街中の聖女 5
————森には魔物が棲んでいる。
「古いお伽噺みたいですね」
にっこりと笑って、アルマリアは身も蓋もないことを言った。
ヴィルヘルムが困ったように苦笑する。
「そうですね……まぁ、伝承ですし」
「ですが、真かもしれません」
穏やかに微笑んだまま。
アルマリアははっきりと呟いた。ぱちりと脳裏に焼きつれるような痛みを伴う記憶が———————が蘇る。弧を描く口。アルマリアよりなお深い黒。浸食し、浸透し、破壊する声。
雨に濡れる霧がかった森の中から、彼女は空を見上げた。
憎らしいくらいの、曇天だった。
リカルドは非常にきまずい思いで最後尾を歩いていた。
同行者はエンナ、ヴィルヘルム、アルマリア、そしてクオルディスという青年。
クオルディス=アフォルグ=グルーヅ。先日事件の被害にあったばかりのマリーシャ=グルーヅの兄である。
あの親から生まれたにしてはなんという家族想いと感嘆してしまう正義漢だった。
守ることも死に目にあうこともできず妹を死なせてしまったと、酷く悔やんでいたらしい彼は、どこから聞きつけたのかこの視察に同行を願い出てきた。もちろん、ヴィルヘルムもリカルドも笑顔で首を振った。当たり前だ。一応文官らしいが軍人経験も戦闘経験もない紛うことなき事実上民間人に、一割でも危険の可能性がある場所に連れてはいけない。……アルマリアのことは諦めているが。彼女の花の如く静かな微笑に対峙すると何故か反論出来なくなるのだ。これだから美人は。
ともかく、彼にはお帰り頂くよう、丁重にお断りをたてたのだが。
『殿下、私は医学部で、人体の研究もしているのですよ。————次に死体が運ばれてきた時は真っ先に殿下にお知らせしますね?』
この一言で、ヴィルヘルムがあっさり陥落した。
リカルドはしばらく食い下がったが、しかし哀しいかな部下であり主はこの国の貴人中の貴人、逆らえるはずがない。
そういうわけで、一見純朴そうなこの貴族の青年は、同行を許されたのだった。
「…………天気、悪いですねぇ」
「雨ですからね」
「続くんでしょうか」
「さぁ」
「……えーと、おなか空いてませんか?」
「いえ別に」
「……もし、お疲れになりましたら仰って下さいね。殿下はあまりそういう気遣いを持っていらしゃらないので」
「はい」
「…………」
会話が続かない。
リカルドとこのクオルディスは、彼ら一行の一番後ろを、並んで歩いていた。前はヴィルヘルム、アルマリア、エンナの三人である。
何故本来守られるべき人々が前にいるのかといえば、まず当のヴィルヘルム達が前をいきたいと言い、反論する前に後ろの方を頼むと王子が爽やかに笑い、王子をアルマリア様と二人っきりにするのは危険ですからとエンナが苦虫を噛み潰したような顔をし、アルマリアが「ごめんなさい、————お願いしますね、リカルドさん」と微笑んだからだ。
……恐ろしい。
だが、リカルドはあまり心配はしていなかった。何だかんだでヴィルヘルムはああ見えて実は戦闘能力が高く、それはエンナも同様だった。どちらも需要がなさそうなのだが、……昔、黒歴史があったのだ。リカルドを含めた三人でしごかれた悪夢が。
思い出したくないことを思い出してしまったリカルドはぶるりと青ざめた表情で首を振ってから、ちらりと隣の青年を窺う。
正直、彼の能力値がどれくらいなのか分からないところが痛い。
突発的事態の彼に対する接し方を決めかねてしまう。守ると余計に藪蛇なことになってしまう人物であったらもう救いようがない。大抵の人間は庇えるが、……たまーに、ぶっとんだ性質の人もいるのだ。
が、まぁ。今はそれは問題ではない。
そんなことより。
(か、会話が続かない………………っ!)
前列ではほのぼのとした会話が、とてつもなくゆっくりした流れで交わされているというに、何だろうこの対比。重苦しい。重過ぎる。沈黙が重い!
リカルドはきりきりしてきた胃のあたりをそっと押さえた。ああ気まずい。
「……あの、」
「!」
そんなことを思っていたら、なんと相手から話しかけられた。驚きである。リカルドは勢い込んではいはいと頷いた。
「なんですか?」
「あの、アルマリア様という女性は……?」
「……へ」
あ、アルマリア妃殿下?
何故あのお方の名が。
予想外過ぎて返事を出来ずにいると、前方で当のアルマリア振り返った。
「あの、誰か呼びましたか?」
「あ、いえ……」
「いいえ、何でもありません」
ぱちくりと答えかけたリカルドの言を、やや早口でクオルディスが遮った。そうですか、と特に気にするでもなくアルマリアは向き直る。
リカルドは怪訝気に彼を見た。
「アルマリア様がどうかなさいましたか?」
「どういう、お方なのですか」
「……はい?」
おいおいおいおいちょっと待て。うっかり惚れちまったとか言わねぇだろなこの坊ちゃん。
たらーと溢れてきた冷や汗をこっそり拭う。それだけは何としても阻止せねば。国が関わるコイなんてろくなことがない。というか周りにろくなことが起きない。
「あ、アルマリア様は、」
ごくん、と生唾を呑み込み、極力普通に告げる。
「先日ヴィルヘルム殿下の奥方となられたばかりの、エビリスの王女殿下ですよ」
いや、正確には元、かもしれないが。
と。
ばっ、とクオルディスは両目を大きく見開いた。
驚愕、といういべきほどに。
(……エ、まままさか……?)
本気ですかー、と気が遠くなりかけたとき、小さな呟きが落ちた。
「エビリスの、“白雪姫”……!? 」
それはエビリスの姫君の異名。その美しさを讃える麗句。
はるか昔の貴いひとと重ねて名付けられた美称だ。
エビリス及び周辺の国内では知らぬものもいないほど有名な通り名である。
それを。
何故こんなに険しい顔で言うのか。
「クオルデゥス殿……?」
「————っ、……い、え。すみません、何でもありません」
(どこらへんが……?)
汗びっしょりですが。
だが、あえて追求することもあるまい。
「そうですか。ところであの方はあの微笑でこの視察に同行することになったんですが、おそらく肉体的に強いということはないでしょう。なので、もしクオルディス殿が、腕に覚えがあられるなら、ほんの少し、気にかけて差し上げて下さい」
「あ……はい。わかりました」
代わりに言った言葉に、クオルディスは妙にちから一杯頷いた。
……あーなんか面倒なことになりそう、とリカルドは自分の感にげっそりした。
えぇと、のちのち説明してくれると思いますが、王宮の文官が仕事してるとこでクオルディスさんが人体研究しているといった「医学部」は、負傷者とかをばっしばっし直す病院的なとこじゃありません。
医術省ー医学部 病気系及び研究メイン。
ー医務部 ばっしばっし直すぜ!
白衣を着て怪しい実験をする怪しいひとたちが蔓延っている感じです。