落ちた。恐怖が足に現れ、ガクガクと震える。少年は隣にしゃがんでくれた。
「無理ねえな。少しはここにいるから、休め」
「ありがとう……あなた、名前は?」
「トキ」
「私は玲奈。本当にありがとう、私、トキが助けてくれなかったら」
「もういいって。それより、こんなとこにそんな格好でいたら襲ってくれって言ってるようなもんだぞ。ワケありみたいだが」
「……うん。色々あって。遠くから来たんだけど、この格好、目立つ?」
「めちゃくちゃ」
「うー、そっか。どうしよ」
「……待ってろ」
トキはそう言うと、少し歩いてゴミ溜めをガサゴソと漁った。帰ってきた手には、布きれ。恐らく、服だ。
「着れそうなもんあった。汚えけど、目つけられるよりマジだろ」
「うん、ありがとう」
抵抗がないとはいえないが、贅沢は言えない。玲奈がワイシャツを脱ぎだすと、トキがギョッとした。
「おい! 声くらいかけろ!」
「あっごめん!」
トキが慌てて背を向ける。何も考えずに肌を曝してしまった。反省しながら着替える。一枚のワンピースのようなものだった。ほつれて今にも破れそうだが、しょうがない。
「お前、襲われたばっかだろうが」
「ごめん、つい」
「ったく……」
「靴は無いよね」
「流石になかった。人の多いとこは裸足でしのげ。そんなしっかりした靴履いてんのは貴族くらいだ。不自然になる」
「うん。こっちの脱いだ服はどうしよう」
「そこのゴミに紛らせとけ」
制服をあそこに入れるのは抵抗があったが、しょうがない。ローファーは脱いで、手で抱えた。
「もう大丈夫か」
「うん、ありがとう……あの、さ」
玲奈は、意を決して口を開いた。
「ん?」
「私、ロメールっていう街に行きたいの。そこまで、付いてきてくれませんか!」
暫しの沈黙。どうか……! と祈る玲奈の思いは呆気なく破られた。
「悪い、無理」
「うっ」
「緊急事態に人として最低限のことはしたまでだ。これ以上世話焼く義理はない」
「……そう、だよね……ごめん、助けてもらったのに図々しく」
「謝らなくてもいいけど。ロメールになんの用?」
「会いたい人がいて」
「ふうん。じゃ、気をつけろよ」
「うん。トキ、ありがとう!」
「もういいって何回言わせんだ。さっさと行け」
「うん! じゃあね!」
手を振ると、トキは少しだけ口角を上げ、すぐに去っていった。




