フレデリックとジーナ
バベルの塔の40階では、子供の笑い声が絶えず響いている。
フレデリックとジーナの二人も、その中にいた。このバベルにいる大多数の子供と同じく、二人にも肉親は存在しない。実の父と母がどこの誰なのか、知る由もなかった。
それが寂しいのかと聞かれればそんなことはなく、二人はバベルの塔の中で割り当てられた仕事に従事しながら、仲良く暮らしていた。
フレデリックの仕事は、他の子供たちとは少し違う。
彼の持つ特異な資質が、彼をほんの少しだけ特別な存在にしてくれた。
銀の瞳と髪。それは希少な光魔法の使い手の証。
光魔法は力を攻撃に転ずることも可能だが、それ以上に重要な意味を持つーー女神ユグドラシルへの祈りを捧げ、人々を癒す力を得る、聖職者になれるのだ。
他の属性魔法に比べ圧倒的に少ない光属性魔法をその身に宿したフレデリックの仕事場所は、バベルの塔の高層階、81から90階に存在する聖職者のための階層。
この階に入れる人間はごく限られている。
冒険者の最高居住区である80階よりも高い位置にある理由は、ごく単純だった。
101階にある女神を祀る祭壇に近いから。
そして、高ければ高いほど、祈りが届くと信じられているからだ。
大地に深く根を張り、空を裂くほどに天高く伸びる世界樹は偉大だ。世界樹から最も遠いと言われるバベルの塔であっても、最上階の101階に登り、目を見開いて天を見晴るかせばその姿は見えてくる。
母なる樹。
人類にさまざまな恩恵を与えてくれる大樹。
巨木は雲にかかるほどの高さで、全貌を知ることなど不可能だ。
根元には人が多く住み、そこには決して魔物は入ってこられないのだという。
豊かに生い茂る緑の葉は雨風を防ぎ、人々に安らぎを与えてくれる。
ギリワディ大森林に生える木の幹など比較にならないほど巨大な木の中には、伝説の種族、世界樹の番人エルフが住んでいるとおとぎ話に伝えられていた。
そこは一切の苦しみも悲しみもない安住の地なのだと、女神が約束した永遠の大地なのだとフレデリックは教えられていた。
バベルの不毛な土地でも、女神の恩恵が受けられますようにと願いを込めて祈りを捧げる。真摯に思いを込めただけ、力となって身に宿る。高位の聖職者ほど治癒力は高い。
フレデリックの仕事は多岐にわたる。
聖職者たちはバベルの中でも特殊な立場を取っていて、ほとんど全てを割り当てられた区域でまかなっていた。
朝晩の祭壇での祈り。清掃、食事作り、81階にある傷病者のための治療所で治癒にあたり、症状が重い人は病室で休ませる。まだ幼いフレデリックは日々祈りと雑務に明け暮れ、40階に帰ることは少なくなった。
それでもたまに足を伸ばすと、妹のジーナが嬉しそうに駆け寄ってきてフレデリックの胴まわりに抱きついてくる。優しく受け止め、「あのね、お兄ちゃん」とジーナが心のままに喋るのに任せ、フレデリックはひたすら聞き役に徹した。
「今日はギリワディ大森林でキノコを採ってきたの」
「もうそろそろ冒険者の級が上がるって」
「試験を受けたんだ」
「私ね、斥候になろうとおもうの。ほら、体も小さいし足も速いから、ピッタリだと思わない?」
そんな風に夢を語るジーナの姿を眩しく思い、フレデリックはただ頷く。
「フレイお兄ちゃんも、もっと偉くなって、すごい聖職者になって、女神様にお仕えするんでしょ?」
「ああ」
ジーナの顔が、花が咲くように綻んだ。
「わたしが怪我して帰っても、フレイお兄ちゃんがいれば平気だね」
「そうだな」
約束する。
ジーナがどんなにひどい怪我をしても、俺が治してやるから。
だから無事に帰ってこいよ。
間違ってもどこかで死ぬんじゃないぞ。
とにかく生きてさえいれば、戻ってきてくれさえすれば、俺が何とかしてやるから。
だから、だから。
だからーー……。
……フレデリックの手が、天に向かって伸ばされた。その手は虚しく空を掻くだけで、何も掴まなかった。