20話
夜明け前。玲奈は酒場の店主エゼルと共に、馬車に乗っていた。いや、正確に言うと、エゼルが引く馬車の、酒瓶や果物が積まれた荷台の中に、玲奈は隠れていた。
「いや隠れるっていうか……普通、女子を壺の中に入れる……?」
玲奈は壺の一つに入り、上から葡萄を被され、身を隠していた。道を進むに連れ、不安が襲ってくる。
(これで大丈夫かなあ……)
エゼルの酒場からサディの宮殿へは、食物を入れることは定期的にあるそうで、怪しまれることはまずないと言っていた。玲奈にできることは、ひたすらここで身動ぎせず大人しくすることだけ。馬車で小一時間揺られれば、着くという。
(あれ、なんか急に眠い……)
これまでずっと気を張り詰めていた玲奈は、心地よい揺れに、眠気を抑えることができず、夢の中へ落ちていった。
「……の馬車、止まれ!」
ガタンッ!と車体が大きく傾き、寝ていた玲奈は飛び起きた。
(ハッ、寝てた……)
「何を運ぼうとしている」
「サディ殿下への献上品だ。度々訪れている。通行証だ」
「生憎、今は探し物をしていてな。中をあらためさせてもらおう」
(こ、これ……ヤバいのでは!?)
玲奈の上に葡萄が重なっているとはいえ、手を突っ込まれたらアウトだ。といっても、今できることなど祈るしかない。
(お願い……!)
ザリザリ、と衛兵が近くに寄る足音がする。気配をすぐそこに感じて息を押し殺す。カチャン、カタ、と瓶や壺を動かしている。そして玲奈が入っている葡萄の壺を目にして、上の一房を手に取った。一つ分軽くなって、玲奈にもそれが伝わり、緊張がピークへ達する。
「これは……」
「不審なものがあったか?」
訝しげにする姿に、別の衛兵も近寄ってきた。
「さあ、どうだか……オイ、葡萄をこんなに運んでどうする。殿下が召し上がるには多いだろう」
「ハレムへの施しと聞いてる」
「フン……なるほど。行っていい」
(やった……!)
葡萄が放り投げられ、玲奈の上に落ちた。エゼルもほっと息を吐き、馬車を引き出す。
(ああ……お腹痛かった……)
緊張からの解放に、疲れが回りだす。ぐるぐる揺れる馬車に耐えながら十分程度。馬車が止まり、エゼルの声がした。
「お疲れ。安心しろ、もう殿下の宮の敷地内だ」
「よかった……」
「部屋の中に運び込むまでは壺の中で大人しくしてろ」
「はいい……」
* * *
暗かった視界に光が差し込む。その明るさに玲奈は目を細めた。ついで腕が差し伸べられて、エゼルのものだろう、と反射的にそれを取った。
「よく頑張ったね、レナ」
「っ……」
その腕は、エゼルのものではなかった。
「サディ……様」
「サディでいいよ。そんな固くならないでって言ったろ」
「あ……う、うん」
キラキラと、ブロンドの髪が輝く。その眩さに、玲奈はよろめいた。
「っと……大丈夫?」
「ごめん、ちょっと目眩が……」
「そりゃ、こんな狭いとこ長くいたらそうなるよ。おいで」
「わっ……」
玲奈は腕を引かれて、腰にサディの手が回った。
(ひっ、ち、近っ)
そういえば最初に会ったときから、サディは距離が近かったと思い返す。エスコートされるまま、絨毯に敷かれた柔らかなクッションの上に腰を下ろす。サディは玲奈の正面に座り、一緒に運ばれてきた酒瓶を手にした。
「葡萄酒は?」
「私未成年だから……」
「そ? じゃあお茶入れてあげて。カモミールがいいかな」
その声に、どこからともなく現れた女官が素早く動き、玲奈の前にお茶が出される。お礼を言うやいなや、すぐにまた姿を消してしまった。
「ん、まずはそれを飲んで、ゆっくり心を落ち着けて」
「えっ……と、それより、この後私、どうすればいいのか分からなくて」
「……レナ、自分が今どんな顔してるか分かってる?」
「え……」
「顔色が悪い。ここに来るまで、気が抜けずに頑張ってきたんでしょ。相当疲れが溜まってるはずだよ」
「……疲れは、確かにあるけど」
でも、そう言っている暇はない。またすぐに、追っ手が来たら。休んでなどいられない。その表情を見て、サディは立ち上がり、すぐ近くに寄ってきた。
「ここは俺の宮。きみがいることを知ってるのは信頼のおける、俺の部下だけだ。レナは一度、体も心も休めるべきだよ」
「……でも」
「どっちみち、どうしたらいいか分かんないんでしょ。レナが休むまで、俺は何も教えてあげない」
「なっ」
笑うサディを見て、玲奈はため息をついた。ここは引き下がるしかないようだ。
「分かった。ちょっと休憩する」
「うん、それがいいよ。ほら、葡萄はたっぷりあるから食べな」
「葡萄……」
自分と共に運ばれてきた葡萄を差し出され、玲奈は大人しくそれを口にした。酸味があるが、疲れた体にはちょうど良く、一つ食べだすと手が止まらなかった。
「気に入ったみたいでよかった」
「……うん」
ここは日当たりがよく、ぽかぽかと暖かい。安心できる場所で、美味しいものを食べ、弛緩した玲奈は急激な睡魔に襲われた。
(あ、やば……)
「おっと」
側にいたサディの腕が、玲奈の体を受け止めてくれたのを感じる。お礼を言って体を起こさなきゃ、と思うも、玲奈の瞼はひどく重くて、そのまま眠りに吸い込まれていった。
「寝ちゃった。やっぱ、相当疲れてたか」
「サディ様。客室の寝台がご準備できております」
「うん」
サディは女官に返すと、腕の中の玲奈をそっと横抱きし、立ち上がった。扉を抜け、寝台へ背中を横たえる。
「ゆっくりお休み」
薄い麻布を体にかけると、踵を返す。
「ヤザン、警護を頼む」
「ハッ」
サディがそう言うと、いつの間に控えていたのか、長身の男が姿を見せた。
「シャロフは?」
「まだ戻ってません。連絡を取りますか」
「いや、まだいいよ。今日はどこも見張りが厳しいから、帰るにも時間がかかるんだろ」
サディが目を細めると、ヤザンは訝しげに進言する。
「……本当にこの娘を使うのですか。宣告がどれ程信用できる物かも分からないのに」
「俺は信じてるよ。この子がいれば、きっと俺の野望を果たせるってね」
「…………」
ヤザンは何も言わず、頭を下げた。




