そして弟は兄を夢中にさせる
店の奥に隠れて、二人で懐かしい話をした。
ほんの二週間もない兄弟契約だったのに、僕らの間には話題が尽きなかった。
キャッチボール、映画、『アイオク!』のこと、アヤノちゃんのこと……果たせなかったキャンプのことや山歩き、宇宙人との遭遇のことまで、僕らは仕事中だということも忘れて話に夢中になった。
「それにしても、よく覚えててくれたよなー」
僕は嬉しくて、カズユキに言った。
「僕のことなんて、とっくに忘れてるだろうなって思ってたわ……」
するとカズユキは、ジュースで湿った唇をなんだか悔しそうに結んで、恨むように僕を見つめる。そして、その口を開いた。
「忘れられるわけないだろ。アニキは俺に、忘れようのない傷を残してくれたんだから」
「え……」
僕はドキリとしてしまった。
「き……、傷?」
やっぱりあのことだろうか。
お兄ちゃんを欲しがっていた彼を僕は自分勝手な理由で突き放し、契約を解除してしまった。それを捨てられたと受け取ったカズユキは、あれから心に傷を抱えて生きて来たのだろうか。
だが、違っていた。
「アニキ……、池の主を釣りに行った時さ、俺のこと押し倒したことがあったろ? あの時、俺、キズ物にされてたんだぜ?」
「え……」
「あれから俺……、ホモになっちまったんだ」
「いや……! だって俺、あん時、何も……!」
僕が身を守るように固くなると、カズユキがキャハハと笑った。そしてあかるい声で今したばかりの話を笑い飛ばす。
「ジョーク、ジョーク! 安心して。俺、ふつうに女の子大好きな野郎に育ったから」
「あ……」
そう言われてほっとしたが、心の奥では残念がる自分がいた。僕だってふつうに女の子が好きだ。でも、カズユキなら構わない。大人になったカズユキと甘い一夜を過ごす妄想が頭をかすめたが、僕はそれを嫌だとは思っていなかった。
「とりあえず……再会を祝してかんぱーい」
カズユキがそう言って、ジュースの入った紙コップを差し出して来たので、盃を合わせた。
カズユキが聞く。
「もう『アイオク!』はやってないの?」
僕は正直に答えた。
「うん。あれから一度も」
「愛されたいって思わなくなっちゃったの? カノジョでもできて、満ち足りた?」
「そういうわけじゃないけど……」
どういうわけか、と僕は考えた。
考えて、わかった。『アイオク!』中毒になる者は、最初の三日間の甘さに取り憑かれるというが、僕にはそれがなかったのだった。
返金可能な期間に必死になって愛を売る大半の出品者と違って、カズユキは素直で、やりすぎることなく、ほんとうの弟のように接してくれた。僕もほんとうの弟のように、彼のことをかわいいと思っていた。
ニセモノの愛だと思っていた。
しかし、あれは本物だったのではないか。
僕の心の中にはもう、ずっと欲しかった弟が居続けていたのだ。
僕はそれを冗談めかして彼に伝えた。
「だって僕の弟はおまえがいるじゃん」
すると彼の顔に笑顔の花がぱあっと開いた。
中学1年のカズユキの面影が重なる。僕はその花に見とれていた。
「へへ……。嬉しいな。俺、もう弟だとか思われてないって思ってたから」
嬉しそうに、照れたように鼻の下をくすぐると、カズユキは言った。
「どう? 今夜でも一緒に飲みに行かない? 俺、バイト代でおごるからさ」
「弟におごられるアニキがいるかよ」
そのやわらかい頭を叩いてやった。
「割り勘でいこうぜ」
「おっけー! じゃ、今夜ね。バイト終わったらすぐ行く?」
「ゲートんとこで待ってる。……あ、いや。飲みに行くんなら車はだめだな。待ち合わせるか。駅前にしよう」
僕がそう言って人さし指を立てて、前に出すと──
「駅前ね! わかった」
僕のほうへ身を乗り出したカズユキの唇に、僕の立てた指が、触れた。
ぷるん──
あっ……
そのやわらかい感触に僕は一瞬、浸った。それを見透かすように、カズユキはいたずらっぽく笑うと、僕の耳にその唇を近づけて、こう言ったのだった。
「今夜、楽しみにしてろよ」
そして僕のかわいい弟は、まるで僕の心を弄ぶ支配者のように、これからも僕を夢中にさせ続けるのだった。
 




