街中の聖女 2
この街が聖なるものだと誰が言ったのか。
この汚泥に塗れた国の、もっとも穢れを溜めた街を。
誰が聖なるものなどと嘯いたのか。
*
「あらヴィルヘルムさま」
ばったり、とはこういうことを言うのだろう。
小難しい顔で考え込んでいた夫を見つけ、アルマリアは小首を傾げた。
「こんなところにいらっしゃったのですね」
「姫、————いえアルマリア。貴女こそどうなされたのです、こんなところに」
驚いた様子のヴィルヘルムがこちらへと向かってくる。アルマリアも器用にドレスの裾をさばいて、足早に近づいた。
ヴィルヘルムの傍らにひかえていた青年も吃驚したように目を剥く。それから慌てたようにあやふやに腕を動かしたが、アルマリアは特に気にせずヴィルヘルムの傍まで行った。
「城下を案内していただいていたのです」
「案内? 誰……ああ、エンナにですか?」
多少ぽかんとしたまま、ヴィルヘルムはエンナを見、それでも目を白黒させながら聞いてきた。ええ、とにこやかに頷く。本当に奇遇なことだ。まさか出かけていた彼と出会せるとは。
ほんのり喜んでいると、持ち直したらしいヴィルヘルムは少し、眉をひそめた。
「アルマリア、ここは、あまりいらっしゃらない方がよろしいかと」
「え? なぜですか」
「私にとってはとても良い場所なのですが、アルマリアのような女性にとってはおすすめ出来るような場ではありませんね」
何故かヴィルヘルムの言葉を聞いた青年がそっと目を逸らした。というか顔ごと逸らした。げっそりした表情である。女性ではなくてもおすすめしません……とか何とか呟いている。
アルマリアは再び首を傾げた。
「そんなにおかしな場所なのですか?」
「あ、アルマリア様、私ものすごく嫌な予感がするのですが! ここは王子がおっしゃる通り引きましょう!」
「何を武人のようなことを言っているのです、エンナ」
後から追いついてきたエンナは真っ青だ。くいくい、と袖を引っ張ってくる。どうしたのかしら。怪訝な気持ちでヴィルヘルムに続きを促すが、彼も曖昧に笑うだけで答えてくれない。
ますます不思議になってきたとき、ヴィルヘルムの後ろからアルマリアの日常ではなかなか耳に出来ないような大声が響いた。
吃驚して顔を横倒しにしてそちら側を窺う。
警邏隊の制服に身を包んだ男たちと、近衛隊の制服を着た青年たちが何かを数人係で運んで来るところだった。
あの、運ばれている白いものは何かしら。
そう思った瞬間、彼らの顔がしまったと言わんばかりに苦まる。
ふわりと風が吹いた。
「っっっっなぁああああああ!」
耳元でエンナが盛大に叫んだ。
アルマリアは白い布の下からわずかに覗いたのは。
今が花と言わんばかりの少女の、————死体、だった。
「…………まあ」
失神しそうな様のエンナの背中を宥めるようにさすりながら、アルマリアはぽつりと呟いた。
茶金色の髪は赤く斑に染まり、肌は青白い。そして何より、その腹から臓物が吹き出ていた。
なんてこと。
ただ死んだ、というわけではないのだろう。
明らかに何かに襲われた『事故』である。
もしくは故意に襲われたのか。
(どちらであったとしても……)
なんて惨い。
「すみません、アルマリア。もっと早く促すべきでしたね」
何を、などという無駄な問いはしない。
だが、アルマリアはゆっくりと、けれど強くかぶりを振った。
「いいえ。そんなことはありません。……エンナには申し訳ありませんでしたけれど」
慌てて白布を被せ直す男たちを見ながらそう言うと、ヴィルヘルムは僅かに眉を上げ、彼の隣にひかえていた青年は再び目を剥いた。……そんなに驚くことかしら。
「気丈ですね」
「そんなことはありません。ですが、私はエビリスの人間なので。……それより、この方は一体どうされたのですか」
躊躇いながらも単刀直入に切り込んだ。ヴィルヘルムは一瞬沈黙し、困ったような顔で口を開く。
「……何者かに襲われた模様です。後ほどお知りになるとは思いますが————最近、多発しているのです、こういう事件が」
アルマリアは微かに瞬いた。
「……まあ」
思ったより大変だわ。
口元に手を当て、しばし考え込む。ふわり、と薔薇の匂い。何か野に芽吹く実の匂いもした。——これは、何の匂いだったかしら。思いを巡らし、だがすぐ停止させる。いいえ、今はそうではなく。
ぱっ、と濃緑のベルベットが翻る。しゃらりと精緻な薔薇を象ったレースが足首にまとわりついた。
「アルマリア?」
「弔いを」
ぎょっとする男たちを無視し、白布の前に膝をつく。三度指を複雑に動かし、きゅっと組み合わせる。
「——————ご冥福を、お祈り申し上げます。どうか貴女にユレリヤ神のご加護があらんことを」
死はそんなもので安らぐものではないと、知ってはいるけれど。
「————殿下!」
簡潔な呼びかけに、アルマリアとヴィルヘルムの両方が振り返る。
呼んだ当人は面食らったような顔になり、
「あ、す、すみません。ヴィルヘルム殿下の方です」
恐縮そうに謝った。