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純情白雪姫  作者: 祭歌
第三部 街中の聖女
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街中の聖女 12

 ————かの王国は美しい。

 けれども周りにうずたかく積まれたこの腐臭の在処を何とする。


 何故に穢してはならぬと人は言う。

 何故壊してはならぬと人は言う。

 何故、慈しまねばならぬのだ。





 汚いものなど山ほどある。

 ならば少し波紋を落とすことくらい、なんだというのだ?







  *


 右胸が疼く。


 それは、妹との絆の証とも言えようか。——否、それは数日前のことだ。

 だとすればこの痛みは何だ。自問し、けれど彼はその正確な答えを知っている。己に流れる血が知っている。

 ああ。

 麗しき、エビリスの白雪姫。

 

 一刻も早く、御身のお傍へ。

 




 









 実を言うとエンナは自分の直感に従いたくなかった。


 そりゃあ、曲がりなりとも王子だ。自国の王子。向かえに行かない訳にはいくまい。だが。

(……あの変態王子なら勝手に自分で何とかするでしょーよ!)

 思い出すのは幼い頃の悪夢の日々。

 

 たとえば、紹介された目の前で、「君はいつまだ死んでいないじゃないか」と真顔で言われたり。

 

 たとえば、初めて雷狼と称される元帥にお会いしたその瞬間、あの馬鹿王子の変態発言で王宮から迷子になって鹿と殺りあうほど野性味溢れる森に吹っ飛ばされたり。


 たとえば、その延長線上で侍女を目指している筈の自分が如何にも軍人然とした面持ちの少年とともに元帥直々に指南されることになったり。


 たとえば、何故かそれに馬鹿まで加わって、当時の侍女頭にこっぴどく、それはもう凄惨なまでに叱られてしごかれたり。


 たちえば、王子の見た目に馬鹿惚れした馬鹿娘達に「じゃあ、君の脳髄、調べてもいいのかな?」とか何とか意味不明なことを言っては退けて何でかその恨みがこっちに向かったり。



 …………ああ。

(ありえない)

 思い出すだけで腹が立ってくる。大体何故皆してあのアホ面に騙されるのだけしからん。ていうか玉砕しても私の方にくるな! 

(馬鹿に惚れる馬鹿、ああいや。もういや。今あの王子滅んでくれないかしら本当に! あああああでももしアルマリア様があんな変態に惚れてしまわれたらどうしよう! いーやー信じらんない信じたくないでも愛のない結婚もあのお方の年頃には残酷なものかもしれないけどでもいやー!)

 そういえばアルマリアは全く、ヴィルヘルムの嗜好について非難しなかった。気にならない、といよりどうでも良いということなのだろうか。だとしたらやはり彼女は大物だ。ただのお姫様ではない。いやそれはなんとなく分かっていたが、改めてなんというか、身にしみた。


 ……ということはやはりあの変態の妻になれるのは彼女しかいない。


 否、一応はもう夫婦の括りに入っているのだが。心を通わせられるかどうかはまた別問題なのが雲上人の結婚というものだ。だが、庶民のエンナからしてみれば、少々の想いくらいはあった方が良いのではないかと思う。あとで愛人の暴走やら血筋が曖昧な赤子などが現れては大問題だ。継承権もだが、エンナの立場からすると主に侍女間で。そういうごたごたは本当に面倒臭い。絶対嫌。ただでさえろくでなしの第一王子に苦労しているのに、これ以上厄介が増えて堪るものですか!


「————エンナ、思考駄々漏れなんだが……」

「あら失礼。————!」


 ほほ、と口元を覆ってから、はっと目を見張る。


「いたわリカルド! 口惜しいことに!」

「何故口惜しいんだ僥倖だろうが! って、つまり殿下お一人ってことか!?」

「それ以外にどういう答えがあって!?」

「そんな……っ」


 ぎょっとするリカルドをエンナが睨めつけ、クオルディスがこの世の終わりとでも言いた気に呻く。

 そんな彼らに、徐々に影の近づいてきた王子が振り返り。



「…………おい。聞こえているぞ」


 

 呆れた風情で呟いた。







  *










 遠い、遠いお伽噺を語りましょう。

 

 それは、遥か昔のことであり、ほんの指先一つ分以前のことでもありましょう。

 むかし、むかし。あるいは思い出。

 

 ある一匹の魔物がおりました。


 ()は驚いたことにこころがあり、

 ひとのたましいを恐れていました。


 きらきら。きらきら。

 ひとのたましいは綺麗です。

 淀んだものとてありましょう。けれど魔物にしてみたら。

 目も眩むほどの美しさ。

 それが清いという訳ではなく。

 むしろ泥にまみれてこそ。

 

 魔物は思います。

 ああ、これを食べてしまったら、己は消えてしまうのではないか、と。

 

 ああ! なんと浅はか! なんと無知!

 ただ同朋と同じように、躊躇いなく食べておけば良かったのです!


 だというのに魔物は恐れてしまいました。

 はじめて獲物と定めたひとりの少女の魂を。


 彼女はとても美しく、そして聡明な娘でした。

 私はこの魔物に食べられる。

 そう、理解し覚悟した上で、彼女はじっと魔物を睨みました。

 

『食べるのならお食べなさい。けれど私の心までは食べられぬでしょう。だってあなたは魔物なのだから。だからあなたが私の全てを食べることなど不可能なんだわ』


 娘は良いました。

 耳鳴りも酷いだろうに、ただ、魔物を睨めつけて言いました。


 魔物は恐れました。

 眩しいほどの彼女のたましいと、そのことばに恐れました。


『ああ、ああ、そうだとも。我におまえは食せない。ああ、ああ、なんということだ! おまえは初めての獲物だったのに!』


 魔物は嘆きました。

 嘆き、嘆き、けれど少女を手放しませんでした。

 美しい娘は疑問に思いながら、彼の傍にいることになりました。

 食べられないと知ってからはなんとか逃げ出そうと試みて、そのたびに失敗します。

 悔しがる娘を、魔物は物珍しく思いました。

 なんと、ひととは奇怪な生き物だ。

 彼は興味を引かれました。そうして、娘に疑問を投げかけます。


『ひととは皆、おまえのようなものなのか?』

『そんな訳ないでしょう。馬鹿なこと言わないで』


 娘の答えは素っ気有りません。けれど彼は満足しました。

 しばらくして彼は娘に木の実を持ってきました。警戒する彼女に無理矢理それを食べさせます。

 娘は驚きました。

 美味しいわ! と叫び、それから何故こんなことをするのかと魔物に問いました。すると魔物は言いました。

 ひととはものを食べずにいたら死んでしまうものなのだろう、と。

 娘は驚き、やはり疑問に思いましたが、その瞬間何故か魔物を厭う気力をなくしました。


 時は過ぎます。

 当然のように、当然のように。

 残酷に。


 ある日、魔物が出掛けて帰ってきたら、美しく聡明な、もう少女というよりひとりの立派な女性とでも言うべき美女に成長した彼女が、樹のうろの中で死んでいました。


 魔物は驚きました。

 驚き、怒りました。


 何故、どうして、なにゆえ彼女が死んでいる!


 急いで彼女の身体を確かめれば、両腕を、両足を、頭を。

 無惨にも獣に食べられていたのです。

 

 魔物は人を丸呑みにします。獲物でなくとも、出来うる限りの残虐さを伴って痛めつけてから、やはり全て余すことなく食べるでしょう。けれど彼女は残っていました。襲ったのが獣でしたから、残っていました。


 魔物は咆哮しました。

 滾るような怒りに、全てを灼き尽くそうとさえ思いました。


 そうして彼は考えます。


 彼女を己に残すには、ならば食べればいいではないか、と。


 けれど彼女のたましいはもう有りません。

 そもそも魔物は彼女のたましいが眩し過ぎて、食べれなかったのです。


 また再び苦悩し、しかし彼は諦めませんでした。

 もはやそれは、狂うた魔物のさらなる狂気とでも呼びましょうか。


 魔物は娘の、残った身体を引き裂きました。

 胸を、心臓を、胃を抉り、ばらばらに引き裂きました。


 そうしてそのはらわたを、初めて彼は口に含みました。

 ばりばりと、ばりばりと。

 大腸を、肝臓を、肋骨を。

 泣きながら彼は食べました。

 嗤いながら、彼は食べました。


 食べて、食べて、食べ尽くして。



 そうして漸くこころを持ってしまった魔物は気付きました。



 彼は娘に————






 

 ……それからその魔物は、ひとのたましいではなく、臓物を求めるようになりました。

 ただ、ただ、ひとのはらわたを食べ回るのです。

 それも美しい娘の臓物を。

 

 ふふ、これでお伽噺は終わりです。怖いですって? ああ、それはそうでしょう、怖くなくてはなりません。

 何故ならこれには寓意が込められているのですから。……いえ、違いますね。寓意は私達ひとには関係ないでしょう。込められているのは、発せられているのは警告です。

 皆さん、魔物はこのように恐ろしいのです。

 ただの魔物だけではなく、このような残酷な魔物には気をつけなくてはいけません。決して心を許されませぬよう。

 

 決して、見つかり捕まりませぬよう。








  *



「————っんの、馬鹿王子————————っっっっ!!」


 きぃ——————ん、と雨すら吹き飛ばすような怒声とともに、ヴィルヘルムの頭に何かががつんと激突した。


「……エンナ、おまえ、いいかげん私を何だと思ってる」


 ずきずきと痛む頭を押さえ、腰を屈めて飛んできた何かを拾う。……木の実? それにしてはものすごく痛かったが。微妙に泥がつき、濡れて酷く嫌な感触が伝わってくる。そうしている間にも袖や頭髪がさぁさぁと降る雨に濡れ、べたついて気持ち悪い。

 ため息をついて不機嫌にそれを放ると、リカルドはなんなく受け止めた。その右眉が驚いたように上がる。


「これ、ルジェンナの実ですよ。木の実の三大珍味です。泥と苺と涙のしょっぱさを併せ持ったような味がするらしいですけど……滅多に見つからないのに、エンナおまえこれどこでいつの間に拾ったんだ?」

「さっきよさっき。丁度落ちていたから」


 ……その味は果たして食べて良いものなのか。というか。


「そんなことはどうでもいい。それより————」

「殿下! アルマリア様は、一体いずこに……っ!?」


 言いかけた時、胸ぐらを掴む勢いでクオルディスが詰め寄ってきた。仰け反りながら、ああ、と頷く。


「魔物の中に、呑まれた」


 びし、と空気が固まった。

 一気にズン、と彼らの顔色は悪くなり、どす黒い気配が押し寄せてくる。予想通りの反応だ。

 エンナが何か罵倒を吐きたそうな凄まじい形相で口を開いたが、険しい表情のリカルドがその口を塞いで押しとどめる。ヴィルヘルムはそれを一瞥したのち、目の前の男をじっと観察した。

 おかしいほど青ざめ、微かに身を震わせている。無論、雨のせいではなかろう。

(……この男)

 ヴィルヘルムが目を眇めた瞬間。

 憎悪の眼差しが、彼を痛打した。

 意外なほど強い感情に眼を剥く。かろうじて抑えていたのであろうそれは濁流の如く吹き出してヴィルヘルムを襲う。同時にクオルディスは今度こそ胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「ッ何故……!! 聖王家の血を引く貴方がついておられながら、なん————」

「まぁ待て。おまえはアルマリアの生を疑うか」


 掴んで引き寄せられたまま、ヴィルヘルムは冷静に、冷酷に、クオルディスを見る。


 この男は、何だ。


 同行を申し出られた時は特に不審には思わなかった。したたかな男だ、とは思ったが。ただ、同行者の顔を見た時の、あの表情。アルマリアを見た時の、驚愕と疑惑と、歓喜にも似たあの眼差し。

 

「クオルディス=アフォルグ=グルーヅ。おまえは何だ?」


 クオルディスの青灰色の瞳が揺れる。質問の意味が、半分分からず、そしてもしこれを聞かれているのなら、という色を宿した揺れ方だった。


「……少なくともアルマリアの愛人ではあるまいが」

「————ってそんな訳ないでしょうがこのド変態!」

「……エンナ、おまえは何でそう空気を読まないんだ。少しは自重しなさい」

「んなっ——! ああああのですねぇ、殿下にだけはそれ仰られたくありません! 空気読まないのはどなたですかどなた!」


 ぎゃあぎゃあと喚くエンナの口はいつの間に解放されたのか。ちらりと見やればリカルドが疲れた顔で額を覆っている。

 一方クオルディスはというと、呆然とした顔で、停止していた。雨で貼り付いた髪が微妙によれて見える。


「……クオルディス?」

「あ、あい……? ある、アルマリア様の……? あ、あ、あ、ありえな、」

「……解った。冗談だ。そう気負うな」


 そんなに動揺することか。

(まぁ、アルマリア程、そういった言葉と無縁に見えるものもいないが。というよりあの方は色恋沙汰にうとそうに思える、のは気のせいだろうか)

 仮にも王族にありながら、そういったことにとんと無頓着だ。にっこり微笑む姿はまるで穢れなど知らぬよう。白骨のように白い肌が、ほんのり色づく様はそれなりどころかとても可愛らしい。つくづく何故彼女は死体じゃないのか。惜しい。

 ヴィルヘルムは、雨除けを投げて寄越した妻の、どこか必死な強さに眼を細めた。

 あの凍ることのない微笑みが、もう一度見たいものだ。

 ヴィルヘルムは珍しく、生者の証でもあるその笑みなるものを渇望する。


「言いたくなければいい。アルマリアを害するつもりも、私達に敵意がある訳でもないのなら」


 言い捨てれば、吹きすさぶ霧雨をものともせず、クオルディスは弾かれたように顔を上げ、それこそ必死な体《てい》で否定する。


「もちろんです……っ! そん、そんなこと、ありえません!」

「それは分かったからもういいと言っている。それは、アルマリアを助けてからだ」


 はっ、とリカルドが構える。遅い。

 ゆらりと、先程逃げたばかりの魔物が遠くで揺らめいたのを、ヴィルヘルムは冷ややかに睨んだ。



 アルマリア。

 私は貴女を信じている。貴女の生を信じている。


(だが、もうひとつの願いは聞けないと、分かってくださることを祈っているよ)


 



  *







 つぅ、と。

 白い肌から、真紅の血が流れ落ちる。未だ乾ききらぬ鮮血。

 慣れた痛みに、それでも眉を寄せ、は、と息を吐く。浅く、小さく。

 無感動に滴るそれを見て、彼女は腕の位置を移動させた。

 すなわち先程瓶の中身を垂らした位置まで。


 ぽた、とアルマリアの血がひとしずく、そこに落ちた。


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ひっそりこっそり実のない小話。(お返事は更新報告にて)
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