40話
無事に風呂場に入る。扉の外には、シャロフが立っている。
「ご準備できました」
「ありがとうございます」
風呂の用意をしてもらい、メイドは扉の内側の、衝立ての外で控えた。玲奈は衝立ての中に入ると、服を脱がずに壁の奥まで足早に進む。
「ここだ……」
横壁のタイルの一部をそっと外し、音が立たないように床に置く。中は真っすぐ空洞になっている。迷わず入って、腹這いで進む。
(シャロフが何で私をロアンに引き渡したかは分からないけど、考えてもしょうがない。とにかく、シャロフと二人きりになるのはまずい)
しかし、問題がある。二人きりを避けるには、サディに理由を話す必要がある。今まで特に問題なくやってたのに、いきなり理由もなく「シャロフと二人になりたくない」など、可怪しい。
(……納得してもらうには、話すしか、ない……?)
時を戻せることは、誰にも言っていない。それは玲奈がこの世界を生き抜く生命線だ。話さないですむならその方がいいに決まっている。
(でも、私一人でいくら気をつけたって、いつまでこの屋敷にいるか分からない以上、シャロフから逃げ続けるのは無理だ)
例え起きている間は気を張っていても、シャロフはいくらでも玲奈の寝床に入り込める。やはり、サディにシャロフは危険だということを説明するしかない。
(逆廻のことを黙ったまま、シャロフが裏切るなんて言っても信じてもらえない。サディとシャロフは、それだけの信頼がある)
玲奈は所詮、会って一ヶ月とない間柄なのだ。
(サディになら、話しても大丈夫……?)
自分の全てをさらけ出し、彼を信頼することができるか。玲奈は、これまでを思い返した。
ここに飛ばされて、何もわからない玲奈に、手を差し伸べてくれた人。生きる道を、示してくれた人。彼が居なければ、玲奈はこの世界で一人、死を待つだけだったかもしれない。
(サディになら……サディなら、信じられる)
自問の答えは、出た。
(出口……よし、ここがサディの部屋に繋がってるはず)
這い出た場所は、何度も訪れたサディの私室に繋がる、倉庫だった。奥の扉が、サディの部屋に繋がっている。そこの扉をそっと開けると、話し声が聞こえてきた。
「浮かない顔だ」
「……あなたは、あの子の気持ちを踏みにじるつもり」
(……そっか、ミトラと話すって言ってたっけ)
部屋の中にいたのは、サディとミトラだった。死角になっていて、二人ともこちらに気づいていない。
(どうしよう、後のほうがいいかな。でも、緊急事態だし……)
出ていくか迷う玲奈は、結果、二人の会話を盗み聞くこととなってしまった。
「レナのこと? 人聞き悪いな」
「惚けて……」
(私?)
自分の名前が出てきて、ぴたりと息を止める。
「あの子は、あなたが好きなのよ」
「そう? まあ、そうかもしれないね。でも、それはすぐに消える泡のようなものだよ。あの子の境遇を考えれば、自然なことだ」
「……それを分かっていながら、利用するだけして、ずっと気づかないフリをするってわけ」
「それが優しさだろ。俺はその気持ちには、答えられないんだから、せめて触れないでおくべきだ」
「優しさ? 違うわ、それが都合が良いからよ」
「辛辣だね」
(……なんの、話を)
玲奈の心臓が、嫌な音を立てている。この話を聞きたいけれど、聞くのが怖い。それでも、足は張り付いて動かなかった。
「責任取るつもりもないのに、あなたの野望に付き合わせて」
「責任? ちゃんと元の世界に帰る手助けはするつもりだ。それで十分だろ」
「あの子とあなたの繋がりが明るみになった時の話よ」
「それは……そうだね。俺ときみの立場が危うくなるなら、切り捨てるしかないな」
(え?)
玲奈の息は、止まった。しかし、それを知らずに二人の会話は続く。
「……最低。あなたがそのつもりなら、私はあの子と逃げるわ。あの子を救うのが、私の一番の願いよ」
「それは困るな……」
サディの声は、甘さを多分に含んでいた。そして、それを証明するかのように、ミトラの前に跪き、白く、細い彼女の手を取る。とても、愛おしげに――
「逃避行なら、レナじゃなく、俺としてもらわないと」
(あ……)
物影で、はっきりとは見えなかった。しかし、生々しいリップ音が、静かな部屋に響き渡った。
「妬けるな。そんなにあの子が大事?」
「……あの子は、母の、最後の希望。レナが捕まれば……母の命はその内に尽きる」
「泣かないでくれ」
玲奈からは見えなかったが、サディは、顔を上げると、ミトラの目尻にも、口付けを落とした。ミトラは、抵抗することなく、受け入れる。
「俺はきみを手に入れるなら、何だってできる。家族を裏切り、国を滅ぼすのも……全て、きみが欲しいから」
「一番最低なのは……あなたを受け入れてる私ね」
ミトラは、涙に濡れながら、自嘲した。サディは彼女を抱き寄せ、その髪に顔を埋めた。
「夫は自分に見向きせず、側室と遊んでばかり。城での居場所はない。実家に行けば、大好きな母は寝たきりで、父からは叱責が飛ぶ――きみが安らぎを求めるのは当然だよ。そして、それを好機とつけ込んでる俺の方が、ずっと最低だ」
ミトラは何も言わなかった。
玲奈は、音を立てないように扉を閉めると、隠し通路を戻っていった。




