そして僕は弟との契約を解除した
二日後、僕はカズユキに言おうと決めていた。
学校帰り、僕たちは待ち合わせた。
駅前のカードショップで一緒に遊んだ後、歩きながら僕は、言った。
「もう、こういうの、やめにしないか?」
カズユキは意味がわからない顔で僕を見た。
「こういうことって?」
「兄弟ゴッコみたいなの。なんだかバカらしくなっちまった」
沈黙は僕には重たくなかった。これでいいんだと思ってたから。
「ところでアヤノちゃん、大丈夫か? おしっこ漏らしそうなほど必死の形相だったから……後遺症みたいなのが心配」
「──変わらないよ。帰ってからもお母さんにさんざんチクってくれて、俺、悪いことしたやつみたいにされて……」
「でも、やっぱりさすがはほんとうのお姉ちゃんだよな。あれ見て僕、自分がニセモノだなって、わかって……」
「それでボクを捨てるの?」
「捨てるとか言うなよ」
「俺……、お兄ちゃんに『アイオク!』で買われたよね? 出品者は落札者にずっと愛を捧げないといけないルールが……」
「だからそれが嫌なんだ」
僕は思っていたことを告げた。
「結局、僕らはお金で繋がり合っただけのニセモノの兄弟なんだよ。そこにほんとうの兄弟愛なんてない」
カズユキはうつむき、黙り込んでしまった。僕は続けた。
「僕には弟がいなくて、カズユキのお兄ちゃんはおまえが小さい頃にいなくなってしまった。それが現実なんだよ。僕は現実を受け入れることにするんだ」
「……わかったよ」
カズユキがようやく顔を上げた。
「お兄ちゃんが……山田貴博さんがそうしたいって言うならそうしてやるよ」
「うん」
「ほんとうは俺のことなんか、愛してくれてなかったんだろ」
そう言われて、言葉に詰まった。
自分の気持ちがわからなかった。ほんとうに愛してないなら──ほんとうの弟のようにかわいく思ってないなら、取り引きを解消しようなんて僕は言い出さなかったと思う。よくわからないけど、それだけは確かなことだった。
「じゃ、さよならだね」
カズユキが速歩きになり、僕の前へ出た。
「今までありがとね」
「……なあ!」
その背中に、僕は気になっていたことを聞いた。
「なんであの時、僕が入札するなりオークションを終了したんだ?」
そう。まるでカズユキは、僕の入札を待っていたかのように、100円で僕の元へ転がり込んできた。それはまるで、僕のことを知っていて、僕の名前を見て即決したような動きだった。罠にかかったような気がして、ずっと気になっていた。
しかしカズユキは納得のいく答えを即答した。
「弟を欲しがる入札者は女のひとが多いからだよ。ユーザーネームがTakahiroだったから。それだけ」
「なるほど」
そういえばプロフィール欄に自分が中二男子だということも書いていた。カズユキはお姉ちゃんに落札されたくなかったのだ。あくまでもお兄ちゃんが欲しかったのだと、改めて思い知らされた。
その願いが叶ったのを、僕が台無しにしようとしている。
「悪いな」
悪いことをしたと思った。僕の決意はそれでも変わらなかったけれど。
僕はカズユキのほんとうのお兄ちゃんになれなかったことが悔しくて、自分が許せなかったのかもしれない。
「じゃ、バイバイ」
そう言うとカズユキが駆け出した。
涙を見られたくないとでも言いたげに、けっして振り向きもしなかった。
夕焼けの色がやたらと赤かったのを覚えている。
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あれから7年が経って、大学生になった僕は遊園地内の軽食コーナーでバイトをしている。
お客の少ない平日は一人で店を任される。一日の売り上げが数千円なので、清掃、片付け、あとは暇を潰すのが主な仕事だ。
少し高くなったところにあるので、窓からは遊園地施設を見渡せる。歩いている人は少ない。
春の陽気が広範囲に降り注ぎ、地上には桜の花びらが紙吹雪のように舞っているのが見渡せた。
ふと、思い出した。中学生の頃、ほんのひと時だけ、僕にはかわいい弟がいたことを。
カズユキと遊んだのも、こんな春の日だった。
僕が追憶に浸っていると──
たかたった、と元気な足音が階段を上ってきた。
見ると遊園地の黄色い制服を着た男が僕のいるコンテナハウスに向かってくる。茶色のやわらかそうな髪がいたずらっぽく春の空気を含んでいた。
「ヒマっすね?」
彼は窓の外に立つと、人懐っこい笑いを浮かべた。
「俺もヒマ! ソフトクリームでも買っちゃおっかな」
「従業員価格でいいよ」
彼の笑顔になんだか気分をあかるくされ、僕も笑った。
「ヒマすぎて死にそうだよ。買ってよ」
「んー……。やっぱりいいや。お兄さん、ちょっと話し相手になってよ」
彼はそう言うとニヤニヤと、人懐っこい笑いを意味ありげな笑いに変えた。そしてなんだか自分の胸を僕に示してくる。そこには名札があって、名前が書かれていた。
藤原和行──と。
「えーっ!?」
僕は思わず大声を出し、自分でもわかるぐらい物凄い笑顔になった。
「カズユキか!?」
「わっ! 覚えててくれた?」
心から嬉しそうに、顔を笑いで崩すと、カズユキは僕にその顔を近づけてきた。
「アニキがここでバイトしてるって知って、懐かしすぎてさ、来ちゃった」
「チャラくなったなー、おまえ! ま、入れよ。ソフトクリームおごってやるよ」
「あっ。俺、やっぱジュースがいい」
そう言いながらカズユキは広くない店舗の中へ入ってきた。
「お邪魔しまーす」