ほんとうのお姉ちゃんはやっぱり強かった
『アイオク!』の出品者は返金可能な最初の三日間が終わると豹変するという話を、僕はふとした時に思い出した。
そういえばそんな話があったっけな、と思わず笑ってしまう。
カズユキと映画を観たのは四日目のことだった。カズユキは何も変わらなかった。いつも通りのかわいい弟だった。
僕はお金でカズユキの愛を買っているのだと自分に言い聞かせていた。たった100円でも、そこにお金が絡んでいる限り、これは契約だと思っていた。
カズユキは僕を兄として愛さないといけない決まりがあるのでそうしているだけなのだと。
ほんとうに、本心から彼が僕のことを兄だと思いたがっているのだとわかっていても、わかっていないよう努めようとしていたのかもしれない。
カズユキの小説は面白かった。
自分の願望を書いたものとはいえ、主人公がいちいちと楽しそうで、のびのびと妄想世界を生きていた。
妄想の兄と一緒に、公園で親しく会話をしたり、キャッチボールをしたり、ゲーセンで一緒に遊んだり、溜め池で釣りをしたり──
星空の下にテントを張って一緒に寝たり、深い山道を棒で蜘蛛の巣をかき分けて探検したり、新種の昆虫を見つけて喜びを共有したり、宇宙人と遭遇して友好を結んだりしていた。
僕は叶えてやろうと思った。
五日目──
「今度の週末、二人でキャンプに行かないか?」
公園での野球を楽しんだ後、僕はカズユキを誘った。
「星空の下にテント張って、一緒に寝ようぜ」
僕がそう言うと、カズユキの頬が赤くなった。
「あ、お兄ちゃんもしかして! ……」
それ以上は言わず、顔が真っ赤になった。
webに投稿しているのを僕に読まれているらしいことを知って、とても恥ずかしそうに、でもすごく嬉しそうに、笑った。
野球を終えて、並んで町外れの歩道を歩いていると、ねこが僕らにすり寄ってきた。
「あっ、ねこだ!」
カズユキが満面の笑みでしゃがみ込む。
「人懐っこいな。飼い猫かな? 首輪してないけど」
僕らがねこに夢中になっていると、前から見知った顔が歩いてきた。
三人の女子だった。その真ん中がアヤノちゃんだった。
僕らを認めると、口が「あっ」と動き、嫌がるように目が鋭くなった。
カズユキは小さくなって、僕の背中に隠れよう隠れようとしたが、僕がそうさせず、堂々と隣を歩かせた。ねこが僕らのあとをついて歩いてきた。
そのままお互いに近づいていった。
「アヤノちゃん」
僕はにっこりと笑い、手を挙げた。
「学校帰り?」
彼女の両脇にいた女の子がキャーと声をあげた。
「アヤちゃん、知り合い?」
「かっこいい!」
「かわいい子もおる! ねこも連れとる!」
するとアヤノちゃんは僕らをこう紹介したのだった。
「うちの弟。それと……、弟のカレシ」
「はあ!?」と僕が上げた声は、二人の女の子の絶叫にかき消された。
「キャアアー!?」
「それ、マジ!? 尊い!」
「リアルのBLなんて尊くない。キモいだけ」
アヤノちゃんは汚いものを見るように僕らを見ると、すれ違っていこうとした。
その時だった。
「おいっ!」
カズユキが大声を上げた。
見ると、女の子たちの絶叫に驚いたらしいねこが、車道に飛び出していた。
それを追ってカズユキも車道に飛び出すのが見えた。
ちょうどそこへトラックがやって来ていた。
僕は足が動かなかった。
ねこがニャー! と鳴いた。
トラックの運転席の窓が開き、おじさんが怒鳴った。
「バカヤロー! 死にてぇのか!」
ギリギリのところでトラックは急停止していた。ねこを助けるカズユキの前には、アヤノちゃんが立ち塞がっていた。死にものぐるいの表情で運転手を睨みつけると、すぐにカズユキのほうを振り返る。
「だ……、大丈夫?」
彼女の迫力に気圧されたように、運転手のおじさんが降りてくると、弱々しい声で聞いた。
「ケガない?」
「バカか、アンタは!」
アヤノちゃんはおじさんのことは無視して、カズユキに厳しい声を浴びせ、
「──死んだかと思ったじゃん」
そう言うと、弟を包み込むように抱きしめて、緊張が解けて気が緩んだのか、烈しく泣きはじめたのだった。
僕は二人を送っていった。死にかけたショックに足がうまく動かなくなったらしいアヤノちゃんを、弟のカズユキが支えていた。
「……ったく! ほんとにバカなんだからっ」
カズユキの肩に掴まってヒョコヒョコ歩きながら、アヤノちゃんは喋り続けていた。
「ねことアンタの命、どっちが大事だと思ってんの? バカ」
喋りながら、弟の頭を拳でポカポカ叩く。僕はただついて歩いているだけだった。二人の家を知らないから先導してあげられないし、何より二人の間に入り込む余地がなかった。
「ねこの命も大事だよ。それに、あそこでねこが轢かれてたら俺、心に傷を負ってたよ」
「バカ! 意味わかんない!」
「俺が一緒に飛び出したから、運転手のおじさんも止まってくれただろ。ねこだけだったら絶対轢かれてたよ」
「アンタが轢かれてたらあたしがどれだけ心に傷を負ってたか、わかるか? ア!?」
なんとなく、わかった。
アヤノちゃんは、弟に冷たいとか、興味がないとか、そういうわけじゃない。
ツンデレなんだ、きっと。
僕はといえば、自分が恥ずかしかった。あの時、足がすくんでしまって、カズユキを助けに動くことができなかった自分を。
そして、迷いもなく飛び出して、カズユキを守って立ち塞がったアヤノちゃんのことを、さすがだと思っていた。
さすが、ほんとうのお姉ちゃんだと。
僕はやっぱりニセモノのお兄ちゃんなんだ。




