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純情白雪姫  作者: 祭歌
第三部 街中の聖女
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街中の聖女 9

 ふるれ、ふるれ。

 泥の色すら惑わす王都。

 聖なる光にあてられて。

 

 塵芥の闇へと堕ちてゆけ。










  *



 エンナは鼻息荒く歩を進めた。がっ、がっ、とたわみ、溶け気味の木の根をかき分ける。その後ろを二人の青年が何とも言えない表情でついていっていた。

 雨は小ぶりになり、さぁさぁと、まるで霧雨のように吹いている。これならアルマリア様たちも少しは動きやすいだろうか、と埒もない考えが浮かんだ。


「……エンナ殿、先ほどから迷いなく進んでいらっしゃいますが、……あの、当てはあるのですか?」


 殿下方の、という言葉を、エンナはぐるんっと振り返って遮る。——当てですと?


「あるわけないでしょう!」


 きっぱりと、彼女は断言した。え、と男二人が固まる。虫の声すらしない森中で、ざわざわと木が揺れる音が、虚し気に響いた。

 数秒、時が流れる。


「…とりあえず、エンナ。もう少し言葉遣いを……」

「あら申し訳ありません、クオルディス様。以後このようなことはなきよう申し上げます」

「リカルド殿、エンナ殿。そのようなことはどうでもいいのです、——というか、」

「分かっております。少々現実逃避したかっただけですよ。エンナ、おまえ、じゃあ何でそんなに自信満々に歩いている」


 苦いため息の後の問いに、きょとんとしてからエンナは不敵に笑った。


「“空気の悪い方”に、向かってるのよ」


 エンナは昔から恐怖の対象や人の心の機微に敏感な娘だった。恐ろしいものの空気は、まとう陰気な威圧感は、手に取るように分かってしまう。昔はただ嫌がるだけであったが、今ではそれすら利用しなくてはあの王子についていくことは出来なかったので、こうして充分したたかに育ってしまったのである。悪い空気を一分の隙なく見分けられる程度には。野生のカンのようなものだ。


「あー、そうか……で、本当にこっちなのか?」

「たぶん、よ。多分。正確な位置なんて分かるものですか。ああ神官が一人でもいたら良かった。リカルドはまっっったく素養なかったわね」

「おまえもなかっただろうが」


 眉をしかめつつ足は休めない。いまいち理解しきれていない表情のクオルディスにリカルドが手短かにエンナのカンを説明する。それでも納得できなさそうにしながら、しかし留まることはなくついてくる。それを見て、ふとエンナは不思議な気分になった。


 そういえば、この方もあまり貴族らしくない。


 いや、ある意味においては貴族らしいのかもしれないが、近年よく見る傲慢さがない。

(……医術省、それも医学部なんて、それなりの能力がないと入れない。……裏から入るバカが、滅多にいなくて、実力で入った上で容赦ないあの省にいらっしゃるからかな。でも、グルーヅ男爵なんてバカの第一人者じゃない。そんなのの息子が、よくこんな普通に育つわね)

 微妙に失礼なことを思い、ちらりと青年を見る。色素の薄い灰色の髪に、思慮深気な眼は深い藍色。光の加減で翠にも変化する。ひょろりとした医術服をまとった姿は、吹けば飛ぶほど、なんてことはないがリカルドに比べればいかにも弱そうに見えた。のだがしかし、彼はあのリカルドを、片手で引っ立てた。あの時はそれどころではなかったので見過ごしていたが、それは結構なことだろう。何しろ仮にもリカルドは近衛隊のうちのひとつ、序列二位の威を誇る、第二部隊の長を務める人間だ。そんな簡単に動かされるような鍛え方はしていないはず。……まぁ今ではかの名高き第二部隊も『検死隊』なぞと言われているが。違う意味で有名になっている。哀れな隊長には、毎日のように警邏隊から苦情がきているらしい。


 曰く、「くるのはいいが、殿下の変態癖を何とかしてほしい。隊員が怯えて困る」とのことだそうだ。哀れ。ああ本当にアルマリア様つきになれて良かった! こんな時でも幸せを噛み締めるエンナであった。



「……リカルド殿、エンナ殿は……」

「気にしないであげてください……あれも、うちの殿下のことで本当に苦労していましたので」




 本日二度目になるような意味合いのことを、またもリカルドがほろ苦く言ったことを、目尻に涙すら輝かせてうっとりとするエンナはさっぱり気づいていなかった。








 


 アルマリアは真っ青になっていた。


「ヴィ、ヴィルヘルム、様……! 何故、」

「まぁ落ち着いてください、アルマリア。ほら、雨除けが落ちていますよ」


 狼狽するアルマリアの頭に、ふわりと雨除けがかけられる。吹いていた雨のせいで、頬に貼り付いていた髪を払われた。すっと離れていくヴィルヘルムの人差し指をぼうっと目で見送る。


 にっこりと、リュファーニアの第一王子が微笑った。


「大丈夫ですか?」


 あまりにも優しい声音で。これが死体にうっとりと頬を赤らめている人物とは、ついぞ思えなかった。違い過ぎる。

 けれど彼にとって、もっとも愛おしむものは死体なのだ。……数多いが。

 なんとなく、淋しい気持ちが去来する。もっと、打ち解けては貰えないだろうか。

 そう考えてからはっと我に返る。何を思っているんだろう自分は。恥ずかしさにくっと唇を噛んでから、にっこりと微笑み返す。


「はい、落ち着きました。ありがとうございます、殿下」

「何のことでしょう」

「たくさんあります。けれどとりあえずは、雨除けを拾ってくださったことに」


 するりと言葉が流れ出る。雨除けはどんどん霧雨に濡れる。ぬかるんだ地に座り込んだまま、彼女はふとドレスの裾を気にした。……まずいわ。これ、エンナが選んでくれたものなのに。泥が染み込んでしまったらどうしましょう。私はともかく、誰かに怒られたりしないかしら。


 密かに焦っていると、剣だこの出来た、顔に似合わず硬そうなてのひらが差し出される。

 驚いて見上げるとヴィルヘルムが、満点です、とでも言いた気な微笑で片膝をついていた。


「お手をどうぞ。今はあまり綺麗ではないので、申し訳ないのですが」


 仄かに困ったように言う。その表情すら完璧だ。

(ヴィルヘルム様って……王子殿下というより、お伽噺の騎士のような仕草まで似合うのね……)

 面白い方、と柔かに笑う。小さな笑声にヴィルヘルムが眉を寄せた。ほんのりと不安そうに。


「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて」


 そっとてのひらを乗せてみる。重さはおかずに立ち上がろうとしたら、くいっと引っ張られた。目を丸くして、踏み外しそうになりながら何とか立ち上がる。どうやらぶつからずに立てたらしいことにほっと息をついて手を離してもらう。


 と。

 妙に近い位置にヴィルヘルムの顔があった。


 

「ふらついてもよろしかったのですよ。ちゃんと受け止めますから」

「それは……でも、申し訳ないです」


 首を傾げてそっと足を引く。すると雨除けの上からぽん、と頭を撫でられた。

 ぱちくりと目をしばたたく。

  ……なんというか。

(私、幼い子供みたいにされてる……?)

 なんとなく微妙な気分だった。別に不快ではないが、妙にこそばゆい。故国ではそんな扱いをされたことがなかったから。

 


 故国。

 魔性の国、エビリス。



 ふと、何か胸苦しいものが押し寄せてくる。これは郷愁か懐古か。

 否、そんなに良いものではなかった気がする。いつだって、この身は魔物に狙われていた。

 


 ——魔物。



(あ、ら……?)

 鈴のような音も、声も、ほとんど聞こえない。おかしい。ここはあの魔物の、“範囲内”のはず。アンベラルサーは確か片目が盲目で、もう片目は光しか映さない魔物だったが、その分五感に優れているのでさくさく見つかってしまうかと思っていたのだが。——というより。

(ヴィルヘルム様が、一番危ないはずなのに……!)

 獲物でもなく“範囲内”に入ってしまったものは、即座に斬殺される。新しい玩具を手に入れた子供が、道ばたの生まれたての蟻を気づかずに踏みつぶすみたいに。

 けれど、獲物の自分も、彼も、見つかっていない。魔物が現れてすらいない。音も薄い。これは一体全体どうしたことだろう。今まで幾度も襲われてきたが、こんなことは初めてだ。


「最初の質問に答えると、どうしてかはよく分からないんですよ」


 ヴィルヘルムが喋る。その瞬間、喉元を清涼な空気が流れた気がした。または穢れを払われたような。

 どくん、と心臓が鳴る。まさか。


「ヴィル……、」

「貴女をひとりにするわけにはいきません。ですから袖でも掴もうと追ったはいいのですが、気づけば落ちていまして。まさか本当に一緒にいられるとは思いませんでしたが……良かった」


 いえよくありません。

 つい言ってしまいそうになったが、さすがに自分を心配して追ってくれたらしい人物にそれは止めておいた。……危険なのだが。

(これではエンナたちとはぐれてしまったみたいに……ど、どうしたら……ヴィルヘルム様だけ“外”に出すことは出来ないかしら)

 こんな時にクロがいてくれたら、とうっかり思ってしまう。弱気になるとすぐ、頼りそうになる。駄目だ、もう自分はリュファーニアの王子妃なのだ。いつまでも甘ったれているわけにはいくまい。そもそもあの友達には全然恩を返していないのだから、これからたくさん恩返す心算でいなければ。



「さてアルマリア。もうすぐ魔物が襲ってくるんですね?」

「え、あ————はい。そう、なのです。申し訳ありません……!」


 はっと頭を下げる。そうだ。自分が、彼を巻き込んでしまった。この国の第一王子を。異国から嫁いできた自分を、穏やかに気遣ってくれたひとを。

 歯がゆい思いで唇を噛む。

 再び、謝罪が口を突く。


「申し訳ありま……」

「アルマリア。これは貴女のせいではありません」


 けれどそれは、少し強くて、だけど優しい声に遮られた。

 はじめてあった時と同じ。柔らかな。

 

 ……ふと、こんなにも拒まれることがない安堵を、この国にきて怖い程たくさん味わっていたことに、気づいた。

 目まぐるしく変わるこの数日の中で、幾度も。








 何の含みもなく、微笑んでもらえていたことに。

 

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ひっそりこっそり実のない小話。(お返事は更新報告にて)
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