はじめてのおつかい②
「よし、ローブの奴。さっそく魚醤と粗ごし糖とやらを買いにいくぞ」
「は、はい……」
バベルの塔の四十一階。
低層階の住民が使う共同キッチンから出たルインとエマーベルがアイラから頼まれたお使いを果たすべく廊下を進んでいた。
ちなみにルインが先を歩き、エマーベルがそれについていくという形になっている。
普通、従魔は人間より先を歩くことはあまりないのでかなり珍しい光景だ。
とはいえルインはかなり高度な知能を持っているし、しかもエマーベルの従魔ではないので、細かいことを言うのは野暮だろう。
そもそもエマーベルが何か言ってもそれに従うとも思えなかった。
従魔が人間に従うのは、己よりも優れていると認めるからであり、誰の命令でも聞くわけではない。
というわけでエマーベルは自信満々で先を行くルインのあとを大人しくついていく。
「他の階に行くにはまず、転移魔法陣に乗ればいいのだったな」
「はい、そうです」
「よし、これか。乗るぞ」
「あ、待ってください。この転移魔法陣に乗ってしまうと、一階に転移してしまいます」
「む。そうだったか。ならば……こっちの魔法陣はどうだ」
「そちらに乗ればギルドに転移するので、合っています」
バベルの移動手段は転移魔法陣もしくは階段だ。
各階の移動を楽にするためには、転移魔法陣を使いこなすのが必須になる。
この共同キッチンのある階には二つの転移魔法陣があり、それぞれバベルの一階と二十一階の冒険者ギルドへと通じていた。
食料が売っているのは十七階なので、二十一階のギルドへ行った後階段で下りるのが手っ取り早い。
エマーベルとルインは転移魔法陣に乗り込み、ギルドまで移動した。
日の高いこの時間、ギルドは冒険者で賑わっている。最も混雑するのは夕方から夜にかけてなのだが、それにしても依頼を探す冒険者や素材換金をする冒険者などで人気は多い。
ルインは転移魔法陣から下りて周囲をキョロキョロとする。
「ええと、階段は……」
「こっちです」
「食料が売っているのは十五階だったか?」
「十七階ですよ」
「うむぅ。この都市はややこしくて良くない」
「もしかしてルインさん……まだバベルの内部が良くわかっていませんか?」
「ああ。縦に長くて複雑すぎる」
階段をのしのしと下りながら苦言を呈する様は、なんとなく人間じみている。
「前に住んでいた街はもっとこじんまりしていたからな。街と街とを往復することもあったが、街自体は広くなかった」
「確かにバベルは特殊な構造ですよね。僕たちも初めて来た時は転移魔法陣が使いこなせなくて、やたら階段を使っていました。まぁ、ノルディッシュは『足腰が鍛えられるからこの方がいい』と言っていましたが……」
「ニンゲンにも使いこなせないならば、オレにわかるはずもないな」
いっそ開き直りとも言えるような発言をしている。
「着きましたよ、ここが十七階です」
「うむ」
「ええっと、アイラさんは魚醤と粗ごし糖と言ってましたよね」
「そうだな」
「調味料の類は……あっちの方かな……」
十七階は市場の様相を呈している。天幕を張った店の間をエマーベルとルインは進み、目当ての魚醤と粗ごし糖とを探す。
「魚醤、粗ごし糖……あった、これだ」
「よう、店主。この魚醤と粗ごし糖、丸ごと全部くれ」
「はい、いらっしゃいませ。え、全部ですか!? っていうか今、従魔が喋った……?」
店番をしているのは十歳に満たない男の子だった。バベルではこうした光景は珍しくない。冒険者の間でできた子供がバベルの中で育てられ、働くのだ。
そしてその男の子は、魚醤と粗ごし糖とを買い占める発言に驚き、喋り出したルインとに驚いている。
「……喋ったぁ……従魔って、喋るんだぁ……」
「うむ。オレは喋るのだ。で、魚醤と粗ごし糖、全部もらえるか」
「あ、はい。全部ですね。重いけど、大丈夫?」
「問題ない。オレは力持ちだからな」
「かしこまりましたっ。えーっと、全部で金貨五十二枚になります」
「よし、払ってくれ」
それまでずっと店員とやりとりしていたルインがエマーベルを見上げて言う。エマーベルは頷き、巾着から金貨を取り出して支払った。
この金貨は店の売上金だ。
売上に全く頓着のないアイラが「全部あげるよ」と言って寄越したものなのだが、さすがに全部エマーベルたちで貰うには多すぎる金額だったので、こうして材料費なのにも充てている。
店員の男の子はカウンターの上に金貨を十枚ずつ積み重ね、小さな手で数える。
「……はち、きゅう、じゅう。はい、ピッタリです。ありがとうございます! ええっと、このままだと壺と袋が大きすぎるよね……?」
「そうだな。小分けにしてオレの胴体にくくり付けてもらえるとありがたい」
「かしこまりました!」
店員の男の子は何本かの瓶に魚醤を分けて注ぎ入れ、粗ごし糖も何袋かに分ける。
エマーベルと男の子は二人でルインの胴体に魚醤の瓶と粗ごし糖の袋をくくり付けた。
「ありがとうございます! またのお越しをお待ちしています!」
たくさん品物が売れた男の子はホクホク顔でエマーベルとルインを見送ってくれた。
「よし、帰るぞ」
「はい。ルインさん、重くないですか? 少し持ちましょうか」
ルインの胴体はぎっしりと荷物がくくり付けられていて、見るからに重そうだ。
「問題ない。この程度の荷物、ものの数ではない」
その言葉に嘘偽りはなさそうで悠々と歩いている。
来た時と同じく二十一階のギルドまで行き、転移魔法陣に乗って共同キッチンに戻る。
ルインが通りやすいようにキッチンの扉を開けて押さえてやると、脇をすり抜けルインがキッチンの奥まで進んだ。
「戻ったぞ、アイラ」
「おかえり、ルインにエマーベル君!」
肉の下茹でが落ち着いたようで、アイラも加わってシェリー、ノルディッシュ、クルトンとともに大量のゆで卵の殻を剥いているようだった。
「手に入れたぞ、魚醤と粗ごし糖だ」
「ありがとー! エマーベル君もお疲れ様! ルイン、迷子にならなかった?」
「大丈夫でした。ルインさんは力持ちですね」
エマーベルは笑いながらルインの胴体から魚醤の瓶と粗ごし糖とを外していく。
「そうなんだよ。すごいでしょ? あたしを乗せて獲物をぶら下げても全然平気なんだもんね」
「伊達に鍛えてないからな」
「え……ルインが体鍛えてるところなんて、見たことないけど……いつも寝てるじゃん?」
「む……」
痛いところをつかれたのか、ルインは耳をしゅんとうなだれさせて目を背けた。
「まあいいや。ありがとね。卵の殻も全部剥けたし、これで味付けができるよ」
たしかに大量の卵の殻が積み上がり、茹で上がったつるりとした卵が姿を表している。
ペイングースの卵は、殻だけでなくそれ自体もすこし茶色っぽい。
エマーベルは山のように積み重なっている茹で卵を見上げた。
「これだけたくさんあると、圧巻ですね」
「だよね。さすがのあたしも、この量は初めてだよ」
シェリーは少し誇らしげに胸を張った。
「お店のペイングースの卵、全部買い占めたもんねぇ!」
「ああ。こんなに卵を買うのは酒場くらいだから、さぞかし驚いたに違いねえ」
クルトンもシェリーの言葉に頷く。
「米もすごい量だったよな。何往復したことやら」
「ほんと助かっちゃったよ。じゃあ、この卵を下茹でが済んだお肉の鍋に投入してっと……!」
アイラはゆで卵を豪快に鍋に入れる。
「それから、魚醤と粗ごし糖とで味付け!」
そしてルインとエマーベルとでつい今しがた買ってきた魚醤と粗ごし糖とをこれでもかと注ぎ入れた。エマーベルは目を剥いた。
「……そんなにたくさん、砂糖を入れるんですか!?」
「そうだよー。魚醤を使った料理には、砂糖が欠かせないんだよ」
「それにしても入れすぎでは……!?」
「そんなことないよ。このくらい普通だよ」
「そうなんですか……」
大鍋にどさっどさっと粗ごし糖を入れまくるアイラを見てエマーベルは若干引いたが、作り慣れているアイラがこうなのだといえば、きっと美味しく出来上がるのだろう。
ともあれお使いを無事にクリアしたエマーベルとルインは、再びキッチン内での作業に戻ることにした。






