35話
「ここが……」
数日後、シャロフはビサセリスを含む、ギリダール地方一帯を管理する総督、ノルゴーの屋敷の前に赴いた。流石に大きい。数時間、門の前で待っていると、使用人だという男がやって来た。
「総督にお話したいことが」
「お約束がないのでしたら、お待ちいただいてもお取次できません。お引取りください」
「そこを何とか! どうか、お願いできませんか」
「申し訳ありません」
そう言われても、引き下がるわけには行かなかった。シャロフは物影に隠れ、ノルゴーを待った。
(来た!)
丸一日待って、ようやく待ち人は姿を見せた。馬車が止まって門扉が開けられる瞬間に、シャロフは馬車の前に飛び出て行った。
「ノルゴー総督! お耳に入れたいことがあり伺いました! どうか少しだけ、お時間を頂けませんか!」
頭を膝に付くほど深く下げたシャロフは、返答を待った。少し間が空いて、ノルゴーが馬車から降りてきた。
「……何だね君は」
「は! 私はビサセリスで呉服店をやってる家の息子でシャロフと申します! ビサセリス督使のことでお願いが」
「今日は賓客を招いている。君の話を聞く時間はない」
「勿論、今日でなくとも! 聞いて頂けるならいつまでもここで待っております!」
「迷惑だ。帰りなさい」
にべもなく断られ、駄目かと唇を噛み締めた時。その男は、シャロフの前に現れた。
「まあまあ、そう言わず聞いてあげたらいいじゃない。こんなに必死なんだし、大事かもしれない」
「……殿下、しかし」
(殿下?)
シャロフは思わず顔を上げた。その男は、ブロンドの髪を靡かせ、シャロフに微笑んでいる。浮世離れしたオーラに、シャロフはぽかんと口を開けて固まった。男に「話して」と促され、慌てて口を開く。
マドレーの悪政を列挙していけば、二人の顔は曇った。
「やりたい放題だ。ビサセリスは商業の中心地、重要都市だよ。君の監督不行き届きじゃない?」
「お恥ずかしい話です。早急に対処します」
「っ、本当ですか!」
「約束しよう」
「……っあ、ありがとうございます!」
「しかし、本来ならば市民個人の嘆願は聞くことはできない。全ての願いに応えるなど不可能であり、そうなれば不平不満が産まれるからだ。今日の話は君の心に留めるように」
「はい、勿論です!」
シャロフは土下座する勢いだった。
「良かったね。俺に会えて運がよかった」
そう言ったのは、殿下と呼ばれた男だ。殿下ということは王族。貴族である総督ですら、身分違いもいいところだというのに。シャロフの喉はカラカラに渇いていた。
「な、なんとお礼を申したらよいか」
「お礼は要らないかな。でも、君は俺に恩ができた」
「は、はい……?」
「ヤザンより身軽なのが欲しかったんだよ。アイツ、デカくてどこ行っても目立つから、使いどこが限られるだろ」
「殿下、まさかとは思いますが、この者を護衛に……?」
「そう。いい案だろ」
「商店の息子であればろくに魔術に触れたことも無いでしょう。もっと腕の立つものを」
話についていけないシャロフは置いてきぼりで、目を白黒させるしかない。ノルゴーが訥々と説得にかかるも、王族の方は気に掛ける風はない。
「売った恩が役立つ日が来るさ。それに何より、彼は家族のために、危険を冒して行動できる意思がある。そういう男は、そうそういないよ」
王族に直々に褒められて、浮かれるなというのは難しいだろう。シャロフは顔を赤くして、男――サディを見上げた。
その日から、シャロフはサディの為に、身を捧げる覚悟を決めた。
「で、そっからサディ様のところにいる」
「わー、素敵! 助けてもらった恩義……! 熱い信頼!」
玲奈が好きな、歴史ロマンもののフィクションにありそうな話だ。サディは見た目だけでなく、言動も格好いいのでズルい。
「ヤザンに扱かれだして、ここに来たのを後悔したけどな」
「あ〜~、分かる〜」
「何が『分かる〜』、だ」
「あたっ! ヤザンのデコピン痛いんだよ、もう」
「生意気なことを言うからだ」
「…………」
(そうだ、俺はサディ様の為に仕える覚悟を……)
じゃれ合うヤザンと玲奈を他所に、シャロフは拳を握りしめ、俯いた。
* * *
朝食後。玲奈はサディに呼ばれ、彼のもとへ向かった。何やら、屋敷内の空気が違うのを感じた。
(……なんだろ)
ヤザンに先導された先で、サディの書斎へ入ると、見慣れない人影があった。
「おはようレナ」
「おはよ……?」
「会いたかった……! レナ!」
「え!?」
女性が飛び込んできて、理由もわからぬまま受け止める。ぎゅっと抱き寄せられるといい匂いがした。
柔らかな肌の感触に、思考が止まり、硬直する。高校生になると、友人とスキンシップを取ることはあまりなくなったからか、同性でもドキドキしてしまうのだ。
数十秒経って、ようやくその女性は拘束を緩めると、玲奈の赤くなった頬を滑らかな手で包む。ふわりとしたオレンジ色の髪に、バイオレットの瞳が煌めく。儚くも、可憐な女性だった。
「……かわいい」
(え、私今声に出した?)
「あなたがレナ……とても可愛いお嬢さんで嬉しいわ」
「ひぇっ!?」
面と向かって可愛いなど、小さい頃親に言われた記憶しかない。どんな反応をすればよいのやら。戸惑っていると、サディが助けてくれた。
「こらこら、レナが困ってるだろ」
「あら、ごめんなさい。ついはしゃいでしまって」
(やっと放してくれた……)
「ご挨拶が先だったわね。はじめまして、レナ。私はミトラ。ロアン殿下の妻……つまり、身分上では王太子妃よ」
「ロ、ッ……!?」
その名を聞いて顔がサッと青くなる。ロアンは目下、最大の敵。処刑場での鋭い眼光が脳裏によぎる。
(ロアンの……? どうしてここにっ……ロアンにバレてるの? なんで、サディは)
ぐらりと、体がよろめいた。




