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純情白雪姫  作者: 祭歌
第三部 街中の聖女
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街中の聖女 14

 雨が、降る。

 

 かの美しき血が隠した全てを暴く、雨が。




  *











 アルマリアは己の目を疑った。

 大きくその眼を見開き、呆然とその男を見る。

 

「……クロ? 何故ここに、」

「————誰です」


 思わず零した彼女の前に、素早くクオルディスが後ろ向きに立ちはだかった。常には考えられぬほどの俊速にヴィルヘルムとエンナがそっくり同じ表情で微かに眉根を寄せ、リカルドが鼻を鳴らす。各々の性格が如実に現れた反応である。が、アルマリアはそんな周囲の反応なぞさっぱり気にしていなかった。ただ、腰を屈め、平手を構え、まるで傭兵のような体勢でアルマリアを守るかの如く目前の影を見据えるクオルディスに戸惑っていた。

(……クオルディス様は、医術省の方でしたような)

 何故こんなに戦闘慣れしていそうなのだろう。

 それに、どうして。


「お下がり血に繋がれた獣。よくよく目を開きなさい。果たして私が相対すべき相手かね?」


 嫣然と、一笑。

 黒薔薇のような微笑を浮かべた彼は、黒と白の縦縞の中衣の上に灰色のウェストコートを着込み、銀のネクタイを風に流して羽織った漆黒のフロックコートのボタンを一つも止めずに影に溶けている。

 耳に久しい声に知らず息を呑んでから、ふと彼の頭部を見てアルマリアは嘆息した。


「クロ、また帽子が破れています」

「うん? ああ最近は指摘してくれる相手がおらんからね。まぁこれも世の流れ、というものだろうよ」


 そんなわけがない。

 ピカピカに磨かれたステッキと対照的に、古ぼけ、明らかに手入れしていないと分かる穴空きの山高帽。

 相変わらず大事なところが適当な彼にほっとして、アルマリアは呆れながらも嬉し気に微笑んだ。そうすると、彼も同様に懐かしい、あの人を食ったような老獪な笑顔になる。アルマリアがずっと好きな顔だ。幼く、いつも失敗ばかりだった彼女を撫でてくれる時の表情。

 アルマリアはそっとクオルディスの肩に手の平を置いた。ピクリとその肩が動く。


「……アルマリア様?」

「あの、大丈夫です。私のエビリスにいる知り合いですから、——魔物、でもありません」


 何故クオルディスがこんな行動を取ったのか。

 未だはっきりとは分からない。だが、彼を警戒してのことだということは歴然であったから、アルマリアは宥めるように、クオルディスを後ろから覗き込んだ。数秒の空白をあけて、するりとその姿勢が戻る。視線を合わせるようにして目を追わすと、今度は見上げる形になってしまった。ヴィルヘルムと同じくらいの背だが、思慮深気な藍の眼が沈んで見えることと、色素の薄い灰色の髪が相まって、どうにも吹けば飛びそうな儚さを覚える。そこいらの花のような令嬢方など足下にも及ばない繊細な秀麗さだ。陽の色の髪で柔らかな日差しと共にあるような——実際は死体と共にあるわけだが——ヴィルヘルムとは大分違う。そんなことを考えていれば、当のヴィルヘルムが彼に歩み寄った。ゆっくりとその口が開く。


「挨拶もせず、不躾に失礼致します。このような森の中で、あなたは一体何をなさっておいでですか?」


 にっこりと微笑んだ社交用の顔が眩しい。が、普通、挨拶もせずなどという口上はうっかり喋ってから言うものだ。言わない為に口にする文句ではない筈なのだが。

 クオルディスほどではないが、さすがにそれなりの警戒はしているらしい。そりゃあ、こんな怪し気な身なりの男がいきなり現れたら不審だわ、とアルマリアは思った。

 くい、と袖を引かれて振り返るとエンナもヴィルヘルムと似たような表情で微笑んでいた。後ろに下がるよう言っているのだろう。素直に無言の指示に従う。リカルドはヴィルヘルムの左方にさりげなく移動していた。……ここで主君の前に出て変わりに質疑しないのがリカルドである。


「ふむ、リュファーニアの第一王子。死体愛好家ヴィルヘルム殿下。奇矯な方向に突っ走りまくっているというのは本当のようだね。ふむ、ふむ、面白い。中々に変わり者の嫁となったものだねアルマリア」


 何故か頻りと感心した風情の彼にげんなりする。祝福してくれるならもっと分かりやすく言って欲しい。少なくともここはリュファーニアで、ヴィルヘルムはその第一王子だ。と、自分でも言っている癖に全く頓着しない不敬っぷり。その上現在妃殿下の位についているアルマリアをさらりと呼び捨てにしている。隣でぶわりと何かそら寒い気配がして、アルマリアはエンナを見れなかった。怖い。


「クロ、ヴィルヘルム様の質問、聞いてました?」

「聞いていたとも。だから今から答えようとしているのではないかね」


 薄氷の眼を細めて心底不思議そうに首を傾げられる。頭が痛くなってきた。

(……ああ、そうでした)

 彼はふたりで居る時は兎も角、ふたり以上でいると、激しく会話の噛み合ない酷く面倒な相手だった。

 まったくどうして忘れていたのか。いや、そもそもあまり彼とアルマリアがそれ以上の人間その他諸々と話す機会はなかったような気がする。だからすっかり失念していたのだろう。


「さて。お初にお目にかかる、ヴィルヘルム殿下。アルマリアの背の君。私はクロプツェン=ルーサー、エビリスの魔鏡の主。王妃の守人。鏡より出ずる者。すなわち人ならぬ夢現の間をたゆたうもの」


 クロプツェンは優雅に一礼した。流れるような所作。その身に染み付いた次第を窺わせるような完璧さ。アルマリアは幾度も彼に礼の仕方だけは嗜められていたことを思い出した。


「という訳で、然様に綺麗な言葉遣いをしなくても問題あるまい。楽に喋っていただきたいが、どうかね」

「ならばそのように」

「うん。では次に何をしていたか、という質問だが、それはあまり正しくなかろうよ。何しろ私はたった今ここにきたばかりなのだから」

「今?」


 ヴィルヘルムが怪訝気な声を出す。そんな馬鹿なと言いた気なリカルドが口を挟んだ。


「そんなあっさり入れるような森では、——いえ、入れたとしても、ここまでそれなりの距離があると、」

「うん、人の道を、人の足で歩けばその通り。だが私はこの通り、人ではないのでね」


 この通り、といっても見た目は充分人間だと果たして彼は分かっているのか。

 ため息をつきそうになって、ふと鼻につく臭気と、奇妙な怖気に身を震わせる。

 なに。

 この、悪寒は。

 まるで、人の血のような匂い、と。

 気持ち悪いくらいの甘い香り。

(また、魔物でもいるの? でもこのリュファーニアでそんな、日に何度も現れたりなんて、)

 する訳ない、と思い切れない。何故なら今ここには自分がいる。魔物を惹き付けてしまう、自分が。

 青ざめて、きゅっと片方の肘をもう片方の手で握りしめる。だが、「どう致しましたか?」とエンナが心配気に聞いてきたので、慌てて力を緩めて何でもないとかぶりを振った。

 大丈夫。 

 きっと。何でも、ない。


「ではどうやって、」

「こうして」


 リカルドの疑問にクロプツェンは腕を広げて応えた。

 彼の背後、その腕を広げた空間に、揺れるような影が広がる。微かに反射し、波を見せるそれはまるで——


「……鏡?」


 傍らのエンナが呟く。アルマリアは久しぶりに見たそれに、ほぅと息を漏らした。

 懐かしい。

 アルマリアが魔物に食べられそうになって、這々の体で逃走しているとどこからともなくやってきたクロプツェンがこの“鏡”で連れ帰ってくれたのだ。


「そのようなものだよ。——現の夢鏡。映る(、、)ことの出来るものから、いつでも移動出来る。好きなところへ、好きなように、鏡に憑くもののみが知り得る道を開いて」


 クロプツェンが再び腕を振る。すると、ひゅん、と崩れるように“鏡”は消えた。


「本題だがね。何故ここにいるのかという問いとしてよいならば、アルマリア。貴女が無謀に無茶をしているようだったから様子を見に来たのだよ」


 …………私!?

 アルマリアは密かに仰天した。まさかここでこちらに話がくるとは。

 ヴィルヘルムも意外そうに片眉を跳ね上げた。


「……離れていても分かるのか?」

「それがエビリスの魔鏡というものなのだよ。ヴィルヘルム殿下は兎も角、貴女は知っていただろう。何故にそれほど驚くかね」

「え、——でも、あの、私はもう、リュファーニアの」

「アルマリア。血の呪縛がそれほど容易く解かれる訳などなかろうよ」


 ぎくりとした。

 静かで老成した声は、いつも、決して、易しくはない。

 流してはならぬことを突きつける。


「さあ私への疑問は解消されたかね。ならば君達は先ず、思い出しなさい。何故、この森にやってきた?」

「え、」


 何故、この森に?

 じゃり、と湿って粘り気を帯びた草と土を踏みしめる。上品な色味の靴がさらに泥に塗れた。

 何故、と頭を働かせる。

 それは。

 この森に。

 変死体の手がかりを————



「…………手が、かり?」



 呆然と落とせばクロプツェンは教え子を誉めるような、それでいてどこか面倒そうな笑みを浮かべた。


「うん、よく思い出した。そうとも、貴女達は変死体の事件の手がかりを少しでも得る為に、きなくさいこの森までやってきたのであろう。ならば今直ぐ街へ向かいなさい。そうして探しなさい、アルマリア。貴女が肌で感じた匂いのもとを」


 匂い、という言葉にはっとする。

 それは、この腐り落ちた果実のような甘い匂いのことだろうか。

 けれどそれはどういうことだ。この匂いのもとを探す? 確かにこの異臭は凄まじいが、時たま匂わなくなるし、犬ではないのだから探し出すことなど出来ようものか。

 そんな思いが顔に出ていたのか、クロプツェンは可笑しそうに苦笑した。


「いいや、分かるとも。何故ならそれが貴女の生きる為の術であるのだろうから」


 アルマリアは眼を見開いた。

 私の、生きる為の術。それは、つまり。


「魔物のせい、ということですか……!?」


 けれどあの少女の遺体は残っていた。否、彼女だけではない。他に数多くいるのであろう死者の身体も、無惨ながらも残っているのだ。

 魔物は人の全てを食べる。

 だから、そんな、筈がないと。


「思い込みは視野を狭める、と昔言ったことはなかったかね。だが、まぁ、今回は例外でもある。これは恐らく——人と魔物の仕業であろうよ」


 リカルドとヴィルヘルムの顔色が変わった。だが彼らより顕著であったのは、クオルディスだ。

 一切の表情が掻き消え、眼差しが暗い闇を帯びる。エンナの表情が険しくなった。怒気に怯えるかの如く。

 ああ、そうだ。

 アルマリアが見たのは、彼の妹なのだ。

 そう思った瞬間、酷く息苦しくなった。生々しく、かの少女の死がアルマリアの脳を痛打する。

 クオルディスは今にも駆け出しそうだった。けれど。

 

「————落ち着きなさい追尾獣。半身を亡くし気が立つのを否める気はないが、早計はいけない。取り返しのつかない間違いは自ら起こすものではないよ」


 クロプツェンの一言に、藍の眼が見開かれる。


「何故、知って…………いえ、そもそも、どうしてリュファーニアの事件のことを、その内実を知っていらっしゃる?」

「それは私が魔鏡の主だからだよ。それ以外の何もありはしまい。事件のことを知ったのは先程、この森に入ってのことだ。これも私が私だからとしか言いようがない。詩的に言うなら鏡だからとでも言うべきかね」


 詩的も何もない適当さで手を振り、クオルディスの脇を通り抜けてクロプツェンは酷く緩慢な動作でアルマリアに近づいた。見上げるとふわりと頭を撫でられ、さらには頬の輪郭を赤子にするかのような手つきでなぞられる。瞬いて、困惑顔になればかつてのたったひとりの友はにこりと微笑んだ。


「助けをあげよう、アルマリア。眼を閉じなさい」

「え、——はい」


 戸惑いながらも言われた通りに瞼を下ろす。ふっと何か柔らかいものが眼の上に触れた。こそばゆいその感触に、口づけられたのだと気付いて赤面する。……もう子供ではないのに。

 居心地が悪くなった時、ずきりと頭の芯が痛んだ。

 思わず耳の横に手をやる。その次の瞬間、酷い耳鳴りに苛まれた。

(こ、これのどこが助けですか……っ)

 ずきずきする頭を押さえて恨めし気に見上げる。が、クロプツェンはにこにこと笑ったままだ。


「さあお行き。もう分かるだろう、道行きも、目的も」


 分からないですってば、と言おうとして、不意に心臓が一際大きく軋みをあげた。悲鳴と、怨嗟。憎悪に哀切。把握し切れない感情と叫びが脳裏に響く。


 飛び散る鮮血を訴える声。

 死に逝く魂を喰らう色。

 狂気に食まれた感情。


 絶叫。


「……っ、クロ! 何ですか、これは!」

「それが元凶なのだろう、と言っているのだよ。……うん? そうだね、兎に角森を出て、街の北、マルディーン通りの人の少ない道を行きなさい。間に合うように、——疾く」


 言い捨てて。

 睨む彼女の視線の先から、クロプツェン=ルーサーはその身を消した。














 がんがんする頭を振り、無理矢理前を向く。エンナが先程の会話から察したのか、背中を支えてくれた。


「アルマリア、」

「いき、ましょう」


 心配気に眉を寄せたヴィルヘルムの言を笑顔で遮る。……大丈夫。これくらい、なんともないわ。

 それよりも、早く。


「クロの言ったことは、多分、正しいのでしょう。クロは無駄なことや面倒なことを嫌いますから、不毛なことは言いません」

「信じない訳ではありません。ですが、アルマリア、貴女は……」

「私は大丈夫です。どこも」


 そう、どこも。

 腹を裂かれ命も魂も奪われ若くして亡くなったあの少女達に比べれば、頭痛くらい、耳鳴りくらい何だと言うのだろう。

 アルマリアは微笑った。

 夜に咲く花のような笑みで。


 エンナの背を支える力が強まる。リカルドが放心から帰ってきたクオルディスの腕を掴んで引っ張ってくる。ヴィルヘルムはアルマリアの笑顔をとっくりと眺め、


「……仕方在りませんね」


 諦めたように微笑んだ。

 ほっと知らず抱いてきた緊張を緩める。ヴィルヘルムはそんなアルマリアの頬を、先程のクロプツェンのようになぞり、黒い前髪をごくごく穏やかな手つきでかき上げた。白い額が外気に晒される。ふるりと身震いしてアルマリアは一瞬目を瞑った。


 と。


「————え、」


 

 ぴき、と固まる。

 アルマリアは真っ赤になった。

 つい先程まで風に震えるほどだった額が、熱い。

 ヴィルヘルムは至極満足気ににこにこしていた。

 

「あ、の。ヴィルヘルム、様?」

「私は貴女の夫ですから」


 いえそういうことではなくて。

 強く口付けられた額にひたすら赤くなりながら、けれど何か反論すべき言葉が見つからず、力なく俯いた。エンナもすぐ傍にいたのに、まったく頓着せずこんなことをするヴィルヘルムは、もし死体好きですらなかったらものすごく大変な相手だったのではなかろうか。そううっかり気付いてしまい、アルマリアは何だか複雑な気分になった。


「さて、それでは私がアルマリアと共に行くから、リカルド。おまえはエンナとクオルディス殿を頼む」

「——は」


 やや呆れた面持ちでリカルドが敬礼し、ぐいっとクオルディスを引っ張る。


「私もクオルディス様も、護衛はいらないかと存じますが……ああアルマリア様、すっかり殿下の毒牙に」


 ぼそりと嘆いて、しかしエンナは素直にクオルディスの背後へついた。まぁまぁと宥めるようにリカルドが苦笑いする。もう大分落ち着いたらしいクオルディスも困ったような表情でリカルドに腕を離してもらっていた。


「では森を出ましょうか、アルマリア」


 まるで散歩に誘うような気軽さで、ヴィルヘルムはアルマリアの手を握った。

 ぽかんとしてから、アルマリアは頭の痛みも忘れて晴れやかに大きく頷いた。











  *





 恨めしい。

 この汚濁に塗れた清さの全てが。



 


クロの本名はクロプツェンです。クロはアルマリアがつけた愛称です。犬っぽいです。


失礼しました。



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ひっそりこっそり実のない小話。(お返事は更新報告にて)
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