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純情白雪姫  作者: 祭歌
第三部 街中の聖女
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街中の聖女 19

 そうして、世界は回っていく。

 平行線の望みは必ず交わらない。

 ただ、吹き荒れる雹のようにぶつかりあうばかりで。





   *







 妻の部屋を辞したヴィルヘルムは、近くの女官にアルマリアの目覚めを他のものにも知らせるよう言伝ると、通常政務に戻るべく回廊を進んだ。もうしばらくすれば、ほんの一瞬、用事で抜けていたエンナが戻ってきて、大喜びでアルマリアの世話を焼くだろう。彼女に先んじて立ち会えたのは幸運だった。と、微かに唇の端を引き上げる。仄かな優越感は胸を甘く満たし、この頃ついぞ感じることのなかった、血の沸騰するような高揚を覚える。ぐつ、ぐつ、ぐつ。心拍の打音は鍋の煮える音に似ている。かつ、かつ、かつ。回廊を鳴らす靴のかかとが、どこか浮き上がる。ヴィルヘルムは表向き普段通りのにこにことした人畜無害な微笑を刷いたまま、自分の上機嫌の原因を探った。

 ふむ、とその瞳に面白がるような色。

(これは、あれかな)

 いわゆる吊り橋効果というものかな。

 何しろ、彼女は見た目からして絶品(・・)だ。命なければとっくりと眺めて心ゆくまで抱きしめて、その死んだ匂いを胸いっぱいに吸い込み、嵐のようにくちづけ、もしやすればなかなか柩に返さなかったかもしれない。

 けれど彼女は生者だ。

 その肉はか弱く、骨は脆く、皮は軽く爪を走らせるだけで傷を得る。何より彼女には温度がある。冷たさも温さも熱さもひっくるめて、それは人の膚の温度だ。そして彼女は動く。静かだけれど言葉を持ち、表情は決して少なくなく、意外と無謀。

 好ましい、とは思う。俯瞰するような視線で、彼は妻をそう判断する。比較的温和な性格に、やんわりとでも意志を貫く姿勢、それでありながら妥協も知る。おそらく浪費家でもないだろう。無垢なような瞳をして、けれど無邪気ではない。数日前に会ったばかりとはいえ、つきあいやすい相手であることは確かだった。若干、己に無頓着な様子が見られるが、まあ、誰しも欠点のひとつやふたつ、つきものだ。総じていって、ごくありふれた、どちらかといえば好人物。あの異様な美貌を除けば、そんなところだろう。

 しかし、自分がこれほど関心を傾けるほどの人物だろうか————?

 そう自問すれば、首を傾げざるを得ない。これから同じ時間を刻んでいく相手だ、好ましいに越したことはないが、かといって無理に執着することもなかった、はずだ。せいぜい良好な関係を築ければいいと——というより逃走されなければ良いと——会うまでは思っていた。そもそも、この自分が、生きた誰かにいれあげるなど、とんだお笑いぐさである。とはいえ、ヴィルヘルムも人間、百歩譲って惹かれるくらいは大目に見ても、だ。

(うむ)

 肩を竦める。

 やはり、それ(・・)はないだろう。

 あったとしても、持続性のある感情ではない。

 ヴィルヘルムは、自分の性情を、よく分かっている。そう、自負している。

 だからこれは、少し気が昂っているだけなのだと、新たな近しい人間の無事を喜んでいるだけなのだと、そのように結論づけることにした。

 そもそも、いつまでもこんなことにかかずらっている場合ではない。考えなければいけないこと、確認しなければいけないこと、話し合わなければいけないことは、どうやら山ほどあるらしい。生まれついて以来、ずっと暮らしてきたこの国にも、この身に流れる血筋にも、なんだか色々知らないことが隠れているようだった。おそらくそれは、見ないふりをしてはいけない類のものだ。何しろ、ヴィルヘルムは王子なのである。それに、嫁も貰い受けた。これは立派な大人だ。つまり、義務と責任は果たさねばなるまい。

 とりあえず王に伺いを立てるべきだが、いかんせん相手は自分以上に多忙だ。どうやって接触をはかるべきか。そんなことに悩んで速度がのろくなったとき、ふいに物陰から白い封筒が差し出された。視認した瞬間、手紙を支えていた手が掻き消える。ヴィルヘルムはそれが落ちる前に受け取り、しげしげと眺めやる。


「おお、噂をすれば、なんとやら」


 ぼそりと呟いた。噂といっても、彼の胸中のみのことであったが。

 差出人は王である。

 なぜかリュファーニア聖王家の人間は、同じ王宮内にいるというのに手紙でやりとりをする。王家直属の伝達官はまるで間者のように音もなく手紙を運び、姿を表すことなく、返事を書き終わった頃に影のように忍び寄ってさらりと受け取り、また運んでいく。彼らを直に見たことがあるものは、おそらく王ぐらいなのだろう。

 というか、なんで手紙。口頭では駄目なのか。

 リュファーニア聖王家の子どもたちは必ずこの疑問を抱くが、しかし敢えて反抗することもなく慣習に従うので、嫁いできたものたちもまた、首を捻りつつ慣れていくという循環が起きていた。

 だがしかし、他家のものたちはもうひとつこう思う。

 変な王家(家族)、と。






 



 花の匂いがした。

 どこか爽やかな、すっきりとした香りだ。窓辺から風に乗って運ばれてきたらしい。寝台に身を起こして、ぼんやりと外を眺めている。青い草むらがさざなみのように揺れ、ちらほらと咲く可憐な花々が花びらを散らばらせていた。木々は午後の光を含んで木漏れ日を生み、葉のすみずみまで瑞々しく輝いている。

 平和だなあ、とアルマリアは思った。なんだか拍子抜けするほど、平和だ。魔物の気配もしない。やっぱり、聖王家の聖性も守護も、ずば抜けている。

 ああ、そうだ。あのとき。アルマリアの長い睫毛が、ゆっくりと、重たく瞬いた。

 あと一歩で喰われる、というところで、魔物を弾き飛ばしたあれは、魔のものを決して受け入れないリュファーニアの加護。リュファーニアのみを(・・・・・・・・・・)守る結界(・・・・)

 完璧なまでの加護に、魔物だけではなくあの女性と男も苦しんでいた。つまり、彼女の血肉が魔物のもので作られ始めているというのも、事実なのだろう。むしろなぜ、動いていられたのかは謎だが。

 あれを施したのは、おそらく現リュファーニア王。ということは、彼は聖王家の性質を理解しているし、自在に操れるのだ。けれども。

 その息子であるヴィルヘルムは、しかし、聖王家が『聖王家』たる所以を知らないようだった。

 これは、どういうことなのだろう?

 というより、つまるところ彼は、アルマリアの嫁いできた理由の一端を、あまり理解していないのではないかと思う。これは、まずい。たいへん、よろしくない。たらり、とこめかみを冷や汗がつたった。陛下、どうなっておられるのですか。

 ふと、今朝、隣にいてくれた相手の微笑みを思い出す。

 ヴィルヘルムは、優しくアルマリアを案じてくれた。無謀をはたらいた彼女を少し叱った。近い距離感は僅かに怖くて、でもそれ以上に嬉しかった。誰かの傍にいる、というのは、こういうことなのだと。なんだか居心地の悪いくらい、ありがたいことだった。

 ああ————とよわい吐息が洩れる。ああ、いやだな。


 嫌われたくないなあ。


 じんわりと胸に去来した気持ちは、思いのほか切実で、駄々のようでいて祈りの形を成していた。森の中でも同じような思いを抱いたけれど、それよりずっと自然で、力の抜けた、ぽつんと零れるような気持ちだった。ヴィルヘルムに厭われるのが、どうしてそんなに嫌なのか、自分でもよく分からない。不思議な感覚だった。願いの重みと裏腹に、どこか浮世離れしたそれ。

 そのようにして物思いに耽っていると、エンナがやってきて、アルマリアの起きている姿に目を潤ませた。それを気合いで押し止めたようで、微かに震える声で、ご無事でようございました、と彼女は言った。胸を突かれたような心地がした。アルマリアはエンナの肩にそっと触れ、小さく頷いた。ええ、ええ。ありがとう。そんな風に。

 それからエンナはすぐに茶の準備をし、腹にいれやすい果物と菓子を用意した。もそもそと摘むアルマリアの髪を、侍女は嬉々としてくしけずる。


「うつくしい御髪ですねえ」


 ほう、と感嘆まじりに言われて苦笑してしまう。エンナは随分と、アルマリアの見た目がお気に召しているようだった。そんなに面白いものではないと思うのだけれど。


「アルマリア様、お加減はいかがですか? 結うのはやめておきましょうか」


 流していても、清流のようにおきれいですしねえ。微笑みの滲む口調は穏やかで、先日の事件の痕を微塵も感じさせない。けれども、きっと彼女は覚えているはずだ。恐ろしかったはずだ。それであるというのに、エンナの表情に陰はない。意外と肝が据わっているのかもしれない。

 リカルドと妙に息の合った動きをしていたことまで思い出して、くすりと笑みをこぼしてしまう。それを怪訝に思ったのか、アルマリア様? とエンナが後ろから覗き込んでくる。ゆるく首を振り、アルマリアは小さな円卓に並ぶ菓子を新たに取るべく、手を伸ばした。


「そういえば、エンナとリカルド様は、仲がいいのですね」

「え? ああ、まあ……そうですね。仲が良いといいますか、腐れ縁といいますか。私とリカルドは、ヴィルヘルム様の学友、という名の目付役でしたので」

「学友……」

「といっても、お話相手のようなものですから、殿下に振り回され……いえ、三人で遊んでいた記憶しかありませんが。リュファーニア聖王家の御子には、それぞれ数人の学友がつきます。彼らが長じて優秀なものに育てば、女官とは違う役で、身の回りの世話をするようになります。リカルドの場合は護衛ですし、私の場合は殿下付きの侍女としてですね」

「……え。では、エンナは、本来ヴィルヘルムさまのお傍を外れては……」

「ああー、鋭いですね、そうなんですけど! でも良いんですよ! 慣習になっているだけで、強制力はありませんし。それに、アルマリア様はヴィルヘルム様の細君ですから、離れていることにはならないんです」


 あははははー、とあからさまに誤摩化す風情である。

 

「とにかく、私は現状に満足しているので。やっと得た平穏ですので!」

「そ、そうなの?」

「そうなんですよ! もー、本当に、あの死体殿下は昔っから好き勝手にやらかしては私たちを巻き込んでですねえ」


 ぷりぷりと怒る様子に、昔馴染みの気安さのようなものを感じて、アルマリアはなんだか微笑ましくなった。なんだかんだいって、やっぱり仲が良いのねえ。でも死体王子って。ヴィルヘルムが死体のようである。


「殿下は昔から、死体がお好きだったの?」

「あ、え、ええ。アルマリア様って、あの、柔軟ですね……」

「?」

「い、いえ。ごほん、まあ、ですから、すごく驚いてるんですよね」


 ふと、エンナは納得いかなそうな顔で首を捻った。ただし、その間にも彼女の手はよどみなく動いている。アルマリアは、続きを促した。


「何がですか?」

「ヴィルヘルム様が、アルマリア様に随分執着なさっていらっしゃることがです。喜ばしいことではあるのですけど……あの方は、基本的に人と触れ合うことは、あまりお好きではなかったので。なんかいやーな予感、するんですよねえ」

「えっと……一応、妻だからでは」

「うーん、それにしては、欲求に正直といいますか。とりあえず、うっかり死体にされないよう、充分お気をつけくださいね」


 なぜか真面目な顔で夫からの殺害を危ぶまれて、アルマリアは苦笑いした。ぶれない侍女である。エンナがなおも不安そうにするので、明るい表情を見せて、軽やかに告げる。


「大丈夫ですよ。そんなに簡単には死ねませんもの」


 それにしてもヴィルヘルム様、信用ないですね。



 そんな風にして、リュファーニア王宮の午後は過ぎていく。

 波風をまるで感じさせない、危ういほどの穏やかさで。










   *














 リュファーニア聖王国の境を越えた、昼でさえ薄暗い森のなか、ひとりの女が苦しげに息をしていた。影のように黒い男の肩を借り、木の実を口に含みながら、必死に息を整えている。脂汗がこめかみに滲み、つうと伝い落ちた。


「く、そ……」


 この臓腑を蝕む、人ならぬ肉。

 瘴気がとぐろを巻く腹の裡。

 憎きリュファーニアの放つ絶対の加護は、変わらずおのれの国のみを護り、国の外へと醜悪な魔物たちを追い出している。その聖性は、魔物の血に染まる彼女すらも拒んだ。

 追い出され、興奮し、餓えた魔物たちは、手っ取り早く近くの村の人間を襲う。

 一片の、容赦なく。

(当然だ、魔物に、感情なんてないのだから)

 あるのは、飢餓感だけ。


 ——だけど、襲われた方は、溜まったものではない!


 ぎり、と唇を噛み締める。どろりとした血があぶくとともに流れた。

 許さない、と彼女は唸る。

 もう絶対に、弟のような死者を、出しはしない。

 そのたらいまわしにされた犠牲の矛先も知らず、ぬくぬくと加護の中で生きるリュファーニアの人間も、魔物を引き寄せるあの女も。

 

「わ、たし——が、」


 私が、過ちを、正してみせる。

 だから————



「だから……待っていて、ロディ」



 すべての仇を討ち果たすから。


 

 ふらつく身体をむりやり動かし、彼女は魔物の男とともに、獣道を歩いていく。行く手を阻む魔物を、ときに殺し、ときに喰らい。

 そうして、彼らは決して、おのれの目的を見失うことなく。

 甘い臭気を漂わせて。

 病んだ瞳に渇望を潜ませて。

 一歩、一歩、次なる道へ進んでいった。

 

 


 どこか侵し難い、陰鬱な清らかささえたずさえて。


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ひっそりこっそり実のない小話。(お返事は更新報告にて)
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