酒場からみたアイラのお店
話を本日の昼まで巻き戻す。
ルインとエマーベルが卵を買い占めて市場を去った数分後。
「何、卵がない、だと……!?」
酒場の下働きのオルトは今、市場で呆然としていた。
店先で番をしている自分と同い年くらいの男の子がへらっと申し訳なさそうに頭をかく。
「うん、さっき買い占められちゃったんだぁ」
買い占められちゃったんだぁ、じゃないよと思った。
「…………っ、どこの誰が、卵なんかを買い占めていくんだ? そんな冒険者いるか?」
「あー、なんか、低層階の共同キッチンでお店を開くとかなんとか……」
「!?」
寝耳に水の話だ。
そもそもバベルでは、料理を出す店というのは二つしかない。
ギルドの上の階にある、オルトも働いている酒場。
それからもっと上の方にある、上層階の住民しか入れない酒場。
それが突然の共同キッチンでの店の話。一体なんなんだ?
「もう……父ちゃんになんて言えばいいんだよ……」
オルトはお使いを頼んできた父ロッツのことを思い出して頭を抱える。
八歳のオルトはバベルに住んでいる孤児だった。
バベルには孤児が多い。冒険者という職業は常に危険と隣り合わせで死亡率が高いので、親がいない子供というのはそう珍しくはない。
そうでなくとも探索に出ていれば数十日、数ヶ月の間バベルを留守にすることも珍しくはない。そうした時に面倒をみてくれるのがバベルに住んでいる住人たちだ。
特に酒場を取り仕切る料理人のロッツは面倒見の良さと優しさと時折見せる厳しさから、みんな「お父さん」と呼んで懐いている。
オルトもそんな孤児の一人だった。
酒場で毎日給仕に勤しみ、自分のやりたいことを探す日々。
今日は父ちゃんに「卵が足りなくなりそうだから買って来てくれ」と言われ、こうしてわざわざ市場まで来たというのに、だ。
「…………」
オルトは唇を尖らせ、持たされた金を握りしめてトボトボと酒場へ戻る。
バベルの二十一階にある酒場はいつでも賑わっている。
広い客席にはこれから探索に行く冒険者が出発前の最後の腹ごしらえと食事をしていたり、探索から帰って来た冒険者がこれでもかと注文をする。
それでもまだ午前の日の高い時間なので人気が少ない方だ。
これが夜になるにつれどんどんと人の数が増えていき、お酒や料理の注文取りと配膳でてんてこまいになるのだ。
むっつりしながらオルトが厨房を目指すと、テーブルを拭いていた仕事仲間の一人、モカがオルトに気づいて仕事の手を止める。
「おかえり、オルト! ……あれ? 卵は?」
「…………」
モカとは仲が良いのだが、素直に「なかった」と言うのはなんとなく癪で、ポケットに手を突っ込んでうつむいて足早にモカの横を通り過ぎる。ポカンとした顔をしていたが、無視だ。
「おかえり。おや、卵はどうした?」
父の言葉にオルトは床に視線を固定したままポツリと一言。
「…………なかった」
「なかった?」
父は怪訝そうな顔をして問い返す。
「売り切れてた。なんか、共同キッチンで店をやるって言って買い占めていったってさ」
「共同キッチンで店を……? あぁ、そういえば、アイラさんがやるとかいう話が酒場に来る冒険者たちの間でもちきりだったな」
「父ちゃん、知ってる人なのか?」
「知ってるよ。そうか、彼女が買い占めたのか。ならまあ仕方がないかな」
簡単に諦めた父にオルトは食い下がる。
「な、なんで仕方ないんだ? だいたい、この酒場があるのに共同キッチンで店を始めるなんて、おかしい! えーぎょーぼーがいだ!!」
「まあまあオルト、落ち着きなよ」
激怒するオルトに父のロッツは穏やかな声をかけた。
「アイラさんはカラフルベリーのココラータがけを振る舞ってくれた人だよ」
「あの時の……!?」
あの時オルトは直接アイラに会ったわけではなかった。
朝から仕事だったのでもうすでに酒場に出向いていて、戻ってきたら差し入れだというカラフルベリーのココラータがけがポンと置いてあったのだ。
あれは美味しかった。オルトたちは滅多に甘いものを口にしない。
貴重だし、カラフルベリーのように魔力上昇効果があるものは客に出してしまう。
ココラータだって滅多に手に入らない高級品。
それをポンと気軽に差し入れに置いていくなんて、すごい冒険者がいるんだなぁとオルトは感心し、姿形のわからない「アイラ」に憧れさえも抱いた。
「……でも、買い占めは良くない!」
「とはいえ酒場で使う最低限のものは直接卸してもらってるんだ。そうそう怒るようなことでもないよ」
「父ちゃんは甘いんだよ!」
おつかいが果たせなかったオルトの怒りは収まらない。
モカが呆れたような目線をオルトに送ってくるのも気に食わない。
悔しくて悔しくてオルトは地団駄を踏んだ。
「くそう……!」
するとこの様子を見かねたらしきロッツが、困ったように眉尻を下げながら提案してきた。
「よし、じゃあ、そのアイラさんがやっているお店とやらに今度みんなで行こうじゃないか。見学だ」






